実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

熊野神社(朝来市山東町塩田)〈『延喜式』朝來石部神社〉

熊野神社(くまのじんじゃ)は 創建年代は不祥 幕末~明治時代の神職 宮本池臣(みやもと いけおみ)の説によれば゛瀧田村に山王社と稱するあり 礒部庄に塩田明神と稱するあり 礒部の方よき社地なり何れか式社なりとも分きかたし゛ 延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

熊野神社(Kumano shrine

通称名(Common name)

・〈古称〉新宮權現・塩田明神

【鎮座地 (Location) 

兵庫県朝来市山東町塩田442

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊弉諾命(いざなぎのみこと)

《配》伊弉冊尊(いざなみのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

熊野神社(クマノジンジャ)

由 緒

 創立年月不詳

 寛永7年(1630)6月社殿を再建し、明治6年(1873)10月村社に列せらる

2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6325065.html

【由  (History)】

『朝来志』巻9-11に記される内容

【抜粋意訳】

塩田村

 東は丹波國天田郡に境し 南は粟鹿村に接し 東北は金浦村に交はり 北は大内村に連る 元和四年村髙九十八石四斗一升二合

熊野神社

 村の東北に在り 祭神は伊邪那岐尊、伊邪那美尊、村社なり
社樹老蒼、古色掬(きく)すへし 宮本池臣(みやもと いけおみ)の所謂、塩田明神とは是也、説、瀧田村、石部神社の下に詳なり

今の社殿は寛政七年の再造と云ふ
中世以後、國清寺の鎭守神と稱し寺僧世々之を掌れり

【原文参照】

木村発 編『朝来志』巻9-11,木村発,明36.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765378

【抜粋意訳】

瀧田村

 東は大垣村大内村に境し 西は枚田村に隣り 南は矢名瀬町及ひ大垣村に連り 北は枚田村及ひ東河村に接す 元和四年の村高ー百八十七石一斗九升九合

石部(イソベ)神社

 村社なり村北、石部山の麓に在り 延喜式、朝來石部神社即是也、後世或は山王社と稱す 祭神はー説に大己貴命と云ふ 宮本池臣云ふ 朝來郷和名抄に見えたれど今知れず 樂音寺村より下ノ川を朝來川と云ひ 朝來ノ穢多とも云ふ 「あれは凡そ與布土庄より瀧田、桑原邊をかけての大名(オホナ)なるへし石部郷も和名抄に出て 今磯部庄と云ふ神社は瀧田村に山王社と稱するあり 礒部庄に塩田明神と稱するあり 礒部の方よき社地なり何れか式社なりとも分きかたし

 但馬式社考に云ふ 神名帳考証曰、天日方奇日方(アメヒカタクシヒカタノ)命、姓氏錄云、石邊公(イソノベノキミ)、久斯比賀多(クシヒカタノ)命之後也、舊事紀、亦名 阿田都久志尼(アタツクシネノ)命、按、阿田、朝也、久、來也、但馬伊勢共以に神名為に郡名歟、伊勢國有に朝明郡 石部神社、舊事紀云、事代主(コトシロヌシノ)神之子、按、土人稱に新宮權現 按するに新宮權現は塩田明神なり 然も式既に東河郷に坐すを刀我(トカ)石部神社と稱す 則 朝來石部神社は必ず朝來郷に在るへし 塩田明神は石部郷にして朝來郷にあらず 又 石邊(イソヘノ)は石部(イソベ)と同じからず 池臣詳に之を辨す 刀我石部神社の下に載す

【原文参照】

木村発 編『朝来志』巻9-11,木村発,明36.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765378

木村発 編『朝来志』巻9-11,木村発,明36.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765378

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

熊野神社 本殿〔本殿の横に神輿〕

Please do not reproduce without prior permission.

熊野神社 本殿覆い屋・向かって左に〈境内社〉3社

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・〈本殿向かって左 境内社3社の内2社

Please do not reproduce without prior permission.

本殿向かって左 境内社3社の内1社(稲荷社)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・社殿前の狛犬と榊

Please do not reproduce without prior permission.

・石段

Please do not reproduce without prior permission.

・鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・社頭

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬國 131座(大18座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝来郡 9座(大1座・小8座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 朝來石部神社
[ふ り が な ](あさこのいそへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Asakono isohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

但馬國に鎮座する「いそへのかみのやしろ」」の社号を持つ式内社とその論社について

但馬國 朝来郡 朝來石部神社

・石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)

一緒に読む
石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)〈『延喜式』朝來石部神社〉

石部神社(いしべじんじゃ)は 正しくは磯部神社で別名「鞠の宮」または「山王社」とも云う 滝田村の北 石部山の南麓に鎮座する延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています 石部山の北麓には 同じく式内社の刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)が鎮座しています

続きを見る

・熊野神社(朝来市山東町塩田)

一緒に読む
熊野神社(朝来市山東町塩田)〈『延喜式』朝來石部神社〉

熊野神社(くまのじんじゃ)は 創建年代は不祥 幕末~明治時代の神職 宮本池臣(みやもと いけおみ)の説によれば゛瀧田村に山王社と稱するあり 礒部庄に塩田明神と稱するあり 礒部の方よき社地なり何れか式社なりとも分きかたし゛ 延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています

