佐保神社(さほじんじゃ)は 第11代垂仁天皇23年と伝えられ 加西の鎌倉峰に鎮座されていました 養老6年(722)に現在地に遷座し 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)と称したが いつの頃からか「佐保神社」と称されるようになったと云う 鎮座地の「社(ヤシロ)」はは当社に因みます
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
佐保神社(Saho shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県加東市社(やしろ)777
〈旧住所〉
兵庫県加東郡社町(やしろまち)社(やしろ)777番地
『加東郡誌』大正12年に記される内容
旧社町は門前町として発展し 鎮座地の「社(ヤシロ)」は当社に因むと記されています
【抜粋意訳】
第二編 町村 第二章 社町
第三節 町名撰定の事由
社は 縣社佐保神社の所在地なるが上に 古來東播の一名邑として其の名遠近に聞えたれば、取りて以て社村と命名したりしが、大止元年六月一日町制を布くに至り社町と改稱したるものなり。
第四節 大字の起源沿革
社
社はヤシロと訓ず。古へは佐保社村、佐保村又そうの社とも唱へたり。何れも當所に鎭座せる縣社 佐保神社によれる命名なること明かなり。
・・・
・・・〈中略〉
・・・按ずるに當地は 往昔 由良野ケ原 又 廣野と唱へられたる荒蕪の一原野なりしが 佐保大神の鎭座ありてより次第に住民の聚落を見るに至り、
・・・
・・・〈以下略 原文参照〉
【原文参照】
加東郡教育会 編『加東郡誌』,加東郡教育会,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978702
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
東殿(向って右) 天照大神(あまてらすおおかみ)
中殿(中 央) 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
西殿(向って左) 大己貴命(おおなむちのみこと)
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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 旧社格 縣社
【創 建 (Beginning of history)】
佐保神社(さほじんじゃ)由緒
当神社の始まりは、第十一代垂仁天皇二十三年の創建と伝えられていますが、この当時は加西の鎌倉峰に鎮座されていました。
その後、養老六年(七二二年)に現在地に遷座され、延喜式にも所載の古社であります。
当地に遷座された頃は「坂合神社」と呼ばれておりましたが、いつの頃からか「佐保神社」と称されるようになりました。
鎌倉時代には、朝廷や幕府の崇敬を集め隆昌を誇り、尼将軍として有名な北条政子は、八丁四方に内の鳥居、一里四方に外の鳥居を造営させました。
今でも、その中の一基(西の内の鳥居)は加東市鳥居地区に、地名と共に残っております。
室町期に入り、度々の騒乱により一時荒廃いたしましたが、江戸時代に至って姫路城主 池田輝政公の祈願所として社領十石を寄せられ、さらに幕府より御朱印社領十石を賜わるなど、ようやく復興いたしました。
また明治時代になり、官国弊社に次ぐ近郷唯一の県社の社格を付与されました。
なお、旧加東郡社町は往古より「佐保社村(さほのやしろむら)」と呼ばれ、当神社の門前町として発展してきたことに由来し、北播磨の雄として栄えてまいりました。
現在の本殿は、延享四年(一七四七年)に再建されたもので、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)正面千鳥破風(ちどりはふ)・銅板葺で、幣殿・拝殿・瑞神門(ずいしんもん)とともに、華麗な彫刻で飾られています。
御祭神は
東殿(向って右) 天照大神(あまてらすおおかみ)
中殿(中 央) 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
西殿(向って左) 大己貴命(おおなむちのみこと)の三神であります。この他境内社には、恵比寿神社・諏訪神社・八幡神社・神明神社・愛宕神社・金刀比羅宮・稲荷神社・先宮社・天神社などがあります。
また境外末社として若宮社があります。佐保神社
現地案内板より
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由緒
佐保神社は、最初、名前を坂合神社と呼んでいました。ところがこの呼び名が、時代と共に変わり、佐加穂となり、更に現在の佐保神社となりました。
