実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

小野神社(豊岡市出石町口小野)〈『延喜式』小野神社〉

小野神社(おのじんじゃは 創建不祥ですが 延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)であると云われます 祭神は天押帶日子命『古事記』には 小野臣の祖と記されます 口碑に゛神社の裏に流れる川では昔 (鮭)が多く捕れたらしいが もしも当社の氏子がこの魚を捕って食すと 罰が当たり腹痛を起こす゛と云われ

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

小野神社(Ono shrine

通称名(Common name)

・姫宮(ひめみや)

【鎮座地 (Location) 

兵庫県豊岡市出石町口小野字宮ノ森210-2

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

〈『古事記』での神名〉
《主》天押帶日子命(あめおしたらしひこのみこと
〈第5代 孝昭天皇の皇子 ・春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比韋臣・大坂臣・阿那臣(吉備穴国造)・多紀臣・羽栗臣・知多臣・牟邪臣(武社国造)・都怒山臣・伊勢飯高君(飯高県造)・壱師君(壱師県造)・近淡海国造ら諸氏族の祖〉

※『日本書紀』では 天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)〈和珥臣(和珥氏)の祖〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

由 緒

 創祀は不詳ではあるが、深草天皇18年の御鎮座と云われる。

 神社の裏に流れる川では昔、魚が多く捕れたらしいが、もしも当社の氏子がこの魚を捕って食すと、罰が当たり腹痛を起こすと云われていた。

2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6323033.html

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・小野神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・小野神社 拝殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・境内社?

Please do not reproduce without prior permission.

・参道

Please do not reproduce without prior permission.

・鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・社頭

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬國 131座(大18座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)出石郡 23座(大9座・小14座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 小野神社
[ふ り が な ]をのの かみのやしろ
[Old Shrine name]Wono no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

小野ノ神の名を冠する 各地の『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の関連神社について

延喜式内社 山城國 愛宕郡 小野神社二座(鍬靫)(をのの かみのやしろ ふたくら)

・小野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉

・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)

一緒に読む
御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉

御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります

続きを見る

・由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)

一緒に読む
由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)〈都の北方鎮護の社〉

由岐神社(ゆきじんじゃ)は 天慶年間〈938~947年〉世情不安となった時 天下泰平と万民幸福を祈念し 朱雀天皇が勅により 元は 宮中〈京都御所〉に祀られていた由岐大明神〈大己貴命・少彦名命〉を 都の北方にあたる鞍馬山の地に遷宮をして 鞍馬寺の鎮守社とし 都の北方鎮護を仰せつけられたのが始まりです

続きを見る

延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)

・小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)

・秋葉社〈小野神社古社地〉(厚木市小野)

延喜式内社 武蔵國 多磨郡 小野神社(をの かみのやしろ)

・小野神社(府中市)

一緒に読む
小野神社(府中市住吉町)〈『延喜式』小野神社〉

小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代 安寧天皇18年の創建 2000余年の由緒を持つ古社で 古くは武蔵国一之宮でした 御祭神 天下春命(ameno shitaharu no mikoto)は 思金神の御子神であり 武蔵秩父国造の先祖とされます 境内にある「小野宮廟碑」には詳しく語られています

続きを見る

・小野神社(多摩市)

一緒に読む
小野神社(多摩市一の宮)〈『延喜式』小野神社〉

小野神社(おのじんじや)は 武蔵国一之宮ともされ『延喜式』所載の論社ですが 多摩川を挟んで南北に各々に小野神社が鎮座します 当神社は多摩川南岸で もう一方は北岸の府中市です これは多摩川が氾濫を繰り返し 都度 遷座も繰り返されて2社に別れたとも 北岸には旧址があるので本社であるとも 南岸は分祠であるとも云われます

続きを見る

延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)の論社

・天皇神社(大津市和邇中)

・小野神社(大津市小野)

・小野道風神社(大津市小野)

延喜式内社 近江國 高嶋郡 小野神社(をのの かみのやしろ)

・小野神社〈海津天神社の境内〉(高島市マキノ町海津)

・市杵島神社(高島市朽木大野)
〈境内の三つの式内社・小野神社・大野神社・大川神社〉

延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)

・小野神社(豊岡市出石町口小野字砂入)

一緒に読む
小野神社(豊岡市出石町口小野)〈『延喜式』小野神社〉

小野神社(おのじんじゃ)は 創建不祥ですが 延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)であると云われます 祭神は天押帶日子命で『古事記』には 小野臣の祖と記されます 口碑に゛神社の裏に流れる川では昔 魚(鮭)が多く捕れたらしいが もしも当社の氏子がこの魚を捕って食すと 罰が当たり腹痛を起こす゛と云われた

続きを見る

延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(貞)(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)

・小野神社(益田市戸田町)

延喜式内社 土佐國 長岡郡 小野神社(をのの かみのやしろ)

・小野神社(南国市岡豊町小蓮)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 国府駅からR312号・県道248号経由で東方向へ約8.2km 車で15分程度

円山川の支流 出石川があり そのまた支流の小野川が 小野神社のすぐ裏手〈北側〉を流れています

神社の由緒 口碑には
神社の裏に流れる川では昔、魚が多く捕れたらしいが、もしも当社の氏子がこの魚を捕って食すと、罰が当たり腹痛を起こすと云われていた。゛とあり この魚とは゛鮭゛のことであったらしい

小野神社(豊岡市出石町口小野)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

社号標には゛式内 小野神社゛と刻字があり 石灯籠と石鳥居が建ちます
一礼をして鳥居をくぐります

Please do not reproduce without prior permission.

杉林の中の参道の先に 拝殿が見えています

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 小野神社について 所在は゛小野庄口小野村に在す゛〈現 小野神社(豊岡市出石町口小野)〉と記しています

【抜粋意訳】

小野神社

小野は假字也

〇祭神 小野臣祖 歟

〇小野庄口小野村に在す〔但馬考書入〕

類社
 山城國 愛宕郡 小野神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 小野神社について 所在は゛今 下郷口小野村にあり゛〈現 小野神社(豊岡市出石町口小野)〉と記しています

【抜粋意訳】

小野(ヲヌノ)神社

下郷口小野村にあり、〔但馬考、神社明細帳、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 小野神社について 所在は゛口小野村〔字宮ノ森〕 (出石郡神美村大字口小野 )゛〈現 小野神社(豊岡市出石町口小野)〉と記しています

【抜粋意訳】

小野神社

祭神 帶彦國押人命

祭日 九月一日
社格 村社

所在 口小野村〔字宮ノ森〕 (出石郡神美村大字口小野 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

小野神社(豊岡市出石町口小野) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

但馬国 式内社 131座(大18座・小113座)について に戻る

一緒に読む
但馬國 式内社 131座(大18座・小113座)について

但馬国(たじまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 但馬国には 式内社 131座(大18座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています