水祖神社(みずそじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社です 大昔 八尾川上流沿いにあった小さな祠が洪水で流れ着き これが合祀されている天満宮とのこと 隠岐の島町に住んでいる人の大半は この神社を天神さんと呼び慣れ親しんでいるようです
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
水祖神社(Mizuso Shrine)
(みずそじんじゃ)
[通称名(Common name)]
天神さん(てんじんさん)
【鎮座地 (Location) 】
島根県隠岐郡隠岐の島町港町68
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》水祖神(Mioya no kami)
《合》菅原道真公(Sugawarano michizane ko)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
神社の由緒
当神社は、水祖神社(ミオヤジンジャ)と称し 祭神は ミズハノメノカミとなっています。
水祖神社は 一般的には川や水源地等水を司る神様としてお祀りされてあります。その昔、隠岐島周辺では 海賊が出没し、住民は日々脅威をおぼえ、不安な生活を送っていました。又、国境の島として国防上の重要なところでしたので、朝廷から特に高官が派遣され、沿岸の治安、航海の安全に心配りをされ、力をそそぎました。その高官の中に非常に功績があり、帰京することなくここで生涯を終えられたお方があり、その人の名はわからなくなりましたが、海岸の丸いきれいな石を積上げ、古墳として遺徳を偲び神様としてお祀りしたものであります。他の水祖神社とは全く異なった神様であります。このお宮に合祀されている天満宮は、大昔、中條地区 八尾川上流沿いの 小さな祠に菅原道真公を祀った天神社がありましたが、ある年たいへんな大水が出ました。山のように積まれていました すくもや わら束が一度に押し流されこの水祖神社の境内にたくさん流れ着きました。
不思議なことに、その中から祠に入った天神様が現れました。氏子たちはおそれおおいことと早速 水祖神社に合祀しました。
この神社の森の裾野は 満潮時には浅瀬となり、潮が引くと陸地になるので、その有様を水の原(ミノハラ)といい、ここに現れた天神様ですので、「みのはらの天神」と呼びました。尼子家忠臣 山中鹿之助幸盛が 隠岐國府 尾城主 佐々木為清に援軍を求めて来島したとき、主家 尼子家再興を祈願しに、水祖神社へ参詣したと傳えられています。
祭礼については、西町・港町の熊野神社・大川神社・東山神社。松尾神社・御崎神社・國府尾神社・水祖神社の七社が参加し、当番神社を定め、地区住民が合同で祭礼を行っております。神社の例祭日の毎年7月25日・26日に、川祭りといって八尾川の安全厄除け祈願の行事から御輿を出して、お旅祭りで町内の渡御式を行い、今日に至っております。
境内案内板より
【由 緒 (History)】
水祖神社
主祭神は 水の神様である罔象女神(みつはめのかみ)ですが、後に学問の神とされている菅原道真を祀ったため、地元では”天神さん”と呼ばれ親しまれています。
延喜式神名帳に記載されていることから創建は古く、裏山は古墳であると考えられています。
毎年7月26日に例祭が行われます。(隠岐ジオパーク)境内案内板より
天神通り
「天神通り」の名は、八尾川の対岸に建立されている「水祖神社」(みおやじんじゃ)に由来します。
延喜式の式内社に数えられる古社ですが、いつの頃からか菅原道真を祀ったてめ地元では「天神さん」と親しみを込めて呼ばれています
天神橋や以前あった天神マーケットなども、この「天神さん」にちなんで名前がけられています。
(隠岐ジオパーク)境内案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)周吉郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 水祖神社
[ふ り が な ](みおやの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mioya no kamino yashiro)
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
隠岐の式内社〈16座〉について
隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します
隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
西郷港フェリーターミナルから R485号を西へ 約350m 徒歩5分程
八百川の河口に架かる天神橋を渡り始めると対岸に鳥居が見えてきます
鳥居の扁額には「水祖神社」と刻まれています
水祖神社(Mizuso Shrine)に参着
一礼をしてから 鳥居をくぐります 鳥居の両脇には狛犬が座していて 向かって左手には手水舎 右手には案内板が設置されています
