葛見神社(くずみじんじゃ)は 葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公〈伊東家次・・・伊東家の祖〉が社殿を造営し 守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀して 伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました 境内の大クスは 樹齢約千年 目通り20mに及び全国でも有数な老樟として有名です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
葛見神社(Kuzumi Shrine)
(くずみじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県伊東市馬場町1-16-40
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》葛見神(Kuzumi no kami)
倉稲魂命(Ukano mitama no mikoto)
《合》大山祇命(Oyamatsumi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
伊東家守護神 大樟 葛見神社
【祭神】
葛見神(不詳)・倉稲魂命(稲荷神)・大山祇神【由緒】
全国屈指の老樟が、千古の緑を湛えて聳える、当葛見神社は、今から約千九十年昔の延長5年(927年)に制定の、延喜式神名帳に記載された、久豆弥神社に当てられる古社であります。
往昔、伊豆の北東部を葛見の庄と称し、当神社はこの庄名を負い、凡そ九百年の昔、葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公(伊東家次・・・伊東家の祖)が社殿を造営し、守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀してから、伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました。
このことは、元禄10年(1697年)の棟札に「葛見大社 岡村稲荷者藤原朝臣鎌足十六代後胤(こういん)工藤大夫祐高之修造也」と記されていたり、慶長15年(1610年)の棟札に、藤原氏 伊東正世公 伊東郷住人 鈴木近江守仰面消失後造立」ということからも判明いたします。
明治までは、代々の領主から供米が献じられ、また岡明神とも称された地方民の氏神として信仰されてきました。
このような由緒から、明治6年4月、新制度により、旧伊東、小室村の唯一郷社に列格されました。
近世も、伊東在住の昭和初期の首相 若槻礼次郎氏の崇敬を受け、氏は老樟を讃える石碑を寄進しました。【大樟】
神社の大樟は、樹周20m、樹齢千年以上と言われ、伊東に在住だった本多静六林学博士の著書「大日本老樹名木誌」によれば、全国第二の老樟とされ、昭和8年2月文部大臣より国の天然記念物に指定されました。【祭礼】
平成15年から、氏子の要望により、10月14日~15日より10月三連休の土日に変更になりました。
祭礼に奉納される郷土芸能は、「神楽」(獅子舞)、「三番叟」、「鳥刺」、「才蔵」等ありましたが、現在は神楽だけになりました。境内案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・大クスの根元の石祠《主》疱瘡神
江戸時代に祀られたもの 樟の樹皮が疱瘡の瘡蓋に似ていることから疱瘡の神として祀られたもの
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っていま
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 久豆弥神社
[ふ り が な ](くつみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kutsumi no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社について
・葛見神社(伊東市馬場町)
葛見神社(くずみじんじゃ)は 葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公〈伊東家次・・・伊東家の祖〉が社殿を造営し 守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀して 伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました 境内の大クスは 樹齢約千年 目通り20mに及び全国でも有数な老樟として有名です
葛見神社(伊東市馬場町)
・湯前神社(熱海市上宿町)
湯前神社(ゆぜんじんじゃ)は 熱海温泉の守り神として 少彦名命が祀られる 式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社です 創建は 今から1200年程前 天平勝寶元年(749)と伝わり 伝説では その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を 高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりと伝わります
湯前神社(熱海市上宿町)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊東駅から 県道12号経由 東南へ約1.8km 車5分程度
伊東大川の岡橋を渡り 真っ直ぐに進むと 玉垣に囲まれた境内地に突き当ります
木製の鳥居と 社号標「郷社 葛見神社」とあります
葛見神社(Kuzumi Shrine)に参着
一礼をして 鳥居をくぐると 見た目よりも広い境内地で 正面の一段高い檀に社殿が建ち その手前に右手に手水舎があり 清めます
拝殿にすすみます 扁額には「葛見神社」 と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿には 葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公(伊東家次・・・伊東家の祖)が社殿を造営し 守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀しているので
「正一位 稲荷大明神」の旗が並び立ちます
この社殿の向かって左手には国指定天然記念物「大クス」が存在感を放っています
説明書きによると
国指定天然記念物
葛見神社の大クス樟(クスノキ)は、関東以南の暖地、とくに海岸に多く自生しています。
