西之御門宮(にしのみかどのみや)は 『三宅記(みやけき)』に 三島大明神(みしまだいみょうじん)が 随神 若宮(わかみや)のカツオ漁 をご覧になられた場所として登場します 若宮は 末世の為にと 鹿の角で作った疑似餌漁〈ルアー釣り〉で カツオを豊漁とし 人間たちに漁法を伝授しました 阿古地区では今でも 新造船はこの場所に船を回して 海上から「富賀神社(とがじんじや)」もしくは「雄山」を遥拝して 豊漁祈願をすると云われています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
西之御門宮(Nishino mikado no miya)
(にしのみかどのみや)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
東京都三宅島 三宅村阿古
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
不明
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・海上からの富賀神社(雄山)の遥拝所?
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
※この場所には 弥生中期の遺跡があります
ジオスポット富賀浜
海岸沿いの高台には、弥生中期の遺跡があります。(富賀浜A遺跡)
海岸に面した崖では、三宅島の噴火史を読み解く地層が露出しています。海岸のゴロタ石に面して黒い崖が切立っていますが、「爆発角礫岩(ばくはつかくれきがん)で構成されています。この地層は、ごく近くの海岸線もしくは海底で起きたマグマ水蒸気爆発の噴火で放出された大小様々な岩塊からなる地層です。
この地層の上位には、黒いザクザクとしたスコリア層(八丁平スコリア層)とそれに重なる火山灰層が観察できます。地表近くには、白い軽石粒が散在する地層が目にとまるでしょう。これは西暦886年の新山向山噴火によって飛ばされてきた軽石で、三宅島の噴火史考える上で、よい鍵層(かぎそう:地層の年代や重なる順序を比較するのに目安になる特徴のある地層)になっています。
東側に広がる海岸(間鼻)に重なる溶岩を流出した噴火は、その重なり方から、新山の噴火の少し前に起きていたことがわかります。
現地案内板より
【由 緒 (history)】
不詳
【境内社 (Other deities within the precincts)】
浜辺には 三島大明神 所縁の岩礁
「御前丸島〈おんめまるしま〉」
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
鎌倉時代末期の『三宅記(miyakeki)』に「カツオ漁の伝授」の場所として記されています
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『三宅記(miyakeki)』には
三島大明神(Mishima daimyojin)の随神「若宮(Wakamiya)」が 末世の為に カツオ漁を人間たちに伝授した場所 「御前丸島〈おんめまるしま〉」
向かって右手の湾のような中にある岩礁です
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
富賀神社(Toga Shrine)から800m程です 富賀浜(Toga beach)へ向かいます
浜へと道を下ります 正面の 洋上の島は「神津島」
陸側には「雄山」が聳えています
富賀浜(Toga beach)まで下りてくると
「若宮(Wakamiya)」が 末世の為に カツオ漁を人間たちに伝授した場所とされている 「御前丸島〈おんめまるしま〉」が見えていて手前に鳥居が建っています
西之御門宮(Nishino mikado no miya)に参着
海風の吹き付ける丘に 鳥居と小さな祠が鎮座しています
一礼をして 鳥居をくぐります
ススキに覆われた丘の 祠にすすみます
祠は 玉石で囲まれていたようです
現在も丁寧にお祀りされています
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
振り返ると鳥居の先には 大海原があり その先には「大野原島(三本岳)」が見えています
鳥居を抜けて振り返り一礼をします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『三宅記(miyakeki)』に「カツオ漁の伝授」の場所として記される伝承
三島大明神(Mishima daimyojin)の随神「若宮(Wakamiya)」が 末世の為に カツオ漁を人間たちに伝授します この時 カツオを鹿の角の疑似餌漁〈ルアー釣り〉で豊漁とします これを三島大明神(Mishima daimyojin)がご覧になられた場所として「西之御門宮(Nishino mikado no miya)」が登場します
今でも 阿古では 新造船はこの場所に船を回して 海上から富賀神社(雄山)を遥拝して 豊漁祈願をすると云われています
意訳
ある時 大明神は 若宮におしゃいました
「どうでしょう ここに渡ってきた時に 獲ったカツオをとってきたら」若宮は
「私達であれば 神通力で いとも容易く獲ることができますが 末世に人間は 遥かな潮目を通過して この魚を獲ることはおぼつかないでしょう この島にいながら 獲る事であってもです」
と言われましたので「どのようにでも あなたのお考えの通りに」と言いつけられました
若宮は この浜の石(阿古の富賀神社の裏手の海岸にある 御前丸島〈おんめまるしま〉)に渡って 西の方を手招きされると そのまま潮に従ってカツオが群がって来ました
大明神が
「さあ 出て獲りましょう」とおしゃいました若宮は また
「壬生の御館に獲らせ ここからご覧ください」と申し上げました「どのようにでも」とおしゃられましたので
若宮は 壬生の御館と話し合われて
船を整え 船頭 舵取りを揃えて
鹿の角に金具を長く伸ばして曲げて入れて
麻の緒(ひも)をより合わせ
竿に付けて 手に手に持たせて 角を海に投げ入れますとたちまち魚が喰いつくのを 船に取り入れ 取り入れ 大賑やか
大明神は 西の御門 に出られてご覧になりました
さて 一船分を獲ってこられましたので 若宮や島々の后たち 王子たちに差し上げられました
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000040542&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
西之御門宮(Nishino mikado no miya)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
富賀神社(Toga Shrine)の記事をご覧ください
富賀神社(とがじんじゃ)は もともとは 峯富賀平(雄山の8合目付近)に鎮座するも 噴火により 二島ヶ山(新富賀山(二富賀山)古錆浜の荒島神社へ遷座し その後 現在地の富賀山(海抜60.4m)中腹に鎮座したと伝わります 古来より伊豆七島の総鎮守「三島大明神」として 伊豆の三島大社の祭神の発祥地だとする説もあります
富賀神社(三宅島 阿古)〈延喜式内社 阿米都(和)氣命神社の論社〉