国坂神社(くにさかじんじゃ)は 『続日本後記AD.837』に伯耆国での最も古い神階授与の記録〈伯耆神〈現 波々伎神社〉・大山神〈現 大神山神社〉と同時〉があります これは大和朝廷が 地方豪族を中央の統制下に置く神祇統政策として重要視をした神社であったことを示しています 以後 四宮大明神と称し 明治時代に「郷社」に列せられ 國坂神社(四宮さん)と呼ばれて今日に至ります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
國坂神社(Kunisaka shrine)
[通称名(Common name)]
四宮さん(しのみやさん)
【鎮座地 (Location) 】
鳥取県東伯郡北栄町国坂388
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》少彦名尊(すくなひこなのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・病難排除、健康長寿、医薬振興、酒造繁栄、国土平安、諸産業興産、縁結、安産・育児守護
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 伯耆国四宮
【創 建 (Beginning of history)】
國坂神社
創建837年以前
一.祭 神 少彦名神
一.例祭日 10月15日
平安時代中期に集成された「延喜式(えんぎしき)」の神名帳(じんみょうちょう)、延長5(927)年の、伯耆六座の四番目に、「久米郡國坂神」と記載されている式内社で、古い記録をたどってみると、次のように神階を授与されている。
承和(じょうわ)4(837)年
従五位下 (続日本後記(しょくにほんこうき)・國坂神)
斎衡(さいこう)3(856)年
正五位下 (文徳実録(もんとくじつろく)・國坂神)
貞観(じょうがん)9(867)年
正五位上 (三代実録(さんだいじつろく)・訓坂神)
この神階授与は伯耆国では、伯耆神(現 波々伎神社)・大山神(現 大神山神社)とともに最も古い。このことは、地方豪族を中央の統制下に置くための神祇統制策として当地方て最重要視された神社であるといえよう。
以後、四宮大明神と称し、この神社を奉護する領主や地方の人々に敬われてきた。そして、明治時代に「郷社」に列せられ、國坂神社(四宮さん)と呼ばれて今日に至つた。
なお、國坂神社社叢は平成12年1月北条町指定保護文化財に指定されている。
北栄町教育委員会 平成12年12月現地案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
祭神 少彦名神。
例祭10月15日。
律令国家時代の最後の法典「延喜式」の神名帳に伯耆6座の4番目に「久米郡国坂神」と記載されている式内社で古い記録に次のように神階を授与されている。
承和4年(837)従五位下(続日本後記)。
斉衡3年(856)正五位下(文徳実録)。
貞観9年(867)正五位上(三代実録)。
この神階授与は因幡、伯耆両国を通して伯耆神(現波々木神社)大山神(現大神山神社)と共に最も古く神祇統制の面からも当地方で最重要視された神社であるといえる。
古来 四宮大明神と尊称されてきたが 明治維新の際 國坂神社と改められ郷社に列せられて今日に至っている。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・荒神社《主》素盞嗚尊
・八幡社《主》武内宿禰命
・秋葉社《主》火之迦具土神
・石段下 左右鎮座 門守社《主》隋神
・齋霊塔《主》護国の英霊 &手水舎
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伯耆国 6座(小6座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)久米郡 2座(小2座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 國坂神社
[ふ り が な ](くにさかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kunisaka no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
國坂神社のスダジイ
石段の下 左右に隋神社が祀られています その右横に御神木 注連縄の廻されているスダジイの大木があります 二股に分かれてに見えますが 左に1本 右には2~3本の株立
國坂神社社叢
北栄町指定保護文化財第15号
國坂神社社叢
國坂神社境内には、有史以前より茶臼山に繁茂指定いた暖地性のスダジイ、カクレミノの群落が見られる。これらは西日本、四国、九州の沿岸地に広く分布する典型的な照葉樹林の社叢である。また、特に神社正面右側のスダジイ3本、左側のタブノキなどは承和4年(837)以前から、既に存在していたものとも推定され、その歴史の深さを実感させる。
さらに、モミ、タブノキ、クロマツの巨木が混交するこれらの森は、地域住民によって大切に守られてきた貴い遺産である。社叢の裏に広がるスダジイの純林は樹齢としては若いものの、樹勢とその広がりは、町民が将来にわたり緑の大切さを学ぶに価する自然である。
環境問題が問われる今、本社社叢はきわめて学術的価値が高いものである。
平成13年12月
北栄町教育委員会現地案内板より
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
R9号の海側にある北条砂丘風力発電所から 南へ400m程
