実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

室津神社(室戸市室津船久保)〈延喜式内社 室津神社〉

室津神社むろつじんじゃは 六国史『續日本紀』に「神護景雲元年(767年)夏六月の条に土佐国安芸郡小領凡直伊賀麻呂が奈良 西大寺に 稲二万束と牛六十頭を 献上記録されます 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』には 土佐國 室津神社むろつの かみのやしろ所載される室戸地方では 最も古い神社で 

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

室津神社Murotsu shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

高知県室戸市室津船久保3241番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天津彦根命(あまつひこねのみこと)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

室津神社

(室戸市指定史跡)

 延長五年(九二七年)に編集された延喜式神名帳に記載されている 土佐二十一社の一社で、安芸郡三社の一社である。

 天の神とも天津大明神とも呼ばれる天津彦根命を祀り、室戸地方では 最も古い神社である。

 「続日本記」の称徳天皇、神護景雲元年(七六七年)夏六月の条に土佐国安芸郡小領凡直伊賀麻呂が奈良 西大寺に、稲二万束と牛六十頭を 献上した記録がある。

室戸市教育委員会

現地案内板より

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【由  (History)】

『日本歴史地理辞典』〈明治40年(1907)〉に記される内容

平安時代に成立した日本最古の日記文学『土佐日記(とさにっき)』(紀貫之が 延長8年(930)~承平4年(934)にかけて 土佐国に国司として赴任していた 任期を終えて土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路とおぼしき話を 書き手を女性に仮託し ほとんどを仮名で日記風に綴った作品)に゛むろつ゛が地名として登場しています

【抜粋意訳】

ムロツ

 室津は土佐國安藝郡にあり、今室戸村 津呂村 吉良村 羽根村等の地に當る。
室戸の浮津に接して大字室津あり、土佐日記に見ゆる地名にして、 又 式内の古社 室津神社あり、舊主に文氏あり、後應仁文明の頃 別府氏あり、これ安藝城 (安喜城)の別館にして、室津城の主たりき、 
隣村 奈半利村の南なる羽根浦は ,又土佐日記に見ゆる地名とす、其の舊地は今の明根村の海岸、中世迦陵の浦と稱せし所なり、又本村の伊芝山よりは硯石な産出し、一に伊芝石とも稱して有名なり、

【原文参照】

藤岡継平 編『日本歴史地理辞典』,六盟館,明40.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/771424

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・社殿・〈拝殿の向かって右横の祠〉天神社

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・境内社 星神社

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・社頭の鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

『續日本紀(Shoku Nihongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

室津神社の由来は 48代 稱德天皇の神護景雲年間767~770年安藝の小領であった凡直伊賀麻呂が 祖神として祀つたもの
伊賀麿は 神議景雲元年767夏6月庚子に 萬束 牛六十頭を西大寺に献じて 外從五位上に昇叙せらる と記されています

【抜粋意訳】

續日本紀 第廿八 神護景雲元年(七六七)六月庚子廿二

○庚子

紀伊國 那賀郡 大領外正六位上 日置毘登弟弓 稲一万束 献於当国国分寺 授外従五位下
土左國 安芸郡 少領外従六位下 凡直伊賀麻呂 稲二万束 牛六十頭 献於西大寺 授外従五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)土佐國 21座(大1座・小20座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 室津神社
[ふ り が な ]むろつの かみのやしろ
[Old Shrine name]Murotsu no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神 天津彦根命について

表記について

『古事記』⇒ 天津日子根命(あまつひこねのみこと)
『日本書紀』⇒天津彦根命(あまつひこねのみこと)
その他文献⇒天都比古禰命(あまつひこねのみこと)

天照大御神と素戔嗚尊との誓約(うけい)で生まれた神々

天津彦根命は 天照大御神と素戔嗚尊との誓約(うけい)で 八柱の神〈五男三女の神〉が生まれた その男神5柱の内の1柱

〈五柱の男神〉

・天忍穂耳尊/天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
・天穂日命/天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)
・天津彦根命/天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
・活津彦根命/活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
・熊野櫲樟日命/熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)

 〈三女神〉

・多紀理毘賣(たぎりひめ)命/田心姫(たごりひめ)/ 奥津島比賣(おきつしまひめ)命/瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
・市寸島比賣(いちきしまひめ)命/市杵嶋姫(いちきしまひめ)/狭依毘売(さよりびめ)
・多岐都比賣(たぎつひめ)命/ 湍津姫(たぎつひめ)

天津彦根命の後裔の氏族について

『古事記』には

川内国造・額田部湯坐連・茨木国造・倭田中直・山代国造・馬来田国造・道尻岐閇国造・周芳国造・倭淹知造・高市県主・蒲生稲寸・三枝部造らの祖

『日本書紀』には

凡川内直・山代直・茨城国造・額田部連らの祖

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

室津港から 室津川を遡るように北方向に約2.6km

室津川の西岸に鎮座します

社号標には゛延喜式内社 土佐二十一座 室津神社゛と刻字があります

室津神社室戸市室津船久保に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐると すぐに石段があり 上ります

上には二の鳥居が建っています

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二の鳥居には〈天保二年奉納〉の文字が刻まれています
一礼をして さらに石段を上がります

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尾根のような地形になっていて おそらく岬のような地形の上 石の参道が伸びていて もう一段上へと石段が伸びています
石段の下 向かって右には 境内社の星神社が祀られています

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石段を上がります

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拝殿にすすみます

拝殿の向かって右の石祠は 境内社 天神社です

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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社頭の鳥居を抜けると 室津川の西岸です

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室津川の東岸〈対岸〉には 四十寺山があります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 室津神社について 所在は゛室津村室津殿古城北に在す゛〈現 室津神社室戸市室津船久保〉と記しています

【抜粋意訳】

室津神社

室津は 牟呂津と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕室津、〔假字上の如し〕

〇祭神 詳ならず〔式社考云、天津彦根命、〕

〇室津村室津殿古城北に在す〔當國式社考、同神社記、〕今 天津社と稱す、〔式社考、〕
例祭

當國式社考云、此社初在ニ高野内、近世遷ニ於此云、
按 續日本紀 、〔中略〕凡直伊賀麻呂、
日本紀曰、天津彦根命凡川内直之祖也、古者郡領以ニ譜第任之、故郡中齋ニ祖神者多矣、豈凡直、凡川内直同姓、而祀ニ 天津彦根命以稱ニ 天津社歟、中古推宗姓宗子、號ニ 安藝大領居ニ 安藝城、庶流號ニ 室津別府、居ニ 室津城、別府即少領也、伊賀麻呂既爲ニ 少領、其祀ニ 祖神於ニ 此也揭焉、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 室津神社について 所在は゛今 室津村、室殿に在り、天津大明神と云ふ〈現 室津神社室戸市室津船久保〉と記しています

【抜粋意訳】

室津(ムロツノ)神社

今 室津村、室殿に在り、天津大明神と云ふ、〔土佐國式社考、神社覈録

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 室津神社について 所在は゛室津村船久保森〈現 室津神社室戸市室津船久保〉と記しています

【抜粋意訳】

室津神社

今按 式社考に日本紀 神護景雲元年 土佐國安藝郡少領凡直伊賀麻呂
日本紀に 津彦根命 凡川内直之也とみえたれば 凡直凡河内同祖にて 其祖 天津根命を祀れる 故に天津社と云ならんと云り され凡直は阿波讃岐伊豫の國々に多き姓にて 凡川内直とは出自別なれば 從がたし

祭日 九月十一日
格 (無格社)

所在 室津村船久保森 (安藝郡室村大字室津 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

室津神社室戸市室津船久保 (hai)」(90度のお辞儀)

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土佐国の式内社 21座(大1座・小20座)

一緒に読む
土佐國 式内社 21座(大1座・小20座)について

土佐国(とさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 土佐国(とさのくに)には 21座(大1座・小20座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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