國常神社(くにのとこじんじや)は 北辰信仰の妙見宮(みょうけんぐう)とも呼ばれ 国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀ります この地は 式内社 倭文神社〈鮭の宮〉(ここから500m程の 円山川の下流)の旧鎮座地 円山字鹽谷であると伝わります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
國常神社(Kuninotoko shrine)
【通称名(Common name)】
・妙見宮(みょうけんぐう)
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県朝来市生野町円山541
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》国常立尊(くにのとこたちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)の旧鎮座地 円山字鹽谷に鎮座します
(倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山))由緒
創立年月不詳にして 延喜式の制小社に列し 町内 円山字鹽谷に鎮座し 中古同字下代に遷座せらる 近世 聖儒大明神、倭織大明神、鮭ノ宮とも称したり 正徳3年社殿大破の為め再建し 寛政11年又之を再建せり 明治6年10月村社に列し 同十四年社殿を修造せり。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)の鎮座地
・倭文神社〈鮭の宮〉(兵庫県朝来市)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅5年(712年)創建された 延喜式内社 但馬國 朝來郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)と伝わります 正徳3年(1713年)遷宮の時 偶然下流から鮭が遡上し 村人達は めでたい前兆として喜び〈鮭の宮〉と呼ぶようになったと伝わります
倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)〈延喜式内社論社〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬国 131座(大18座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝来郡 9座(大1座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 倭文神社
[ふ り が な ](しとりの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shitori no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
倭文神社(朝来市生野町円山)が〈鮭の宮〉と呼ばれる所以
参道鳥居の手前 に車道の立派な橋が架かっています この橋の名前は「鮭ノ宮橋」何故なら〈正徳三年(1713)社殿を修造し 遷宮の時 鮭が遡上したことにより 鮭の宮と呼ばれた〉ことに因ります
日本海側の鮭(サケ)の南限と西限
現在 日本海側の『サケの遡上する南限の大河』で有名なのは 由良川ですが 日本海側の遡上河川での 西限は島根県〈正確には山口県以北に分布〉ともされていて 但馬でも円山川や竹野川 矢田川 岸田川といった主要な川に遡上産卵するそうです
ただ 量的には 富山県以北は多いが 但馬では あまり量は多くないようです
この辺りは 円山川の最上流域に該当します
円山川の河口は 日本海の城崎温泉の辺りとなります
倭文神社の辺りの北側 円山川は 山を削り 川筋に平地を造り上げています
上流域ですが 平坦なことに驚きます 海から船での遡上も比較的楽であったでしょう
倭文神社(朝来市生野町円山)の南側は 生野銀山
生野銀山は 平安時代初期の大同2年(807年)の開坑と伝えられる〈詳細は不明〉
天文11年(1542年)但馬国守護大名・山名祐豊により 石見銀山から採掘・精錬技術を導入し 本格的な採掘が始り 戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山です
銀山の辺りの山川は 生野鉱毒水と云われて 汚染されたようです
こちら〈南側〉を流れる川は 市川で河口は 瀬戸内海の姫路になります
倭文神社の辺り〈北側〉は 円山川の最上流域となります
倭文神社の辺りと市川の流れる生野の街までは3km弱です
つまり 倭文神社の鎮座地は 日本海の城崎温泉 から 瀬戸内海の姫路に通じる陸水路の要所でありました
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の13社「倭文神社」と論社について
倭文氏の祖神「天羽雷命(アマハイカヅチノミコト)=建葉槌命」を祀る式内社とされ 各国に13社が記されています それぞれの現在の論社もご紹介します
1.畿内 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社 大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・葛木倭文座天羽雷命神社(奈良県葛城市)
・博西神社(奈良県葛城市)
2.東海道 伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・加佐登神社(三重県鈴鹿市)〈合祀先〉
3.駿河國 富士郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(静岡県富士宮市)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 古代 布織技術を誇った倭文氏が 祖神 健羽雷神(たけはつちのかみ)〈織物の神〉を祀った『延喜式神名帳927 AD.』所載の 駿河国 富士郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされます 又 鎮座地の星山は 星神として君臨して居た香々背男との関連も示唆し 常世国神(とこよのかみ)を奉じて大和朝廷に反した大生部 多(おおうべ の おお)〈不尽河〈富士川〉の辺に住む人〉の伝承にも通じています
倭文神社(富士宮市星山)
4.伊豆國 田方郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(伊豆市大野)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 伊豆市大野にある倭文山の山頂に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社゛倭文神社(しとりの かみのやしろ)゛の論社です 縄文遺跡もあり この地が古くから 渡来文化(機織技術など)で開けていたことを示すものとされています
倭文神社(伊豆市大野)
・鍬戸神社(三島市長伏)
鍬戸神社(くわとじんじゃ)は 江戸期には 鍬手明神と云われていました 同じ境内地の中に 同じく延喜式内社の高橋神社〈東北東向き〉と背中合わせに 鍬戸神社の本殿〈南南東向き〉が並び建てらけて お祀りされています
鍬戸神社(三島市長伏)
・小坂神社(伊豆の国市小坂)に合祀
