大朝神社(おほあさじんじゃ)は 楊原神社の山宮大明神とも云い 社記には 延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)と伝えます 又 往昔 此邊には 津浪が押上げ 田園を荒すことが多かったが 日蓮上人がこの地を過ぎる時 曼陀羅を掛けて祈り 靈驗により 津浪の害を避き 潮留大明神とも称されました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大朝神社(Ohoasa shrine)
【通称名(Common name)】
・山宮大明神(やまみやだいみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県沼津市下香貫(しもかぬき)山宮前3056-2
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大日孁命(おおひるめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『静岡県駿東郡誌〈1917〉』に記される内容
【抜粋意訳】
第四節 村社
式内村社 大朝神社
楊原村下香貫字山宮に在り、祭神 大日靈神、社域 三百四十四坪。
社記云、當社は延喜式載する所、伊豆國田方郡 大朝神社 是なり、伊豆國神階帳に從四位 おほあさの明神 と見えたり、往時は潮留大明神、又山宮大明神とも稱す、創建年代不詳、當社は延喜時代には田方郡に属して、神名帳同郡の部に載せらる、其後駿河に属したる年代亦詳ならず。
往時 當社境内に小なる池あり、其畔に大石あり、手洗石、又 烏帽子掛岩と云、傳云、古へ奉幣使 此岩に烏帽子を掛け手洗す、因て此名ありと、又云、往昔 此邊 津浪押上げ、田園を荒したること多く、時に日蓮 此地と過ぎ、神社へ曼陀羅を掛けて祈り、靈驗により 津浪の害を避く、今社の脇に憂陀維ケ原の地名残れり、其頃より潮留大明神と稱せりと、古來 神主としては高田氏、大宮〔揚原神社を云〕當社 両社に奉仕し來れり。
舊社領として五石三斗三升の除地を有したり、明治維新、除地及び舊境内上地となる。
【原文参照】
静岡県駿東郡 編『静岡県駿東郡誌』,静岡県駿東郡,1917. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915607
静岡県駿東郡 編『静岡県駿東郡誌』,静岡県駿東郡,1917. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915607
【由 緒 (History)】
『誉の子錬成の思ひ出〈昭和19年〉』に記される内容
【抜粋意訳】
今より約六百七十年前、僧 日蓮が この地を過ぎし時、「我道に入る」 と言った事から我入道と云ってゐる。
近くに大朝神社がある。山宮明神とも云ってゐる。今から八百五十年前、この近野一帶は港であった、當時数度の津波に人々が悩まされた爲め、神社に祈願してこの難を免れた。それから潮留明神とも云ふ。日運上人が當社へ曼陀羅を掲げて祈願し其の靈験によって津波を免れたとも云ふ。
この近邊を曼陀羅ケ原と云ふのも、この意味かららしい。
【原文参照】
村田亨 著『誉の子錬成の思ひ出』,清水書房,昭和19. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1461420
村田亨 著『誉の子錬成の思ひ出』,清水書房,昭和19. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1461420
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・楊原神社(沼津市下香貫)は本宮 大朝神社(沼津市下香貫山宮前)は山宮 とされる
楊原神社と大朝神社は 祭祀の内容を共有するなど 一体の存在と考えられています
例大祭は 楊原神社・大朝神社が共同で行い 両社の神輿が大朝神社近くの我入道浜に渡御し 神輿をかついだまま海の中に入る「御輿洗いの儀」が行われています
古代は 牛臥山(うしぶせやま)〈大朝神社の鎮座地〉は 海に浮かぶ小島であったとされ 大朝神社は小島に祀られた山宮であったとされます
楊原神社と大朝神社の間には海があり 浅瀬で繋がっていたと想定され 例大祭は 両社の繋がりを今に残すものとされます
楊原神社(沼津市下香貫)は式内社の名神大社です
延喜式内社 伊豆國 田方郡 楊原神社(名神大)(やなきはらの かみのやしろ)
