浅間神社(せんげんじんじゃ)は 伊豆国二之宮とされています 古くは三嶋大社の摂社「八所別宮」でした 富士講が賑わいを見せた当時は 富士登山をする三島・伊豆方面の者は 必ず立ち寄り 安全を祈願して出発した と伝えられています 同じ境内敷地内に祀られる「芝岡神社」は 世古本陣から遷座されました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
浅間神社(sengen shrine)(伊豆国二之宮)
(せんげんじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
静岡県三島市芝本町6-3
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》木花開耶姫命(konohanasakuyahime no mikoto)
波布比売命(hafuhime no mikoto)
《配》瓊々杵命(ninigi no mikoto)
火明命(hoakari no mikoto)
火蘭降(hosuseri no mikoto)
彦火々出見(hikohohodemi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・三嶋大社 摂社 八所別宮
・伊豆国二之宮
【創 建 (Beginning of history)】
神社配布の由緒書き
【由 緒 (history)】
浅間神社(せんげんじんじゃ)
鎮座地 三島市芝本町6番3号
御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
波布比売命(はふひめのみこと)
瓊々杵命(ににぎのみこと)
火明命(ほあかりのみこと)
火蘭降(ほすせりのみこと)
彦火々出見(ひこほほでみのみこと)例祭日 毎年7月15日・16日
由緒
昔から二宮として人々の崇敬厚く 古くは三島大社の別宮であり、木花開耶姫命、波布比蓋売命の二柱を主神として、外に瓊々杵命、火明命、火蘭降命、彦火々出見命の四柱を相殿の神として祀ってあり、三島大社につぐ名社であった。
嘗ては富士登山をするもの必ずこの神社に詣でるを常とした。
この境内周辺より湧き出づる水は 下流町村の潅概用水となっている境内入口の案内板
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・芝岡神社(shibaoka shrine)
《主》高産霊神(takamusubi no kami)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内 小社
[旧 神社名 ] 伊賀牟比賣命神社
[ふ り が な ](いかむひめのみことの かみのやしろ)
[How to read ](ikamuhime no mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
浅間神社(sengen shrine)(伊豆国二之宮)に祀られている御祭神
主祭神として祀られる「木花開耶姫命(konohanasakuyahime no mikoto)」は 浅間さん(富士山)の御祭神です 三嶋大社の御祭神「三嶋大神(大山祇命)」の娘神(姫神)にもなります
同じく主祭神の「波布比売命(hafuhime no mikoto)」は 『三宅記』によれば「三嶋大神 or 御島神」が伊豆大島に置いた后神(御妃)とされています
相殿神として祀られるのは 天孫「瓊々杵命(ninigi no mikoto)」で「木花開耶姫命(konohanasakuyahime no mikoto)」とは夫婦神となります
「火明命(hoakari no mikoto)」「火蘭降(hosuseri no mikoto)」
「彦火々出見(hikohohodemi no mikoto)」の3柱の神は その御子神です
三嶋大社の御祭神との深い繋がりを感じます
三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受ける 伊豆国一之宮です 平安中期以降に伊豆国賀茂郡から現在地に移ったとされ 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願の後 治承4年(1180)旗挙げを果たし 鎌倉武家政権を樹立し 鎌倉幕府崇敬の神社となり 現在に至ります
三嶋大社(三島市大宮町)〈延喜式内社 名神大社・伊豆國一之宮〉
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
三島駅から 南へ約400m 徒歩6分ほど
楽寿園の東側入口の南隣に鎮座します
道路の脇に案内板と社号標「式内 二宮 淺間神社」あります
浅間神社(sengen shrine)(伊豆国二之宮)に到着
西に向いて参道があり 突き当りに南向きに境内があります
鳥居が建ちます 扁額には「淺間神社」とあり 一礼してくぐり抜けます
参道の先は 5段程の石段を上がる境内になっています
小さな境内ですが 左右に2つの社殿が立ち並んでいます
向かって右側が「浅間神社(sengen shrine)」
向かって左側が「芝岡神社(shibaoka shrine)」
「浅間神社(sengen shrine)」の拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
左に鎮座する「芝岡神社(shibaoka shrine)」にお詣りします
案内板があり読みます
芝岡神社(しばおかじんじゃ)
鎮座地 静岡県三島市芝本町6番3号
御祭神 高産霊神(たかみむすびのかみ)例祭日 毎年7月15日 16日
由 緒
元本陣世古六太夫家の邸内に祀ってあったが 明治四年芝町の氏神として祭ることとなり、村社であった明治十年三月の三島宿の大火に類焼し同十二年に復興した。
祭神は高産霊神を祀る。
本殿の下に大きな円形の石があり霊石と称し 昔から子供の守神として知られている。昭和二十七年七月に浅間神社へ合併して社殿と共に移転した。案内板より
この案内板の先には 扁額に「芝岡神社」と書かれた鳥居が建っています 一礼をしてくぐり抜けます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
賽銭箱には「奉納」と書かれていて文字の上に「蝉の抜け殻」があって 長閑な感じがします
右手には 浅間神社の本殿が見えます
境内から参道を戻ります
鳥居をくぐり抜け 振り返り一礼します
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』に記される伝承
『豆州志稿(zushu shiko)』は江戸時代に編集された伊豆地方の代表的な地誌
意訳
「 浅間神社 小濱にあって 二之宮と呼ばれている
二之宮・三之宮というのは『東鑑(azuma kagami)』にも出ていますこの浅間神社は 元は三之宮であったが 二之宮八幡宮が 三嶋大社境内に遷座してより この浅間神社を二之宮に上進めたり
神名に記される「正一位 千眼大菩薩」とはこれです
「千眼(sengen)」と「浅間(sengen)」と 発音が同じを以って ついに仏名からの神名に転訛したのですあるいは 延喜式社の伊賀牟比賣命(ikamuhime no mikoto)の伊賀牟は 井けかみの小濱池上に鎮座するからです
神官は木花開耶姫(konohana sakuyahime)を祀るので 今 姫宮と呼んでいます 」
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
伊豆国二之宮とされて 古くは三嶋大社 摂社 八所別宮で 富士講が賑わいを見せた当時は 富士登山をする三島・伊豆方面の者は 必ず立ち寄り安全を祈願して出発したと伝えられています
浅間神社(sengen shrine)(伊豆国二之宮)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
三嶋大社の記事もご覧ください
三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受ける 伊豆国一之宮です 平安中期以降に伊豆国賀茂郡から現在地に移ったとされ 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願の後 治承4年(1180)旗挙げを果たし 鎌倉武家政権を樹立し 鎌倉幕府崇敬の神社となり 現在に至ります
三嶋大社(三島市大宮町)〈延喜式内社 名神大社・伊豆國一之宮〉
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について