佐渡国(さどのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 佐渡国 9座(並小)の神社です
佐渡國(さどのくに)について
佐渡国(Sadonokuni)は 令制国の一つ〈北陸道に属する〉
現在の・新潟県佐渡市(佐渡島)
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北陸道は 4世紀以降 大和朝廷の支配下となったと考えられています
7世紀頃に 大国であった高志国(こしのくに)が 高志道前・高志道中・高志道後の3国に分割された
その後 この3国は 高志前・高志中・高志後と呼ばれ
高志国(こしのくに)が 越国(こしのくに)と表記され
大宝律令(たいほうりつりょう)制定〈701年〉により 鋳造された国印には 越前・越中・越後の表記となっている
佐渡国(さどのくに)が 建てられた時期は不明
天平16年(743)越後国が 佐渡国を併合したが
天平勝宝4年(752)元に復した佐渡国(さどのくに)
佐渡国(さどのくに)について
大社はなし
小社9座は9社
計9座は9社
※座は神の柱数 社は神社数
郡〈延喜式神名帳に記載〉
・羽茂郡(うもの こおり) 2座(並小)
・雑太郡(さわたの こおり) 5座(並小)
・賀茂郡(かもの こおり) 2座(並小)
羽茂郡(うもの こおり) 2座(並小)
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
度津神社(わたつの かみのやしろ)
・度津神社(佐渡市)〈佐渡國一之宮〉
度津神社(わたつじんじゃ)は 御祭神に 五十猛命を祀り 陸上海上の守護神として 島民から篤く信仰されています 佐渡国の一之宮と格式高い神社です ただし 1470年に大洪水があり 社地や由緒や縁起など古文書等が悉く流失したため 現在地に遷座したと伝わり その為 創立年月 その他詳かではありません
度津神社(佐渡市羽茂飯岡)〈佐渡國一之宮・延喜式内社〉
大目神社(おほめの かみのやしろ)
・大目神社(佐渡市吉岡)〈佐渡國二之宮〉
大目神社(おおめじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 羽茂郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)で 佐渡國二之宮とされる由緒ある古社です 創建年代など不祥ですが 『佐渡志』に「徳治二年(1307)七月 吉岡地頭本間遠江守 この社を修理せし時の棟札は今も残れり」とあります
大目神社(佐渡市吉岡)〈『延喜式』大目神社・佐渡國二之宮〉
雑太郡(さつたの こおり) 5座(並小)
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
引田部神社(ひきたへの かみのやしろ)
・引田部神社(佐渡市金丸)〈佐渡國三之宮〉
引田部神社(ひきたべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『國邑志稿』に「引田は阿倍臣同祖にて 大彦命之後也 大彦命は孝元帝の皇子にて 阿部臣等七姓之始祖也」とあり 引田氏の子孫が当国に住み祖神を祀ったものであろうとされる延喜式内社 佐渡國 雑太郡 引田部神社(ひきたへの かみのやしろ)です
引田部神社(佐渡市金丸)〈『延喜式』引田部神社・佐渡國 三之宮〉
物部神社(もののへの かみのやしろ)
・物部神社(佐渡市小倉)
物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です
物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉
御食神社(みけの かみのやしろ)
・御食神社(佐渡市宮川)
御食神社(みけつじんじゃ)は 天正年間(1573~92)兵火に罹り 旧記は焼亡 慶安年間(1648~51)洪水により社殿が流出し 創立年月・往古 勧請の地など不詳ですが 大膳寮所祭の神と申伝わり 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 御食神社(みけの かみのやしろ)の論社となっています
御食神社(佐渡市宮川)〈『延喜式』御食神社〉
・大膳神社(佐渡市竹田)
大膳神社(おおぜんじんじゃ)は 正殿に御食津神 左殿に日野資朝卿 右殿に大膳坊賢榮を祀ります 勧請創始については諸説があり 一説には この正殿の御食津神が 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 御食神社(みけの かみのやしろ)ではないかとする説もあり 式内論社となっています
大膳神社(佐渡市竹田)〈『延喜式』御食神社〉
飯持神社(貞)(いいもちの かみのやしろ)
・飯持神社(佐渡市飯持)
飯持神社(いいもちじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 飯持神社(いいもちの かみのやしろ)です 延宝年中(1673~1681)その時は小さき祠であった飯持神社に 橘三喜が社参したとあり「万民の みたまの水を うけ持の 神の社は かすかなれども」との和歌を奉納したとあります
飯持神社(佐渡市飯持)〈『延喜式』飯持神社〉
越敷神社(貞)(をしきの かみのやしろ)
・越敷神社(佐渡市猿八)
越敷神社(おしきじんじゃ)は 口碑には「初め 三宮の字荒屋に在りしを 慶安元年(1648)現地(猿八)に移祀すと云う」とあります 明治六年(1873)式内村社に列せられています 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 越敷神社(をしきの かみのやしろ)とされます
越敷神社(佐渡市猿八)〈『延喜式』越敷神社〉
・三宮神社(佐渡市三宮)
〈越敷神社 創祀の地と伝〉
三宮神社(さんぐうじんじゃ)は 順徳上皇が内房右衛門佐局との間に在島中3人の皇子(第一皇女慶子 第二皇女忠子 第三皇子千歳宮)が誕生した この第三皇子を祀る事から「親王大明神⇒三宮大明神」と称した 明治以後に三宮神社と改称 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 越敷神社(をしきの かみのやしろ)の創祀の地とも伝わります
三宮神社(佐渡市三宮)〈延喜式内社 越敷神社 創祀の地と伝〉
賀茂郡(かもの こおり) 2座(並小)
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
大幡神社(をほはた かみのやしろ)
・大幡神社(佐渡市大倉)
大幡神社(おおはたじんじゃ)は 『佐渡神社誌』に由緒として『元緑寺社帳』に貞觀三年(861)の創設とあり 一説には延喜元年(901)の創祀とも伝えています 『三代實録』に大庭神『延喜式』に佐渡國 賀茂郡 大幡神社(をほはたの かみのやしろ)です 往時は佐渡北部24ケ村の總鎭守で 明治には縣社に列しています
大幡神社(佐渡市大倉)〈『三代實録』大庭神『延喜式』大幡神社〉
阿都久志比古神社(あつくしひこの かみのやしろ)
・熱串彦神社(佐渡市長江)
・水尾神社(佐渡市河崎)
〈熱串彦神社の旧鎮座地(川崎と云う所にあり「水の尾明神」とも云ふ)と伝わる〉
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
北陸道に鎮座する 352座『延喜式神名帳』の所載一覧
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
「北陸道」に鎮座する(352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338)神社の一覧表です