実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

佐肆布都神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)

佐肆布都神社(さしふつじんじゃ)は 昔は 境内には椎や松が茂り 川が流れ 瀬戸もあり 眺望は無双の地であった伝わります 延喜式神名帳927 AD.所載 壱岐郡 同 佐肆布都神社(おなじき さしふつの かみのやしろ)されます 同じ壱岐郡には佐肆布都神社所載されており 同郡に同名の神社が連続して記載されている大変珍しい神社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

佐肆布都神社(Sashifutsu shrine)

[通称名(Common name)]

・〈旧号〉平江大明神(ひらえだいみょうじん)
お平様おひらえさま

【鎮座地 (Location) 

長崎県壱岐郡芦辺町箱崎大左右触1146

[  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》武甕槌命、高貴神、天照大神、猿田彦命、天鈿女命、甕速日命、樋速日命、経津主命、稜威雄走神、天児屋根命、大己貴神、事代主命

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

佐肆布都神社

『延喜式』には「佐肆布都神社(さとふつじんじゃ)」の記録が2社残っています。この箱崎大左右触にある佐肆布都神社その2社の1つと云われています。延宝の改め以前は「平江大明神(ひらえだいみょうじん)」と云われていたことから、現在でも「おひらえ様」と呼ばれています。

壱岐市立一支国博物館HPより
http://www.iki-haku.jp/museumInet/ikf/poiGet.do?command=spot&id=1214

【由  (History)】

佐肆布都神社 由来

社名 佐肆布都神社(平江大明神)
祭日 旧暦九月二十八日
祭神 武甕槌命を主神として他十二

由緒
延喜式神名帳によると、当神社は延宝四年一六七六年)橘三喜なる人が、式内神社を調査されたとき 佐肆布都神社と定められたもので壱岐二十四社の一になっている。
松浦藩主二十九 天祥鎮信公は御正体、木鏡面、石額枚を献納されたと 式内調査報告に記してある。
また現存している石鳥居は壱岐名勝図誌によると拝殿を去る南十七間、竪尺、横寸「明和丁亥月建」とあるので、昭和六十年(一九八五年)よりさかのぼること二一八年の昔になる。
なお当神社は古くから「お平様」と愛称され地域の人々の崇敬の的になっていた。このことは延宝四年 昭和六十年から三〇九年昔に改められるまでは「平江大明神」と呼ばれていたことの名残とも思われる。
 昔は境内には松や椎の木がうっそうと茂り、瀬戸の渡もほの見えて眺望無双の地であったことがうかがえる。
 明暦二年一六五六年)平江新田(現在の大左右新田)造成の大工事の時は此の神社に祈願して干拓事業が成功したとされている。 尚以前は多くの絵馬が掲げられてあったが現在は少なくなっている。その中に壱岐の鯨組から奉納されたものもある。鯨が豊漁の時は願成就に絵馬を奉納したものと思われる。石鳥居、石灯篭、絵馬、神領田 等に昔からの深い信心の証をうかがうことができるのである。
昭和六十年十月吉日 佐肆布都神社総代

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

〈本殿向かって左側に祀られる〉祇園神社

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)壱伎郡 12座(大4座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 同佐肆布都神社
[ふ り が な ]おなじき さしつの かみのやしろ
[Old Shrine name]Onagiki Sashifutsu no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

同郡(壱岐郡)に 同名〈式内社 佐肆布都神社が 二つ記されています

佐肆布都神社(さしふつの かみのやしろ)

・佐肆布都神社〈旧 鎮座地〉(壱岐市勝本町)

一緒に読む
佐肆布都神社〈旧 鎮座地〉(壱岐市勝本町北触)

佐肆布都神社(さしふつじんじゃ)は 明治41年(1908)中津神社に合祀された佐肆布智明神の旧 鎮座地です 式内社の佐肆布都神社(さしふつの かみのやしろ)とされます 石祠の背後の゛巨石゛は〈佐肆布都神社としるす所なり 古老 昔 佐肆布都神 石舟にのりてこの地に亘り給う〉とする舟石(ふないし)と考えられています

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・中津神社(壱岐市勝本町)〈明治41年(1908)佐肆布智明神を合祀〉

一緒に読む
中津神社(壱岐市勝本町北触)

中津神社(なかつじんじゃ)は 社記によれば 弘仁2年(811)10月1日に鎮座と伝え 延寶4年(1676)の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉によって 中津神社(なかつの かみのやしろ)(名神大)と査定とされ 明治41年(1908)に佐肆布智明神〈式内社 佐肆布都神社〉を合祀して 二つの式内社の論社となっています

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同 佐肆布都神社(おなじき さしふつの かみのやしろ)

・佐肆布都神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)

一緒に読む
佐肆布都神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)

佐肆布都神社(さしふつじんじゃ)は 昔は 境内には椎や松が茂り 川が流れ 瀬戸もあり 眺望は無双の地であったと伝わります 『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐郡 同 佐肆布都神社(おなじき さしふつの かみのやしろ)とされます 同じ壱岐郡には佐肆布都神社も所載されており 同郡に同名の神社が連続して記載されている大変珍しい神社です

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・金刀比羅神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

芦辺から県道23号を北へ約2km 車5分程度

県道沿いに社頭があります
佐肆布都神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐります
扁額には 佐肆布都神社と刻されています

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境内の中央には 土俵があり その先に拝殿が建ちます
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿から渡り廊下 一檀高い所に本殿が鎮座します

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境内には 龍蛇如く注連縄が置かれていて 祭事に使われるのでしょうか?

