雷電神社(らいでんじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社の一つです 雷電神社の旧鎮座地は 確定しておらず その多数の論社があり 諸書に「離宮院の坤方(ひつじさる)〈南西方向〉」にありと記されている社で 此処に祀られていた〈裏の宮・八王子〉とも称していた゛雷電神社゛ことです
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
雷電神社(Raiden shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市小俣町本町1166
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
御祭神 不祥
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
掛橋の御頭神事があります
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
江戸時代、掛橋地内は紀州藩と鳥羽藩に分かれてをり、紀州藩領の神社として春日社があり「表の宮」と称してゐた。一方、鳥羽藩領には雷電神社があり「裏の宮」または「八王子」とも称してゐたと伝へられる。
一方裏の宮、すなはち雷電神社の方は 『小俣町史』によれば「各神社合祀の外神社明細帳脱漏神社」八社の内に挙げられてをり、これら八社は明治十三年四月五日に小俣神社と共に官舎神社に合祀になつ た。
ともかく神社が合祀された後も、春日神社の氏子は山の神を、雷電神社の氏子は山の神と八王子社を祀り、御頭神事を、元の神社の財産で各氏子別々に祭祀を継続してゐた。その後、昭和二十八年の頃、当時の宮司がもと八王子社の社地を「雷電神社」として社殿を復興し、春日神社の氏子とも合同で祭祀を執り行ひ今日に至つてゐる。
『式内社調査報告』より
【由 緒 (History)】
『大神宮叢書 前篇』に記される内容
式内社である雷神社の所在が 不明なのは不思議であり 本来は 現在の・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉が 鳴雷と呼ばれるので雷神社であって
宇治山田神社が 楊田社と呼ばれている もしかすると湯田と楊田が入れ違った可能性があるのでは ないかとも指摘しています【抜粋意訳】
神宮典略二 内宮宮社下 末社 雷神社
雷神社
帳に、四月例十四日御笠縫内人造奉御抜條に、伊加津知神社見え、建久年中行事記に(六月十五日)御占神態の歌に、奈留伊賀津千毛於利萬志萬世、とよめり。
神名式に度會郡に雷電神社と見ゆ。是の社なるべし。(外宮の末社に北御門社は若雷神な祭るといひ、また雷神社といふ名見えたれど、官社にあらざれば是にはあらじ。)
當宮の攝社に湯田神社 稱に鳴雷とあれば、此社をかく云つるかと思へど、神名式に湯田社・雷電社と竝ベ載たれば、同社とも定めがたくて別に挙たり。
(今も末社の中に拜所の別處なるも此故なるべし)猶上(湯田社條下)に云べし。按に、帳の宇治山田神社大神宮式に見えず、湯田社と云はあり。官社は延喜の比まで幣帛を奉り給へば、其跡も正しかるべきを、此社のもれたるはいぶかし。
年中行事記に宇治山田神社を楊田社としるせるを思ふに、式の湯田の湯は楊の誤たるにて、楊田ならんかと思へど、諸本みな湯田社とあれば今定めがたし。猶考ふべし。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・四柱の山神
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 雷電神社
[ふ り が な ](いかつちの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ikatsuchi no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社について
式内社 雷電神社は 旧鎮座地が確定しておらず論社多数あります
(1)度会郡小俣町掛橋 雷電神社 『式社案内記』『神名帳傍註』
(2)度会郡小俣町湯田 湯田神社『伊勢式内神社宮地記』『神宮典略』
(3)度会郡御薗村高向 高向大社『二宮管社沿革考』御巫清直
(4)度会郡御薗村高向 神村社『高向神社祭神考』中東顯煕
(5)度会郡小俣町離宮院跡 官舎神社『伊勢式内神社宮地記』
(6)伊勢市柏町(雷社)『摂末社独案内』
神宮司庁 編『大神宮叢書』第2 後篇「伊加津知神社」に記される内容
次のようにあります
【抜粋意訳】
大神宮儀式解卷第二十四 年中行事井月記 四月例 十四日御衣御笠散奉
伊加津知神社一具(イカヅチノヤシロ ニ イチグ)
伊加津知(イカヅチ)は 雷(イカヅチ)なり。
神名帳、伊勢國 度會郡 雷電(イカヅチノ)神社あり。これ歟。
