草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は 豊受⼤神宮(外宮)の第一摂社であり その祭神は・神名祕書に草薙劔・類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)とあります 中世に頽廃しましたが 正保二年(1645)に現在地に再興されています 延喜式内社 伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
草奈伎神社(Kusanagi shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市常磐一丁目5番
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』〈昭和3年(1928)〉に記される内容
【抜粋意訳】
豊受大神宮攝社 草奈伎神社
鎭座地 宇治山田市大字常磐町
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
烏 居 神明造・・・壹其草奈伎(クサナギ)神社は 止由氣太神宮儀式帳所載 造宮使造替三社中の一にして、延喜大神宮式及び神名式に載す。
其の祭神は神名祕書に草薙劔となし、類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)となす。
度會氏延喜本系帳及び豊受大神宮禰宜補任次第に、垂仁天皇の卸宇 度會氏の遠祖 大若子命勅命を奉じ標劔を賜はりて越國の兇賊阿彦を平げ、大幡主命の名を賜へること見ゆ。
本社は卽ち其の標劔の御霊を奉祀する所にして、彼の日本武尊が草薙劔の霊威によりて東夷を平定せられしに擬して、後世社號を草奈伎神社と稱せるならんか。かかる由緒ある御社なれば尊崇從て厚く、月夜見神社御昇格の後は 豊受大神宮攝社の首班として、各祭典とも必ず職員を派して奉仕せしめらるること皇大神宮に於ける朝熊神社に同じ。
頭工引付に應永廿六年(1419)正月 月夜見宮の御炎上により草奈伎神社へ御遷座のこと見えたれば、其の頃までは本社猶嚴然として存在せしこと明かなれど、其の後殿舎頽廃して社地湮晦しなりしを、正保二年時の豊受大神宮ー禰宜 度會常晨之を再興せること、中西信慶の神宮引付考及び喜早清在の倭姫命世記講述抄に見えたり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神都之栞』〈昭和3年(1928)〉に記される内容
【抜粋意訳】
〇大間國生神社(オホマクナリノジンジャ)、
草奈伎神社(クサナギノジンジャ)共に山田上口驛の附近に在り、豊受大神宮 攝社の首班にして、大間國生社は、神國造兼大神主 大若子命 並に其の弟にして、同職を継げる乙若子命を祭る、
草奈伎社は、垂仁天皇の御代、越の國に凶賊発起し、大若子命勅令を承けて討平せし時、下し賜はりし標の劔を鎭め祭る、草奈伎の號は、 日本武尊の實劍に比へて、後人の稱せしものなりといふ。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・大間国生神社と草奈伎神社は 同じ社地に鎮座します
・草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は 豊受⼤神宮(外宮)の第一摂社であり その祭神は・神名祕書に草薙劔・類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)とあります 中世に頽廃しましたが 正保二年(1645)に現在地に再興されています 延喜式内社 伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)です
草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
・大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
大間國生神社(おおまくなりじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)です 『倭姫命世記』に゛雄略天皇二十二年(478)の條に大若子(オホワカゴ)命の社を定む 大間社是なり゛とあります 中世に廃絶し 江戸時代に現在地に祀られました 玉垣内には 正殿が二殿〈大間社(祭神・大若子命)國生社(祭神・乙若子命)〉あります
大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
豊受大神宮(外宮)の摂社です
・豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社 右諸社,並預祈年、神嘗祭。以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 草奈伎神社
[ふ り が な ](くさなきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kusanaki no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・内宮・外宮の別宮・摂社・末社について
・お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
延喜式内社 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)の類社について
伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)
・草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は 豊受⼤神宮(外宮)の第一摂社であり その祭神は・神名祕書に草薙劔・類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)とあります 中世に頽廃しましたが 正保二年(1645)に現在地に再興されています 延喜式内社 伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)です
