実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

御祖神社跡(八尾市)

御祖神社跡(みおやじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国高安郡 御祖神社』とある式内社ですが 明治41年2月「玉祖神社(八尾市)」に合祀されました 現地(旧鎮座地)には昭和13年5月に建立された「式内御祖神社跡」という碑が残されています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 御祖神社跡(mioya jinja ato)
 (みおやじんじゃ あと)

 【鎮座地 (location) 】

大阪府八尾市大字大窪

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

祭神不詳
※ 御祖(mioya)とは祖先神を指します 祭祀 氏族不明の為 不詳

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の旧鎮座地

【創 建 (Beginning of history)】

不詳

【由 緒 (history)】

御祖神社跡・おかげ灯籠

式内社 御祖神社が明治41年2月まで鎮座していたが、同年2月10日郷社 玉祖神社に合祀され、現地には昭和13年5月に建立された「式内御祖神社跡」という碑がのこされた。
地元では 山王の森と呼ばれている。これは江戸時代、大窪村の氏神を山王大権現社といったことによる。小字は比恵森という。

おかげ灯籠は 花崗岩の小型のタカ灯籠で、台座に“おかげ”と大きく陰刻されている。竿は角柱で、表面に“常夜燈”とあって、側面に“天保二辛卯三月建立”とある。天保2年村人たちの伊勢神宮へのおかげ参りの記念に建立されたもので、市内では唯一の記念物である。
おかげ参りは、江戸時代の末に盛行し、殊にこの天保2年(1831)はその当たり年であった。庶民の間に流行し、“一生に一度はお伊勢参りを”ということが習慣となった。老若男女、貴賤貧富となく何十人と群集して参宮し、途中の参加者も加わって、時には何百人の群集となった。またこれらに伴ってぬけ参りも盛んに行われ、これらの人々に道筋の各家では色々の施し物をした。

大窪の村人たちが、天保2年3月おかげ参りに参加して、その記念としてこの石灯籠を献じたものである。

【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】 一般社団法人 八尾市観光協会HPよりhttp://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1277

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)
       ・小90座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高安郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 御祖神社
[ふ り が な  ](みおやの かみのやしろ)
[How to read ](mioya no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国高安郡 御祖神社』とある式内社ですが 明治41年2月「玉祖神社(八尾市)」に合祀されました

『八尾の史跡』では「式内社 御祖神社が明治41年2月まで鎮座していたが、同年2月10日郷社 玉祖神社に合祀され、現地には昭和13年5月に建立された「式内御祖神社跡」という碑がのこされた。
地元では 山王の森と呼ばれている。これは江戸時代、大窪村の氏神を山王大権現社といったことによる。小字は比恵森という」

と森の名前が「山王・日枝」ありますので 江戸時代は「日吉社」と称していたことに納得がいきます

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄信貴線 服部川駅から 500m 徒歩7分程度
児童公園となっている大窪公園が 旧鎮座地です

御祖神社跡(mioya jinja ato)に到着

元の御祖神社の境内地であった場所は そのまま児童公園として残されていて この旧鎮座地に対する 里人の信仰心を感じられます
当日も皆さんが清掃活動をされておられました

公園の東面には「式内 御祖神社」と刻まれた社号標が建っています

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

境内地(公園)の奥には 小さなお堂と「お蔭燈籠(okage toro)」があります

公園の入り口には だんじりの倉庫「大窪 太鼓台格納庫」が建ちます
さらにいかにも 元は神社であったと思わせる 大きな楠木が数本あります

一礼して 跡地を去ります

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』貞観二年(860)11月に記される伝承

「御祖神(ミオヤノカミ)」と「子宮神(コミヤノカミ)」が 一緒に神階従五位下を授かっています
『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』の御祖神・子宮神の記載順が『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』の御祖神社・鴨神社の順と同じと見て「御祖神社」と「子宮神」を「鴨神社」とする見方があります

要約
「 11月丁朔旦 冬至 河内の国「豊稲賣神」「御祖神(ミオヤノカミ)」「子宮神(コミヤノカミ)」共に神階 従五位下を授ける 」

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

御祖神社跡(八尾市)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国高安郡 御祖 神社』とある式内社です
御祖神社跡(mioya jinja ato)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

合祀先の玉祖神社(八尾市)の記事もご覧ください

一緒に読む
玉祖神社(八尾市神立)

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 和銅3年(710)周防国一之宮「玉祖神社」から分霊を勧請したもので 御祭神は櫛明玉命です 通称「高安明神」とも呼ばれていて 高安11ヶ村の氏神です 鎮座地は 生駒・信貴連山の中腹の高台にあり 社頭にある「大楠」から一望する 河内平野は絶景です

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河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る  

一緒に読む
河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)

河内国(かは〈わ〉ちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 河内国の 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)の神社のことです

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