全体に佳香があり、葉は長楕円形で先端がとがり、5月頃黄白色の小花を
つけ黒色小形の果実を結びます。
材は堅く、特殊の香気があり樟脳および樟脳油を作り建築材、船材として
用います。
樹齢約千年、目通り20mに及び全国でも有数な老樟として有名です。
指定 昭和8年2月28日 伊東市教育委員会
あまりに大きいので かなり後ろから撮影してみます
見事な大楠に見とれてしまい 根元の疱瘡神社にお詣りをするのを忘れかけ 慌てて 賽銭を入れ お詣りをします
いつまでも大楠に見とれていましたが とうとう参道を戻り 鳥居をくぐり 一礼をします こちらも銀杏の紅葉が見事です
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
当社を式内社「久豆彌(クツミノ)神社」と擬している書物がある『豆州志稿』『神社覈録』及び『大日本地名辞典』である と糾弾しています
【意訳】
静岡縣 伊豆國 田方郡 伊東村 大字 岡字 宮ノ上
郷社 葛見(クズミノ)神社
祭神 不詳
相殿 倉稲魂(ウカノミタマノ)神旧と久須美神社とも 久寤(クサメ)大社とも 葛見大社とも称せり
創建年代 詳らかならず古来 領主 伊東家の崇敬社にして 世々領主より 毎年 供米を寄進せりと
慶長15年の棟札を蔵す 慶長の棟札に云う
「藤原氏 伊東正世公 伊東郷住人 鈴木近江守に仰面 焼失後造立」
又 元禄の棟札に云う
「葛見大社 岡村稲荷者 藤原朝臣鎌足大臣16代後胤 工藤大夫佑高公の修造なり」と
明治の初 社号を今の号に改め 同6年4月郷社に列せられる社殿は 本殿 拝殿 その他 應舎 拝殿等を具備し 境内は946坪あり
祠傍 古樟樹 圓五丈余のものありと当社を以って 式の久豆弥神社に擬するものあり 即ち豆州志 神社覈録 及び 大日本地名辞典とす 然るに豆州志稿 及び 特選神名牒は 熱海村 湯前神社なるべきかと云えるが 豆州式社考案に至り 熱海村湯前と断定し 当社を久豆弥神社に充てたるに付て右の説をなせり
「その説の起これるや 伊東氏同所に住居の頃は 郷中第一繁栄なるを以って 同所を宗と久豆弥と称し その所の神社(今の葛見神社)を以って 終いに久豆弥神社と呼ぶこととなりしなるべし」境内社 八幡神社 伊勢神明宮 春日社 三島神社 白山神社 熊野神社 疱瘡神社
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』
式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の伝承について
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
式内社「久豆彌(クツミノ)神社」の所在について 岡村〈現 葛見神社(伊東市馬場町)〉と記しています
【意訳】
久豆彌神社 岡村
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
熱海の大湯の西にある来宮神社である と記しています
【意訳】
久豆弥(クツミ)神社
〇今曰く 木宮明神在 熱海大湯の西
和抄 直見多見 今の熱海呼
〇越前国 久豆弥神社 丹後国 木積神社
志 元禄10年の棟札に葛見大社 岡村稲荷云々 賀茂郡岡村にあり
〇信友云う 和名抄 田方郡 久寝(クスミ)の書入と見合うべし
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在は 岡村〈現 葛見神社(伊東市馬場町)〉と記しています
【意訳】
久豆彌神社
久豆彌は 仮字なり
〇祭神 詳らかならず
〇久寝郷岡村に在す 今 賀茂郡に属す
伊豆志に 元禄10年の棟札に 葛見大社 岡村稲荷云々と云えり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社「久豆彌(クツミノ)神社」の所在について 諸説あるが 熱海村 温泉明神〈現 湯前神社(熱海市上宿町)〉と定めるのが妥当であると記しています
【意訳】
久豆彌(クツミノ)神社
祭神
祭日
社格
所在
今按〈今考えるに〉
当社 所在未詳
豆志に 久豆彌神社 賀茂郡岡村 元禄10年 上梁文に葛見大社 岡村稲荷 者 藤原朝臣鎌足大臣16代後胤 工藤大夫佑高公の修造なり とみゆ されど葛見大社と有のみにて他に証なければ定め難し
神名帳考証に 木宮明神 在に熱海大湯の西云々 或いは云う 五十猛命と称す 又 熱海村温泉明神なるべし
豆志に云う 伊豆峰記に湯前権現とす
熱海温泉記に云う 天平勝寶元年6月 神小童に託して 温泉を汲取りてこれに浴せば能衆疾を治せんと教え給いぬ 里人因って祠を建て 少彦名命を祀ると 永正18年 上梁文に熱海郷 湯瓦原村 湯宮禰宜 四郎太夫家吉 その外官位人6人と記すとあり
伊豆國風土記に曰稽温泉 玄古天孫未降なり 大己貴尊 少彦名命 我秋津洲 民が夭折(わかしに)することを憫(あわれ)み禁薬(くすり)と温泉の術を制めたまいき 伊津神湯 又 敷而して箱根之元湯これなり 走湯者不然養老年中開基 非尋常出湯 一昼夕二度 山岸屈中火焔隆発 而して出温泉 甚だ烈鈍沸湯以って 桶盛湯 浸す身 諸病治癒とみゆ これによる温泉記の説は旧よりかかる伝えの残るを取り合わせて 天平勝寶とは云いしが 又 社を建てしは この時にや 久豆彌(クツミノ)の地名も この神を祀りしより出たるにて 奇霊(クスビ)ノ神の義ならんとみえ
又 一説に八幡村木宮明神なるべしと云えり この社は豆志に云う一祠両扉なり 大見16村の総鎮守と称す云々とあり 旧く田方郡にして葛見庄とも云いたれば これならん歟 尚よく考べしと云えるが 中に就いて熱海村 温泉明神 所由ありて聞こえれば こり社と定めるべきに似たり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
式内社「久豆彌(クツミノ)神社」の所在として 三社〈・葛見神社(伊東市馬場町)・湯前神社(熱海市上宿町)・熱海 來宮神社(熱海市西山町)〉あるが 定めがたいと記しています
【意訳】
久豆彌(くずみの)神社
所在未定
賀茂郡 岡村鎮座 葛見(くずみ)神社 国圓豆志考證及び注進の一説
同 郡 熱海村 熱海(あたみ)の湯の明神 神階帳 今称す 湯前神社 考証及び注進の一説特選
同 群 八幡村 来宮(きのみや)社 考證及び注進の一説續攷三社の内 いづれならむ確定めがたしにて 来宮神社は神階帳の多の明神 多の字の下見を脱したるにて多見の明神なるべくゆ八幡村は即ち 大見に属す
ならむの能く攷へまほしき事にこそ
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』
葛見神社(Kuzumi Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について