実践和學 Cultural Japan heritage

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新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

新屋坐天照御魂神社は 3(西福井)(宿久庄)(西河原)があり その中で中心的な地位を占めるのが(西福井)で背後にある「日降丘」に神が降臨したのが創建とされ その後 神功皇后が荒魂を当地(宿久庄)に勧請したと伝えられています

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

新屋坐天照御魂神社Niiyanimasu amaterumitama Shrine)
(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

大阪府茨木市宿久庄5-17-1

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

(中央正殿)
《主》天照皇御魂大御神(amaterasu sume mitama no omikami)

(左座)天照国照彦火明大神(amateru kuniteru hikohoakari no okami)
(右座)天津彦火瓊瓊杵大神(amatsuhiko hononinigi no okami)

 

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社 名神大

【創  (Beginning of history)】

社伝によれば
神功皇后の御代に 西福井から分祀されたと伝える

延喜式では 臨時の名神祭(ミョウジンサイ)を行わせた夕べの森に鎮座する

【由  (history)】

由来碑

新屋坐天照御魂神社

御祭神 天照皇御魂大御神(あまてらすすめみたまのおおみかみ)
(中央正殿)

天照国照彦火明大神(あまてるくにてるひこほあかりのおおかみ)
(左座)

天津彦火瓊瓊杵大神(あまつひこほのににぎのおおかみ)
(右 座)

当社は延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)にその名が載せられている古い神社です。

また、摂津国(せっつのくに)嶋下郡(しましたこおり)新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)三座(さんざ) (今の茨木市福井、西河原、上河原)の一つで、式内社(しきないしゃ)でもあります。

昔は、国家の大事に際して朝廷から奉幣(ほうへい)(神前へ供物をする)して、臨時の名神祭(みょうじんさい)を行わせた夕べの森に鎮座する国家指定の由緒正しい神社です
境内石碑より

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座 大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)島下郡 17座(大5座・小12座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 新屋坐天照御魂神社 三座
(並名神大 月次新嘗・就中 天照御魂神一座預 相嘗祭)
[ふ り が な ]
(にひやのます あまてるみたまの かみのやしろ さんざ
(ならびみょうじんだい つきなめ にいなめ 
・なかんづく あまてるみたまのかみ いちざあずかる あいなめのまつり)
[Old Shrine name]
Nihiyanomasu Amaterumitama no kamino yashiro sanza
Narabimyojindai Tsukiname Niiname
Nakanzuku Amaterumitamanokami Ichiza Azukaru Ainame no matsuri) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

太陽祭祀の神社
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の
「摂津国 島下郡 新屋坐天照御魂神社三座」の3つの論社について

新屋坐 天照御魂(アマテルミタマノ)神社」が 3つあり その名の通り
いずれも太陽祭祀に関わりがありそうです

鎮座する位置の関係では
・東(西河原)
中心点(西福井)
西(宿久庄)
となります

中心点の(西福井)は
御祭神「饒速日大神(Nigihayahi no okami)」が 天降りされた「日降丘(ヒフリノオカ)」と呼ばれる小高い丘に鎮座しています

「日降丘(ヒフリノオカ)」に立つ石碑には

第十代 崇神天皇 七年秋九月
伊香色雄命 天照御魂大神
亦名 火明大神 を此の丘に奉斎る

と刻まれていて 第10代 崇神天皇(スジンテンノウ)〈在位 BC97~BC30年頃〉が 伊香色雄命(イカガシコオノミコト)に 天照御魂大神(アマテルミタマノオオカミ)を祀らせたとあります

この「日降丘(ヒフリノオカ)」がある「中心点(西福井)」の位置からの見ると

冬至の日
日の出は「(西河原)」から太陽が昇り
日の入り「西(宿久庄)」へと太陽が沈む

の位置にあると云われています

参考までに地図(グーグルマップ)を作成しました
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1tSmNw-IiPD_3XbJXvo1swVzmmxpjUUwR&ll=34.84449392806914%2C135.54928608779775&z=15 

「摂津国 島下郡 新屋坐天照御魂神社三座」の3つの論社 各々記事をご覧ください

新屋坐天照御魂神社(西福井)

一緒に読む
新屋坐天照御魂神社(西福井)

新屋坐天照御魂神社(にいやにます あまてるみたまじんじゃ)は 第10代 崇神天皇〈推定在位 BC97~BC30年〉が 伊香色雄命(いかがしこをのみこと)に命じ 天照御魂大神(あまてるみたまのおほかみ)を奉祀とあり 亦名を 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテル クニテルヒコ アメノホアカリクシダマ ニギハヤヒノミコト)と云い 神武天皇即位前に大和国を治められていた尊い神であるとされます 創建から2100余年の長い歴史と高い社格を誇る延喜式内名神大社です(西福井)(宿久庄)(西河原)に3社の論社があり その中で中心的な存在が 一般に当神社(西福井)です

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・新屋坐天照御魂神社(宿久庄)〈当社〉

一緒に読む
新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

新屋坐天照御魂神社は 3社(西福井)(宿久庄)(西河原)があり その中で中心的な地位を占めるのが(西福井)で背後にある「日降丘」に神が降臨したのが創建とされ その後 神功皇后が荒魂を当地(宿久庄)に勧請したと伝えられています

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・新屋坐天照御魂神社(西河原)

一緒に読む
新屋坐天照御魂神社(西河原)

新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)は 3社(・西福井・宿久庄・西河原)があり その中で中心的とされるのが(西福井)です 異説では『倭名類聚抄』にある「新屋郷」は 当地(西河原)の事であり元社とする説 又 享保14年(1729~1734)編纂『五畿内志(ごきないし)』や『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』〈寛政8年(1796)-寛政10年(1798)刊行〉でも 当地(西河原)を 3社の中心地としています

