大水神社(おおみずじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の摂社で 皇大神宮(内宮)末社の2社〈・細川水神〈川相神社(かわあいじんじゃ)・多支大刀自神〈熊淵神社(くまぶちじんじゃ)〉が御同座します 3社ともに垂仁天皇の御代 倭姫命によって御鎭祭されたと伝わります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大水神社(Oomizu shrine)
〈御同座〉
川相神社(Kawaai shrine)
熊淵神社(Kumabuchi shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市宇治今在家町字林崎163-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大山祇御祖命(おほやまづみのみおやのみこと)
御同座 川相神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》細川水神(ほそかはのみずのかみ)
御同座 熊淵神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》多支大刀自神(たきおおとじのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
大山祇御祖命・・・山の神
細川水神・・・川の神
多支大刀自神・・・石清水の守護神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社 大水神社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉大水神社
・〈皇大神宮(内宮)末社〉御同座 川相神社 熊淵神社
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』〈昭和3年1928)〉に記される内容
【抜粋意訳】
攝社末社所管社
大水神社
鎭座地 宇治山田市大字今在家町
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替大水(オホミヅ)神社も亦、延喜大神宮式及び神名式に見ゆ。儀式帳によれば祭神は大山罪乃御祖(オホヤマヅミノミオヤ)命にして、倭姫命の御祝定にかゝれり。此の命は伊弉諾尊の御子神に坐す。寬文三年現地に再興したり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年(1943)〉に記される内容
【抜粋意訳】
大水(おほみづ)神社
津長神社から戻って、橋姫神社の左後ろにある、小高い所の神社が皇大神宮の攝社 大水神社である。
周園三間もあらうかと思はれるやうな巨大な楠の大木が蟠居して、御社殿の上に覆ひかぶさつてゐる。
皇大神宮の延曆儀式帳に、その御社名を載せてゐるので、この社も一千年以上の舊社である。御祭神は大山罪乃御祖命(おほやまずつのみおやのみこと)といひ、五十鈴川の邊りの山にうしはきゐます山の神を御祭り申上げた神社である。垂仁天皇の御代、倭姫命によって御鎭祭されたと傳へられてゐる。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
御同座 川相神社・熊淵神社について
『神宮要綱』〈昭和3年1928)〉に記される内容
【抜粋意訳】
川相神社
鎭座地 攝社 大水神社 御同座
川相(カハアヒ)神社も亦、倭姫命の祝ひ定め給ふ所にして、大水上神の御子細川水(ホソカハノミツ)神を奉祀す。
建久の皇太神宮年中行事によれば、もと五十鈴川の上流に鎭座せし如くなれど、中世廃絶して社地明かならざるを以て、明治四年神宮御改正の時、大水神社に御同座奉祀することゝなれり。熊淵神社
鎭座地 攝社 大水神社 御同座
熊淵神社も亦、倭姫命の祝ひ定め給ふ所にして、大水上神の御子 多支大刀自(タキオホトジ)神を奉祀す。川相神社と同じく もと五十鈴川の上流に鎭座せること、建久年中行事の文によりて知らるれど、中世以後社地不明なるを以て再興に至らず。明治四年大水神社に御同座奉祀せり。
【原文参照】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年(1943)〉に記される内容
【抜粋意訳】
川相(かはあひ)神社
本社は、皇大神宮の末社である。その御社名から見て、五十川と御裳濯川(みもすそがは)との二つの川が落ち合ふ所に坐しました神社のやうに思はれる。
戰國時代 御社地絶えたるを以て、明治四年に至り、大水神社の御社殿の中に、御同座御鎭祭申上げてゐる。
延曆儀式帳に、その御社名存し、御祭神は、大水上神の兒で細川水神(ほそがはのみづのかみ)といふことになってゐる。
垂仁天皇の御代、倭姫命の祝ひ定められた神社である。熊淵(くまぶち)神社
本社も、皇大神宮の末社で、延曆儀式帳に、その御社名が見えてゐるから一千年以上の古社である。中世その御社地退轉のため、現在は、大水神社の御社殿の中に御同座御鎭祭申上げてゐる。御祭神は大水上神の兒で、多支大刀自神(たきおほとじのかみ)と申上げる。その御社名の熊淵といひ、御祭神を瀧大刀自神と申すところから、五十鈴川の上流で淵となる瀧津瀨のやうに流れる邊りの守り神として、祭られてゐたやうに思はれる。垂仁天皇の御代、倭姫命の祝ひ定められた神社である。
【原文参照】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
大水神社は 皇大神宮(内宮)の摂社
御同座 川相神社・熊淵神社は 皇大神宮(内宮)の末社
・皇大神宮(内宮)
皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社
清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭。
以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大水神社
[ふ り が な ](おほみつの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohomitsui no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
内宮・外宮の摂社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
内宮をお参りをします
・皇大神宮(内宮)
皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉
宇治橋を渡り戻ると
内宮前の信号を渡ると駐車場の奥の中央には゛旧 林崎文庫゛の史跡があります
そこから見来て方向 駐車場の一番北側にあるタクシープールの奥に入り口があります
この入り口からは三方向〈正面・左・右〉に参道が伸びています
入り口の正面には 宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)を祀る゛饗土橋姫神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉゛が鎮座します
・饗土橋姫神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉《主》宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)
饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)は 宇治橋の守護神〈宇治橋より惡しきものが入らざるように 橋の守護の神〉宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)を齋き祭った皇大神宮(内宮)所管社で 社號゛饗土(あえど)゛は 内宮の宮域四方の境に悪しきものが入ってこないよう 防ぎお祭りする土地の意〉宇治橋の対面〈西側〉鎮座します
饗土橋姫神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉&宇治橋
向かって左手には゛大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉゛が鎮座します
・大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大山祗御祖命(おおやまづみのみおやのみこと)
大水神社(おおみずじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の摂社で 皇大神宮(内宮)末社の2社〈・細川水神〈川相神社(かわあいじんじゃ)・多支大刀自神〈熊淵神社(くまぶちじんじゃ)〉が御同座します 3社ともに垂仁天皇の御代 倭姫命によって御鎭祭されたと伝わります
大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 川相神社・熊淵神社〉
向かって右手には゛津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉゛が鎮座します
・津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》栖長比賣命(すながひめのみこと)
津長神社(つながじんじゃ)〉は 皇大神宮(内宮)の摂社です 鎮座地の古地名を「津長原止」と云い 倭姫命が上陸したと伝えらる 五十鈴川を遡上した船の留場〈津〉でした 水神の栖長比賣命を祀る津長神社には 皇大神宮(内宮)の末社〈新川神社〉新川比賣命・〈石井神社〉高水上命が御同座しています
津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 新川神社・石井神社〉
左手に進むと 楠の巨木が聳えます
境内は石垣の上にあり゛大水神社社域゛と刻された石柱と神宮司廰の立札が 石垣の下にあります
大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着
石垣の途中から見える゛大楠゛は本当に凄い
御社殿の上に覆いかぶさつています
石段を上がり
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿は 南向き 敷地の関係でしょうか 古殿地は見当たりません
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大水神社について 所在は 宇治郷畑村西山傍に在す〈現 大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大水神社
大水は於保美豆と訓べし、
〇祭神 大山罪乃御祖命
〇宇治郷畑村西山傍に在す、神名略記
〇式四、伊勢大神宮 大神宮所摂二十四座の第十二に戴す
○儀式帳云、稱に大山罪乃御祖命、形無、倭姫内親王定祝、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大水神社について 所在は 宇治郷畑村西山の傍 津長社の南に在り〈現 大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大水(オホミズノ)神社
今 宇治郷畑村西山の傍 津長社の南に在り、神名秘書、神祇本源、神境紀談、神名略記
大山罪乃御祖命を祀る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大水神社について 所在は 宇治山田市宇治大字今在塚町〈現 大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大水神社
祭神 大山祇御祖命
祭日 同上
社格 内宮所攝 廿四所之一(内宮摂社)所在 三重縣宇治郷今在家町畑(宇治山田市宇治大字今在塚町)
【原文参照】
大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について