甑岩(こしきいわ)は 越木岩神社の御神体霊岩〈周囲約40m・高さ10m〉〈酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ているので「甑岩」と名づく〉 末社゛土社゛は 大地を司る〈地震の神様〉大地主大神を祀り 推古天皇の時代(599)飛鳥京の東西南北に地震の神を祀った内の西社であろうと推定され 式内社 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
甑岩(Koshikiiwa)〈越木岩神社の御神体〉&末社゛土社゛〈大國主西神社〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県西宮市甑岩町5-4
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
・甑岩(コシキイワ)《主》甑岩大神(御祭神 厳島大神 俗に福寿弁財天)
・岩社《主》市岐島姫大神
・末社「土社」〈大國主西神社〉《主》大地主大神
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
ご神体
当社のご神体は周囲約40m・高さ10mの大怪石(花崗岩)である一大霊岩です。
酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられました。
また、岩上に雑木が生じた姿より、社名・町名も起こりました。御祭神は市寸島比売命(イチキシマヒメ)で、女性守護・安産・子授けの神さまとして祀られています。
俗に辨財天と称せられ、音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」、七福神の一として御神徳の高い神さまであることから、子どもの成長や芸能の上達を祈る神さまとしても信仰を集めています。
摂津名所図絵や摂津志によると 「甑岩神祠は越木岩村にあり祭神巨岩にして倚疊甑(きじょうこしき)の如し、此地の産土神(うぶすながみ)とす」と記してあるように霊験あらたかな霊岩です。
『安産の神・子授けの神』として昔から崇拝され、今尚
「ご神徳を頂戴できる」
「霊気を感じる」
「パワーを感じる」
「癒される」
と熱心に毎朝毎夕お参りされる方が多くいらっしゃいます。また、巨岩ご神体の形状から女性自身に例えられ、女性をお守りくださる神として、「甑岩」にお参りすると【子授かり】【安産】のご利益があると云われております。
越木岩神社(西宮市甑岩町)公式HPより
https://www.koshikiiwa-jinja.jp/koshiki/shintai.html
【由 緒 (History)】
甑岩(こしきいわ) 祭神 甑岩大神 岩社祭神 市岐島姫大神
左前方にある高さ十m、周囲四十mの花崗岩の岩は、その形状が酒を造るときの甑に似ているので甑岩と名付けられています。
古代信仰の磐境(いわさか)・磐座(いわくら)をなし霊岩とされ神が鎮まっていると、古来より言われています。今を去る約千百年前(延喜年間)には、この岩より煙がたちのぼり、茅沼浦(ちぬのうら)(大阪湾)や戸田庄(西宮市戸田町・西宮神社が海岸であった頃)入江のあたりの舟からも見えたと伝承されています。
室町時代の俳諧(はいかい)の祖・山崎宗鑑(そうかん)(一四六四年~一五五三年)が句を残しております。
照る日かな 蒸ほど暑き 甑岩
この神の鎮まる霊岩を大阪城築城のために切り出そうと、村人達の制止の懇願にかかわらず、豊臣秀吉が石工達に命じて割らせていたところ、今にも割れんとする岩の間より、鶏鳴し、真白な煙が立ち昇り、その霊気に石工達は、岩諸共転げ落ち倒れ臥し、如何にしても運び出せなかったと伝えられています。境内にある残石は申すまでもありませんが、この甑岩にも池田備中守長幸(松山城主六万五千石)の刻印があり、一部は搬出されたようです。
『安産の神』、『殖産興業の神』、『諸願成就の神』として崇拝され修験者が修行した霊験あらたかな岩です。
是非一周され御神徳をお受け下さい。平成六年六月六日 越木岩神社社務所
西宮市甑岩町五番四号現地案内板より
ふるさと昔話(『にしのみやデジタルアーカイブ』に掲載)゛甑岩の怒り゛
動画 こしき岩のいかりhttps://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=32083
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
甑岩〈越木岩神社の御神体〉&末社「土社」〈大國主西神社〉は 越木岩神社(西宮市甑岩町)の境内です
・越木岩神社(西宮市甑岩町)
越木岩神社(こしきいわじんじゃ)は 古代の磐座信仰の霊石として゛甑岩(コシキイワ)゛をご神体として 神社の創始は 600~700年頃と推定される古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津国 菟原郡 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)は当社の地主神である大地主大神(おおとこぬしのおほかみ)として末社「土社」にお祀りされていると伝えます
越木岩神社(西宮市甑岩町)
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