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社殿に一礼をして 鳥居を抜けて社頭に戻ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

『延喜式神名帳』の中で 同じ郡に同名の神社が二つある 佐肆布都神社同佐肆布都神社について 本来は一つの神社であったが 写本の時 誤って増えたのではないかとの説を記しています

【抜粋意訳】

同佐肆布都神社

〇信友云 同宇所字なるへし これは本に畧して同神社とありけるを 後に全く御名を記せる本によりて写すとき書入る也歟
又 イ本に同神社とありしを授合して傍に書をへたるか混せ入たるにてもあるへし
畧志 箱崎村にあり

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『壱岐名勝図誌』〈文久元年(1861)に完成〉に記される伝承

巻25 箱崎村 併 瀬戸浦 之部に 式内社の壱岐郡 同佐肆布都神社とされ 境内は椎や松が茂り 川が流れ 瀬戸もあり 眺望は無双の地であると記されています

【抜粋意訳】

巻25 箱崎村 併 瀬戸浦 之部

佐肆布都神社 在 大左右平江

祭神 武甕槌命
相殿 高貴神、天照大神、猿田彦命、天鈿女命、甕速日命、樋速日命、経津主命、稜威雄走神、天児屋根命、大己貴神、事代主命 之

・・・・
・・・・

当社は 神名式に所載 壱岐郡 同佐肆布都神社なり
〇神名記云 箱崎村 同佐肆布都神社 武甕槌
〇神明品書云 女岳男岳 平江椿山の宮御前云々 境内椎樹繁茂して枝をつらね松樹緑を抽す 水田を覆い 東は魚出川越て 乙宮の森 瀬戸の渡りしとのこえ 南は・・・・・眺望無双の地なり

【原文参照】

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

『延喜式神名帳』の中で 同じ郡に同名の神社が二つあるのは珍しく 佐肆布都神社同佐肆布都神社について解説が 記されています

【抜粋意訳】

同佐肆布都神社

は 於奈之と訓べし 佐肆布都は前に同じ
〇祭神明らか也
〇箱崎村に在す 今 平江明神と称す 式社考

連胤按るに
同云々し書るは 此帳中に例なしといへども 両社つづくゆえに 別社といふ事を知らしめむために 同字を加へしなるべし
同郡に文字も違わず両社あるは
但馬國城崎郡 兵主神社
備前國御野郡 石門別神社
對馬島下縣郡 和多都美神社 等なれど

兵主は一座と二座との差ひあり 石門別は 中間に若干社を隔つれば 同字は加えざる也 和多都美も同じく 殊に大小の別あり
又 出雲国に 同社 また同社坐とあるは 相殿なれば此例に非ず

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社の同佐肆布都神社の所在について 疑わしいが 箱崎村〈現 佐肆布都神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)〉に従うと記しています

【抜粋意訳】

同佐肆布都神社

祭神 武甕槌命 経津主命

祭日 九月二十八日
社格 (無社格)

所在 箱崎村(壱岐郡箱崎村)

今按〈今考えるに〉
神社考に 箱崎郷大左右村に平江大明神と云社ありしを
延宝の調に 大左右の地名を左右大と上下になして 佐肆布都とすと云り
沿革考には 黒崎村天道宮なりとあれど 其證をあけす故 今姑明細帳 長崎県式内社記に従ふ

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『壱岐国神社誌』(Ikinokuni jinjashi)〈昭和16年(1941)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

箱崎村ノ部 佐肆布都神社 (旧号 平江大明神)

鎭座地 箱崎村大崎右触

祭神 
武甕槌命、高貴神、天照大神、猿田彦命、天鈿女命、甕速日命、樋速日命、経津主命、稜威雄走神、天児屋根命、大己貴神、事代主命

例祭日 九月二十八日 神幸式、大神樂奉奏
境内地 645

〔由緒沿革〕
一、当社ハ延喜式内、壱岐国廿四座ノ一ナリ。
一、仁明天皇 嘉祥四年辛未 正月庚子 正六位上ヲ奉ラル 以下 加階諸社ニ同ジ。

【原文参照】

『壱岐国神社誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1035221出版昭和16年(1941)著者 長崎県神職会壱岐支会 編 出版者 長崎県神職会壱岐支会

佐肆布都神社(壱岐市芦辺町箱崎大左右触)に (hai)」(90度のお辞儀)

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壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について に戻る 

一緒に読む
壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について

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