続きを見る

但馬國 朝来郡 刀我石部神社

・石部神社〈刀我石部神社〉(朝来市和田山町宮)

但馬國 出石郡 石部神社

・石部神社(豊岡市出石町下谷)

『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

一緒に読む
『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています 又『延喜式神名帳』所載の「いそへのかみのやしろ」の社号(いそへ)の読みに充てる字は 「石部」「石邊」「部」「磯部」などがあり 様々です

続きを見る

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 梁瀬駅からR9号を線路沿いに東方向へ約3.4km 車での所要時間は9~11分程度

R9号に「塩田」「龍源院」の案内板に従って右折〈東へ〉

Please do not reproduce without prior permission.

礒部川を渡って JR山陰本線の線路の下を抜けて塩田の集落に向います

Please do not reproduce without prior permission.

集落の入口T字路のような所を左折すると こんもりとした丘陵の下に鳥居が見えてきます

Please do not reproduce without prior permission.

南を向いて鳥居が建ちます

熊野神社(朝来市山東町塩田)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 参道の石段を上がります

Please do not reproduce without prior permission.

石段を上がってみると 丘陵の上には境内があって 石垣で養生された最上部に本殿の覆い屋が建ち 中には本殿が鎮座しています

Please do not reproduce without prior permission.

その向かって左手には〈境内社〉3社が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

〈境内社〉3社の内 本殿の覆い屋のすぐ横に2社

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

〈境内社〉3社の内 奥に1社

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

狛犬が狐(きつね)なので 稲荷社だと想います

Please do not reproduce without prior permission.

ちょっと不思議だったのは この狐(きつね)に近づくと急に日差しが木漏れ日となって の足元の辺りだけ差し込むと カワトンボの たぶん「ハグロトンボ」が地面にたくさんいました

ここは礒部川からは100m程は離れている丘陵の最上部で 特に水場はありませんが 周囲に棚田はあります

Please do not reproduce without prior permission.

こんな感じです

お参りの為に 稲荷の祠に近づいても 逃げません

Please do not reproduce without prior permission.

この位置から本殿を見ると 本殿の覆い屋を横から見る感じになります

Please do not reproduce without prior permission.

境内社のお参りを済ませて 拝殿にすすみます
拝殿の前に座す 狛犬の前 地面には榊が供えられています

Please do not reproduce without prior permission.

狛犬の先には10段程の石段があり その先に本殿の覆い屋があります

Please do not reproduce without prior permission.

本殿の横には 神輿が安置されています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をしてから 境内を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居の先には 棚田が続いています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 朝來石部神社について 祭神所在は良くわからない と記しています

【抜粋意訳】

朝來石部神社

朝來は郡名に同じ、和名鈔、〔郷名部〕朝來、〔郷名部〕礒部、〔假字上の如し〕

〇祭神在所詳ならず

 名所方角抄云、朝來山在所不分明、尋ぬべし、
 但馬考に、山は今の與市土庄にあり、竹田より巽に當る、前は古城山、後は青倉山なり、土人は愛宕山と稱す、これ朝來山の詞の轉せしなり、然を宗祇の時より在所定かならず、近代は粟鹿庄の山を以てこれにあつ、大なる誤りなり、粟鹿と朝來は もと二郷なり、粟鹿神社のいます所を粟鹿郷と云、朝來山のある處を朝來郷と云、明白的實疑ふべきなし、予ひろく古記を考へ、あまてく父老にとひ、今日にして眞の朝來山の面目を見る事を得たり、ただ予が幸のみに非ず、また此山の幸なりと云へり、
連胤〕按るに、當社の地 このあたり尋ぬべし、

類社
 伊勢國 朝明郡 石部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 朝來石部神社について 所在は゛今 瀧田村にあり、山王權現と云゛〈現 石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)〉と記しています

【抜粋意訳】

朝來石部(アサコノイソベノ)神社

今 瀧田村にあり、山王權現と云〔〇按 此地 今 朝來河また朝來穢多などの名あり〕

凡 其祭 九月十九日之を行ふ、〔神社明細帳、神社道志流倍〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 朝來石部神社について 所在は゛瀧田村〔字マリ山〕(朝來郡矢名瀨町大字瀧田)゛〈現 石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)〉と記しています

又 磯部庄鹽田村にある社〈現 熊野神社(朝来市山東町塩田)〉との説も紹介しています

【抜粋意訳】

朝來石部神社

祭神
祭日 九月十九日
社格 村社

所在 瀧田村〔字マリ山〕(朝來郡矢名瀨町大字瀧田)

 今按 式内神社道志流倍に 瀧田村に朝來河あり 又 朝來穢多など云字あり證とすべし

又 磯部庄鹽田村にある社を式内と云とも朝來の證なしとみえ 豊岡縣の註進にも瀧田村とあるに從へり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

熊野神社(朝来市山東町塩田) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

但馬国 式内社 131座(大18座・小113座)について に戻る

一緒に読む
但馬國 式内社 131座(大18座・小113座)について

但馬国(たじまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 但馬国には 式内社 131座(大18座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています