松下社(まつしたやしろ)は 倭姫命御一行が二見を訪れ 船を泊められたことから 御船社とも云うとの伝承を持つ古社 現在の神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉の旧地とも伝わる為 延喜式内社 伊勢國 度會郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)の旧鎮座地とされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
松下社(Matsushita yashiro)
【通称名(Common name)】
・加木牛頭天王社
・御船社
・蘇民(そみん)の森
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市二見町松下1346
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》素盞嗚命(すさのをのみこと)
菅原道眞(すがわらのみちざね)
不詳一座(ふしょうひとくら)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
松下社
所在 二見町松下
祭神 素盞鳴尊・菅原道真・不詳一座
例祭 二月二日
沿革
松下地区の氏神さまです。加木牛頭天王社・御船社・蘇民(そみん)の森ともいわれています。
当社の創建は不詳であります。「氏経日次記」文安六年(一四四九)の記事が古い記録です。
この社にいつの日か素盞鳴尊と同神とされる牛頭天王が勧請され、やがて同神とかかわる蘇民社も祀られたものでありましょうか。
蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布し(領布初祭十二月十六日)、近郊それを受けて注連縄(しめなわ)に吊し、今に至っています。
なお牛頭天王の縁起を書いた元和六年(一六二〇)銘の儀軌が、当会所に蔵されています。また境内に樹齢二〇〇〇年といわれる大楠(県指定天 然記念物)もあります。
現地案内板より
【由 緒 (History)】
松下社 御由緒
二見を訪れた倭姫命御一行が船を泊められたことから、御船社ともよばれています。松下地区の氏神さんですが、贄海神事など神宮とも関係深いお社です。
御祭神
素盞嗚尊・菅原道真・不詳一座https://www.jinja-net.jp/matusita-sha/index.htmlより
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・蘇民祠
《主》蘇民将来(そみんしょうらい)
・八幡さん
・松下社の大クス
松下社の大クス
県指定文化財
松下 松下社 昭和十二年十二月十日
松下社宮域内の南東部にあり、昭和十二年(1937)十二月十日に三重県の天然記念物に指定されている。主幹は五メートル位を残して枯損し下部は空洞化しているが、樹幹基部の周辺から枝幹が張り出して堂々たる景観を保っている。
樹齢は二〇〇〇年とも言われているが、その風格は幽遠な蘇民の伝説を秘めた神社によく適応し、より一層の荘厳さを漂わせている。
案内板より
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
松下社は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)の旧鎮座地と伝わります
神前神社 現在の再建の地は
・神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
神前神社(こうざきじんじゃ)〈御同座 許母利神社(こもりじんじゃ)・荒前神社(あらさきじんじゃ)〉は 3社ともに『皇太神宮儀式帳(804年)』に所載の古社 中世頽廃し廃絶の後 寬文三年(1663)松下村の北方海岸の山麓「カリヤノ森」再興〈儀式帳所載の舊地ではない〉其の後 高浪により山上に移転 さらに明治40年(1907)に現在地に移轉され2社が御同座したものです
神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 許母利神社・荒前神社〈内宮末社〉)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 神前神社
[ふ り が な ](かむさきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kamusaki no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
゛神前神社゛は『延喜式神名帳(927 AD.)』には 五か所の所載があります
『延喜式神名帳(927 AD.)』には ゛神前神社゛と所載される神社が 5か所〈和泉國に1か所・伊勢國に2か所・近江國に1か所・〉あります 各々の論社について紹介します
①和泉國 日根郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・脇浜戎大社(貝塚市脇浜)
〈高靇神社に合祀されている神前神社〉
②伊勢國 度會郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
神前神社(こうざきじんじゃ)〈御同座 許母利神社(こもりじんじゃ)・荒前神社(あらさきじんじゃ)〉は 3社ともに『皇太神宮儀式帳(804年)』に所載の古社 中世頽廃し廃絶の後 寬文三年(1663)松下村の北方海岸の山麓「カリヤノ森」再興〈儀式帳所載の舊地ではない〉其の後 高浪により山上に移転 さらに明治40年(1907)に現在地に移轉され2社が御同座したものです
神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 許母利神社・荒前神社〈内宮末社〉)
・松下社(伊勢市二見町松下)