茶臼山の北麓に鎮座します
國坂神社(北栄町国坂)に参着
社頭には社号標に「式内社 國坂神社」と刻字されて 神門が構えています
一礼をして 注連縄のかかる神門をくぐり境内に進みます
古い文献によると 石段の手前には隋神門が建てられていたようですが 現在は随神社が祀られています その横に御神木のスダジイ
ここまで参道は 東へと伸びていますが 社殿は東南向きで ここで向きを変えています
出雲式の構え狛犬が 構えています
狛犬から2m程で玉垣が廻される神域になります その右手前に古木の株から枝が吹いて趣を出しています
石段を5段上ると神域 入母屋造 唐破風向拝の拝殿が建ち 扁額には「國坂神社」と記されます
拝殿にすすみます
彫刻は 向拝虹梁上に龍 蟇股に松と鷹 唐破風懸魚に瑞雲
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 幣殿 瑞垣と二重透き塀に囲まれて大社造の本殿
祀られている境内社にお参りをします
社殿に一礼をして 参道を戻ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『続日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
神階の奉授が記されます
【意訳】
承和4年(837)2月甲午朔 戊戌(5日)の条
伯耆国(ホウキノクニ)川村郡(カワムラノコオリ)
无〈無〉位
伯耆神〈現 波々伎神社〉・大山神〈現 大神山神社〉・国坂神〈現 國坂神社〉及び
對馬嶋(ツシマノシマ)の上縣郡(カミツアガタ)の
无〈無〉位
和多都美神(ワタツミノカミ)・胡簶御子神(ヤナクイノミコノカミ)下縣郡(シモツアガタ)の
无〈無〉位
高御魂住吉神(タカミムスミスミヨシノカミ)・和多都美神(ワタツミノカミ)・多久都神(タクツノカミ)・大調神(ヲオツキノカミ)
並びに 奉(たてまつ)り 従5位下 を授(サズ)く
【原文参照】
『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
神階の奉授が記されます
【意訳】
斉衡3年(856)8月乙亥(5日)条
伯耆国(はうきのくに)
伯耆神〈現 波々伎神社〉・大山神〈現 大神山神社〉・国坂神〈現 國坂神社〉
並び加わに 正五位下を倭文神・宗形神・大帯孫神 並びに従五位上を
【原文参照】
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
国坂神ではなく 訓坂(くにさかの)神と 記されています
【意訳】
貞観9年(867)4月8日丁丑 条
潅に佛す 於いて仁壽殿に
出雲國
従二位勲七等 熊野神〈現 熊野大社〉
従二位勲八等 杵築神〈現 出雲大社〉
並びに授くに 正二位を
正五位下 佐陀神〈現 佐陀神社〉に 正五位上伯耆国
正五位下 伯耆神〈現 波々伎神社〉・訓坂神〈現 國坂神社〉・大山神〈現 大神山神社〉
並びに 正五位上
正六位上 湊神 加茂神 並びに従五位下備後國
従五位上 甘南備神 高諸神 並びに正五位下
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
【意訳】
國坂神社
國坂は久爾佐加と訓べし
〇國坂村に在す 今 四宮明神と称す
承和4(837)年・國坂神 従五位下(続日本後記)
斎衡3(856)年・國坂神 正五位下(文徳実録)
貞観9(867)年・訓坂神 正五位上(三代実録)
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
祭神は 大穴牟遅神 少名彦那神 事代主神の三柱を挙げています
【意訳】
國坂神社
祭神
大穴牟遅神
少名彦那神
事代主神神位
承和4(837)年・國坂神 従五位下(続日本後記)
斎衡3(856)年・國坂神 正五位下(文徳実録)
貞観9(867)年・訓坂神 正五位上(三代実録)祭日 九月九日
社格 郷社
所在 國坂村 國坂山
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【意訳】
鳥取縣 伯耆國 東伯郡 中北條村 大字 國坂 字 宮ノ前
郷社 國坂(くにさかの)神社
祭神 少彦名(すくなひこなの)神
創立年代詳らかならずと雖(いえど)も
承和4(837)年・國坂神 従五位下(続日本後記)
斎衡3(856)年・國坂神 正五位下(文徳実録)
貞観9(867)年・訓坂神 正五位上(三代実録)醍醐天皇の延喜の制 式内小社に列せられ給い
又 朝野群載に白河天皇 承暦四年六月 御國坂神の祭を穢せる祟あるを以って 社司に中祓を科せらるること見ゆ古来 由緒正しき神社たるにより 往時は四宮大明神と称し 地方崇敬の厚き神社たり
本社の式内社たるに就いては 各書とも異説あるを聞かず当社 東方に一百六献 溜池あり 御手洗池と称す この池 河骨(こうほね)蓴菜(じゅんさい)を産す 採取して治療に充つ 云く これ少名彦神の神徳顕著たるに因ると云う 明治維新の後 郷社に列す
社殿は本殿 拝殿 幣殿 神楽庫(兼 参籠所)隋神門等を具備し 境内は千百六十八坪あり 老松 古杉 森をなして 遂に白砂青松を隔てて日本海を望み 風景佳なり
【原文参照】
國坂神社(北栄町国坂)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伯耆国(ほうきのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 伯耆国には 6座(小6座)の神々が坐します 現在の論社について掲載します
伯耆國(ほうきのくに)の 式内社 6座(並小)について