実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

杢屋神社(松江市古志町)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉

杢屋神社(もくやじんじゃ)は 蛭子命を祭神とし 杢屋神社に合祀〉七社神社は 風土記の「毛之社」とされていて 天御中主尊 外四神を祭神とし もと三笠山に鎮座し 永禄年間(1558~1570)に 西の谷に移転し 大正元年(1912)杢屋神社合祀されました

ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます

①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した出雲風土記

➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)完成した『延喜式神名帳』

➂最後に出雲風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています

①【約1300年前】About 1300 years ago

出雲風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.

古志町の字西丿谷に鎮座した 七社神社〈杢屋神社に合祀〉

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori)

   不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)

【社名】毛之社  
読み(もし)のやしろ
How to read (moshi no) yashiro

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

➁【約1100年前】About 1100 years ago

延喜式神名帳engishiki jimmeicho所載社(Place of publication)
The shrine record was completed in December 927 AD.

非官社のため 該当しません

➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine

【神社名】(shrine name) 

杢屋神社(Mokuya shrine)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉

【通称名】(Common name)

【鎮座地】(location)

島根県松江市古志町1732

【地 図】(Google Map)

https://www.google.com/maps/dir/''/%E3%80%92690-0121+%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E5%8F%A4%E5%BF%97%E7%94%BA%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%93%EF%BC%92+%E6%9D%A2%E5%B1%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.4933912,133.0014171,14.78z/data=!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x35570fe95daa897d:0x1c2c87ae614d3479!2m2!1d133.0038557!2d35.4774284!1m5!1m1!1s0x35570f9d83c9ab4b:0x515204beff79fa5!2m2!1d133.0071476!2d35.4984312!3e0

【御祭神】(God’s name to pray)

《主》蛭子命(ひるこのみこと)〈杢屋神社

》天照大神(あまてらすおおみかみ)〈大谷若宮〉

《合》〈合祀の七所神社
   天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
   高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)
   神皇産霊尊(かみむすひのみこと)
   伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
   伊弉冉尊(いざなみのみこと)

【御神格】(God’s great power)

家内安全、交通安全

【格式】(Rules of dignity)

・『出雲風土記(izumo no kuni fudoki)所載社

【創建】(Beginning of history)

ご鎮座の年代は不明。
元佐太神社の末社のひとつとして 古志町野間字杢屋にあった。
椋屋大明神、椋屋社等云われてきた。
主祭神、蛭古命の外町内に鎮座の七所神社等の祭神を合わせ、大正3年3月、古志町稲寄山の現在地に遷された。
神社史研究会HPより

【由緒】(history)

由緒

当社鎮座の年代は詳らかでないが、
もと佐太神社の末社の一つとして古志町野間字杢屋にあった。
佐太神社の古い記録の中に椋屋大明神あるいは椋屋社とある。
江戸時代の雲陽誌には木工夜大明神とも記されている。
大正2年(1913)3月に この稲寄山の地に移された。
祭神は蛭子命と天照大神であるが、後に同じ古志町の字西丿谷の七所神社の天御中主尊外四柱の神を合わせ祀った。
本殿は三尺四方で「王子造」と言われる。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社】(Other deities within the precincts)

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

出雲風土記(izumo no kuni fudoki)所載の不在神祇官社毛之社 (もし) (moshi no) yashiro」の論社は二ヶ所です

・〈杢屋神社に合祀〉七所神社

一緒に読む
杢屋神社(松江市古志町)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉

杢屋神社(もくやじんじゃ)は 蛭子命を祭神とし 〈杢屋神社に合祀〉七社神社は 風土記の「毛之社」とされていて 天御中主尊 外四神を祭神とし もと三笠山に鎮座し 永禄年間(1558~1570)に字 西の谷に移転し 大正元年(1912)杢屋神社に合祀されました

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・〈惠曇神社(佐陀本郷畑垣)に合祀〉畑垣神社

一緒に読む
惠曇神社(鹿島町佐陀本郷畑垣)&畑垣神社〈惠曇神社に合祀〉

惠曇神社(えともじんじゃ)は 磐坂日子命(いわさかひこのみこと)を御祭神としています 神名の「磐坂」は「磐境(いわさか)」と同義とされ 「座王さん」と呼ばれる当社境内に鎮座する磐座を神名として象徴化したものと考えられています 『出雲國風土記 733AD』所載の「恵杼毛社 (えとも)のやしろ」「毛之社 (もし)のやしろ」の論社とされています

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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

宍道湖北岸の一畑電車の松江イングリッシュガーデン駅から県道264号を北上
約5km 車8分程度

背後の西側の山を越えると柿原池がある辺りに鎮座します
社殿は東向きに建てられていて 山から東に参道が伸びていて 山裾に鳥居が建ちます 

杢屋神社(松江市古志町)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉に参着

一礼をして鳥居をくぐると 参道の石段は 鬱蒼とした木々囲まれたトンネルのような感じで その先に拝殿の屋根が見えています

この稲寄山の地に移された大正二年(1913)の石灯籠立ち 石畳み参道の先には拝殿が建ちます

拝殿の扁額には「杢屋神社」と刻まれています

賽銭をおさめ お祈りです 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の右手には 神楽殿があり 奥には本殿が鎮座します

【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

それぞれの文献では 次のように伝承しています

『雲陽志(unyo shi)秋鹿郡 古志 にある伝承

杢屋神社(もくやじんじゃについて

『雲陽志(unyo shi)では
杢夜大明神 蛭児尊なり」と記されています

古志町の字西丿谷に鎮座した 七社神社〈杢屋神社に合祀〉について

『雲陽志(unyo shi)では

「七所権現」と記され
天神七代の神を勧請す 山の高さ120間半腹・・・ と記しています

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]
国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『原文』参照

杢屋神社(松江市古志町)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉に (hai)」(90度のお辞儀)

『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

一緒に読む
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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