末社゛土社゛は 大地を司る〈地震の神様〉大地主大神を祀り 推古天皇の時代(599)飛鳥京の東西南北に地震の神を祀った内の西社であろうと推定され 式内社 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社です
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)莵原郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大國主西神社(鍬靫)
[ふ り が な ](おほくにぬしのにしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohokuninushino nishino no kamino yashiro)
【原文参照】
延喜式内社 摂津國 莵原郡 大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社について
・西宮神社(西宮市社家町)
西宮神社(にしのみやじんじゃ)は 全国の゛ゑびす様゛の総本社で 海上守護神 商賣繁盛の神として崇敬されています 平安時代末期には既に高倉上皇の御奉幣をはじめ皇族神祇伯の参拝が著しく社勢は極めて盛大でした 延喜式内社 摂津國 莵原郡 大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社でもあります
西宮神社(西宮市社家町)〈えべっさん〉
・大國主西神社〈西宮神社 境内社〉(西宮市社家町)
大國主西神社(おおくにぬしにしじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)との説があり 明治7年11月に県社となります 西宮神社では 元は境内の仏堂であった阿彌陀堂に享保20年(1735)国土経営に尽力した二柱 大己貴命・少彦名命を勧請した神社と伝えていて 戦後は西宮神社の境内社となっています
大國主西神社(西宮市社家町)〈西宮神社 境内社〉
・越木岩神社(西宮市甑岩町)
越木岩神社(こしきいわじんじゃ)は 古代の磐座信仰の霊石として゛甑岩(コシキイワ)゛をご神体として 神社の創始は 600~700年頃と推定される古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津国 菟原郡 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)は当社の地主神である大地主大神(おおとこぬしのおほかみ)として末社「土社」にお祀りされていると伝えます
越木岩神社(西宮市甑岩町)
・甑岩〈越木岩神社の御神体〉&末社「土社」〈大國主西神社〉
甑岩(こしきいわ)は 越木岩神社の御神体霊岩〈周囲約40m・高さ10m〉〈酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ているので「甑岩」と名づく〉 末社゛土社゛は 大地を司る〈地震の神様〉大地主大神を祀り 推古天皇の時代(599)飛鳥京の東西南北に地震の神を祀った内の西社であろうと推定され 式内社 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社です
甑岩〈越木岩神社の御神体〉&末社「土社」〈大國主西神社〉
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
越木岩神社(西宮市甑岩町)を 延喜式内社 摂津國 莵原郡 大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社とする説について
越木岩神社(西宮市甑岩町)の公式HPに記されています
大国主神とは
延長5年(927年)に纏められた延喜式神明帳に載る摂津国・菟原郡(のちに武庫郡に合併)に鎮座する「大国主西神社」は当社と比定されています。
「大国主大神」は、様々なお名前をお持ちであり、そのご神徳も多岐に渡ると言われています。皆さんも一度はお聞きになられたこともあるでしょうが、例えば「大穴牟遅(おおなむぢ)大神」、「大地主(おおとこぬし)大神」、「大物主(おおものぬし)大神」、「大國魂(おおくにたま)大神」など、地上地下万物の生育発展、人間及び生物の生命を司っている偉大なる神格・神徳をお持ちになられており、その力を表す言葉として多くの神名でお祀りされています。
大国主西神社は、特に大地を司る神・大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)として末社「土社」にお祀りされています。石で組まれた大変古いお社であり、大国主西神社の姿を今も残しています。
創始・地震の神様として
大国主西神社の創始は、600年~700年頃と推定されます。
それは、大国主大神はそのお力によって、大地を司ることから地震を起こす神様ともいわれていることから説明できます。
推古天皇の時代(599年)、『日本書記』に日本最古の地震として記録される“推古地震”が起こります。地震が発生し建造物が悉く倒壊し、推古天皇は「則ち四方に令して地震の神を祭らしむ」として、飛鳥からみて四方、東西南北に命令して地震の神、つまりオオクニヌシを祀らせます。その中の一社が当社であろうと推定されています。天武天皇の時代(684年)にも、極めて大きな地震があり、この頃には多くの方がお参りされ、延喜式神明帳に載るような神社となっていったのです。