御祭神は中央の御殿に天児屋根命、東側の御殿に天照大神、西側の御殿に大己貴命(大国主命)の三神で、別名三社大明神と呼ばれていたのは、このためでまた佐保大明神とも称されるようになりました。次に当神社の歴史について少し説明したいと思います。先ず、いつ頃から現在の場所に鎮座されていたかと申しますと、記録によれば、奈良時代の初め(元正天皇の治世)今から約1200年前の養老6年(西暦722)3月に神託(神の御告げ)を受けた阿倍野三郎太夫(社町野村小部野の人と伝えている)という翁が、加西の鎌倉峰よりお遷し申し上げたとのことです。
それ以来、当神社は、社町・滝野町・小野市の一部にまたがる広い範囲にわたり、氏神様として人々の深い信仰を集めてきました。とりわけ、鎌倉時代には尼将軍として有名な北条政子が当神社を崇敬し、本殿の再建や四方に八基の鳥居を建てさせたりしている事実から、当時では既にかなり著名な神社であったことがわかります。江戸時代に入り、数回本殿の建て替えが行なわれ、現在の建物は、延享4年(西暦1747)8月に再建されたものです。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○兵庫縣 播磨國 加東郡社村大字社村字宮ノ前
縣社 佐保神社
祭神
天照皇大神(アマテラススメオホミカミ)
天兒屋根(アメノコヤネノ)命
大己貴(オホナムチノ)命創建は垂仁天皇二十三年四月なり、播磨鑑所引の社記に云く、
「正一位佐保大明神は、加西郡鎌倉が峯に住て年を経給ふ事二千餘年、時に、垂仁帝二十三甲子年四月六日に、加東郡涌羅野に飛來りましましけり、其時一夜の間に、数十株の松生たり、里人奇異の事として、直に國守に告ぬ、〔〇中略〕又 國守奇とし、新たに社を建て、是れをあがめ奉る、〔〇中略〕天文の季の春、回録の災にかかり、神殿樓ことごとく灰燼となりぬ、」
と、社領は十石ありしといふ、明治七年二月郷社に列し、十四年十二月縣社に昇格す、社殿は本殿、幣殿、拜殿、舞殿、神樂殿、繪馬所、神庫納所等を備へ、境内地は千三百八十一坪(官有地第一種)あり、又三十八年中 內務省指令甲第一七八號を以て上地林反別七反四畝十四歩を編入許可せらる、地平坦にして眺望に乏しと雖も、松、樫等の老樹森々として枝を交へ、幽遂にして自ら神威の高きを感ぜしむ。
境内神社
先宮社 諏訪神社 八幡神社 金刀比羅神社 惠美須神社 稲荷神社 天満神社 瑞神門例祭日 十月十七日
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・境内図
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・佐保神社 社殿
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・佐保神社 本殿
延享四年(1747)再建 三間社流造 千鳥破風の本殿
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・佐保神社 幣殿
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・佐保神社 拝殿
瓦葺の平入入母屋造の拝殿
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・佐保神社 能舞台
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・佐保神社 瑞神門
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・〈境内社〉先宮社《主》猿田彦神 三郎大夫
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・〈境内社〉天満宮《主》菅原道眞公
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・〈境内社〉明神社〈社殿向かって左 神仏習合の頃 寺院の名残か?〉
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・〈境内社〉恵比須神社《主》事代主命〈明神社の向かって左〉
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・境内西側に並ぶ境内社8祠
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向って右から
・〈境内社〉諏訪社《主》建御名方命
・〈境内社〉八幡社《主》誉田別命
・〈境内社〉金比羅社《主》大物主神
・〈境内社〉神明社《主》大日霊女貴命
・〈境内社〉神明社《主》天照大神《合》火之迦具土神
・〈境内社〉神明社《主》天照大神
・〈境内社〉神明社《主》天照大神
・〈境内社〉秋葉神社《主》火之迦具土神
・鐘楼〈境内の西側 能舞台の向かって左〉
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・稲荷社《主》倉稲魂命〈境内の西側 瑞神門の向かって左〉
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・社頭
