熊野神社(くまのじんじゃ)は 社伝では 明徳5年(1394)5月17日の棟札に「川原社」とあったと伝えている 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「川原社(かわら)のやしろ」の論社です
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記733 AD.』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳927 AD.』
➂最後に『出雲國風土記733 AD.』と『延喜式神名帳927 AD.』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 大原郡(ohara no kori)
不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)
【社名】川原社
【読み】(かわら)のやしろ
【How to read】(kawara no) yashiro
➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
官社ではない為 該当しません
➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
熊野神社(Kumano shrine)
【通称名】(Common name)
【鎮座地】(location)
島根県雲南市大東町田中482
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》伊邪那美命(いざなみのみこと)
事解男命(ことさかをのみこと)
速玉男命(はやたまをのみこと)
【御神格】(God’s great power)
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』所載社
【創建】(Beginning of history)
創建年代不詳
【由緒】(history)
由緒
創立年代等は古く詳らかでないが、出雲風土記の海潮川の北に沿い一の支流あり。南流して海潮川に入るこれを反部(谷辺)川と言う。源は約1里(4000米)因って川原社と明徳5年(1394)5月17日の棟札にあったと伝えているが、地方誌雲陽誌に大原郡 田中熊野権現、速玉男、事解男、伊邪那美三神を合祀、紀伊国熊野より勧請、本社六尺、拝殿9尺余りと寛文13年(1673)修理の棟札あり。社名が変わったことが知られる。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社】(Other deities within the precincts)
・幸神社《主》猿田彦命
・稲生神社《主》稲倉魂神 保食神
・厳島神社《主》多紀理比女神 多岐津比女神 厳島比女神
・秋田神社《主》軻遇突智命
・山神神社《主》大山津見命
・大神宮《主》天照皇大神
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
『出雲國風土記733AD.』には 「川原社」が二ヶ所〈島根郡・大原郡〉載っています
それぞれの論社をご紹介します
島根郡 不在神祇官社「川原社 (かはら) (kahara no) yashiro」
・川原神社
川原神社(かわはらじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「川原社(かはら)のやしろ」とされます 江戸期には 二社大明神とも呼ばれ 伊弉諾命・伊弉冉命の夫婦神を祀ることから「お祓い」「禊」「安産」のご神徳があるとされます
川原神社(松江市川原町)
大原郡 不在神祇官社「川原社 (かわら) (kawara no) yashiro」
・川原神社
川原神社(かわはらじんじゃ)は 雲南市大東町小河内の「引那岐(ひきなぎ)」に鎮座し 同じ「那岐(なぎ)」を持つ 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「川原社(かわら)のやしろ」の論社です
川原神社(雲南市大東町小河内)
・熊野神社 (川原社)
熊野神社(くまのじんじゃ)は 社伝では 明徳5年(1394)5月17日の棟札に「川原社」とあったと伝えている 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「川原社(かわら)のやしろ」の論社です
熊野神社(雲南市大東町田中)
【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
出雲大東駅から市街を 県道24号で東へ赤川を渡ったら 赤川支流の坂本谷川(谷辺川)に沿って北へ 田中集落の谷間に 参道は南東へと長く続いていて その先に鳥居が建ちます
熊野神社(雲南市大東町田中)に参着
石燈籠が据えられた石段を上ると 途中 石段に 赤とんぼがとまっています
石段の先にある削平地に社殿が見えます
長い石段を上がると 出雲式の狛犬が構え 正面に切妻の拝殿が建ちます
拝殿の扁額は「熊野神社」と記されています
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 千木(内削ぎ)の本殿が鎮座します
境内社は 本殿の向かって右手に祀られています
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『雲陽志(unyo shi)1835AD.』大原郡 田中 にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
田中「熊野権現」と記され
「速玉男命 事解男命 伊弉册尊 三神を合せまつる
紀州熊野より勧請す
本社 六尺にて拝殿 九尺余り 寛文十三年修理の棟札あり
祭禮 十月十日 十一月十日なり この外 花の時々花枝をもって祭り白河院熊野へ御幸の路傍の花盛を開しを御覧せられて和歌を詠ませたまふ
[さきにほふ花のけしきを見るからに神の心ぞそらにしらるゝ](訳)美しく咲いている桜の花の様子を見るにつけ 神(熊野権現)の御心が空の有り様から推し量ることができるよ 」
「稲荷、厳島、山神、幸神」 と記しています
【原文参照】
『出雲国風土記考証(Izumonokuni fudoki koshiyo)〈大正15年(1926)〉』に記される伝承
川原社を 川手大明神〈現 川原神社(大東町小河内)〉であると記します
【意訳】
川原社(かはら)のやしろ
小河内(をがはち)の川手大明神であって、伊弉奈美命(いざなみのみこと)を祀る。
【原文参照】
熊野神社(雲南市大東町田中)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社