境内の南側にも入口があり こちらにも鳥居が建てられていますが 扁額は「天満宮」となっています
こちらの狛犬は 真新しいですが 以前の狛犬が 境内の奥に寄り添って置かれています あまりにも寄り添っているので 御朱印好きの女子の癒しのスポットなのだそうです 隠岐の観光案内には「愛の狛犬」と
「愛の狛犬」
広々とした境内に広い参道があり 正面に拝殿が建てられています 拝殿の奥には本殿が建ちます その裏のこんもりとした木々は 古墳であると伝わっています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥は 石垣の上に御垣が廻されていてご神域となっています その中に本殿が鎮座しています 古墳と伝わる地に鎮まっておられるような造りです
参道を戻り始めると 目の前は八尾川の河口近くで 沢山の漁船が係留されています
どうやらこの景色には 歴史があるようです
八尾川風景
八尾川沿いには普段から多くの漁船が係留されており、北前船で栄えた当時の光景に思いをはせることができます。
北前船で運ばれてきた荷物は小舟に荷分けされ川からそれぞれの蔵に運び込まれたため、現在でも川岸には階段が残されています。(隠岐ジオパーク)境内案内板より
振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)太政官符の命により編纂 国内神名帳〉に記される伝承
穏地郡には正3位 水祖明神があったが 周吉郡は従4位上 と記されています
【意訳】
周吉郡
・・・・
従4位上 水祖明神
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州神名帳』続群書類従[書誌事項]写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=
『隠州視聴合記(Onshu shichogakki)』〈寛文7年(1667年)著〉に記される伝承
下流〈八尾川〉の河口にある 天神の社 と記されています
【意訳】
巻之二 周吉郡 西郷の条
・・・・
下流〈八尾川〉の水口に長渕あり 松所々に生えて 葦凄々たり
天神の社 のここに奉川の帯ひ海に続くか 故に 或いは水を湛える
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州視聴合記』寛文7年(1667年)著者:斎藤弗緩[数量]5冊[書誌事項]写本[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
水祖神社と神社名のみが 記されています
【意訳】
周吉郡 四座
・・・・
水祖(ミオヤノ)神社
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在は 矢尾村であると記しています
【意訳】
水祖神社
水祖は 美豆乃於夜(ミズノオヤ)と訓ずべし
〇祭神 詳らかならず
〇矢尾村に在す神位 国内神名帳 従4位上 水祖神社
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在は 八尾村としていますが 天神原〈現 隠岐の島町港町〉とありと 記しています
【意訳】
水祖神社
祭神
今按〈今考えるに〉
本國神名帳には 従4位上 水祖明神と見えたり祭日 6月25日より26日迄
社格 郷社
所在 八尾村 明細帳に西郷西町 字 天神原とあり
(周吉郡 西郷町 大字 西郷西)
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
所在は 矢尾村と記しています
【意訳】
島根縣 隠岐國 周吉(スキ)郡 西郷町 大字 西町
郷社 水祖(ミオヤノ)神社
祭神 不詳
合殿 天満宮(テンマングウ)
配祀 菅原道真(スガハラノミチザネ)創建年代 詳らかならざれども 延喜式所載の水祖神社これなり
神社覈録 及び 式内神名帳に「矢尾村にあり」といえり神社覈録に「水祖は 美豆乃於夜(ミズノオヤ)と訓ずべし」
神名帳考証には「ミノヤ」
神祇志料には「ミオノヤ」と訓ませたり神社覈録には「祭神 詳らかならず」とし
神名帳考証には「水神 美都波能賣(ミヅハメノ)命」とせり本国神名帳には「従4位上 水祖明神」と見ゆ
神祇志料に「隠州視聴合記に 本郡原田村の北 雨来川の側に小社あり 龍神の淵という 早に雨を祈る時は必ず験あり 依りてこれを雨来というと云えるは 疑らくは水祖神なるを以って 龍神と誤りならしむか 姑附けて考に備ふ」といえり本社の棟札に 天文23年再建とあり 往古は国主の造営にして 寛文以後は 周吉穏地両郡の造営に係りしが
明治5年10月 郷社に列し
周吉郡26箇村の崇敬社とせらる(社伝)
社殿棟数 本殿 拝殿 廊下
境 内 410坪例祭日 7月26日
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』
水祖神社(Mizuso Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について に戻る
隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について