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈境外社〉若宮神社《主》天押雲命,天種子命
・佐保神社西鳥居
鎌倉時代には、朝廷や幕府の崇敬を集め隆昌を誇り、尼将軍として有名な北条政子は、八丁四方に内の鳥居、一里四方に外の鳥居を造営させました。
今でも、その中の一基(西の内の鳥居)は加東市鳥居地区に、地名と共に残っております。
現地案内板より抜粋
・山氏神社(加東市社)
山氏神社(加東市社)は 古来より 佐保神社(加東市社)の別社とも攝社とも申していたが 明治維新以後 行政上独立の神社となりました
延喜式内社 播磨國賀茂郡 崇健神社(たかたけの かみのやしろ)の論社
・山氏神社(加東市社)を参照ください
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨國 50座(大7座・小43座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 坂合神社
[ふ り が な ](さかあひの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sakaahi no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式神名帳に載る「阪合神社」の論社について
河内國 若江郡 坂合神社二座(貞加一座)(さかひの かみのやしろ ふたくら)の論社
・阪合神社(八尾市小阪合町)
延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)の論社
・住吉神社〈住吉酒見社〉(加西市北条町北条)
住吉神社(すみよしじんじゃ)は 播磨国三之宮「酒見大明神」で 養老元年(717)山酒人が祖神と住吉四社を勧請と伝わる古来著名の神社で 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)の論社です 又 境外社 磯部神社(いそべじんじゃ)は 同じく式内社 石部神社(いそへの かみのやしろ)の論社でもあります
住吉神社〈住吉酒見社〉・磯部神社(北条町北条)〈『延喜式』坂合神社・石部神社〉
・佐保神社(加東市東実)
佐保神社(さほじんじゃ)は 縣社 佐保神社(社町)の御分霊を祀る社とされます しかし 養老六年(722)創建以來の社地であり 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)の旧地で 元々は東実の佐保神社が本社であったとする説があり 江戸時代に両神社の氏子同志が 本社と分社の立場を争ったとのこと
佐保神社(加東市東実)〈『延喜式』坂合神社〉
・佐保神社(加東市社)
佐保神社(さほじんじゃ)は 第11代垂仁天皇23年と伝えられ 加西の鎌倉峰に鎮座されていました 養老6年(722)に現在地に遷座し 延喜式内社 播磨國 賀茂郡 坂合神社(さかあひの かみのやしろ)と称したが いつの頃からか「佐保神社」と称されるようになったと云う 鎮座地の「社(ヤシロ)」はは当社に因みます
佐保神社(加東市社)〈延喜式内社 坂合神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR加古川線 社町駅からR372号経由で加古川を渡り東方面へ約5.7km 車での所要時間は10~15分程度
R372号から県道567号にて北上します
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社の交差点で右折するとすぐに参道となります
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社号標には「縣社 佐保神社」と刻字されています
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世界に一つ加東遺産 なる石碑もあります
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佐保神社(加東市社)に参着
鳥居は建っておらず 立派な瑞神門が建ちます
神仏習合時代の名残であろうと想われます
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一礼をして瑞神門をくぐり抜けると すぐに「百度石」があり 能舞台が建てられています
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能舞台の奥に石畳の参道があり 拝殿へと続いています
この様子からも 広い境内である事がわかります
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿から 振り返ると 能舞台 瑞神門 参道が直線上となり 南方向へと延びています
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拝殿の奥には 延享四年(1747)再建 三間社流造 千鳥破風の本殿