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『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の 「〇〇坐天照御魂(アマテルミタマノ)神社」について

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)には 畿内に
「〇〇坐天照御魂(アマテルミタマノ)神社」が 当神社を入れて4つかありますが いずれも太陽祭祀に関わりがありそうです

大和国(奈良県)
(大和國城下郡 鏡作坐天照御魂神社 大)

(大和國城上郡 他田坐天照御魂神社 大)

の2つの神社は 辰巳の方角には 三輪山があり 冬至に三輪山から昇る太陽を遥拝したのであろうと云われています

山城国(京都府)
山城国 葛野郡 木島坐天照御魂神社(名神大 月次相嘗新嘗)

一緒に読む
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)

木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)〈蚕の社〉は 京都市内最古の神社の一つと云われます 境内にある「元糺(モトタダス)の池」には「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」と呼ばれる正三角形に柱を組んだ鳥居があり その正三角形の中心点には円錐形に小石を組みあげた神座が座して御幣が依代として立てられています 「秦氏(はたうじ)」の祭祀に深く関わる神社とされています

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摂津国(大阪府)〈当社〉
(攝津國嶋下郡 新屋坐天照御魂神社 三座 並名神大)

一緒に読む
新屋坐天照御魂神社(西福井)

新屋坐天照御魂神社(にいやにます あまてるみたまじんじゃ)は 第10代 崇神天皇〈推定在位 BC97~BC30年〉が 伊香色雄命(いかがしこをのみこと)に命じ 天照御魂大神(あまてるみたまのおほかみ)を奉祀とあり 亦名を 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテル クニテルヒコ アメノホアカリクシダマ ニギハヤヒノミコト)と云い 神武天皇即位前に大和国を治められていた尊い神であるとされます 創建から2100余年の長い歴史と高い社格を誇る延喜式内名神大社です(西福井)(宿久庄)(西河原)に3社の論社があり その中で中心的な存在が 一般に当神社(西福井)です

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

大阪モノレール彩都線 豊川駅から 北へ府道1号沿いに約800m 徒歩10分程度
豊川小学校の北西に隣接して鎮守の杜があります

この杜が 社伝に伝わる
延喜式では 臨時の名神祭(ミョウジンサイ)を行わせた「夕べの森」なのでしょう

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境内入口に鳥居は南東向きに建ちます
新屋坐天照御魂神社Niiyanimasu amaterumitama Shrine)に参着

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鳥居の脇には社号標「新屋坐天照御魂神社」が植え込みの中に立ちます

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緩やかにカーブする参道を拝殿へすすみます
拝殿の右奥に 祠〈詳細は不明〉があり 併せて
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

文中にある 「1座 上河原村に在り」と 当神社(宿久庄)を記しています

意訳

新屋(ニヒヤノ)坐天照御魂神社 三座
 並名神大 月次新嘗・就中 天照御魂神一座預 相嘗祭

和抄『和名類聚抄』 新屋坐此社

續後記『続日本後紀(shoku nihon koki)』
嘉祥2年12月甲午 奉授 伴馬立 天照神 伴酒着神 従5位下

三実『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』
貞観元年 正月27日 従5位下 勲8等 新屋坐天照御魂神社 従4位下

〇同年5月26日 辛未 摂津国 従5位下 新屋坐天照御魂神社 伴酒着神 並 正5位下 この位階考ヘシ

〇今日に酒満明神 炊自に三田 3里許巽なり

〇この3座
1座 西河原村に在り
1座 福井村に在り
1座 上河原村に在り

福井村 今称す 天王(テンノウ)
上河原村 今称す 天照大神(アマテラスオオカミ)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容

御祭神の由来について 伊勢の神と混同しないように注意喚起をしています
さらに
3社の論社(西福井)(宿久庄)(西河原)の中から 式内社を正しく定めるには 福井村(西福井)として良い と記しています

意訳

新屋坐天照御魂(ニヒヤニマスアマテルミタマノ)神社 三座
 並名神大 月次新嘗・就中 天照御魂神一座預 相嘗祭

祭神 天照国照天彦火明命(アマテルクニテルアメノホアカリノミコト)

今按〈今考えるに〉
注進状に 祭神 天照御魂皇大御神天照国照彦火明大神天津彦火瓊瓊杵大神〈ニニギノ命〉とあって 天照大御神(アマテラスオオミカミ)を主としたるは 天照御魂(アマテルミタマ)と云うによって 大御神の御事〈アマテラスオオミカミ〉と思える誤(アヤマ)りなり

これは 天照国照天火明命(アマテルクニテルアメノホアカリノミコト)を主として2神を配し祀りしなり
その2神は 今は 詳しく知りがたけれど〈詳細は不明だが〉
社説に従う時は その上に舉(アゲ)るが如し〈こぞって全てを調査し〉 猶(ナオ)よく考べし〈更に一考すべき〉

祭日 9月11日
社格 郷社
所在 新屋郷福井村 字 新屋神森

今按〈今考えるに〉
注進状に 同郡 宿久庄村の内に上河原と西川原村と2ヶ所にも 同名の神社あり
上河原は 天照大御神(アマテラスオオミカミ)
西川原村は 火明命(ホアカリノミコト)
を祀ると云えり

これは 全く本社より分社したるものなり とあるが
如くなるべし〈そうである〉
されど〈しかし〉 正しく式社を 定めたまわん〈定めるためには〉には 福井村と定めて 可ならん〈よろしい〉

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

新屋坐天照御魂神社Niiyanimasu amaterumitama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る    

一緒に読む
摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)

攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国の 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです

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