実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

小舟神社(富岡市富岡)

小舟神社(こぶねじんじゃ)は 1300年以上前の白鳳7年3月(667)鎮座と伝わる由緒ある神社です 代々住民守護の祖神と仰がれて 現在の御祭神は 経津主神(futsunushi no kami)で『記紀神話』にも登場する武神の神様として 代々の国司・武将から篤く崇敬され 徳川幕府「三代将軍家光公」より社領20石の朱印を寄進されています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  小舟神社(kobune shrine)
       (こぶねじんじゃ

 [通称名(Common name)]

 【鎮座地 (location) 】

 群馬県富岡市富岡928

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》経津主神(futsunushi no kami)

【御神格 (God's great power)】

・五穀豊穣 Pray for good harvest
・職業繁栄 Professional prosperity
・家内安全 Safe and comfortable home life
・住民守護 Protection of residents
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・一之宮 貫前神社の境外摂社 旧 祓戸の社

【創 建 (Beginning of history)】

白鳳7年(西暦667年)創建

【由 緒 (history)】

小舟神社 御祭神と由緒

御祭神 経津主神(ふつぬしのかみ)

由 緒 富岡市瀬下、原、小沢の氏神で白鳳七年寅三月十五日(一千三百年前)鎮祭せられ五穀豊穣 職業繁栄 家内安全 住民守護の祖神と仰がれてきました
従って 代々の国司 武将等 当社を篤く崇敬せられ 三代将軍徳川家光公より社領二十石の朱印を寄進せらる

祭典日 一月一日新年祭  十一月十五日に近い日曜日 七五三祭
    二月十七日祈年祭 十一月二十三日新嘗祭
    十月十五日例大祭 十二月三十一日除夜祭

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・八坂神社
・白山神社・菅原神社・諏訪神社(合殿)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

小舟神社(kobune shrine)は 白鳳7年(西暦667年)創建 1300年以上の由緒(格式ある歴史)を持っています 

社号標に記される「貫前神社 境外摂社 舊祓戸 小舟神社」とは

一之宮 貫前神社の境外摂社で 
「舊祓戸」とは「旧 祓戸(禊ぎを行う社)」であったという意味です

『江戸期の由来書』には 次のように記されていたとの事
 一之宮 貫前神社の祓戸とされて 古くはさらに北方に鎮座していた
一宮大明神が 天竺(tenjiku)=インド(日本・中国でインドを呼ぶ古い言い方)から乗ってきた2艘の船の内1艘を祀る」

この神は 女神とされています 一説には貫前神社の御祭神「姫大神(hime no okami)」とも云われます

その舟を祀るので小舟神社という名称になったと云われます
古から 一之宮貫前神社の前宮にして 一之宮に参詣する人は先ず小舟神社を拝し後 貫前神社に参拝する吉例なりしといふ とあります

現在の小舟神社の主祭神は 貫前神社と同様の「経津主神(futsunushi no kami)」です

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

東富岡駅から南方向へ 700m 徒歩10分程度

小舟神社(kobune shrine)に到着

社号標には「貫前神社 境外摂社 舊祓戸 小舟神社」とあります

瀬下郷の氏子から寄贈された石灯篭の奥に赤鳥居が建ちます

銅板瓦葺き屋根の赤い明神鳥居が建ちます
扁額には「正一位 小舟大明神」とあり 参道が境内に延びています

一礼して赤鳥居をくぐります
すぐ左手に手水舎と境内社「八坂神社」があり 覆屋は 注連縄で祀られています 清めてから お詣りします

参道の右手には 献燈された石燈籠が並びます 真正面に見えている社が境内社・白山神社・菅原神社・諏訪神社(合殿)です

参道からは 90°西に曲がりますと社殿が建っています
北側から入口があるので 社殿が西を背にして 東を向いて鎮座しています

拝殿の前の 狛犬は平成27年(2015)設置と刻まれています
拝殿屋根に御神紋「三巴」が三つ書かれています
由緒書きなども読みます

拝殿にすすみます 扁額には「小船神社」とあります

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

社殿を向かって左手より仰ぎます
拝殿の後ろに本殿の覆屋が続いていますが 赤い透かしの御垣で囲われています

現在の拝殿は平成3年(1991)に修繕がおこなわれていて
もともとは 字小舟という場所に鎮座していたのですが 火災に遭い元禄年間(1688~1704)に 現在地に遷座と云われます

L字の参道を戻ります 鳥居をくぐり振り返り一礼

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『上野国神名帳(kozuke no kuni jimmeicho)』に記される伝承

『上野国神名帳(kozuke no kuni jimmeicho)』所載社です

「 甘良郡(甘楽郡) 従五位上 小舩明神 」と記されます

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『上野国神名帳』『群書類従 神祇部 23』塙保己一寛政5年(1793)- 文政2年(1819)木版刊行
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037294&ID=M1000000000000049991&TYPE=&NO=

『上野志料集成. 第1』には

「瀬下村に小舟の宮あり 古来 荒船と申伝ふる由」と記されます

『上野志料集成. 第1』著者樋口千代松, 今村勝一 編 出版者 煥乎堂本店 出版年月日 大正6
国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/957294/54

『北甘楽郡郷土誌』には

「 小舟神社 富岡町字下町にありて 当郡一之宮町国幣中社貫前神社の摂社にして 鎮座は 或る私書に依れば 白鳳七年[667]三月十五日にあり。
瀬下郷の内字小舟に社畠と言伝ふる地あり、始め茲に鎮座せしものにして
其後 寛永年間 富岡新田検地の内卜町雷電領壱段二歩を社地と定め万治二年(1659)遷座す。

別當福壽院代々奉仕し 慶安3年(1650)4月18日 福壽院火災に罹り當社の古書全部焼失す。

元禄11年4月21日徳川五代将軍綱吉 社殿建立寄進し 其後大破につき 天保13年 拝殿及び本社の上屋 其他を改築す。
尚当社は古より 一之宮貫前神社の前宮にして 一之宮に参詣する人は先ず小舟神社を拝し後 貫前神社に参拝する吉例なりしといふ。・・・・・」と記されています

『北甘楽郡郷土誌』著者 小竹春雪 編出版者 精美堂 出版年月日 大正6
国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956372/15

1300年以上前の白鳳7年3月に鎮座と伝わる由緒ある神社です

小舟神社(kobune shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

一之宮 貫前神社の記事をご覧ください

一之宮 貫前神社(富岡市一ノ宮)

一之宮 貫前神社(いちのみや ぬきさきじんじゃ)は 菖蒲(綾女・あやめ)谷といわれる渓間に南面して鎮座しますが ご参拝には 一度 南の参道をのぼって大鳥居をくぐります 平坦な参道が弧を描くように総門に至ります するとそこからは 急な下りの石段となっていて 真下に社殿が建っています  上って 平らになって 今度は下りになる 全国でも珍しい「下り参道」でお詣りする神社です 古くからの由緒格式を持つ 上野国一之宮として崇敬を集めています

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