三島神社(みしまじんじゃ)は 古くは門野明神 江戸時代には大宮と称して 上下小野の総鎮守であったとされ 村の古老の伝えでは 青野村の三島神の妹神であると云い 式内社「阿米都加多比咩命神社(あめつかたひめのみことの かみのやしろ)」に違いないとの説もあり 比定社とされています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
三島神社(Mishima Shrine)
(みしまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡南伊豆町下小野166
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》阿米都加多比咩命(AmetsuKatahime no mikoto)
誉田別命(Homutawake no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
『豆州志稿』によれば
今〈江戸時代〉大宮と称す 上下小野の総鎮守なり 村の老 相伝 この神は 青野村 三島ノ神の妹なりと 然らばに社も必ず 式内なるべし
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 阿米都加多比咩命神社
[ふ り が な ](あめつかたひめのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](AmetsuKatahime no mikoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
2つの式内社〈阿米都加多比咩命神社 〉の論社について
・三島神社(南伊豆町妻良)
三島神社(みしまじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①大津往命神社 ➁阿米都加多比咩命神社 〉の論社とされる古社と伝わります 祭神の大津往命(おほつのゆきのみこと)は 大津(港)を守護する姫神とも 三嶋神の御子神とも 大国主命の妻神とも伝わります
三島神社(南伊豆町妻良)
・波布比咩命神社(下田市東本郷)
波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)は 2つの式内社〈 ①波布比賣命神社 ➁大津往命神社 〉の論社とされています ①波布比賣命神社は 伊豆大島の波浮港に鎮座する波布比咩命神社の遥拝所であろうとされていて ➁大津往命神社は 大きな津〈港〉を守護する女神であろうとされています
波布比咩命神社(下田市東本郷)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急下田駅から 県道119号を西へ約13.6km 車25分程度
上賀茂の辺りで県道121号を右折 青野川に沿い松崎方面に向かうと 暫くして右側に石垣の上に 2本の木に挟まれた鳥居が建っています
三島神社(Mishima Shrine)に参着
階段を上がりながら 一礼をして鳥居をくぐります 扁額には「三島神社」とあります
階段を上がると 左手に手水舎があり清めて
正面の拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
この辺りには三島神社が数多く鎮座していて この地が「下小野の三島さん」なのかどうか 少し気になり確認すると 社殿の中に 証書があり「下小野 三島神社」と書かれていました
拝殿の奥は 一段高い檀になっていて本殿が祀られています すぐ横には忠魂碑が立てられていますので 一礼
境内を戻り 階段を下りて 振り返り社殿に一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
大宮と称していて 青野村の三島神の妹神であると村の古老が伝えていると記しています
【意訳】
三島明神 下小野村門小野にあり
今 大宮と称す 上下小野の総鎮守なり 村の老 相伝 この神は 青野村 三島ノ神の妹なりと 然らばに社も必ず 式内なるべし
応永10年(1403)文明12年(1480)等の上梁文に仁科荘 小野郷口永4年には 時政所 長久入道と誌るせり この外 古札数多くあれども文字多く滅す 廰舎経蔵等あり
八幡同林 元禄以前の棟札多し 〇高根 〇浅間
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
田方郡に類似の神社「阿米都瀬氣多知命神社」があると記しています
【意訳】
阿米都加多比咩(アメツカタヒメノ)命神社
卯本旡此字
〇田方郡に 阿米都瀬氣多知命神社あり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在不明 国内神階に云う「あめつかた姫の明神」としています
【意訳】
阿米都加多比咩命神社
阿米都加多比咩は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず神位 国内神階云 あめつかた姫の明神
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』3 『神社覈録』4
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社「阿米都加多比咩命神社」は 妻浦村 三島明神〈現 三島神社(南伊豆町妻良)〉であるとしていますが 一説には 下小野村 鎮座 大宮明神〈現 三島神社(南伊豆町下小野)〉もあると記しています
【意訳】
阿米都加多比咩命(アメツカタヒメノミコトノ)神社
祭神
祭日
社格所在
今按〈今考えるに〉
式社考證に 妻浦村 三島明神なるべし
正中2年の社記に 神代の昔 三島大神と溝樴姫命と御船にて渡来たまい 当浦より上がりたまう とみえ 一座は姫神なるも所由あり 村名の妻浦も姫神鎮座の地なるより 比賣浦の略と聞こゆとみえ
又 一説に下小野村 鎮座 大宮明神ならむ
豆志に 下小野村門小野に在 今称す大宮上下小野川合野3村の総鎮守なり 村老相伝ふ この神は 青野村三島明神の妹なり 然らば2社ともに必ず式内なるべし云々と見え
古老の説に 門野明神と称たると伝え 今に社辺りを門野 或いは門小野と称しへるが 神名の加多に近く 大宮の称あるも因ありと云るによりて
足柄縣注進には 下小野村と定めたれど門野明神 又 門野などの称によりて 加多比賣に由ありと云る
は信じがたき心地せらるれば従わず
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』3
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
古くは門野明神 江戸時代には大宮と称していて 青野村の三島神の妹神であると村の古老が伝えていると記しています
【意訳】
静岡縣 伊豆國 賀茂郡 南上村 大字 下小野宮ノ前
郷社 三島神社
祭神 事代主(コトシロヌシノ)命
相殿 応神天皇(オウジンテンノウ)旧と門野明神と称し 近世 大宮とも 又 三島明神とも称す
創立年代詳らかならず 但し 古老 青野村 三島ノ神の妹と伝え 応永10年(1403)文明14年(1482)文明14年(1472) 其の他 建武2年(1335)永享5年(1433)の棟札を蔵す 志稿に云ふ
「阿米都加多比咩命神社 云々 下小野村 三島神社なる可し云々 往古は 門野明神と称すと云う 今 社辺りを門野 或いは門小野と云う 共に加多の神名の遺れるからむ」
といえり阿米都加多比咩命神社は 延喜の制小社に列せられ 神階帳に従4位江あめつかた姫の明神と見えたり これより当社を以って 式内 阿米都加多比咩命神社に擬するものなりしが
特選神名牒は
「豆志に云々と云るによりて 足柄縣注進には 下小野村と定めたれど門野明神 又 門野などの称によりて 加多比賣に由ありと云るは 信じがたき心地せらるれば従わず」と云えり 後考を俟つ古来 上下小野の総鎮守にして 明治6年2月 郷社に列す 社殿は本殿 拝殿の二宇を備え 境内771坪を有す
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2
三島神社(Mishima Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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