・楊原神社(沼津市下香貫)
楊原神社(やなぎはらじんじゃ)は 社記に當社は延喜式内社 伊豆國 田方郡 楊原神社(名神大)(やなきはらの かみのやしろ)と云う 往時は大宮大明神又は香貫大明神とも称していて 往古の社地は 今の楊原(現在地の東南東約500m)でしたが永祿中 北條•武田合戰の時 社殿悉く燒失し 其後 天正年中 今の社地に遷座しました
楊原神社(沼津市下香貫宮脇)〈『三代實録』楊原神『延喜式』名神大社 楊原神社〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
大朝神社(沼津市下香貫山宮前)は 二つの式内社〈①大朝神社②白浪之彌奈阿和命神社〉の論社です
①大朝神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大朝神社
[ふ り が な ](をほあさの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wohoasa no kaminoyashiro)
②白浪之彌奈阿和命神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 白浪之彌奈阿和命神社
[ふ り が な ](しらなみの みなあわのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shiranamino mina awanomikoto no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)の論社
・大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)
・大朝神社(沼津市下香貫)
大朝神社(おほあさじんじゃ)は 楊原神社の山宮大明神とも云い 社記には 延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)と伝えます 又 往昔 此邊には 津浪が押上げ 田園を荒すことが多かったが 日蓮上人がこの地を過ぎる時 曼陀羅を掛けて祈り 靈驗により 津浪の害を避き 潮留大明神とも称されました
大朝神社(沼津市下香貫山宮前)〈『延喜式』大朝神社・白浪之彌奈阿和命神社〉
・神益麻志神社(伊豆の国市神島)
・赤王神社(三島市大場)
・鷲頭神社 奥宮(沼津市大平)
・鷲頭神社(沼津市大平)
延喜式内社 伊豆國 田方郡 白浪之彌奈阿和命神社(しらなみのみなあわのみことの かみのやしろ)の論社について
・多賀神社(熱海市上多賀)
多賀神社(たがじんじゃ)は 創建年代は不明ですが 境内には 古代の祭祀遺跡「上多賀宮脇遺跡」があり 1958年(昭和33年)に発掘調査が実施されて 発掘品から古墳時代から飛鳥・奈良時代の祭祀跡と推定されています 延喜式内社 伊豆國 田方郡 白浪之彌奈阿和命神社(しらなみのみなあわのみことの かみのやしろ)の論社です
多賀神社(熱海市上多賀)〈『延喜式』白浪之彌奈阿和命神社〉
・下多賀神社(熱海市下多賀)
下多賀神社(しもたがじんじゃ)は 『豆州志稿』に「多賀両村の總鎮守にして大祠也 末社四十ありしを 皆 近村に移す」とあり 近隣の崇敬を集めた由緒深い神社で もともとは多賀大社と云うと里人は伝え 延喜式内社 伊豆國 田方郡 白浪之彌奈阿和命神社(しらなみのみなあわのみことの かみのやしろ)の論社となっています
下多賀神社(熱海市下多賀)〈『延喜式』白浪之彌奈阿和命神社〉
・大瀬神社(沼津市西浦江梨)
大瀬神社(おおせじんじゃ)は 白鳳十三年(684)大地震で 土佐国で多くの土地が海中に没し 当地では突然 盛り上がり島が誕生した 土佐国から土地を引いてきた伝説もあり その神霊(引手力命)を祀った 延喜式内社 伊豆國 田方郡 引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)とも 白浪之彌奈阿和命神社ともされます
大瀬神社(沼津市西浦江梨)〈『延喜式』引手力命神社・白浪之彌奈阿和命神社〉
・淡島神社〈厳島神社〉(沼津市内浦重寺淡島)
・多賀神社(三島市谷田)
多賀神社(たがじんじゃ)は もと三嶋大社 摂社の一つで田川神社とも田河とも称されました 2つの式内社〈・石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ・劔刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)〉の論社で 又 白浪之彌奈阿和命神社(しらなみの みなあわのみことの かみのやしろ)との説もあります
