実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東)

出雲〈北島〉國造家鎮守 御三社(こくぞうけちんじゅ ごさんしゃ)は 出雲大社の東隣 出雲大社宮司〈北島〉家の祖先神をお祀りした鎮守社として〈天穂日命社・荒神社 稲荷社〉が 並んで鎮座されています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

出雲〈北島〉國造家鎮守社 御三社(Kokuzokechinju Gosansha)
〈天穂日命社・荒神社 稲荷社〉

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

島根県出雲市大社町杵築東

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

中央
・天穂日命社(あめのほひのみことしゃ)
《主》天穂日命(あめのほひのみこと)

向かって
・荒神社こうじんしゃ)
《主》三宝荒神(さんぽうこうじん)

向かって左
・稲荷社(いなりしゃ)
《主》宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ

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【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・出雲 北島国造家鎮守社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳
元々は 出雲大社の裏手にあった北島国造家の鎮守社 

【由  (History)】

御三社(ごさんしゃ)

國造館の乾(いぬい/北西)の方角に古式に則ってお祀りされている境内社です。
中央が國造家の始祖である天穂日命(あめのほひのみこと)をお祀りする天穂日命社、向かって左がお稲荷さんこと宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)をお祀りする稲荷社、右が三宝荒神(さんぽうこうじん)をお祀りする荒神社です。

旧2月の初午の日に「初午祭」が斎行されます。
(旧暦のため毎年日時は変動します

出雲大社 北島国造館HPより

【境内 (Other deities within the precincts)】

北島国造

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出雲大社(いずもおおやしろ)寛文の街造営にあたり、第六十六出雲国造(いずもこくそう)北島恒孝公(きてじまつねのりこう)によって造られた、350年前の景観をほほとどめている池泉回遊式庭園ご鑑賞いただけます。
 北島国造家(きたじまこくそうけ)は、明治維新に至るまで歴代出雲大社の宮司を務め、今は出雲国造として出雲教を主宰し、大国主大神の御神徳を世に広められています。

平姓29年5月 出雲大社 北島国造鮑

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天神社(てんしんしゃ)

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天神社(てんしんしゃ)由緒
御祭神 少彦昆古名神(すくなひこなのかみ)

 少名毘古那神は『日本書紀』に「大己貴命と力を合わせ、心を一つにして天下を経営され、人々と家畜のために、病気になったときの治療の仕方を定め、鳥獣や昆虫の災いを祓うためのまじないの方法を定められた神であり、人々は今に至るまでことごどくこの神のおかげを蒙っている」とあり、各地に伝えられている風土記にも登場されています。

 島根県内で、この神様をお祀りした神社は一二九社あるといわれていますが、主祭神としてお祀りされている神社は少なく(二五社)、全国的にも大己貴神(大国主神)と合わせてお祀りきれている神社が多く見受けられます。

 このように少名毘古那神は大国主神と深いご縁にある神様ですが、なぜか出雲大社の摂社・末社ではなく、出雲国造家の邸内社にお祀りされてきており、寛文の屋敷替えにあたって現在の心字池中之島の小祠に遷しお祀りされ、今日に至っています。
現地案内板より

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天満宮(てんまんぐう)

菅原道真公は出雲国造家の祖神である天穂日命の20世孫とされ、相撲の祖・野見宿禰の血脈を継いでいるとされています

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

命主社 (いのちぬしのやしろ)

御祭神の神産巣日命(かみむすびのかみ)は高天原に化成された3柱の神のお一方で、大国主命が八十神(やそがみ)に謀られて身罷られたときに蘇生させ、また、少名毘古那命(すくなひこなのみこと)を我が子と認めて共に国を作り固めるよう命じられた神様です

・神魂伊能知奴志神社(命主社)

一緒に読む
神魂伊能知奴志神社(出雲市)【前編】

神魂伊能知奴志神社(かみむすび いのちぬし の かみのやしろ)は 『記紀神話』の「天地開闢(てんちかいびゃく)」の時 もともとは混沌として一つであった天と地が 初めて分かれました その時 高天原に 生まれた神「神皇産霊神(kami musubi no kami)」を祀る古社です

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山王社(さんのうしゃ)

國造館の艮(うしとら/北東)の方角に鎮まり、鬼門を守護すると伝えられる社です。
大地の守り神である大地主之命(おおとこぬしのかみ)がお祀りされていると言われています。

・山王神社(出雲市大社町杵築東)

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山王神社(出雲市大社町杵築東)

山王神社(さんのうじんじゃ)は 出雲大社 北島國造館の艮(うしとら/北東)の方角に鎮まり 鬼門を守護すると伝えられる社です 大地の守り神である大地主之命(おおとこぬしのかみ)がお祀りされていると言われ 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「山邊社(やまべ)のやしろ 同社 おなじきやしろ」の論社です

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

出雲国造(いつものくにのみやつこ)について

出雲国造家の 始祖〈初代〉は 天穂日命(あめのほひのみこと)〈天照大御神と素戔嗚尊の直系〉

天穂日命(あめのほひのみこと)は 天照大御神と須佐之男命との 誓約(うけい)により 誕生した五男三女神の一柱です
天照大御神の右のみずらに巻いた勾玉(まがたま)から成ったとされ 天照大御神の第二子とされます
第一子の天忍穂耳命(あめのほひのみこと)の弟神にあたります

天忍穂耳命(あめのほひのみこと)は 天皇家の祖神でありますので
出雲國造家は 天皇家と同様のルーツを持っていることになります

出雲國造家は 現在までも 脈々とその血筋を保っています

出雲国造(いつものくにのみやつこ)とは

一緒に読む
出雲國造(いつものくにのみやつこ)〈天皇家と同じの始祖を持つ神代より続く家柄〉

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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出雲國造「千家氏」と「北島氏」の両家に分立

南北朝時代になって 後継者問題の為 「千家氏」と「北島氏」の両家に分立し
第55代より〈康永年間(1340年頃)以降〉それぞれ両家が 出雲国造を名乗るようになりました

「北島氏」の第56代 貞孝國造は 南朝〈南北朝時代〉に味方しとして 出雲地方で活躍しました

出雲國造家が 北島・千家に両立してから後 両家は 年間の神事や所領 役職などを等分するという和与状を結び 平等に職務を分担しました
例えば 出雲大社の神事は 年中を6ヶ月ずつ〈偶数月を北島家・奇数月を千家家〉に分掌することになりました

ここから江戸期の末まで 500年間以上 「千家氏」と「北島氏」の両家による国造体制が続きます

明治政府による出雲國造への介入〈神社改正令〉

しかし 明治維新により 神社の國家管理という基本方針のもとに 従来のような両國造制のもとで隔月交代に 出雲大社への奉仕が 認められなくなります

現在は 出雲大社は 千家家が祭祀していますが その屋敷は 今でも 出雲大社を中心にして 東に北島国造館があり 西に千家国造館があります

東にある北島国造館は もともとは 出雲大社背後 素鵞社の前にあった

 この絵図は国造家に伝わる重宝の一つで、慶長十四年(一六〇九年)、出雲大社慶長造営の近郷の有様を写したものである。
 この絵図によれば、北島家の館は大社の背後 素鵞社(すがのやしろ)の前にあったことが明確に記されている。
 旧記によれば、寛文七年(一六六七年)の出雲大社寛文造営に当たり、出雲国守、松平直政は社地を広めようとして、大社裏の八雲山の麓にあった北島家の居館を、熊野川(よしのがわ)の東側の地に移転することを議られた。
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北島國造館の額より

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・天穗日命社〈出雲國造家鎮守社〉(出雲市大社町杵築東)《主》天穗日命 は 千家家 北島家にあり

・出雲〈千家〉國造家鎮守社(大社町杵築東)

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出雲〈千家〉國造家鎮守社(大社町杵築東)

出雲〈千家〉國造家鎮守社(こくぞうけちんじゅのやしろ)〈天穂日命社 天夷鳥命社・荒神社 稲荷社〉は 出雲大社の神楽殿の後方に 出雲大社宮司家〈千家家〉の祖先神などをお祀りした鎮守社が 並んで鎮座されます

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・出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東)

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出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東)

出雲〈北島〉國造家鎮守 御三社(こくぞうけちんじゅ ごさんしゃ)は 出雲大社の東隣 出雲大社宮司〈北島〉家の祖先神をお祀りした鎮守社として〈天穂日命社・荒神社 稲荷社〉が 並んで鎮座されています 

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

出雲国造家から見た 天穂日命(あめのほひのみこと)について

『記紀神話』〈大和朝廷〉では 天菩比神(あめのほひのかみ)は 国土平定の第一の使者に選ばれ天上から派遣されるが 葦原中国で大国主神に媚付(こびへつらい)三年経っても復命しなかった 背信者として語られます

一方 出雲国造〈現在まで出雲大社に奉仕する氏〉は 御祖神(みおやのかみ)として 天穂日命(あめのほひのみこと)を祀っていて 正反対の立場にあります

『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』には

天穂日命(あめのほひのみこと)が 天神の使者となり 地上の様子を視察し 子の天夷鳥命と布都怒志命を派遣し 荒ぶる神々を鎮圧し 大国主神を媚び鎮めて〈神意に沿った祭りを行い 神の御心を鎮めて〉国譲りを誓わせた 使命を遂行した平定の功労者として語られます

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出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

出雲大社の東側を流れる熊野川(よしのがわ)の東側

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出雲大社の東側 北島國造家乾(いぬい/北西)の方角に古式に則ってお祀りされています

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出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東)に参着

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拝所にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

出雲造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について

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出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東) (hai)」(90度のお辞儀)

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⑭豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに) に進む

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⑭豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)

天照大御神(あまてらすおほみかみ)は この 葦原中国(あしはらのなかつくに)は 我が子 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が 治める所の国であると定めた と命を下された 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が 天浮橋(あまのうきはし)に立たれて 下界を眺めると「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)は ひどく騒がしく有るな」と言われた

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 に戻る

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています