佐々伎神社(ささきじんじゃ)は 社伝によれば 第10代 崇神天皇11年(BC 87年頃)但馬国の開拓の祖神(オヤガミ)である少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀ったのが始めとしていて 一説には天平19年(747)3月 出石小領に任じられた佐々貴山君(ササキヤマノキミ)が 祖である大彦命(オオヒコノミコト)を佐々貴山に祀ったとあり 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の古社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
佐々伎神社(Sasaki Shrine)
(ささきじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県豊岡市但東町佐々木482
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
第10代 崇神天皇11年(BC 87年頃)
佐々伎神社
當 式内 縣社 佐々伎神社ハ 但馬國 開拓ノ祖神 少彦名命ヲ 祭祀セル神社ニシテ 雀岐庄雀岐ニ 鎭座シ、同庄 拾参ケ村ノ 産土神ニ立給フ。往昔 此神 以鷦鷯羽爲衣 随湖水以浮到ト 古記ニ見エタリ。故ニ 此地ヲ 佐々木ト呼フ。社 高橋郷 貳拾箇部落ノ 中央ニシテ 孝元天皇ノ皇子 大彦命ノ裔 出石郡ノ大領 高橋臣及同族佐々木山ノ公代々ノ居住地タリ。高橋臣 其祖 大彦命ヲ合祀シテ 二宮明神ト称ス。
社頭の石碑の裏面
【由 緒 (history)】
由緒
古い資料には、雀岐大明神、雀岐社と記されており、
二宮大明神とも称される神社で、式内社・佐々伎神社に比定されている古社。崇神天皇11年(BC87)、道主命と比奈良岐が談合して大己貴命と少彦名命を祀る社を創建したのが当社のはじめ。
一説には天平19年(747)3月 出石小領に任じられた佐々貴山君が、祖である大彦命を佐々貴山に祀ったのがはじめであるという。
また、桓武天皇延暦3年(784)6月出石大領に任じられた佐々貴山君波佐麻がその祖・佐々貴山命を射坂之丘に祀ったとも。
さらに、但馬国開拓の祖・少彦名神を祀り 大彦命の裔である高橋臣 および同族の佐々木山公の居住地であったため、祖神 大彦命を合祀して二宮明神と称したとも。
二宮と称した理由について「出石藩舊記」には、雀岐大明神(佐々伎神社)と須流大明神を一社にまとめて二宮大明神としたと記されている。
兵庫県神社庁HPよりhttp://www.hyogo-jinjacho.com/data/6323037.html
【境内社 (Other deities within the precincts)】
社殿の向かって左側
・八幡神社・稲荷神社・三柱神社
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬国 131座(大18座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)出石郡 23座(大9座・小14座)
[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社 名称 ] 佐々伎神社
[ふ り が な ](ささきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sasaki no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御神木「なんじゃもんじゃの木」について
一般に ナンジャモンジャとは 見慣れない立派な植物 怪木や珍木に対して地元の人々が付ける愛称です
多くの場合は 木犀(モクセイ)科の「一葉たご(ヒトツバタコ)」を指すことが多いのですが
当神社では クスノキ科の樹木「鹿の子木(カゴノキ)」のご神木で「なんじゃもんじゃの木」という異名も持ちます
なんじゃもんじゃの木
この木は古くから なんじゃもんじゃの木と呼ばれています。撫でると愛情が芽生え家庭が円満になる。若い人が撫でると恋人が出来るとされています。
佐々伎神社 の なんじゃもんじゃ
学名 鹿の子(かのこ)木です。森の中にはカノコが十数本あり、
“どんなもんじゃ”
社殿にお守りがあります。“宝篋印塔”鳥居右手の宝篋印塔は 足利時代のもので但馬最古のものです。
案内板より
説明文中の 鳥居右手の “宝篋印塔” 足利時代のもので但馬最古
木を撫でると愛が芽生える「なんじゃもんじゃの木」の昔話について
その木を撫でると愛が芽生え 幸運が舞い込むと言われて 但東の民話と伝説には「心谷 (こいごごろのたに) の悲恋物語」という
昔話 都の若い公家〈都の娘達が想いを寄せる程の美形〉が 勅使として 佐々伎神社に出向きます そこで「なんじゃもんじゃの木」を触れ 巫女として上がっていた美しい村の娘をたちまち好きになっていますが 若い公家を慕う都の娘の悲恋のお話です
ご興味のある方は
但東の民話と伝説〈旧但東町教育委員会〉
心谷の悲恋物語(高橋地区佐田)(PDF)
http://www.hyogo-c.ed.jp/~h15db/katego/sonota/tanto_kyo/phaku3_26_m.pdf
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
豊岡駅から 県道247号経由 約25.8km 車40分程度
福知山駅から R9号とR426号経由 約27.1km 車40分程度
但東町久畑から県道558号の峠を越えて 但東町佐々木に入りました
峠を越えると佐々木川に削られた平地を走る県道を下ると 社号標「郷社 佐々伎神社」が建ちます
佐々伎神社(Sasaki Shrine)に参着
「佐々木集会所」と書かれた建物の前が駐車場になっていて ここから境内に向かいます
階段の手前には 苔生した手水鉢があり 清めます
石灯篭が立つ階段の先は 玉垣に囲まれた境内となっていて 正面の石碑には「縣社 佐々伎神社」と刻まれています
やはり 山間の小さな神社ですが 式内社ですので 縣社に昇格しています
ここで 参道は直角に左に折れます 更に玉垣があり 社号標には「式内 佐々伎神社」とあり 石灯篭と鳥居が建ちます
一礼をして 鳥居をくぐります その先には木立の中に石段が続いています
石段の両脇に石灯篭が立ち スギの古木に挟まれた70段の石段を上がります
石段の右手には かつては社務所で 昭和二年(1927)に神楽殿に変更した建物が 斜面に舞台のようにあります
詳しくは
但東の農村歌舞伎舞台〈旧但東町教育委員会〉
・佐々木神社の舞台(但東町佐々木)(PDF)
http://www.hyogo-c.ed.jp/~h15db/katego/sonota/tanto_kyo/phaku4_12_m.pdf
70段の石段を上がると 狛犬が構え 社殿の建つ境内に出ます
拝殿にすすみます 社殿の左側には 境内社が鎮座しています
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿を向かって右手から 本殿はブルーシートで養生されています
空を見上げると一転雲隠れの太陽
境内社にお詣りをしてから
拝殿に おみくじやお守りがあり 受領します
また 日差しが現れ 深々と社殿に一礼をします
狛犬の座す石段を下ります
鳥居をくぐり 振り返り一礼をします
石段の途中左手には 御神木「なんじゃもんじゃの木」があります
石碑の前の石段を下り 振り返り一礼
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『延喜式神名帳頭註(Engishikijimmyocho tochu)』1503年(文亀3)〈吉田兼俱 著〉に記される伝承
祭神を 少彦名命(スクナヒコナノミコト)とあります
出石郡 佐々伎 少彦名
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『延喜式神名帳頭註』吉田兼俱 著「群書類従」[書誌事項]刊本(跋刊)[旧蔵者]昌平坂学問所
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037297&ID=M1000000000000054069&TYPE=&NO=画像利用
『但馬考(Tajimako)』1751(宝暦元年)に記される伝承
意訳
佐々伎神社(ササキノカミノヤシロ)
延喜式にあり 小社なり
今 佐々木村に 坐ますは 二宮大明神 大崎大明神2社なり 何れか 古祠なることを知らず
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『但馬考』著者:桜井良翰[書誌事項]写本 ,明治[旧蔵者]農商務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002433&ID=M2018051411570934034&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(jinja kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承
意訳
佐々伎神社(ササキノカミノヤシロ)
佐々伎(ササキ)は 假字(カジ)〈万葉仮名のような かな文字をさす〉なり
〇祭神 少彦名命 頭註〈神名帳頭註〉
〇佐々木村に在す 但馬考但馬考に 二宮大明神 大崎大明神2社あり 何れか古祠なることを知らずと云えり
類社 近江国蒲生郡 沙々貴神社の條 見合うべし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容
意訳
佐々伎神社(ササキノカミノヤシロ)
祭神 大彦命(オオヒコノミコト)
稱(トナエル)佐々木大明神(ササキダイミョウジン)今 按(考えるに)
神名帳頭註に佐々伎 少彦名(ササキ スクナヒコナ)とあるは かの 鷦鷯羽(ミソサザイノハネ)を衣(コロモ)とした故事により 誤って伝えたる欺(アザムキ)であるまたは 大彦命(オオヒコノミコト)は 佐々貴山公(ササキヤマノキミ)の祖(オヤ)なれば 大彦命を少彦名命とあやまれるならん
祭日 8月25日
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155
佐々伎神社(Sasaki Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『神社覈録(jinja kakuroku)』に類する神社として記されている沙々貴神社
近江国蒲生郡 沙々貴神社の記事をご覧ください
沙沙貴神社(ささきじんじゃ)は 遠く神代に少彦名神を祀り 古代に沙沙貴山君(ササキヤマノキミ)が大彦命を祀り 景行天皇が 志賀高穴穂宮の遷都の時 大規模な社殿を造営と伝わり やがて 宇多天皇と皇子の敦實親王が 宇多源氏の祖 佐々木大明神として祀られ それ以降 佐々木源氏の氏神とされて子々孫々が篤く崇敬しています
沙沙貴神社(近江八幡市安土町常楽寺)〈延喜式内社〉
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但馬国(たじまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 但馬国には 式内社 131座(大18座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
但馬國 式内社 131座(大18座・小113座)について