実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

小浴神社(小浜市金屋)

小浴神社(こあみじんじゃ)は 『延喜式神名帳の論社とされる古社です 鎮座地の小浜市金屋は かつての若狭国府の故地とされていて 小浴神社には かつての「惣社」が合祀された その惣社には 国宝級の絵巻が伝わっている新八幡宮(もともとあった小浜八幡に対して「新」八幡が含まれていたのであろうと言われています

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name

小浴神社Koami shrine)
こあみじんじゃ

【鎮座地 (location) 

福井県小浜市金屋

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》若狭彦神Wakasahiko no kami)
   若狭姫神Wakasahime no kami)

【御神格 (God's great power)】

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)所載社
・ 若狹彦神社 上社Wakasahiko Shrine Kamisha)境外社

【創  (Beginning of history)】

小浴神社(若狭国惣社)

小浴神社は、遠敷谷の入り口、若狭姫神社に対して鎮座しています。
残存する歴史資料から、若狭国惣社であったのではないかと言われています。また松永荘内にあった新八幡宮が鎮座していたのではないかとする説もあります。
現在国宝に指定された絵巻群を伝えた神社として都の文化の伝播を顕著に示している拠点の可能性があります。

小浜市・若狭町日本遺産活用推進協議会HPより

【由  (history)】

小浴神社 (若狭国惣社そうじゃ) (未指定(史跡))

惣社は平安時代後期に全国に建てられた神社で都との関係が最も強い神社である。
小浴神社は、かつて「惣社」と呼ばれ、京の都から赴任する若狭国守に直接かかわる重要な神社であった。
この神社に付属する八幡宮が、おそらく松永荘内にあった新八幡宮と考えられ、現在国宝に指定された絵巻群を伝えた神社として都の文化の伝播を顕著に示している。

海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~ 福井県観光営業部 日本遺産登録申請より
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/app/upload/heritage_data_file/005-5030209276564417.pdf

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)若狭国 42座(大3座・小39座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)遠敷郡 16座(大2座・小14座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 小浴神社
[ふ り が な  ](こあみの かみのやしろ)
[How to read ]Koamino kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

鎮座地の地名 「金屋(kanaya)」について

鎮座地の住所名は 江戸時代に鋳物師たちが 近江国から移住してきたので「金屋(kanaya)」と呼ばれます
古くは「小南(kominami)」と呼ばれていたので 本殿の扁額にも「小南神社(kominami shrine)」とあります

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に所載の「小浴神社(Koamino kamino yashiro)」の論社とされています

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

東小浜駅から 県道145号経由 約1.6km 車5分程度
若狭彦神社と若狭姫神社の鎮座している谷筋には 遠敷川が流れていて その対岸にある住宅街を山裾へ向かうと 小浴神社は鎮座しています

小浴神社Koami shrine) に到着

自然石の石灯篭があり 鳥居が建ち 階段の先に本殿が覆屋の中に座します

正面にある社号標には「末社 小浴神社」と刻まれています
若狭彦神社の境外末社の意味だと思います

一礼して鳥居をくぐり抜けて 本殿にすすみます
扁額が掲げられていて「小南神社」とあります

賽銭をおさめ お祈りです 

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

境内には古木もあり かつての総社であったのであろうと想いを馳せながら 境内をあとにします

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

若狭国遠敷郡の松永庄にあった「新八幡宮」という神社について

「惣社大明神」掛軸(小浴神社 惣社講蔵)について書かれています

「新八幡・絵巻の世界-松永庄新八幡宮伝来の絵巻-」

展示期間 2014年10月18日(土) ~ 2014年11月30日(日)

後白河法皇が都で描かせた多数の絵巻の一部が、かつて若狭国遠敷郡の「新八幡宮」という神社に伝来していました。それらの謎にせまる特別展を開催します。
国宝級絵巻が伝来した謎の神社とともに、「伴大納言絵詞」、「吉備大臣入唐絵巻」、「 彦火々出見尊絵巻」などを紹介します。
また、重要文化財 詔戸次第(若狭一宮 若狭彦神社蔵)、「惣社大明神」掛軸(小浴神社 惣社講蔵)が特別出品されます。

構成

1 ナゾの神社・松永庄新八幡宮とは
2 彦火々出見尊絵巻と神話
3 伴大納言絵詞の世界
4 吉備大臣入唐絵巻と吉備真備

みどころ

かつて若狭国遠敷郡の松永庄にあった「新八幡宮」という神社には、現在国宝に指定されている「伴大納言絵詞」をはじめ「吉備大臣入唐絵巻」、「彦火々出見尊絵巻」の3セットの絵巻が伝来したとされています。

そもそもこれらの絵巻は、後白河法皇が都で描かせた多数の絵巻の一部で、なぜ都を離れ、新八幡宮に伝わったのか、現存しない新八幡宮がいったいどこにあったのかなど、ナゾは尽きません。

平家に対抗した法皇が描かせた絵巻の伝世は、都の宮廷文化が若狭に流れこんだ事実を証明しており、国宝級の絵巻を伝えたナゾの神社・新八幡宮の行方こそが、都文化の強い影響をうけた若狭の地域性を示すものといえます。

福井県立 若狭歴史博物館HPより
https://wakahaku.pref.fukui.lg.jp/exhibition/detail/post-13.php

小浴神社Koami shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

現在 当社は「若狭彦神社」の境外社となっています
若狭国一之宮「若狭彦神社」の記事をご覧ください

一緒に読む
若狹彦神社 上社(小浜市)

若狹彦神社は 上社「若狭彦神社」と下社「若狭姫神社」の総称で 2つの神社で若狭国の一宮とされています 上社「若狭彦神社」は 和銅7年(714年)今の遠敷郡下根来村白石に創られたと云われ 霊亀元年(715年)に現在の地に遷座しました 下社「若狭姫神社」は 上社から北1.5kmの遠敷(onifu)の里にあり 6年の後の養老5年(721年)の鎮座と伝わります 

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若狭国 式内社 42座(大3座・小39座)について に戻る

一緒に読む
若狭國 式内社 42座(大3座・小39座)について

若狭国(わかさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 若狭国には 42座(大3座・小39座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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