ここに祀られた当初は、オオナムチ神社であった可能性もあるようです。奈良・吉野に大名持神社が鎮座しますが、同様にオオナムチとされ、オオナムチからオオクニヌシとなり、東西南北の東にあたる大名持神社と一対として、“西”にあたるので「大国主西神社」と呼ばれるようになったと考えられています。
オオナムチのオオというのは大きいという意味です。そしてオオナムチのナというのは「つち」という意味の古い言葉です。(細かい土を「スナ」、赤土のことを「ヘナ」といいます。)またオオナムチのムチというのは尊いという意味になります。現在「土社」と呼ばれていることにも通じます。
大名持神社は、吉野渓谷への入口、吉野川右岸の妹山の麓にあります。平安時代はじめに、日本全国の神様に朝廷から位を授けることになったとき、この神の位が正一位を授かった神社です。徳川の時代に神殿が建立されましたが、それまでは完全にご神体は山そのものだったといいます。これは奈良の三輪山をご神体とする大神神社も同じで、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、信仰の対象はどちらもこんもりと丸く盛り上がった山(このような山の形をカンナビ型などといいます)です。
同様の形状をした山が当社の北北東にある甲山(かぶとやま)です。都より西に向かった時、六甲山系の東山麓に見えた円錐形の甲山はご神体山を思い起こしたはずです。また、当社に鎮座する甑岩から、北へ続く磐座群や北山、そして甲山へと続く地形は聖地として、オオナムチを鎮め祀るため、東西一対をなす相応しい場所であったのです。
越木岩神社(西宮市甑岩町)公式HPより
https://www.koshikiiwa-jinja.jp/koshiki/ookuninushinishijinjya.html
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
阪急甲陽線 甲陽園駅から夙川を渡り西へ 約1.5km 車5分程度
社頭には 東南を向いて鳥居が建っています
越木岩神社(西宮市甑岩町)に参着
越木岩神社(西宮市甑岩町)の記事を参照
・越木岩神社(西宮市甑岩町)
越木岩神社(こしきいわじんじゃ)は 古代の磐座信仰の霊石として゛甑岩(コシキイワ)゛をご神体として 神社の創始は 600~700年頃と推定される古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津国 菟原郡 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)は当社の地主神である大地主大神(おおとこぬしのおほかみ)として末社「土社」にお祀りされていると伝えます
越木岩神社(西宮市甑岩町)
越木岩神社 拝殿にすすみます
扁額には゛蛭子太神宮゛と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の向かって左手に 磐座信仰の゛甑岩(コシキイワ)゛への岩社参道があります
鳥居をくぐり 参道を進みます
岩社参道の右手には 越木岩神社の本殿が鎮座します
岩社参道の全体像は 神社配信の図でわかります
岩社参道の途中左手に鎮座するのは
末社 土社
延喜式内社 大國主西神社の元社とする説のある 末社「土社」〈大國主西神社〉《主》大地主大神 に参着
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)莵原郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大國主西神社(鍬靫)
[ふ り が な ](おほくにぬしのにしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohokuninushino nishino no kamino yashiro)
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
岩社参道をさらに進みます
玉垣が廻され 鳥居が建ち その先に社殿が鎮座します
一礼をして 鳥居をくぐります 鳥居の扁額には゛甑岩大神゛と刻されています
甑岩〈越木岩神社の御神体〉に参着
甑岩の前には 岩社《主》市岐島姫大神が祀られています
社殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
岩社の背後には 磐座゛甑岩(こしきいわ)゛が祀られています
゛甑岩(こしきいわ)゛の周囲をぐるりと それにしても巨岩
゛甑岩(こしきいわ)゛の周囲に祀られる境内社にお参りをします
甑岩の向かって右前面には 三社の境内社
・大崎稲荷神社《主》大崎稲荷大神(秀吉大神)
・白玉稲荷神社《主》白玉稲荷大神
・伊勢遥拝社《主》天照大神
甑岩の向かって右後方の山へと上がる参道があります
また大きな岩があり その前に祠が祀られています
近づいてみると
・雨乞社《主》貴船大神・龍神
貴船社
祭神 貴船大神・龍神
水に縁ある諸業守護し給う。災旱霜雨、豊作、海上安全、当社の奥宮は六甲山石宝殿であり雨乞の霊験は特にあらたかである。
現地案内板より
貴船社を横から眺めると やはり背後に巨岩を抱えています
貴船社の前面が開けていて 眼下に西宮 芦屋 神戸が見渡せます
さらに上がると
北の磐座゛稚日女尊宮(わかひるめのみことみや)゛があります
下りながら 甑岩へ戻りよく見ると
立て札があり「池田備中守長幸家紋 大阪城築城のために切り出そうとしていた時の城主の刻印です。」とあり