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境内には多くの境内社が祀られています
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境内社お参りをして 社殿に一礼をしてから 境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 坂合神社について 所在は゛在所分明ならず゛と記しています
その上で 諸説を挙げています
゛今 廃亡す、加西郡酒見北條坂合屋五兵衞居宅裏の石祠゛
゛加東郡福田庄佐保社村 佐保明神゛〈現 佐保神社(加東市社)〉
゛加東郡坂合神社、〔佐保社とも〕゛〈現 佐保神社(加東市東実)〉
゛加西郡酒見北條村 酒見大明神は、今も大社にて當國三宮と崇めたり、是ぞ坂合神社なるべき゛〈現 住吉神社〈住吉酒見社〉(加西市北条町北条)〉
【抜粋意訳】
坂合神社
坂合は佐加安比と訓べし
〇祭神 坂合部氏祖神歟
○在所分明ならず
式社記に、今 廃亡す、加西郡酒見北條坂合屋五兵衞居宅裏の石祠、』古跡便覧、其所しらずと云り、
播磨鑑には、加東郡福田庄佐保社村 佐保明神〔延喜式〕と載す、是坂合神社なるべしと式いふ浮說あり、然れど佐保社は、徃昔大社のよしをいふのみにて、坂合神社たる證みえず、
播陽事始經曆考には、加東郡坂合神社、〔佐保社とも〕社村社領十石云々、〔播磨艦、是說に從ふか〕此社の事也と云説あれど、慥に定めがたし、こは峯相記を本として、いひなせるもの也、〔此 峯相記は、社撰の書ながら、古書ならば捨がたき所あり、此外 古書傳はらざれば、後々 此記に泥みて其源を探らざるは、いかにともしがたし、猶記文は、式外酒見神社の條に出せり、〕さて、〔連胤〕竊(セツ)に按るに、加西郡酒見北條村 酒見大明神は、今も大社にて當國三宮と崇めたり、是ぞ坂合神社なるべき、一二四五の宮共に式內なるに、三宮のみ式外なる事甚疑ひあり、況や彼坂合屋の宅地、酒見寺の前なれば、中古荒廃の時、酒見明神相殿と爲しか、其の三宮の唱へ酒見明神の方に紛れたるか、もとより坂合神社を地名に據て 俗 酒見明神と稱しゝにや、國內神名帳大神の列に、佐保明神を載せて、坂合の號 大神小社百七十四座の中に載せず、されば考說に殆と迷へり、猶深く考ふべし、
類社
河內國 若江郡 坂合神社
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 坂合神社について 所在は゛加東郡社村にあり゛〈現 佐保神社(加東市社)〉と記しています
【抜粋意訳】
坂合神社、
加東郡社村にあり、〔播磨事始、飾磨縣神社調、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 坂合神社について 所在は 記していません
その上で 諸説を挙げています
゛今 廃亡す、加西郡酒見北條坂合屋五兵衞居宅裏の石祠゛
゛加東郡 坂合神社(社村)゛〈現 佐保神社(加東市社)〉
゛加東郡佐保社 佐保明神と載す これ長坂合神社なるへし゛〈現 佐保神社(加東市東実)〉
゛加西郡酒見北條村 酒見大明神は、今も大社にて當國三宮と崇めたり、是ぞ坂合神社なるべき゛〈現 住吉神社〈住吉酒見社〉(加西市北条町北条)〉
【抜粋意訳】
坂合神社
祭神 稱 佐保社
今按 社傳 祭神 天兒屋根命と云るは如何あらん 姑く疑を闕て祭神を記さず
祭日 九月十六日
社格所在
今按
式社記に 今 廃止す 加西郡酒見北條坂合座五兵衛居宅の石祠古跡便覧其所知れすと云り
播磨鑑には 加東郡佐保社 佐保明神と載す これ長坂合神社なるへしと云り されと其證みえず
播陽事始經歷考に 加東郡 坂合神社(社村)社領十石云々 此社の事也と云說あれと定めかたしと云ひ
神社覈錄に 加西郡酒見北條村酒見大明神は今も大社にて當國三宮と崇めたり是ぞ坂合神社なるへき 一に四五の宮共に式內なるに三宮のみ式外なる事甚疑ひあり 況や彼坂合屋の宅地 酒見寺の前なれは中古荒廢の時 酒見酒見相殿と爲しか 其三宮の唱へ酒見明神の方に紛れたるか 元より坂合神社の地名の據て俗 酒見明神と稱ししにやなといと定めかねたるさまに 之れと酒見神と坂合神とはもとより別神なるへし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
佐保神社(加東市社)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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播磨国 50座(大7座・小43座)の式内社に戻る
播磨国(はりまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 播磨国 50座(大7座・小43座)の神社です 播磨国は 和銅6年(713) の詔によって『播磨国風土記』が編纂されていますので 7世紀には成立したとされています
播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について