多賀神社(三島市谷田)〈『延喜式』石徳髙神社・劔刀乎夜尓命神社〉
・大朝神社(沼津市下香貫)
大朝神社(おほあさじんじゃ)は 楊原神社の山宮大明神とも云い 社記には 延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)と伝えます 又 往昔 此邊には 津浪が押上げ 田園を荒すことが多かったが 日蓮上人がこの地を過ぎる時 曼陀羅を掛けて祈り 靈驗により 津浪の害を避き 潮留大明神とも称されました
大朝神社(沼津市下香貫山宮前)〈『延喜式』大朝神社・白浪之彌奈阿和命神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR東海道本線 沼津駅から南へ約3.5km 車で10分程度
牛臥山の北東麓に鎮座します
大朝神社(沼津市下香貫山宮前)に参着
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一礼をして 鳥居をくぐり 境内へと進みます
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右手に手水舎があり 正面の石段の上に拝殿が見えています
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石段を上がり
拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿はコンクリート造で 向かって右には〈境内社〉木ノ宮神社が祀られています
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その後ろには〈境内社〉石祠が数宇 もとは社が祀られていたであろう台座に幣が祀られています
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社殿の向かって左には〈境内社〉山神社と石祠が祀られています
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社殿に一礼をして 境内を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大朝神社について 所在は゛駿河國駿東郡香貫村に在す、今山宮、又 潮留明神と称す、゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています
【抜粋意訳】
大朝神社
大朝は 於保阿左と訓べし
○祭神 大日靈尊、〔志〕
○駿河國駿東郡香貫村に在す、今山宮、又 潮留明神と称す、〔同上〕
例祭 月 日、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
式内社 白波之彌奈阿和命神社について 所在は゛シケテラ村に在す゛〈現 淡島神社〈厳島神社〉(沼津市内浦 重寺淡島)〉と記しています
【抜粋意訳】
白波之彌奈阿和命神社
白波之は 志良奈美乃と訓べし、枕詞也、」彌奈阿和は假字也、
○祭神明か也
○シケテラ村に在す、〔國圖〕 例祭
考証云、今伊豆権現下宮、去に上宮五町許在に海濱、故呼曰に濱宮
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大朝神社について 所在は゛今、駿河、駿東郡、下香貫村字山宮にあり゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています
【抜粋意訳】
大朝(オホアサノ)神社
今、駿河、駿東郡、下香貫村字山宮にあり、〔豆州志、静岡縣注進状〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
式内社 白波之彌奈阿和命神社について 所在は゛今 下多賀村にあり、多賀神社と云、゛〈現 下多賀神社(熱海市下多賀)〉と記しています
【抜粋意訳】
白波之彌奈阿和命(シラナミノミナアワノミコトノ)神社
今 下多賀村にあり、多賀神社と云、〔式社考証、足柄縣式社取調書〕
〇按 一説、多賀は彌奈阿和の字音、皆 淡を顚倒して、タムカイと云ひしがタガと轉りしにて、白波は水淡の冠辞なりと云り、
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大朝神社について 所在は゛下香貫村〔字山宮 〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡揚原村大字香貫)゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています
諸説として
゛一説に賀茂郡上白岩村 大宮明神ならんか゛〈現 大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)〉
゛一説に田方郡神益村 駒形神社なるべし゛〈現 神益麻志神社(伊豆の国市神島)〉
゛一説に駿河國駿東郡大平村 鷲巣神社ならんか゛〈現 鷲頭神社(沼津市大平)〉
゛一説に君澤郡大場村あり゛〈現 赤王神社(三島市大場)〉
【抜粋意訳】
大朝(オホアサノ)神社
祭神
今按 豆州志に 祀ニ大日靈貴 今は山宮 又 潮留明神と稱すとあれど 大朝と云によりて 大日靈を附會せしものと聞ゆればとらず祭日 三月十六日
社格 村社所在 下香貫村〔字山宮 〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡揚原村大字香貫)
今按 伊豆式社攷證には 香貫村と云は豆志の説なれど考合べき證なしとみえ
一説に賀茂郡上白岩村 大宮明神ならんか 大宮はもと大朝宮と云しを 後に朝字を省きて大宮とせしか 又 大朝をおほみやとも訓しに非じかと云れど 此説信がたし又 一説に田方郡神益村 駒形神社なるべし 社後の山を総て神山と稱し 其頂の一方をヲミヨ 一方をオホマ嶽と呼 おほまは大麻なろべしと云れど 大麻(オホマ)の麻を朝とせしならんとの説なれば 是は適はず
又 一説に駿河國駿東郡大平村 鷲巣神社ならんか 祭神 天日鷲命なるに囚て 鷲巢とも云しにや 大朝は大麻にて村名の大平は大朝平と云し 朝の省かりたるかと云るも牽強なり
又 一説に君澤郡大場村あり 此大場の稱は大朝の訛轉にやと思はるなど云るも信がたければとらず
今 豆州志と靜岡縣の註進に從て之を記す
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
式内社 白波之彌奈阿和命神社について 所在は゛上多賀村(田方郡多賀村大字上多賀)゛〈現 多賀神社(熱海市上多賀)〉と記しています
他の説として
゛君澤郡重寺村の處に記され 延喜式攷異に案國圖有彌奈阿波島と見えたるが此村 海中に淡島と云 一巖島有て頂上に辨天゛〈現 淡島神社〈厳島神社〉(沼津市内浦重寺淡島)〉
゛駿河國駿東郡 香貫村に在て豆志に大朝神社なりと云る社゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉
゛君澤郡谷田村小山鎭座 多賀明神ならむか゛〈現 多賀神社(三島市谷田)〉
【抜粋意訳】
白波之彌奈阿和命(シラナミノミナアワノミコトノ)神社
祭神
祭日
社格 (明細帳 上多賀村なし 谷田村に多賀神社あり右ならんか無社格)(村社)所在 上多賀村(田方郡多賀村大字上多賀)
今按 式社攷證に國圖に君澤郡重寺村の處に記され 延喜式攷異に案國圖有彌奈阿波島と見えたるが此村 海中に淡島と云 一巖島有て頂上に辨天と稱する小社ありと云ひ
又 一説に駿河國駿東郡 香貫村に在て豆志に大朝神社なりと云る社ならむか 其は神階記にタムカイの明神有て 此海濱の舊地名タムカイと云し山なれば 此なるべきか
又 君澤郡谷田村小山鎭座 多賀明神ならむか 豆志に多賀神社 又田川神社と稱す 田河は多賀也 神階記に所謂タムカイは 美奈阿和を轉倒して字音に唱たる稱なるが 現今 當社の神名を或はタムガと稱し 或は田川と稱するは 皆タムカイの轉訛と聞ゆ 斯て神號の白波は彌奈阿和へ係る冠辞 彌奈阿和は 御社の川流近く鎭座なるより 例の實地の形勝に因て負せたる也と云るなど 何れも明證と云難し
又 上多賀村鎭座 多賀神社には非じかと思ふ因(ヨシ)有り 村名の多賀は神名より出 神名の多賀は彼タンカイより起たる稱と思はれ 社地の海濱に近きと海上より憑來玉へると云 社傳の白波云々の神號に合ひ
又 寛永の上梁文に祭神を阿波命神社と記したる小緣(オホロケ)ならず聞ゆと云るはいと由あり 縣の註進狀にも此地と定めたれば今之に從ふ
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
大朝神社(沼津市下香貫山宮前)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について