草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
駿河國 有度郡 草薙神社(くさなきの かみのやしろ)
・古宮(静岡市清水区草薙)
〈草薙神社 創建の地〉
古宮(ふるみや)は 第12代 景行天皇が 日本武尊を偲び 草を薙ぎ払った゛天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)゛を御霊代として草薙剣(くさなぎのつるぎ)呼び この地に社を建てた草薙神社 創建の地です 故にこの辺りを天皇原(てんのうばら)と云い その後現座地に遷座したと伝わります
古宮(静岡市清水区草薙)〈草薙神社 創建の地〉
・草薙神社(静岡市清水区草薙)
草薙神社(くさなぎじんじゃ)は 日本武尊が天叢雲の剣で草を薙ぎ払い野火を止めた草薙剣(くさなぎのつるぎ)〈三種の神器〉故事ゆかりの地です 社伝によれば 景行天皇が天皇53年(123)当地に日本武尊の霊を奉斎〈御神体として草薙剣を奉納〉したのが創建と云う この草薙剣は 朱鳥元年(686)天武天皇の勅命により熱田神宮に移されたとも伝えています
草薙神社(静岡市清水区草薙)
駿河國 蘆原郡 久佐奈岐神社(くさなきの かみのやしろ)
・久佐奈岐神社(静岡市清水区山切)
久佐奈岐神社(くさなぎじんじゃ)は 日本武尊が東征の途中この地に本宮を設けた旧蹟の地と云い 功績のあった副将軍の吉備武彦命が 後に廬原の国を賜った時に この地に尊を祀り社殿を造営 創祀した 又 日本武尊の東征に随伴の九万八千の諸神を祭祀奉る所として゛九萬八千社゛とも云い 古くは九万八千の幣帛を奉り 昭和までは九十八本の幣帛を奉っていたと社傳に云う
久佐奈岐神社(静岡市清水区山切)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 山田上口駅から南へ約160m 徒歩2分程度
鎮守の杜は 住宅地の中に木々に囲まれた境内があり 社頭入り口は 境内の南東にあります
大間國生神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉の社頭に参着
境内には 豊受大神宮(外宮)摂社が二つ鎮座します
一つが゛草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)゛
一つが゛大間國生神社(おおまくなりじんじゃ)゛です
ですので 社号の石柱にも
゛草奈伎神社・大間國生神社 社域゛と刻字があります
一礼をして 境内に入ると
その先の境内には 二つの神社
向かって右が゛大間國生神社(おおまくなりじんじゃ)゛
向かって左が゛草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)゛
参道の中央には石積みがあります
この石積みは 蕃塀(ばんぺい)のようなものなのでしょうか?
〈蕃塀とは 神社の参道上にある塀で 社殿を直視できないようにするため あるいは不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます〉
それとも 蕃塀ではなく 上には玉砂利が敷かれているので 何か神事に関係するのでしょうか?
さらに向かって左 草奈伎神社に進みます
草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉に参着
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待つ〉
右手奥に見えるのが 大間國生神社です
大間國生神社の詳細は
・大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
大間國生神社(おおまくなりじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)です 『倭姫命世記』に゛雄略天皇二十二年(478)の條に大若子(オホワカゴ)命の社を定む 大間社是なり゛とあります 中世に廃絶し 江戸時代に現在地に祀られました 玉垣内には 正殿が二殿〈大間社(祭神・大若子命)國生社(祭神・乙若子命)〉あります
大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 草名伎神社について 所在は沼木郷山田村大間社地内に在す〈現 草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
旧跡は不祥なので 大間社地内に建てているとも記しています
【抜粋意訳】
草名伎神社
草名伎は久佐奈岐と訓べし
○祭神詳ならず
○沼木郷山田村大間社地内に在す
○式四、伊勢大神宮 度會宮所摂十六座の第二に載す、
○神名略記云、垂仁天皇御賜之標劔仗、後世因に日本武尊之故事、以に草薙為名乎、舊趾不詳、今建に大間社地内西、類社
駿河國 有度郡 草薙神社、同国 蘆原郡 久佐奈岐神社、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 草名伎神社について 所在は沼木郷山田大間社の西にあり〈現 草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
草奈伎(クサナギノ)神社
昔 沼木郷山田大間社の西にあり、神名秘書、神祇本源、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神甞の祭に預る、
凡 本社及び月夜見、御食、田上、髙河原、大間國生社、並びに度會宮 所攝十六座の神也、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 草名伎神社について 所在は宇治山田市大字常磐町〈現 草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
草奈伎神社
祭神
祭日 六月九月十二月並十八日社格 外宮所攝十五所之ー
所在 三重縣沼木郷山田大間廣大間社域西(宇治山田市大字常磐町)
【原文参照】
草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について