〈神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉の旧鎮座地〉
松下社(まつしたやしろ)は 倭姫命御一行が二見を訪れ 船を泊められたことから 御船社とも云うとの伝承を持つ古社 現在の神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉の旧地とも伝わる為 延喜式内社 伊勢國 度會郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)の旧鎮座地とされます
松下社(伊勢市二見町松下)
③伊勢國 三重郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・神前神社(四日市市高角町)
④近江國 伊香郡 神前神社(かんさきの かみのやしろ)
・神前神社(長浜市木之本町石道)
神前神社(かみさきじんじゃ)は 白鳳三年(663)役小角が神前大神を崇敬し 神亀元年(724)行基が ゛高尾寺゛を一宇建立するも焼失 延暦15年(796)最澄が行基の聖蹟をたどり 祠(神前神社の旧跡)の御前で゛杉の枝゛を玉串として地面に挿した この゛神前杉゛は「逆さの杉」と呼ばれる大木に成長し 現在も毎年4月29日 神前神社の氏子は参拝し 神前杉に御幣を捧げます
神前神社(長浜市木之本町石道)
⑤讃岐國 寒川郡 神前神社(かんさきの かみのやしろ)
・神前神社(さぬき市寒川町神前山崎)
・春日神社(さぬき市寒川町神前石井)
・男山神社(さぬき市寒川町神前寺尾)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 松下駅から北上 約600m 車3分程度
R42号沿いに鎮座します
神明造の木製 鳥居が建ち 社号標には゛松下社゛(まつしたやしろ)と刻字されています
松下社(伊勢市二見町松下)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり抜けます
すぐ左手には 蘇民将来(そみんしょうらい)を祀る゛蘇民祠゛があり 賽銭を納め お祈りをします
さらに進むと 神明鳥居 拝殿 正殿が祀られている松下社となります
一礼をして 神明鳥居をくぐり 拝殿に進みます
神明鳥居をくぐりながら ふと見ると 鳥居の先の石垣の両側に 枯れてはいますが゛束ねた榊゛が置れています
こうした風習があるのでしょう
拝殿にすすみ 賽銭を納め お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿は 南向き 御殿地には 白玉石が敷き詰められています
社殿に一礼をして 蘇民祠にも一礼 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 神前神社について 所在は 宇治郷松下村北神崎に在す〈現 神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
式外社 許母利神社について 所在は 松下村神前社西南高山上に在す
式外社 荒前神社について 所在は 旧地が廃亡して不明であると記しています
【抜粋意訳】
神前神社
神前は加牟佐岐と訓べし
〇祭神 荒前比賣命
〇宇治郷松下村北神崎に在す、神名略記、
〇式四、伊勢大神宮 大神宮所攝 二十四座の第十五に載す、
〇倭姫世紀云、又荒崎姫参相、國名問給、白久 ,皇太神御前荒崎止白支、恐 志止 詔、神前社定給、』
儀式帳云、稱に國生神 兒 荒前比賣命、形石坐、倭姫内親王定祝、類社
和泉國日根郡 神前神社の條見合すべし〇附録 式外社 大神宮別宮攝社 許母利神社
祭神 栗烏神御玉
〇宇治郷松下村神前社西南高山上に在す、神名略記、
〇儀式帳云、粟島神御玉、形無
連胤云、粟鳥神とあるは、疑ふちくは伊佐波神なるべし、紀伊國加太神には非ざるべき、
〇附録 式外社 大神宮別宮攝社 荒前神社
祭神 荒前比賣命
〇今廉亡す、舊地詳ならず、神名略記、
〇儀式帳云 ,國生神兒、荒前比賣命・形石坐、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 神前神社について 所在は宇治郷松下村北神崎に在す〈現 神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉だが 現在地は旧跡ではない と記しています
【抜粋意訳】
神前〈カムサキノ〉神社
今 宇治郷松下村阿波良伎の神崎にあり、神名秘書、神名帳考証、延暦儀式帳、
〇按 伊勢式社検録云、本村 産神 天王祠 儀式帳に四至に符へれば、遺存と云へし、今の地は 神崎の名に泥みれるにて、舊址にあらず、國生神の兒 荒前此賣命を祭る ,形石に坐す、倭姫命定祝奉る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
毎年六月十五日、祝部神崎に至て、太神の御贄荒蠣を執て供奉る、之を御贄神事と云、伊勢年中行事
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 神前神社について 所在は度會郷二見町大字松下〈現 神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉
寛文三年に再興された地は 贄海神事(にえうみのしんじ)の斎場であり 旧跡ではない 旧鎮座地は 松下村の産神〈現 松下社(伊勢市二見町松下)〉である と記しています
【抜粋意訳】
神前神社
祭神 荒前比賣命 (國生神 兒)
祭日 同上
社格 内宮所攝廿四所之一 (内宮攝社 )所在 三重縣宇治郷村下村神前(度會郷二見町大字松下)
今按に 檢錄に寛文三年 今の地に造立す 其地は贄海神事の祭場にて 舊地には非ず 松下村の産神その舊社ならむ四至 儀式帳に合へりと云へり
【原文参照】
松下社(伊勢市二見町松下)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について