実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

見高神社(河津町見高)

見高神社(みたかじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)に所載の式内「多祁伊志豆伎命神社」の論社です その創建は 聖武天皇 天平5(733)923であるとも 光仁天皇 天慶3年(940)三島より奉遷とも伝わります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

見高神社(Mitaka Shrine)
(みたかじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

耳高神社(みみたかじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡河津町見高624

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》多祁伊志豆岐命Takiishitsuki no mikoto

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

見高神社 舌餅の由来

太古 当村字役間野と申すところに 天をも磨する老松あり、この松の根本に夜々不可思議なる牛鳴を聞く。村翁立ち寄り見れば 一頭の白牛現れ その背に白装束の御神体またがる。
村翁かしこみひれ伏すに 神は その白牛の舌にて 村翁の手をなで 次に足をなで終りて 村翁に告げて曰く「われは耳高大明神なり 汝等自ら 難思し内徳を証し得れば 妙用無窮の神力を現すべし」とさとしたまいて その松の木伝いに昇天す。
村翁 この有難き神宣に打ちふるえ 山を下りて 村中に神徳を披露す 即ち 村民こぞってこゝに一祠を建立 郷土の守護神 氏神様と仰ぎ奉り 子孫末世に至るまで大明神昇天の日923日(新歴で1023日を祭日と定め 御供物に牛の舌餅と称する舌型の餅をそなえ、氏子及び崇敬者にその神徳を頒りものなり


見高神社

創立 聖武天皇 天平5(733)923
祭神 多祁伊志豆岐命

見高神社々務所

境内掲示板より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

見高神社の三番叟と神楽殿

 見高神社では毎年1022夜と23日の午前に神楽殿で三番叟(さんばんそう)が奉納されている。

 江戸時代末頃 嘉永3年(1850に 見高青年たちは 当時江戸歌舞伎の名優として高かった四代目市川小団次(見高村に縁があった)を頼って江戸に出向き、歌舞伎の見物をした。そのためか、ここの三番叟は歌舞伎の影響が強いといわれている。

 三番叟が奉納される神楽殿は、は問口六間(約11m)、奥行三間半(約6.4m)、その後ろに幅四間(約7.3m)、奥行一間半(約2.7m)の楽屋がつく。床は全部板張で中央に直径22.75尺(約6.9m)の廻り舞台が仕組まれている。廻り舞台は、床下に人が入り、人力で回した。かつては この舞台で地区の人たちにより歌舞伎が上演されていたという。

 現在 三番叟奉納の際使用される引幕は、江戸歌舞伎で使用された引幕で、六枚が保存されている。三枚は市川小団次の寄によるもので、残り三枚は庁屋(神楽殿)落成の祝儀として小団次の養子市川左団次から見高若者連に贈られたものである。東京の歌舞伎座は何回か火災で焼けているため、当時使用され引幕で現存するものは数少なく芸能に関する非常に責重な文化財である。
河津町教育委員会

境内案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・浜川稲荷

Please do not reproduce without prior permission.

三社覆屋〈淡島大権現  厄神大権現 亜仲大権現〉

Please do not reproduce without prior permission.

・水神社

神社

神社は 長年に渡り萩原考司宅前に鎮座し講中の方々が祭こしおりましたが昭和34年に現在地に鎮守をお願い申し萩原考司個人がその後営理お祭りする
平成13年10月吉日 外社殿大修理

平成13年12月吉日 内社殿を萩原考司68才時自分にて日数も掛け新築する

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

二社覆い屋〈天王神社 一社不詳〉本殿向かって左手

Please do not reproduce without prior permission.

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 多祁伊志豆伎命神社
[ふ り が な ]たきいしつきのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takiishitsuki no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
式内社「伊豆國 賀茂郡 多祁伊志豆伎命神社」の論社について

・竹麻神社(下田市高馬)

一緒に読む
竹麻神社(下田市高馬)

竹麻神社(ちくまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の2つの式内社〈  ①竹麻神社 三座 ➁ 多祁伊志豆伎命神社 〉の論社です ①竹麻の音を「ちくま」or「たかま」と呼称し  ➁ 同様にタケイシズキにも 地名の高馬(たけま)が近く 論社となっているようです

続きを見る

・見高神社(河津町見高)

一緒に読む
見高神社(河津町見高)

見高神社(みたかじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内「多祁伊志豆伎命神社」の論社です その創建は 聖武天皇 天平5年(733)9月23日であるとも 光仁天皇 天慶3年(940)三島より奉遷とも伝わります

続きを見る

・三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)〈参考〉

一緒に読む
三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 一色村のすぐ隣 蝶野村の三島明神と称されて 『豆州志稿』には 応永18年(1411)の金鼓に 平臣長殿 蝶狩野大知口國吉國重 と鎧す 平臣長殿の守 誤寫(あやまりうつし)か 末社3権 21社なるし伝 と記されています 『延喜式神名帳』所載の 多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)の論社ともされます

続きを見る

・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)〈合祀三島神社〉

一緒に読む
姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)