但下蓑笠奉る社々を見るに、上(菅度會郡神社行事)造宮使造奉る六社の中五社ありて、湯田ノ社無ければ、此處(ココ)に伊加津知ノ社といひしは、湯田ノ社に坐す 鳴震雷ノ神をさしていふにや。此ノ二つの外にはあらじ。惡風雨を停(トド)めん祭なれば、雷電ノ神を祭るはことわりかなへり。大神宮式、御蓑笠奉進の處、此社は見えず。
【原文参照】
神宮司庁 編『大神宮叢書』第3 中篇「離宮院考証」に記される内容
次のようにあります
【抜粋意訳】
離宮院考証
別當神社
類聚神祇本源に云く。長德ノ檢錄田社に卅三前ノ外。式外ノ社 別當ノ社。(坐に離宮坤方)
神名略記に云く。別雷ノ社 坐すに離宮の坤方に。別雷を作に別當者非也。
按るに別當、別雷未 知ら孰か是なるを、然して當社者 掛橋村の産土神社乎、在りに離宮 舊趾の坤位二町許に。
延喜式神名帳に載す雷電神社を、考証、同再考等以て為すに當社之別號と。
伊勢式社案内記に云く、小俣村の離宮院森の内に石積に祭る神三所有り、最初の石積を雷神社と云、據て考に而不ず辨せ地勢を、漫に為すは虛妄説を、不足を信るに焉。
【原文参照】
・雷電神社(伊勢市小俣町本町)
雷電神社(らいでんじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社の一つです 雷電神社の旧鎮座地は 確定しておらず その多数の論社があり 諸書に「離宮院の坤方(ひつじさる)〈南西方向〉」にありと記されている社で 此処に祀られていた〈裏の宮・八王子〉とも称していた゛雷電神社゛ことです
雷電神社(伊勢市小俣町本町)
・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
湯田神社(ゆたじんじゃ)は 雄略天皇朝の創立 造宮使造替六社中の一で格式も高かったが 中世に廃絶し 社地は明らかになりませんでした 産土社の境内社 湯田社に再興したもので 祭神についても大歳御祖命(おほとしみをやのみこと)御前神(みまへのかみ)とされますが 鳴宸電(なるいかつち)を祀る説があり 式内社・湯田神社 ・雷電神社の二つの論社となっています
湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・髙向大社(伊勢市御薗町高向)
高向大社(たかぶくたいしゃ)は 『高向村神社記』に 第45代 聖武天皇の御代 天平三年(731)の創建と云い 又 貞観三年(861)八月 大雨洪水があり大杉の根本に゛白羽の蓋根矢゛が流れ着いたと 山城 賀茂別雷神社の「丹塗矢伝承」と同類の伝承があり 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)であるとの説があります
髙向大社(伊勢市御薗町高向)
・神村神社 旧跡(伊勢市御薗町高向)
神村神社 社地跡(かぶらじんじゃ しゃちあと)は 明治41年(1908)に高向大社に合祀された゛神村社(かぶらのやしろ)〈加牟良社・鏑社神とも〉゛の社地跡です 高向区の御頭神事は現在でも゛大社(かみ)さん゛゛神村社(かぶら)さん゛の二社の御頭(おかしら)によって神事が催行されています 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社です
神村神社 社地跡(伊勢市御薗町高向)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 宮川駅から 離宮院公園を抜けて 南へ約700m 徒歩10分程度
汁谷川沿いの住宅街を進むと 東南の三角になっている境内があります
雷電神社(伊勢市小俣町本町)に参着
社殿は南南西を向いています
゛雷電神社御遷宮記念゛の石柱が立ちます
社殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 雷電神社について 祭神は別雷神 所在は 離宮院坤方〈度会郡小俣町離宮院跡 官舎神社〉に在す 今存亡詳ならず〈現在は あるかないかもわからない〉と記しています
【抜粋意訳】
雷電神社
雷電は伊加津知と訓べし
〇祭神 別雷神、神祇本源
〇離宮院坤方に在す、同上 今存亡詳ならず、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 雷電神社について 祭神 所在については何も記されていません
【抜粋意訳】
雷電神社
〇按 延暦儀式帳、雷電を伊加津知に作る
凡 毎年 神衣祭日、笠縫内人蓑笠各一具を奉て、風雨を祈る、延暦儀式帳
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 雷電神社について 祭神 所在については何も記されていません
【抜粋意訳】
雷電神社
祭神
祭日
社格 外宮所攝 天喜十八社之一
所在
【原文参照】
雷電神社(伊勢市小俣町本町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
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伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について