北野神社(きたのじんじゃ)は 日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)の末社です 寛文元年(1661)大宰府天満宮(福岡県)の別當である大鳥居氏の一族「大僧都法印(Daisozu hoin)菅原信祐(Sugawara no shinyu)」(亀戸天神の創建者)が 天神信仰を広めるために「社殿建立の志」を立てて諸国を巡った時 大宰府天満宮よりこの地に勧請された由緒を持つ神社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
北野神社(Kitano Shrine)
(きたのじんじゃ)
【鎮座地 (location) 】
栃木県日光市山内
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)
【御神格 (God's great power)】
・学問の上達 Academic progress
・芸能の上達 Improvement of entertainment
・書道上達 Calligraphy improves
・災難除け Disaster prevention
【格 式 (Rules of dignity) 】
・日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)の末社
【由 緒 (history)】
北野神社
学問の神、菅原道真(天神さま)を祀る。寛文元年(1661)筑紫安楽寺の大鳥居信幽が勧請(かんじょう)したものである。祭日は八月二十五日。
鳥居や祠の奥の巨岩に天満宮の梅鉢紋がみられる。社頭立札より
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
日光二荒山神社から 約1km 徒歩15分程度
日光東照宮美術館の前を抜けて
瀧尾神社へ向かう瀧尾道(史跡探勝路)の途中に鎮座します
北野神社(Kitano Shrine)に到着
自然石の社号標もあり「二荒山神社 末社 北野神社」と刻まれています
注連縄の掛かる 石鳥居が建ち 石畳の参道が伸びています
一礼して鳥居をくぐります
参道の両脇に立つ御神燈の先には 玉垣の廻されている磐座のような檀があり 石祠が建ちます
拝所にすすみます 梅鉢の紋を掘り込んだ巨岩があり
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
参道を戻り 鳥居をくぐり 振り返り一礼をします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
この神社を勧請したとされる「大鳥居 信幽(otorii shinyu)」について
正保年間(1644~47)九州太宰府天満宮の神官「菅原大鳥居信祐(sugawara no otorii shinyu)」は 天神信仰を広めるために「社殿建立の志」を立てて諸国を巡りました
北野神社は 亀戸天神の創建者である大鳥居信幽 霊夢により 全国に天満宮二十五社を建立する願いを立て 全国を巡礼し寛文元年二月二十五日に此の地に奉祀された由緒ある一社である
平成十四年 御祭神 菅原道真公 御神忌千百年を記念して、石柵石社殿等修復復元の境内整備事業を実施し 茲に完工にあたり神職一同浄財を募り石灯籠壱対を謹んで奉献す
平成十九年八月二十五日
二荒山神社 宮司 吉田健彦
神職一同灯籠に刻まれた文面より
『明治神社誌料(meiji jinjashiryo)』に記される伝承
東京都江東区亀戸に鎮座する「亀戸天神(kameido tenjin)」の項には 創始者として記されます
意訳
創立は 明暦の火災後である その開祖は「大僧都法印(だいそうづほういん)菅原信祐(すがわらのしんゆう)」(大宰府天満宮の別當である大鳥居氏の一族なり その子孫 現に当社の車掌にして 同家代々の墳墓は同社境外に在りと云う)
始め 筑前の大宰府にいた頃の一夜 管神(菅原道真公)の霊示を蒙り 夢中に「十立ちて 栄える梅の 稚枝かな」との神詠の句を得て 大いに感じ入った
太宰府天満宮にある「飛び梅」をもちいて 新たに神像を彫刻し これを護持して 諸国を巡ります
その終わりに江戸に入ると明暦3年(1657年)の大火のために江戸の地の大半が焼土となってしまい 下総国の葛飾郡を割譲して武蔵国に加えることになり 「本所の地」を開発しようとした時でありました
遂にこの地 亀戸に鎮座し奉りたり その後 寛文2年 徳川家綱社地を賜り 同3年(1657年)社殿を造営し ・・・・・・・・・・・・・
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』平安時代初期 著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用
北野神社(Kitano Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
瀧尾道の上下にある2つの神社
・本宮神社(Hongu Shrine)の記事をご覧ください
本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました
本宮神社(日光発祥の地)
・滝尾神社(Takinoo Shrine)の記事をご覧ください
滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます
瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉
北野神社が 末社となっている
・日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します
日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