奈伎良比賣神社(なぎらひめじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社とされています 柳井姫神社(やないひめじんじゃ)とも称されたとしていて この姫神2柱〈奈伎良比賣命・柳井姫命〉の伝承がそれぞれあります しかし この2柱の女神は 同神ともされていて 謎めいた祭神となっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
奈伎良比賣神社(Nagirahime Shrine)
(なぎらひめじんじゃ)
[通称名(Common name)]
柳姫さん(やなひめさん)
【鎮座地 (Location) 】
島根県隠岐郡海士町豊田489
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》奈伎良比賣命(Nagirahime no mikoto)
7.奈伎良比売命 なぎらひめのみこと
往昔、伊予の国から船出していた奈伎良比売命が、日本海を航海中に大時化に遭い、やがて方角も失い途方に暮れていたところ、遥か彼方に点った灯火を頼りにこの地に上陸し、そこで地域の住民に温かいもてなしをうけたことにより永住を決め、やがて当地の産土(うぶすな)神として祀られ、この地に鎮座された。稲穂が豊かに実るので豊田という地名を付けた。
海士町歴史文化基本構想 - 文化庁より
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/r1392234_113.pdf
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・五穀豊穣・農林漁業の幸と航海安全の女神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
延喜式小社の一つ。創建は詳らかでない。
元禄16年(1703年)の『島前村々神名記』には、神社は柳井媛大明神とされている。
地元には奈伎良姫と柳井姫には、別々の伝説がある。
奈伎良姫は、伊予の国を出発して日本海を航海されていた。ところが、途中で嵐に遭い、この島の豊田地区に避難された。そして、この地をたいそうお気に入りになって永住され、産土神として祀られたと伝えられる。
一方、柳井姫は、島内の宇受賀命と西ノ島の比奈麻治比賣命の間に授かった姫神であると伝えられている。
地区内には、この結婚生活、お産の場所と伝えられるところがある。
おそらく、奈伎良姫と柳井姫は同一の神様ではあるが、伝承が複数あると思われる。
島前でも有数の漁港であることから、豊漁、海上安全の信仰が篤い。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会・島根県神社庁HPより
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=932060
【由 緒 (History)】
奈伎良比賣神社(なぎらひめじんじゃ)
鎮座地 島根県隠岐郡海士町豊田
御祭神 奈伎良比賣命(なぎらひめのみこと)
例祭日 7月5日
由 緒
「延喜式」の式内社。名神大社 宇受賀命神社の御子神とされる神社です。
伝説によると、御祭神の奈伎良姫は伊予の国から出航したところ、日本海を航行中に暴風雨にあって方向を見失われました。困っていると、はるか彼方に火の明りが見えたので、これに向かって船を進めたところ、無事に島にたどりつくことができました。翌日、仮の宿から集落を眺めると、朝日を拝む、海に開けた土地でありました。姫はこの場所をたいそうお気に入りになり、豊かに稲がみのる場所 豊田(とよだ)と命名し、ここに社を建て、産土神として鎮まることとなったそうです。
一部の説には、奈伎良姫は柳井姫の別称であるともされています。
いずれにしても、農林漁業の幸と航海安全の女神とされ、また安産、子育ての神とされ信仰されています。2011年3月24日 10:48 隠岐神社HP-島前のお宮-より
http://okijinja.sakura.ne.jp/2011/03/post-26.html
【境内社 (Other deities within the precincts)
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
・御崎社《主》素盞嗚雄命
・大歳社《主》大年神
・月輪社《主》月夜見命
・三保社《主》事代主命
豊田には三保神社があり、えびすさんと呼ばれる。美保神社には旧暦 3月3日にホーラエンヤと呼ばれる春まつりがあった。
これは、他地区の十日恵比須とは異なる。信仰対象はえびすさん(美保神社)で、かつては 2年に 1回行っていたが、若者の減少により平成 21年に行ったのが最後となる。平成 27年に復活させようとしたが天候不良により中止となった。
化粧をした船方が 12人、楽師(先祓い、獅子、大太鼓、小太鼓、てびし、笛)12 人の合計 24人ほどで行う。神様を神輿に乗せ、海上渡航を行うが、神輿を船に乗せるのは、神様に漁師の状況や海の状況を見ていただく為だといわれる。海士町歴史文化基本構想 - 文化庁より
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/r1392234_113.pdf
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行 区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)海部郡 2座(大1座・小1座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 奈伎良比賣命神社
[ふ り が な ](なきらひめのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nakirahime no mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の結婚神話について
