三嶋神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です 配祀の若宮〈三島神の御子神 布佐乎宜命〉がそうではないかとも云われています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
三嶋神社(Mishima Shrine)
(みしまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡河津町逆川255
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》只姫神
「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
由緒不詳
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・石祠など
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 布佐乎宜神社
[ふ り が な ](ふさをきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Fusaoki no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社について
・三嶋神社(河津町逆川)
三嶋神社(みしまじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です 配祀の若宮〈三島神の御子神 布佐乎宜命〉がそうではないかとも云われています
三嶋神社(河津町逆川)
・三島神社(河津町川津筏場)
三島神社(みしまじんじゃ)は もと筏場小川に鎮座した「小川三島大明神」を元亀年間(1570〜73)に現在地に遷座されたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です
三島神社(河津町川津筏場)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急行 河津駅からR414号を蓮台寺方面へ約6.5km 車10分程度
稲梓川(稲生沢川)に沿ってR414号を走ると 左手の小山の斜面に紅葉した銀杏と鳥居が建っています
正面から見ると ・道路・二段目・三段目と境内地があり 二段目に手水舎と鳥居が建ち 三段目に社殿 その右手に小石祠が鎮座しています
三嶋神社(Mishima Shrine)に参着
手水舎で清めて 一礼をして 鳥居をくぐります
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には長い石段があり 山の上の本殿に通じているらしいのですが この時は全く気づきませんでした
社殿の向かって左手には 旗竿をしまう長い納屋があります
階段を下りて 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
若宮を配祀していて 三島大社と同じ祖先の社人であると記しています
【意訳】
三島明神 逆川村
若宮を配祀す
永正15年の上梁文に云う 代官 平朝臣 矢野中之五郎左衛門ノ尉家次
天文2年の文に云う 代官 平朝臣 清水右京ノ亮吉政とその祭式 三島大社と同じ社人苗裔12人有り
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の伝承について
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
神社名称のみ記されています
【意訳】
布佐乎(フサヲ)宜神社
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
祭神も所在も不明であると 記しています
【意訳】
布佐乎宜神社
布佐乎宜は 仮字なり
〇祭神 所在名等 詳らかならず連胤 云 上に志理太宜神社もあり 考合すべし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
祭神など不明だが
所在について 逆川村 三島明神〈現 三嶋神社(河津町逆川)〉と筏場村上佐が野 三島大明神〈現 三島神社(河津町川津筏場)〉の2か所を挙げて どちらとも決め難いと 記しています
【意訳】
布佐乎宜(フサヲキノ)神社
祭神
祭日
社格所在
今按〈今考えるに〉
式社攷證に逆川村 三島明神ならむか この社は 豆志に云う三島明神 逆川村 若宮を配祀す その祭式 三島本社と同じ 神階帳に おさめいはかのみこ と有り 即ち 比布佐乎宜命なるか 布佐乎宜は例えの地名と思えるるに既く おさいはかはと称したるより 然は唱えたると聞こえるを 今 この村中に天川小石川と云有は旧称の遺存と思われればなり
村名の佐加佐川も おさめいはかの伝え訛ならむも知るべからず さて神階帳にみこと有りて 大社の御子神と聞こえれば 布佐乎宜命は同殿に坐す若宮神なるべく思えるるが 三島大神は父神に坐す縁を以って合祀てるものなるべし亦 同郡 筏場村上佐が野と云うに 三島大明神と云あり 豆志に古祠なり 大永7年の文 小川三島大明神と誌す云々とありて さが野と云い 小川と云う 称呼の おさかいはかは と有に通じて
聞こえるは所由あるに似たりとみえたるは 何れも神名の地名に似通じたるより云える説にて 明證なければ 今決め難し
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
所在について 逆川村 三島明神〈現 三嶋神社(河津町逆川)〉と筏場村上佐が野 三島大明神〈現 三島神社(河津町川津筏場)〉の2か所を挙げて記しています
【意訳】
布佐乎宜(ふさをぎの)神社
賀茂郡 逆川(さかさかは)村 鎮座 おさめいはかはのみい 神階帳
今称す 三島神社二座の一なるべし 攷証 及 注進の一説續攷
又 同郡 筏場村 上佐賀野 三島神社 由あらむも知るべからず能く探ねましくこそ
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』
三嶋神社(Mishima Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について