実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

二十二社について

二十二社(にじゅうにしゃ)は 平安時代中期から中世にかけて 国家の重大事や天変地異に際して朝廷から特別の奉幣に預かつた上七社・中七社・下八社二十二の神社で 当時は 最高の社格とされていた

二十二社

上七社

 
太神宮 ・皇大神宮(内宮)

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皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉

皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です

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・豊受⼤神宮(外宮)

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豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉

豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています

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石清水 ・石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)

賀茂 ・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市)

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賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)〈山城國一之宮〉

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は 京都最古の歴史を有する一社です 往古この地を支配した古代氏族゛賀茂氏゛の氏神を祀る・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉で 賀茂神社〈賀茂社〉と総称されます 平安京への遷都後は皇城の鎮護社として祀られてきた 山城國一之宮です

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  ・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市)

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賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈山城國一之宮〉

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は 本殿は東西二棟からなり 西本殿には 賀茂別雷神社の〈祖父神〉賀茂建角身命〈古代の京都をひらかれた神〉 東本殿には〈母神〉玉依媛命を祀り 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉とともに賀茂縣主の氏神を祀り 平安京遷都以降は国家鎮護の神社として 皇室や朝廷からも篤い崇敬を受ける 山城國一之宮です

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松尾

・松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

平埜 ・平野神社(京都市北区平野宮本町)

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平野神社(京都市北区平野宮本町)〈全国唯一の「皇太子御親祭」が定められた神社〉

平野神社(ひらのじんじゃ)は 延暦13年(794)平安京遷都の際 第50代・桓武天皇の命により 平城宮〈奈良〉で祀られていた今木神 久度神 古開神をこの地に遷座し 後に相殿に比賣神が祀られて四座となり『延喜式神名帳』には゛山城國 葛野郡 平野祭神四座(ひらのの まつりのかみ よやしろ)並名神大゛と所載されます

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稲荷 ・伏見稲荷大社(京都市伏見区深草藪之内町)

春日 ・春日大社(奈良市春日野町)

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春日大社(奈良市春日野町)

春日大社(かすがたいしゃ)は 社記によると 神護景雲二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命〈下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社〉・比売神〈河内国 枚岡神社〉を併せ 御蓋山(みかさやま)麓に四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています

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中七社

 
大原野 ・大原野神社(京都市西京区大原野南春日町)

大神 ・大神神社(桜井市三輪)

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大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています 

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石上 ・石上神宮(天理市布留町)

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石上神宮(天理市布留町)

石上神宮(いそのかみじんぐう)は 『古事記』『日本書紀』にも 石上神宮と記されています この当時「神宮(かみのみや)」と称されているのは 伊勢神宮と石上神宮だけです 記録の上では日本最古設立の「神宮」とされています 伊勢神宮の古名は「磯宮(isono miya)」で「isono kami」とは何らかの関係があるのかもしれません

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大和 ・大和神社(天理市新泉町)

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大和神社(天理市新泉町)〈大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)〉

大和神社(おほやまとじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)です 創建は 第十代崇神天皇の御代 宮中内に天皇と同殿共床で奉斎の二大神(天照大神・大地主大神)の神威を畏れた爲 大地主大神を皇女 淳名城入姫命に勅し 市磯邑に移されたのが始りと伝わります

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廣瀬 ・廣瀬大社(河合町川合)

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廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます

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龍田 ・龍田大社(三郷町立野南)

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龍田大社(三郷町立野南)

龍田大社(たつたたいしゃ)は 社伝によると 第10代 崇神天皇の御代に凶作が続き 天皇が夢で風神のお告げをうけて創建されたと伝わる 祭神は・天御柱大神(志那都比古神)・国御柱大神(志那都比売神)〈別名を龍田神・龍田風神とも云い〉第40代 天武天皇(675年)に始まる風鎮祭は今も毎年行われ 歴代の朝廷からも深く信仰された延喜式 名神大社に列した由緒ある神社です

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住吉 ・住吉大社(大阪市住吉区)

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住吉大社(大阪市住吉区住吉)〈摂津國一之宮〉

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 『日本書紀』に神功皇后が三韓征伐の帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神の和魂(にきみたま)を鎮めて祀ったのが創建と記される 全国に2000社余ある住吉神社の総本社で 摂津國一之宮です 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)(すみのえにます かみのやしろ しくら)です

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下八社

 
日吉 ・日吉大社(大津市坂本)

梅宮 ・梅宮大社(京都市右京区梅津フケノ川町)

一緒に読む
梅宮大社(梅津フケノ川町)〈延喜式内社 梅宮坐神四社(並名神大月次新嘗)の論社〉

梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は 〔奈良時代前期〕縣犬養三千代の創建と云い その子 橘諸兄により橘氏の氏神となり〔桓武天皇の母〕橘嘉智子により現在地に遷座しました 延喜式内社「山城國 葛野郡 梅宮坐神四社(むめのみやにますかみ よやしろ)並名神大月次新嘗」で 祭神は四座〈酒解神・大若子神・小若子神・酒解子神〉です  

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吉田 ・吉田神社(京都市左京区吉田神楽岡町)

廣田 ・廣田神社(西宮市大社町)

祇園 ・八坂神社(京都市東山区祇園町)

北野 ・北野天満宮(京都市上京区馬喰町)

丹生 ・丹生川上神社 中社(吉野郡東吉野村小)

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丹生川上神社 中社(吉野郡東吉野村大字小)〈延喜式内社 名神大社〉

丹生川上神社〈中社〉(にゅうかわかみじんじゃ)は 白鳳4年(675)に創祀され 雨師明神・水神宗社として 雨乞いには黒馬を 雨止めには白馬又は赤馬が献上された 延喜式内社 大和國 吉野郡 丹生川上神社(貞・名神大 月次 新嘗)(にふの かはすみの かみのやしろ)で 下社・上社・中社の三つの論社の内 中社(なかしゃ)です

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  ・丹生川上神社 上社(吉野郡川上村迫)

一緒に読む
丹生川上神社〈上社〉(吉野郡川上村大字迫)〈龍神総本宮〉

丹生川上神社〈上社〉(にうかわかみじんじゃ かみしゃ)は 天武天皇の御代白鳳四年(六七五)「人の声も聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬き祀らば天下(あめのした)のため甘雨(うましあめ)を降らし霖雨(ながきあめ)を止めむ」の神宣により 御社殿を建立奉祀されました それ以降 祈雨・止雨の神として崇敬されました

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  ・丹生川上神社 下社(吉野郡下市町長谷)

一緒に読む
丹生川上神社〈下社〉(吉野郡下市町長谷)〈延喜式内社 名神大社〉

丹生川上神社〈下社〉(にうかわかみじんじゃ しもしゃ)は 天武天皇白鳳四年(六七六)「人声の聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば 天下のために甘雨を降らし 霖雨を止めむ」との御神誨に因り創建と伝 朝廷の尊崇篤く 天平宝字七年(七六三)幣帛の外 黒毛の馬を奉献され その後 祈雨には黒馬 祈晴には白馬を献ずることが恒例とされた

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貴布禰 ・貴船神社(京都市左京区鞍馬貴船町)

二十二社のマップ

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています