青龍神社(せいりゅうじんじゃ)は 日光西町五社の一つです 弘法大師(空海)が滝尾・寂光を開いた時に弟子が ご加護を祈って京都醍醐の青龍神を移し祀ったと伝わります 明治維新以前には「青龍大権現」と称していました 本町の氏神様で 東照宮・二荒山神社の大祭の前には晴天を祈って祈晴際が行われます
ご朱印は日光二荒山神社本社にて受領出来ます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
青龍神社(Seiryu Shrine)
(せいりゅうじんじゃ)
[通称名(Common name)]
青龍さん(Seiryu san)
【鎮座地 (location) 】
栃木県日光市本町四軒町1-2256
[地 図 (Google Map)]
日光二荒山神社から750m 徒歩10分程度
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大海津見命(owatatsumi no mikoto)
【創 建 (Beginning of history)】
青龍(せいりゅう)神社
弘法大師空海が、滝尾(たきお)、寂光(じゃこう)を開いたとき その弟子が仏法の守護として、京都醍醐(だいご)の青龍神を移し祀ったという。
今は、大海津見命(おおわたつみのみこと)を祀る。
東照宮及び二荒山神社の例大祭のとき晴天を祈って祈晴祭が行われている。
本町(もとの四軒町(しけんちょう)、袋町(ふくろちょう)、下本町(しもほんちょう)の氏神。
正月三が日の後の日曜日に五社祭(磐裂、青龍、八幡、花石、久次良の各社)、9月15日に例祭が行われる。案内立札より
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
鎮座地の「四軒町(shikencho)」の由来
現在の栃木県日光市本町四軒町
江戸期には 日光門前西町の一つとされていて 寛永年間(1624~1645年)に東照宮の楽人屋敷が 四軒置かれたことに由来するとされています
四軒町(しけんちょう)
江戸時代の始め、東照宮の「楽人」の屋敷が四軒おかれたことから「四軒町」と呼ばれた。
本来は日光山内の一部で、日光奉行所関係の役宅や「日光火之番屋敷」があり、民家中心の西町では特殊な地区であった。
現在は「本町第一」の一部になっているが、地区内には「殉死の墓」や「釈迦堂」などの史跡も多く、「金谷記念館(侍屋敷)」は楽人屋敷の遺構である。社頭案内板より
青龍神社(Seiryu Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
弘法大師空海が滝尾・寂光を開いた時に弟子が ご加護を祈って京都醍醐の青龍神を移し祀ったと伝わります
白糸の滝
・滝尾神社(Takinoo Shrine)の記事をご覧ください
滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます
瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉
寂光の滝
若子神社(Jakko Shrine)の記事をご覧ください
若子神社(じゃっこじんじゃ)は 弘仁11年(820)日光を訪れた弘法大師(空海)が 「白糸の滝」で修行し滝尾神社(たきのおじんじゃ)を開き 次いで この「寂光の滝」で修行した時 夢の中で女神のお告げを受け ここに祠を建てたと伝えられます 往時は神仏習合し 寂光権現と称していましたが 明治以降「若子神社」と改められます 境内の直下には日光八景に数えられる「寂光の滝」があります
若子神社(日光市)& 池石(生石)(ikeishi)