これが
ふるさと昔話(『にしのみやデジタルアーカイブ』に掲載)゛甑岩の怒り゛
動画 こしき岩のいかりhttps://archives.nishi.or.jp/04_entry.php?mkey=32083
甑岩の向かって左に祀られている三社
・六甲山神社《主》菊理姫大神〈六甲山神社(石の宝殿)の里宮〉
・水神社《主》ミズハノメノカミ
・不動明王社《主》甑不動明王
甑岩に一礼をして 参道を戻ります
越木岩神社(西宮市甑岩町)の記事を参照
・越木岩神社(西宮市甑岩町)
越木岩神社(こしきいわじんじゃ)は 古代の磐座信仰の霊石として゛甑岩(コシキイワ)゛をご神体として 神社の創始は 600~700年頃と推定される古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津国 菟原郡 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)は当社の地主神である大地主大神(おおとこぬしのおほかみ)として末社「土社」にお祀りされていると伝えます
越木岩神社(西宮市甑岩町)
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『五畿内志(Gokinaishi)』〈享保14年(1729~1734)編纂〉に記される伝承
江戸幕府による最初の幕撰地誌と見なされる『五畿内志(Gokinaishi)』
※著者の並河 誠所(Namikawa seisho)〈江戸時代中期に活躍した儒学者・地理学者〉は『五畿内志』を編纂する調査の過程で『畿内』の数々の延喜式式内社の比定も行こないました
越木岩神社(西宮市甑岩町)について ゛甑岩神祠(こしきいわのかみほこら)゛と記しています
【抜粋意訳】
甑岩神祠
越木岩村
【原文参照】
『摂津名所図會(Settsu meisho zue)』〈寛政8年(1796)~寛政10年(1798)刊行〉に記される伝承
延喜式に載る大國主西神社〈現 西宮神社(西宮市社家町)〉であると記しています
越木岩神社(西宮市甑岩町)について 祭神巨岩にして倚畳甑の如し この土地の生土神(うぶすなかみ)と記しています
【抜粋意訳】
西宮の沖 沖荒夷の図
大國主西神社(おおくにぬしにしのじんじゃ)
西宮市夷町にあり 西宮太神宮と称す 延喜式曰 鍬靫 莵原郡に載る
・・・・
・・・・
【原文参照】
【抜粋意訳】
甑岩神祠
越木岩村にあり
祭神巨岩にして倚畳甑の如し この地の生土神とす
照る日哉蒸かと暑き甑岩 山崎宗鑑
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社の大國主西神社(鍬靫)について 所在と名称は 西宮村の西ノ宮〈現 西宮神社(西宮市社家町)〉と記し
西宮とは「廣田社の西にたせれば西宮と称なる」と記しています
【抜粋意訳】
大國主西(オホクニヌシニシノ)神社(鍬靫)
〇今在 西宮村
〇廣田社の西にたせれば西宮と称なるへし 今 西ノ宮と云、
神司 高橋村成説
〔古事記〕
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社の大國主西神社(鍬靫)について 所在と名称は西宮村の西宮〈現 西宮神社(西宮市社家町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大國主西神社(鍬靫)
大國主西は 淤保久爾奴志乃邇志と訓べし
〇祭神 蛭兒尊〇今武庫郡戸田荘西宮村に在す、今西宮と称す
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社の大國主西神社(鍬靫)について 所在と名称は西宮村の西宮〈現 西宮神社(西宮市社家町)〉又 夷宮・戎三郎宮とも呼ぶ と記しています
【抜粋意訳】
大國主西(オホクニヌシノニシノ)神社(鍬靫)
又、夷宮と云ひ、戎三郎宮と云、即 廣田の末社也、
今 武庫郡 西宮村に在り、廣田社の西なるを以て、又之を西宮と云、醍醐天皇 延喜の制、祈年祭鍬靫を加奉りき、延喜式
後鳥羽天皇 建久五年七月甲戌、夷宮鳴動の怪あるを以て、幣を廣田社に奉り、
土御門天皇 元久元年八月甲辰、神社を改造て、遷宮を行ふ、
毎年正月十日斎居祭を修む、
凡斎敬て響音を停る事尤厳也、摂津志
奥の夷宮 舊村西濱南に在り、故に南宮と云ひ、沖荒夷と云、
今本社域内に在り、
合せて戎三郎両社と云、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社の大國主西神社(鍬靫)について 所在と名称は 西宮町縣社西宮神社境内 大國主西神社 縣社と記しています
【抜粋意訳】
大國主西(オホクニヌシニシノ)神社(鍬靫)
祭神
祭日社格 懸社(明細帳に縣社西宮神社境内 大國主西神社 縣社とあり)
所在 西宮町属武庫郡(武庫郡西宮町縣社西宮神社境内)
【原文参照】
甑岩〈越木岩神社の御神体〉&末社「土社」〈大國主西神社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る
攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国の 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです
摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)