比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の興味深い神話が 中ノ島(海士町)に鎮座する 式内社「名神大社 宇受賀命神社」に伝わっています
宇受賀命神社(うつかみことじんじゃ)は 中ノ島〈海士町〉に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 島内の伝説によれば 御祭神の宇受賀命は 隣島の西ノ島の大山神社の御祭神と 姫神〈西ノ島・宇賀地区の比奈麻治比賣命神社の御祭神 比奈麻治比賣(ヒナマチヒメノ)命〉との結婚をめぐって争い これに勝利した神と伝わります
宇受賀命神社(隠岐 海士町宇受賀)
比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の美しさに宇受賀命は求婚します
しかし 同じく姫に求婚する大山神社の神さまとの力比べに勝利し 姫と結ばれたと伝えられています
姫との間に柳井姫(ヤナイヒメ)が生まれ「奈伎良比賣神社(なぎらひめじんじゃ)」の御祭神になったとされています
4.大山祇命(おおやまづみのみこと)と宇受賀命(うづかのみこと)の妻争い
この神様〈宇受賀命〉は宇受賀を中心に、中ノ島一帯を領して勢力のある土着の神様でした。
あるとき、海を挟んだ西ノ島にいる美しい比奈麻治比売命となんとか結婚しようと申し込みました。しかし、姫神はなぜか色よい返事をしませんでした。けれども、宇受賀命はあきらめないで、同じ求愛の手紙を何回も何回も書いて送りました。
これには姫神も困ってしまい、窮したあげくに次のように言いました。
「あなたと結婚するのはかまいませんが、実は、あの大山神社の神様が恐ろしいのです。ですから、お二方で力比べをしてください。私は、勝ったお方に従いましょう。」
大山神社の神様とは、比奈麻治比売命と同じ西ノ島に住む大山祇命のことです。一説には、この神様は焼火山の神様であったともいわれています。大山祇命は、農業などに力を入れた立派な神様でしたが、なかなか勇猛で、この神様が同じく姫神に恋しているとあっては、事は面倒になりました。
石を投げ合う力比べの結果、宇受賀命が勝利し比奈麻治比売命と結婚しました。5.大山祇命と宇受賀命の力比べ
大山祇命は力比べで納得できず、もう一度力くらべをしようと宇受賀命に持ちかけました。
宇受賀命は家督山の榊を、大山祇命は焼火山の榊をかけて勝負し、大山祇命が勝ち、家督山の榊を全て持っていきました。なので、家督山には榊が生えていません。海士町歴史文化基本構想の策定〈平成29年 文化庁〉より
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/r1392234_113.pdf
竹島に向かって 直線状に並ぶ神社
神社の鎮座地を見つめると面白い現象があります
西ノ島の北東端の『済』『星神島』から 隣島の中ノ島(海士町)に鎮座する
宇受賀命神社〈比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の夫神〉と奈伎良比賣神社〈比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)の娘神〉は北東方向から南東方向に一直線に並んでいます
なんと この延長線上に 日本固有の領土である竹島があります
日本海の渤海ルートとして大切な軸であったのだろうと推察できます
○神社から見る交流
海士町の交流の歴史は神社の位置からも知ることができる。宇受賀命神社の祭神である宇受賀命は、隣の西ノ島の宇賀地区の比奈麻治比売命神社の比奈麻治比売命と結ばれ、柳井姫をもうけ、柳井姫は豊田地区の奈伎良比賣神社の祭神となったと伝えられている。
宇受賀命神社、比奈麻治比売命神社、奈伎良比賣神社の 3社は直線状に並んでおり、古くからの西ノ島との文化的な結びつきが伺える。
また、以前の宇受賀命神社は大陸を見据えることのできる高い位置に鎮座されていた。この神社は律令時代に名神大社として創建されており、本国の国防の要として重要な役割を担っていたのである。古代より、海士町は中央と結びついていたことがうかがえる神社である。○古代の交流
古代のこのエリアは島前の玄関口として機能しており、縄文時代に島後で産出された黒燿石が郡山遺跡跡(福井)などから大量に出土したことや、弥生時代の竹田遺跡(東)より出雲国と関連があると考えられている銅剣が出土したことから、古くから島後や本土との中継地であったことが分かる。海士町歴史文化基本構想 - 文化庁より
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/r1392234_113.pdf
隠岐の式内社〈16座〉について
隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します
隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
海士町〈中ノ島〉の菱浦港から県道317号を東へ約6.6km 電動自転車で25分程度
中ノ島の北東に位置する明屋海岸を目指します
6.明屋海岸 あきやかいがん
比奈麻治比売命が 宇受賀命の子「柳井姫」を産んだ場所が明屋海岸。
お産の穢れをはらい七五三の注連縄をあげて、「産屋が明けた」と意味でおこなったことから明屋という名前が付いた。
また、比奈麻治比売命がお産の時に使用した、屏風とたらいをすてたところ、それらがタライ岩と屏風岩になりました。海士町歴史文化基本構想 - 文化庁より
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/rekishibunka/pdf/r1392234_113.pdf
明屋海岸の南にある豊田漁港があり 境外社の三保社《主》事代主命が港に祀られています お詣りをします
港から神社へと緩やかな坂道が続いていて山に差し掛かる所に鳥居が建っています
石の献灯があり 一礼をして 鳥居をくぐります
奈伎良比賣神社(Nagirahime Shrine)に参着
参道の先には 二ノ鳥居が見えています
参道を進むと広々とした境内地に社務所があり 二ノ鳥居が建っています
鳥居の扁額には「奈伎良比賣神社」と刻まれています その先には三ノ鳥居が見えます
三ノ鳥居の前には 古びた狛犬が威勢が良く出雲式に構えていて 銅製の鳥居の奥には 20段程の階段の上に社殿が見えています
階段下の右手には 手水舎があり 手水鉢は溶岩なのだろうか 凄い石を運んで来たと感心しました
左手には 町指定の天然記念物ヤブツバキ・イヌマキが植生しています
イヌマキ
マキ(槙)科。目通り2.35m、高さ20m。イヌマキとしては最大級のものである。松や杉と同じ裸子植物の針葉樹の仲間で、神社境内や庭園によく植えられる。植栽されたものが海士町にも観られるが、これが一番大きく、無傷で枝ぶりも良く生育状態は良好である。このような大木は珍しく、環境もよいので貴重である。木材は対朽性、対湿性に優れ屋根、縁板等の建材、桶、水槽、棺、下駄等に使われる。この樹は雄木であるが、雌木の実は赤紫色に熟し、甘くて食べられる。
拝殿にすすみます 扁額には「式内 奈伎良比賣神社」と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 一段と高い位置に本殿が祀られていて 幣殿は斜面に沿って建てられています
参道石段を戻ろうとすると 階段の上に おそらく旧日本海軍から下賜されたであろう機雷が置かれています
振り返り社殿に一礼をしてから 境内で再び電動自転車に乗り 参道を戻り豊田漁港へと向かいます
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)太政官符の命により編纂 国内神名帳〉に記される伝承
奈伎良姫大明神と記されています
【意訳】
海部郡
従1位 奈伎良姫大明神
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州神名帳』続群書類従[書誌事項]写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=
『隠州視聴合記(Onshu shichogakki)』〈寛文7年(1667年)著〉に記される伝承
周吉郡の西郷の根枝〈今は目貫と呼ばれる〉所に 奈伎良明神の社がある
延喜式の海部郡は 郡名を誤ったのではないか と記しています
【意訳】
巻之二 周吉郡 西郷の条
・・・
根枝と 今誤って言うに 目貫なり 町の西に 奈伎良明神の社あり按〈考えるに〉
神名帳 奈伎良比賣命神社は 在に 海部郡 然即ち この神の祠 可在り 海部郡に今なり 在の豈(アニ)郡名誤り歟(ヤ) 後世或いは遷座 干茲歟(ヤ) 柳又別神歟(ヤ)
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州視聴合記』寛文7年(1667年)著者:斎藤弗緩[数量]5冊[書誌事項]写本[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
出雲風土記の奴奈冝置波比賣(ヌナカワヒメ)命であるかもしれないとしていたり 所在についても決めかねていると 記しています
【意訳】
奈伎良比賣(ナキラメ)命神社
出雲風土記 奴奈冝置波比賣(ヌナカワヒメ)命
記 周吉郡西郷(サイゴウ)目貫(メヌキ)町 小名 根枝の西の山腹に奈伎良明神社あり 又云う 帳に海部郡にあり 今 海部郡に この神社なし 後世ここに遷座せるにや とあり
信友 按〈考えるに〉に
周吉郡は島後なり 海部郡〈今は海夫と作〉は島前にて 島異なり 周吉郡なるは海部郡あるを更に祀りたるものにて 式なる社にあるべからず
但し故ありて 遷座あるましきにもあらず
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
今〈1870年〉は 廃亡〈廃絶〉していると記されています
【意訳】
奈伎良比賣命神社
奈伎良比賣は 仮字なり
〇祭神 明らかなり〇今 廃亡す
神位 国内神名帳 従1位 奈伎良姫大明神
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在を豊田村とはしていますが 更によく探索をしてほしいと記しています
【意訳】
奈伎良比賣命神社
祭神 奈伎良比賣命
祭日 6月11日 10月10日 10月初卯日 毎月朔日
社格 村社所在 豊田村(海士郡海士村 大字 豊田)
今按〈今考えるに〉
視聴合記に周吉郡西郷の目貫町 古名 根枝の西の山腹に本社ありと見えて
按〈考えるに〉
神名帳 奈伎良比賣命神社は 在に 海部郡 然即ち この神の祠 可在り 海部郡に今なり 在の豈(アニ)郡名誤り歟(ヤ) 後世或いは遷座 干茲歟(ヤ) 柳又別神歟(ヤ)
とあり本国神名帳には 海部郡 従1位 奈伎良姫大明神と記載す
神名帳考証 書入れに
信友 按〈考えるに〉に
周吉郡は島後なり 海部郡〈今は海夫と作〉は島前にて 島異なり 周吉郡なるは海部郡あるを更に祀りたるものにて 式なる社にあるべからず
但し故ありて 遷座あるましきにもあらず
などあるを明細帳には その鎮座年号不相分として 本村と記載せり如く
帳に随いて掲ぐ なお寶地をよく探索せまほしき事なり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
奈伎良比賣神社(Nagirahime Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について に戻る
隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について