相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について 「相模國の一之宮争い」を今に伝える神事「国府祭(こくふさい/こうのまち)」には 相模國の六社〔・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕が祭場である神揃山(かみそろいやま)・逢親場(おおやば)に 毎年五月五日に参集します
一之宮(いちのみや)とは
令制国の一宮を指すことが多い ある國の中で最も社格の高いとされる神社のことを指し 一の宮・一ノ宮・一之宮とも云う
一宮の次に 社格が高い神社を二宮 さらにその次を三宮と呼び 更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もあり 相模國は五宮まであります
相模國の「一之宮争いについて」
諸国には 「一之宮争い」の伝承がいくつかあります
相模國は 7世紀の相武(さがむ)國造と師長(しなが「磯長」とも表記)國造の領域を合併して 出来た國であるとされますので
相模國が成立した この合併の際 相武と師長のいずれの国の一宮を相模国一宮とするかで争いが起きたとされます
該当する各々の一宮は 寒川神社〈相武〉と川勾神社〈師長〉です 両社の間で「一之宮争い」があったと伝わっています
「相模國の一之宮争い」を今に伝える神事「国府祭(こくふさい/こうのまち)」
この「相模國の一之宮争い」は 現在も国府祭(こくふさい/こうのまち)で再現されています
相模國府祭(さがみこうのまち)について
国府祭は毎年五月五日 相模の六社〔相模国の・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕が祭場である神揃山(かみそろいやま)・逢親場(おおやば)に集う祭りで 神奈川県の無形民俗文化財に指定されています
はじまりは今から一千年以上前 地方に国・郡の制度が定められていた時代 相模國の行政長 国司が相模国の天下泰平と五穀豊穣を神々に祈願したものと云われます
神揃山での神事「古式座問答」
古式座問答は 寒川神社と川勾神社の一之宮争いを儀式化したものと伝えられます
逢親場での神事「神対面神事・国司奉幣・神裁許の神事」
大矢場(現馬場公園)では、国司祭や三種類の舞が奉納されます
国府祭に参集する 相模國の六社について
①・一之宮 寒川神社
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②・二之宮 川勾神社
③・三之宮 比々多神社
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④・四之宮 前鳥神社
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⑤・五之宮 平塚八幡宮
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⑥・総社 六所神社
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相模國の六社 各社の詳細について
①・一之宮 寒川神社
延喜式内社 相模國 高座郡 寒川神社〔名神大〕(さむかはの かみのやしろ)
・寒川神社(寒川町)
寒川神社(さむかわじんじゃ)は 約1600年以上の歴史を持つとされ 古くは朝廷から さらに歴代の武将〈源頼朝公 武田信玄公 徳川将軍家など〉や 民間からも幅広い信仰がありました 今でも 八方除の守護神〈全国唯一〉として 全国各地から参拝者が絶えない 相模國一之宮です
寒川神社(寒川町)〈『六国史』寒河神『延喜式』寒川神社(名神大)〉相模國一之宮
②・二之宮 川勾神社
延喜式内社 相模國 餘綾郡 川勾神社(かはいいの かみのやしろ)
・川勾神社(二宮町山西)
川勾神社(かわわじんじゃ)は 社伝に「縁起書によれば 第十一代垂仁天皇の朝 磯長国(しながのくに)の国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため創祀せらる」とあり 日本武尊東征の時 源義家東下りの時 奉幣祈願があったと伝わる 延喜式内社 相模國 餘綾郡 川匂神社(かはいいの かみのやしろ)です
川勾神社(中郡二宮町山西)相模国二之宮〈『延喜式』川勾神社〉
③・三之宮 比々多神社
延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)
・〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)
埒免古墳(らちめんこふん)・比々多神社 元宮(ひびたじんじゃ もとみや)は 比々多神社の北西500m程「埒免(らちめん)」という神聖な小高い丘の上にある延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)の旧鎮座地です 社伝に「正親町天皇 天正の初(1573年~)宮之前なる神官の居屋敷 即ち今の地に遷し奉る」とあります
〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)
・比々多神社(伊勢原市三ノ宮)
比々多神社(ひびたじんじゃ)は 始源は今から約一万年以上前〔付近の遺跡等から推測〕とされ 鎮座は「社伝に初代 神武天皇六年 古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選定し神を祀る社を建立 霊峰大山を神体山とし 豊斟渟尊を日本国霊として祀始と云う」延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)です
比々多神社(伊勢原市三ノ宮)相模國三之宮〈『延喜式』比比多神社〉
・比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)
比比多神社(ひひたじんじゃ)は 創建は天平年間(729~749年)相模国の守護の任にあった染谷太郎時忠が当国安土・子宝を願い勧請したと云う 子宝と安産の神「子易明神」として かつては大山詣の往復に多くの参詣者があったと云う 延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)の論社です
比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)〈『延喜式』比比多神社〉
④・四之宮 前鳥神社
延喜式内社 相模國 大住郡 前鳥神社(さきとりの かみのやしろ)
・前鳥神社(平塚市四之宮)
前鳥神社(さきとりじんじゃ)は 菟道稚郎子命を祀る数少ない神社の一つです この地「さきとり」には 奈良時代以前 畿内から御祭神を「氏神」とする氏人が移り住み お祀りしたものと考えられています 延喜式内社 相模國 大住郡 前鳥神社(さきとりの かみのやしろ)で 国府祭の相模五社の一つ「四之宮」です
前鳥神社(平塚市四之宮)〈『延喜式』前鳥神社〉
⑤・五之宮 平塚八幡宮
・平塚八幡宮(平塚市浅間町)
⑥・総社 六所神社
・六所神社(大磯町国府本郷)
⑤・五之宮を 有鹿神社(海老名市)とする説もあります
有鹿神社は 「国府祭」相模の六社〔相模国の・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕には 含まれていませんが 相模國の五之宮であるとする説があります
延喜式内社 相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)
・有鹿神社 本宮(海老名市上郷)・有鹿神社 中宮(海老名市上郷)
有鹿神社 本宮(あるかじんじゃ ほんみや)は 六国史『三代實録』に「貞観十一年(869)十一月十九日壬申 授ニ 相模國從五位下 有鹿神 從五位上」と見え 『延喜式』に相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)と載る由緒ある古社です 奥宮から奈良時代以前に 相模国府のあった海老名郷〔現在地〕に遷座しました
有鹿神社 本宮(海老名市上郷)〈『三代實録』有鹿神『延喜式』有鹿神社〉
・有鹿神社 奥宮(相模原市南区磯部勝坂)
有鹿神社 奥宮(あるかじんじゃ おくのみや)は 縄文時代の大集落跡である相模原市磯部勝坂の有鹿谷(あるかやと)に鎮座する 延喜式内社 相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)の発祥の地です 社号の「有鹿(あるか)」とは 古代語の「水」を意味し 有鹿谷の泉は 縄文の水神信仰の対象であると云われます
有鹿神社 奥宮(相模原市南区磯部)〈『延喜式』有鹿神社 発祥の地〉
相摸国 式内社 13座(大1座・小12座)について
相摸国(さがみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 相摸国には 13座(大1座・小12座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
相摸國 式内社 13座(大1座・小12座)について