小坂神社(おさかじんじゃ)は 明治6年(1873) に 地区内各所に祀られていた17の神社が合祀されました その中の一祠は 古来から葛城山の山頂に鎮座し 合祀当時は 山麓の寺に遷されて小祠として祀られていた「葛城神社」〈式内社「倭文神社(しとりの かみのやしろ)」の論社〉です
小坂神社(伊豆の国市)
・聖神社(伊豆市月ヶ瀬)
聖神社(ひじりじんじゃ)は 聖ヶ森に鎮座していた聖宮大明神を明治9年(1876)この社殿に合祀し主神として祀ったものです 最古の上梁文に永正9年(1512)のものがあり 村名に「槻瀬村」とあり 現在の地名『月ヶ瀬』の由来を示す者とされています
聖神社(伊豆市月ヶ瀬)
5.甲斐國 巨麻郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社本宮(山梨県韮崎市)
・倭文神社降宮明神(山梨県韮崎市)
・諏訪大神社(山梨県甲斐市)
6.常陸國 久慈郡 靜神社 名神大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・靜神社(茨城県那珂市)
7.東山道 上野國 那波郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(群馬県伊勢崎市)
倭文神社(しとりじんじゃ)は 第十一代 垂仁天皇の御代の創建と伝えられ 貞観元年(859)には官社に列せられています 上野国九之宮とされる 式内社 倭文神社(しとりの かみのやしろ)です 利根川北岸に鎮座し 南岸に鎮座する式内社 火雷神社(上野国八之宮 下之宮)に対して「上之宮(うえのみや)」と称されます
倭文神社(伊勢崎市東上之宮町)〈上野國九之宮〉
8.山陰道 丹後國 加佐郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(京都府舞鶴市)
9.丹後國 與謝郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(京都府与謝郡与謝野町)
10.但馬國 朝來郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社〈鮭の宮〉(兵庫県朝来市)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅5年(712年)創建された 延喜式内社 但馬國 朝來郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)と伝わります 正徳3年(1713年)遷宮の時 偶然下流から鮭が遡上し 村人達は めでたい前兆として喜び〈鮭の宮〉と呼ぶようになったと伝わります
倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)〈延喜式内社論社〉
・妙見宮〈国常神社〉(兵庫県朝来市)
〈倭文神社〈鮭の宮〉の旧鎮座地 円山字鹽谷に鎮座〉
國常神社(くにのとこじんじや)は 北辰信仰の妙見宮(みょうけんぐう)とも呼ばれ 国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀ります この地は 式内社 倭文神社〈鮭の宮〉(ここから500m程の 円山川の下流)の旧鎮座地 円山字鹽谷であると伝わります
國常神社〈妙見宮〉(朝来市生野町円山)
11.因幡國 高草郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県鳥取市)
12.伯耆國 川村郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県湯梨浜町) 伯耆 一之宮
倭文神社(しとりじんじゃ)は 云い伝えによれば 大国主命の娘神「下照姫命」が 一匹の海亀の導きによって 宇野の海岸に着船し この小高い丘からの眺めに癒され 住居を定め 農業指導や 医薬普及に努めたと云い 人々は敬い 古くから格式高く 伯耆国の一之宮として 湯梨浜町(ゆりはまちょう)に鎮座します 境内には「安産岩」と呼ばれる岩があり 安産の神様としても知られます
倭文神社(湯梨浜町)安産の神として崇敬される伯耆国の一之宮
13.伯耆國 久米郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県倉吉市) 伯耆 三之宮
倭文神社(しとりじんじゃ)は 御祭神の武葉槌神(一説には 経津主神とも)が 出雲の国譲りの際 豊原中国を平定せよとの詔勅により 出雲へ出陣をされます この時 御陣営をかためられたのがこの地で 倭文神社はこの神跡であると伝えられています
倭文神社(倉吉市志津)伯耆国三之宮
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR播但線 生野駅からR312号を北上約2.7km 車5分程度
生野の街並みを抜けていきます
生野が太平洋側の最北端で 妙見宮〈國常神社〉(朝来市生野町円山)が日本海側の最南端になります
円山を越えれば双方への行き来が可能となります
円山川沿いに境内があり 鳥居が建ちます
妙見宮〈国常神社〉(朝来市生野町円山)に参着
鳥居の扁額には 妙見宮 と刻字されています
一礼をして 川に沿って参道を上がり
拝殿にすすみます
拝殿の扁額には 妙見宮 國常神社 と刻字されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥に 幣殿 本殿が覆屋に守られています
社殿に一礼をして参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 倭文神社の所在について 不明と記しています
【抜粋意訳】
倭文神社
倭文は 志圖利と訓べし
祭神 天羽槌雄命
〇在所 詳ならず類社
伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社の條見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 倭文神社の所在について 丸山村鹽田〈現 倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)〉と記しています
【抜粋意訳】
倭文(シトリノ)神社
今、丸山村鹽田にあり、鹽田大明神といふ、神社明細帳、神社道志波倍
盖 建羽槌命を祀る、古語拾遺、延喜式、
凡其の祭 九月二十六日を用ふ
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 倭文神社の所在について 丸山村〈現 倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)〉と記しています
【抜粋意訳】
倭文神社
祭神 建羽槌命 称 鹽田明神
祭日 九月二十六日
社格 村社
所在 丸山村 字鹽田(朝来群生野町大字丸山)
【原文参照】
妙見宮〈国常神社〉(朝来市生野町円山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
但馬国 式内社 131座(大18座・小113座)について に戻る
但馬国(たじまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 但馬国には 式内社 131座(大18座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
但馬國 式内社 131座(大18座・小113座)について