姫宮神社(ひめみやじんじゃ)は 3つの式内社〈 ①伊波比咩命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 ➂多祁伊志豆伎命神社 〉の論社とされています 江戸時代の『豆州志稿』によれば 一色村の姫宮明神と称され 一棟三扉の祠で 中は姫宮 左は権現 右は御霊 廃絶して100年が経過しているが 天神社と云う旧祠があり 式内社であると記しています

続きを見る

・三島神社(南伊豆町青野)

一緒に読む
三島神社(南伊豆町青野)

三島神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社「多祁伊志豆伎命神社(たきいしつきのみことの かみのやしろ)」の論社とされます その説によれば 一色村に鎮座する三島神社の祭神は 村老の伝えとして 青野村の三島神の妹神と伝わり 必ず2社共に式内社であるとしています

続きを見る

・瀧山神社(河津町川津筏場)

一緒に読む
瀧山神社(河津町川津筏場)

瀧山神社(たきやまじんじゃ)は 江戸時代 寛政12年(1800)頃は 瀧権現と称され 祠の傍に瀑布があった 棟札に筏場下村の土ノ神と記されています 大永7年(1527)の棟札には 小川村から移された小川三島大明神 元和3年(1617)の棟札には 熊野神社と称され 天神でもあったようで 現在の祭神 伊佐那岐尊とも符合します

続きを見る

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急 今井浜海岸駅から海沿いに東へ約1km 徒歩15分程度
美しい今井浜海岸を眺める東岸の見高地区に鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

海岸から集落の細い道を進み 民家と民家の間を抜けるような参道の先に石段があります 石段から振り返ると良くわかります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

石段を上がると 僅かに平らにならされた地があり「見高神社」と扁額の架かる鳥居が建っています
見高神社(Mitaka Shrine)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして鳥居をくぐり抜けます 左手にある住宅は宮司宅でしょうか

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

参道の脇の階段上には「書院」が建っています

Please do not reproduce without prior permission.

一の鳥居の先には 二の鳥居へと石段があり 踊り場のような平地に二の鳥居が建っていて そこから社殿迄 再び石段を上がる そんな参道です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

二の鳥居をくぐると 伊豆地方で見られる石垣があり 神聖な海岸の玉石を積み上げたものです

Please do not reproduce without prior permission.

上の境内地に上がると 脇には三番叟(さんばんそう)が奉納されている「御神楽殿」が建っています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

更に一段高い檀に社殿や境内社が祀られています
拝殿にすすみます 

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿には 見事な龍神の彫刻が施してあり 淵に龍神の彫刻があしらわれた見事な扁額には「見高神社」と記されています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の横「外陣の広縁」にも 素晴らしい彫刻があるのを見つけました

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿廻りの境内社にお詣りをして 本殿を拝すと覆い屋で囲われています 

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

参道を戻ります 参道石段からは 左手下方に 木陰から海が見え美しい 写真では伝わらないのが残念

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

耳高明神(みみたかみょうじん)と称しています 天慶3年(940)三島より奉遷した 大山祇命と記しています

【意訳】

耳高明神  見高村

寛文2年(1662)の上梁文に云う
光仁天皇 天慶3年(940)三島より奉遷 大山祇命なり 末社2

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社の名称のみ記されます

【意訳】

多祁伊志豆伎(タケイシツキ)命神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在については不明と記しています

【意訳】

多祁伊志豆伎命神社

多祁伊志豆伎は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➂

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の論社として 4所を挙げているが 決定できない と記しています

【意訳】

多祁伊志豆伎(タケイシツキノ)命神社

祭神
祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
式社考證に 神階帳 従4位上 たけしの明神と有り この社未定
賀茂郡本郷村 高馬鎮座 八幡社ならんか 此の社は 豆志に竹麻神社三座の内として云う一座 在 本郷村高馬 今 八幡と称す云々とありて所由有る社と聞こえが 旧社地は 今の社の後ろ岩壁上にて 旧蹟ものこりたるが 伊志豆枝の称に適い 高馬の称のタケシに近く通じて聞こえる所縁あるを以ってなり

亦 同郡 見高村 見高明神ならむか 豆志に云う 見高明神 見高村 寛文2年 上梁文に云う 光仁天皇 天慶3年 三島より奉遷 大山祇命なり 末社2とみえ 社記に熟考 人皇45代 聖武天皇 天平5癸酉年 三島大明神 始興洲現所謂 大山祇命なり云々とある如く由ある神と聞こえるが 何の所見もなしと いえども この社にやと思われ神階帳に たけしの明神とある たけし即ち 多祁伊志の約にて地名となりしと思われるに この見高の称の近く通いて 縁由ありけに聞こえればなり

又 同郡一色村に三島明神あり 村称の一色は 伊志都伎に通じて聞こえる拠あらむも知るべからず

又 同郡 青野村 三島神の妹なりと然らば2社共に必ず式内なるべし云々 と見え 社伝に 祭神 石突命と伝えて所由りて聞こえれど 考えるべき証蹟なしと云える

以上の4所 何れとも決めては云いがたし 姑附て後考を待つ

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➂

見高神社(Mitaka Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

一緒に読む
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています