久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)摂社として『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛久具神社一處゛(クグノヤシロ ヒトトコロ)と記載される古社 かつては正殿が三區あったとされ゛一區は久々都比女命の御形(ミカタ)を齋(イハ)ひ ー區は久々都比古命を齋ひ 又一區は前社にて 右の神 の御蔭(ミカゲ)を祭奉る゛とあります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
久具都比賣神社(Kugutsuhime shrine)
【通称名(Common name)】
くぐつひめさん
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡度会町上久具字久具都裏211
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》久具都比女命(くぐつひめのみこと)
久具都比古命(くぐつひこのみこと)
御前神(みまえのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『大神宮叢書』第2 前篇〈昭和10-15年〉に記される内容
【抜粋意訳】
大神宮儀式解卷第十五 荒木田神主經雅
久具神社(クグノヤシロ)一處(ヒトトコロ)
久具は玖寓(クグ)とよむべし。當社は城田(キタノ)郷 久具(クグ)村にて宮川の岸にあり。地名を社號とす。神鳳抄、久具御厨も此村なり。久具(クグ)の名義(ナノココロ)思得す。倭姫命世記、皇女大御神を戴奉り、瀧原 和毘野(ワビノ)のあたりより幸行(ミユキ)の時、久求都彦(クグツヒコ)参相ける時、國ノ名を問たまふに、久求小野と御答を申せり、其處(ソコ)に久求社定たまふと見え、大神宮式、所攝二十四座云々、久具都比賣社云々、右諸社竝預に祈年神嘗祭、といへり。當社 上古(ムカシ)は國郡司作れり。次瀧原神社ノ下、右ノ社随に破壊之時に、國郡司以に正税修造、と見ゆ。いつの比より此式すたれ、社地のみにて社は絶たるを、寬文年中大司精長朝臣 古式(イニシヘノノリ)のごとく再興の後、宮司より造り替らる。
稱 大水上神御子 久久都比女命 又 久久都比古命。形石坐
稱は上の例とひとしく、比女命よりかへりて讀べし。
〇大水上神御子は上にいへり。久々都比女(クグツヒメ)神の系をいはんとてこれは大水上神の兒(ミコ)なりとことわるなり。(大水上神は當國にていかなる功坐神に欺。處々に此神また此神の御子坐せり。その御功の事尊もとむれどもいまだ尋得ず。)久々都比女(クグツヒメノ命)、
久久は地名、都は例の助辞、比女は女の稱なり。地名を名とする事上(園相社、國津御祖社、津長大水社の條)にいふがごとし。此ノ神昔より此地を領(ウシハ)きたまひし歟。又他(ホカ)の功(イサヲシ)ありて定め祝ひしにや。
〇久久都比古(クグツヒコノ)命、
の名義右に同じ。比古(ヒコ)は男子の稱なり。彦神を先(サキ)とし、次に姫神を學(ア)ぐべきに、姫神を先(サキ)とし、彦神を次とするは、當社を定祝たるは姫神の功(イサヲシ)もてなり。その姫神に緣(ヨシ)あるままに、彦神を祭りそへたるなればなるべし。當社にて主(ムネ)とするは姫神なれば、式には久久都比賣ノ社と注(シル)されたり。
同内親王定祝(オナジヒメミコイハイマツル)
右久具ノ神社も倭姫ノ内親王定め祝たまふとなり。
正殿三區。(ショウデンサンク) 長さ四尺。弘さ三尺。高さ六尺。
長弘等の字の下各の一字落(オチ)たる歟。上下正殿二區ある社の條と考合見るに、必各の字あるべきなり。正殿三區の中一區は久々都比女命の御形(ミカタ)を齋(イハ)ひ、ー區は久々都比古命を齋ひ、又一區は前社にて、右の神 の御蔭(ミカゲ)を祭奉る歟。又此神に由縁(ヨシ)ある神を齋(イハヒ)奉る欺。〔當社二神にて、正殿三區、下棒原神社は一神にて正殿二區なり〕當社千木堅魚木已下宮殿の制、古へも今の如く造り奉しならん。こゝにいはぬは文の略なるべし。今ノ世正殿一宇、長五尺、弘三尺五寸、高九尺七寸、板葺、千木四枚、堅魚木四枚あり。件の一宇に右の神々を齋奉り残るニ宇は造奉らず。
玉垣一重(タマガキヒトヘ)。 四方各二丈。
此玉垣一重の中、正殿三區を造立しならん。此御垣今も造り進れり。今ノ世御垣に属たる御門一間、鳥居一基を造進る。〇當社御裝束神實、今世御樋代一合、御床一具、御幌一條、奉遷絹垣一條、御鉾二竿、御矢四斐、御弓二張、御櫛筥ー合、御鏡一面を宮司より造り進れり。
坐地(オハシマストコロ)九段(クタン)。四至(シシ)。東西北大川。南畠。
當社地は宮川の岸なり。今も右に注(シル)すごとく、三方は川流れ廻(メグ)り、南は畑(た)なり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下 に記される内容
【抜粋意訳】
久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)
米山新田を通り、宮川の流れに沿ふて、川口の橋を渡ると愈々内城田(うちきだ)村の久具(くぐ)の村に入って來る。
久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)は 大字上久具の宮川に沿ふた渡場の上に祭られてゐる。川を背にした鬱蒼たる森で、見るからに古社の面影を傳へてゐる。
御社名を久具都比賣神社といふのは、延喜式神名帳の記す所で、内宮の儀式帳には久具社(くぐのやしろ)と見えてゐる。
久具の地の守り神として、御祭神は久々都比女命(くぐつひめのみこと)と久々都比古命(くぐつひこのみこと)とを御祭り申し上けてゐる。共に大水上命(おほみなかみかみのみこと)の御子神であるといはれてゐるから、久具の地を灌漑する水の神、五穀の神として信仰されたものと思はれる。
倭姫命が皇大神を奉載して瀧原宮(たきはらのみや)より山越えに ーの瀬(いちのせ)の谷、和比野(わびの)へ御出でましになり、小川谷(をがわたに)を經て、この所に出でさせ給ふたとき、久々都比古命、これを御奉迎申上げ、この地は「久求小野(くぐのおの)」なる由、御答へ申上げたことが倭姫命世紀に見えてゐる。中世 社殿退轉したのを、寬文三年再興し、以て今日に及んでゐる。本社入口に享保甲辰の年 紀州藩より建てた禁殺生石がいかめしく建てられてゐる。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の摂社です
・皇大神宮(内宮)
皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 久々都比賣神社
[ふ り が な ](くくつひめの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kukutsuhime no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉は『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛久具神社一處゛(クグノヤシロ ヒトトコロ)と記載される 古社です
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊勢市駅から県道38号経由で 宮川を遡るようにニ以南方向へ約13.5km 車25分程度
県道38号 度会町棚橋地区で 久具都比売橋(くぐつひめはし)を渡ると 宮川の南岸にあります
久具都比賣神社の東 宮川に゛上久具の渡し゛と呼ばれた渡船が運航されていたが 久具都比売橋の架橋により 渡しの役割を終えました
久具都比売神社の案内板に沿って 参道を進みます
社頭には 紀州藩が設置した゛「禁殺生゛の石碑に久具都比賣神社゛と刻字あり
久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着
一礼をして 境内の参道を進みます
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 久々都比賣神社について 所在は城田郷久具村 宮川南岸上 に在す〈現 久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
『倭姫世記』に倭姫命が 宮所を求めて ここに行幸された時 ここは何という國か尋ねると 久具都比古命が出迎え その地を「久求小野」と述べので 倭姫命が「久求社」を定めたと記しています
【抜粋意訳】
久々都比賣神社
久々都比賣は假字也
〇祭神 久々都比賣命、久々都比古命、
〇城田郷久具村 宮川南岸上 に在す、神名略記
〇式四、伊勢大神宮 大神宮所攝廿四座の第十七に載す、
〇倭姫世記云、從に其処幸行爾、久求都彦参相支、汝國名何問給支、白久、久求小野白支、倭姫命詔久、御宮処乎、久求小野止號給弖、其処爾久求社定賜、」
儀式帳云、久具社、稱に大水上神御子 久々都比女命、又久々都比古、形石坐、倭姫内親王定祝、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 久々都比賣神社について 所在は城田郷上久具村宮川の岸にあり〈現 久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
創建について 倭姫命が定め祝い奉る と記しています
【抜粋意訳】
久久都比賣(ククツヒメノ)神社
〇按 久久 或は久具に作り 比賣 又 比女に作る
又 久具神社と云ふ、延暦儀式帳、今 城田郷上久具村宮川の岸にあり、神名秘書、神祇本源、神境紀談、度會縣神社帳、
大水上神 兒、久久都比古命、久久都比賣命を祀る、形石に坐す、倭姫命定祝奉る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 久々都比賣神社について 所在は度會郡内城田村大字上久具〈現 久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
久久都比賣神社
祭神 久久都比賣命(大水上神 兒)
久久都比古命祭日 同上
社格 内宮所攝 二十四所之一(内宮攝社)所在 三重縣城田郷上久具村(度會郡内城田村大字上久具)
【原文参照】
久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について