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紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について

紀伊国(きいのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 紀伊国 31座(大13座・小18座)の神社です

紀伊国(きいのくに)について

紀伊国Kinokuniは  令制国の一つ南海に属する
現在の和歌山県三重県南部

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7世紀に成立 当初は 木国(きのくにきいのくに

和銅6年(713)「雅字(良い文字の意)二文字で国名を表」との勅令により゛紀伊国゛と表記

紀伊国(きいのくに) 31座(大13座・小18座)

大社13は13熊野早玉神社以外は 名神大社〉
小社18は15
 31は28

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
伊都郡(いとの こおり) 2座(大1座・小1座)
那賀郡(なかの こおり) 3座(並小)
名草郡(なくさの こおり) 19座(大9座・小10座)
在田郡(ありたの こおり) 1座(大)
牟婁郡(むろの こおり) 6座(大2座・小4座)

伊都郡(いとの こおり) 2座(大1座・小1座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

小田神社(をたの かみのやしろ)

・小田神社(橋本市高野口町)

一緒に読む
小田神社(橋本市高野口町)

小田神社(おだじんじゃ)は 建立は1,400年前で 神領も多く朝野ともに尊敬の深かった式内社 紀伊国 伊都郡 小田神社(をたの かみのやしろ)と伝えられます その後の数々の兵乱に合い 社地も衰廃し 祠は焼失してしまいました 紀伊藩主 徳川頼宣公が元和年間(1615~1624)に旧境内本殿跡に石の宝殿を建て「小田神社」と刻し ご神体として後世に伝えさせ 現在に至っています

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・丹生官省符神社(九度山町慈尊院)〈参考論社〉

一緒に読む
丹生官省符神社(九度山町慈尊院)

丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)は 一宮~四宮は 北の方宮の橋といふ地にあったが 天文年中(1532~)の洪水により 慈尊院に遷座した 此の時 三社宮も遷座して神通寺七社明神となる 近代には丹生七社大明神 丹生神社と呼ばれ 昭和21年(1946)現在の社号となっています 或説に 式内社 小田神社とも云われます

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丹生都比女神社(につひめの かみのやしろ)(名神大月次新嘗)

・丹生都比売神社かつらぎ町上天野

一緒に読む
丹生都比賣神社(かつらぎ町上天野)紀伊国一之宮

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は 創建は古く 少なくとも今から千七百年前のことと伝えられます 神功皇后の三韓征伐の時 丹生都比売大神の託宣によって 衣服・武具・船に朱砂〈丹〉を塗り戦勝されたので 応神天皇が 社殿と広大な神領を寄進されたとする 式内社であり 紀伊国一之宮でもあります

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那賀郡(なかの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

荒田神社二座(あらたの かみのやしろ ふたくら)

・荒田神社(岩出市森)

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荒田神社(岩出市森)〈延喜式内社 荒田神社二座の論社〉

荒田神社(あらたじんじゃ)は 天正十三年(1585)豊臣秀吉の根来攻めにより 灰燼に帰し 縁起 寄進状 宝物等すべて焼失し 由緒は定かではありませんが 『延喜式神名帳(927年)』には 紀伊國 那賀郡 荒田神社二座(あらたの かみのやしろ ふたくら)と所載される由緒ある古社です

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海神社(あまの かみのやしろ)

・海神社(紀の川市神領)

一緒に読む
海神社(紀の川市神領)〈延喜式内社 海神社の論社〉

海神社(かいじんじゃ)は 通称「海神(うながみ)さん」の名で親しまれ 主祭神は豊玉彦命・国津姫命です 創建は 第11代 垂仁天皇の御代〈BC.29~72AD.〉忌部宿禰が 神のお告げによって創建したと伝えられる古社で 『延喜式神名帳(927 AD.)』所載の紀伊國 那賀郡 海神社(あまの かみのやしろ)とされます

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※参考
海神社紀の川市神領御祭神 豊玉彦命 浦上國津姫神の旧鎮座地゛浦上神社゛

・浦上神社(那智勝浦町浦神〈鹽竈神社の境内〉)

※参考
海神社紀の川市神領御祭神 浦上國津姫神の旧鎮座地゛浦上神社゛

・浦上神社(紀の川市神通)

名草郡(なくさの こおり) 19座(大9座・小10座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

日前神社(名神大月次相嘗新嘗)(ひのくまの かみのやしろ)

・日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

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〈紀伊国一之宮〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は 『日本書紀』天石窟(あめのいわや)の段 一書に 日矛(ひぼこ)と日前神(ひのくまのかみ)記されます 三種の神器である伊勢の神「八咫鏡(やたのかがみ)」と同等とされる 2つの御神鏡「日像鏡(ひがたのかがみ)日矛鏡(ひぼこのかがみ)」を祀る崇高な神宮です

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名草郡 毛見郷 濱ノ宮 日前神宮・國懸神宮の旧鎮座地

一緒に読む
濱宮(和歌山市毛見)〈日前神宮・國懸神宮の元宮〉

濱宮(はまのみや)は 神武天皇が御東征のとき 神鏡及び日矛を天道根命に託し 斎祭せしめた日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)の元宮であり 豊鋤入媛命が斎祭った元伊勢 奈久佐浜宮(なくさのはまのみや)でもあります

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國懸神社(名神大月次相嘗新嘗)(くにかかすの かみのやしろ)

・日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

一緒に読む
〈紀伊国一之宮〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は 『日本書紀』天石窟(あめのいわや)の段 一書に 日矛(ひぼこ)と日前神(ひのくまのかみ)記されます 三種の神器である伊勢の神「八咫鏡(やたのかがみ)」と同等とされる 2つの御神鏡「日像鏡(ひがたのかがみ)日矛鏡(ひぼこのかがみ)」を祀る崇高な神宮です

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旧鎮座地とされる名草郡 毛見郷 濱ノ宮 

一緒に読む
濱宮(和歌山市毛見)〈日前神宮・國懸神宮の元宮〉

濱宮(はまのみや)は 神武天皇が御東征のとき 神鏡及び日矛を天道根命に託し 斎祭せしめた日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)の元宮であり 豊鋤入媛命が斎祭った元伊勢 奈久佐浜宮(なくさのはまのみや)でもあります

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伊太祁曽神社(名神大月次相嘗新嘗)(いたきその かみのやしろ)

伊太祁曽 大屋都比賣 都麻津比賣社の当初の鎮座地秋月
(現在の
日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)の鎮座地)

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〈紀伊国一之宮〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は 『日本書紀』天石窟(あめのいわや)の段 一書に 日矛(ひぼこ)と日前神(ひのくまのかみ)記されます 三種の神器である伊勢の神「八咫鏡(やたのかがみ)」と同等とされる 2つの御神鏡「日像鏡(ひがたのかがみ)日矛鏡(ひぼこのかがみ)」を祀る崇高な神宮です

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〈伊太祁曽神社 伊太祁曽 大屋都比賣 都麻津比賣社の旧鎮座地〉亥の森
三生神社(和歌山市伊太祈曽)

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三生神社〈亥の森:伊太祁曽神社 旧鎮座地〉(和歌山市伊太祈曽)

三生神社(みぶじんじゃ)は 亥の森(いのもり)とよばれる伊太祁曽神社の旧鎮座地の森に鎮座します 御祭神は本社と同じ 五十猛命(いたけるのみこと)大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)都麻津比賣命神(つまつひめのみこと)を祀ります

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伊太祁曽 大屋都比賣 都麻津比賣社の分遷〈分けて遷座〉後 現在の鎮座地
伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)

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伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)

伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は 紀伊国一之宮で『続日本紀』大宝二年(702)に記事が見える古社 木の国〈紀伊国〉のルーツとされ“木の神”五十猛命を祀ります 秋月(現在の日前宮鎮座地)より山東(現在の伊太祈曽周辺「亥の森」)に遷座されたと伝えられ 『延喜式神名帳927 AD.』には 紀伊国 名草郡 伊太祁曽神社〈名神大 月次 新嘗 相嘗〉と記されます

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大屋都比賣神社(名神大月次新嘗)(おほやつひめの かみのやしろ)

伊太祁曽 大屋都比賣 都麻津比賣社の当初の鎮座地秋月
(現在の
日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)の鎮座地)

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〈紀伊国一之宮〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は 『日本書紀』天石窟(あめのいわや)の段 一書に 日矛(ひぼこ)と日前神(ひのくまのかみ)記されます 三種の神器である伊勢の神「八咫鏡(やたのかがみ)」と同等とされる 2つの御神鏡「日像鏡(ひがたのかがみ)日矛鏡(ひぼこのかがみ)」を祀る崇高な神宮です

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〈伊太祁曽神社 伊太祁曽 大屋都比賣 都麻津比賣社の旧鎮座地〉亥の森
三生神社(和歌山市伊太祈曽)

一緒に読む
三生神社〈亥の森:伊太祁曽神社 旧鎮座地〉(和歌山市伊太祈曽)

三生神社(みぶじんじゃ)は 亥の森(いのもり)とよばれる伊太祁曽神社の旧鎮座地の森に鎮座します 御祭神は本社と同じ 五十猛命(いたけるのみこと)大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)都麻津比賣命神(つまつひめのみこと)を祀ります

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伊太祁曽 大屋都比賣 都麻津比賣社の分遷〈分けて遷座〉後現在の鎮座地
大屋都姫神社(和歌山市宇田森)

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大屋都姫神社(和歌山市宇田森)

大屋都姫神社(おおやつひめじんじゃ)は 当初の鎮座地は 日前・國懸両神宮(和歌山市秋月)の地 その後 垂仁天皇16年〈紀元前14年〉両神宮に社地を譲り 山東の「亥の森」(和歌山市伊太祁曽)へ遷座します 大宝2年(702年)伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売3社の分遷により 亥の森から現社地の北方 古宮に遷座した後 現在地に遷座と伝えています

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都麻都比賣神社(名神大月次新嘗)(つまつひめの かみのやしろ)

・都麻津姫神社(和歌山市吉礼)

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都麻津姫神社(和歌山市吉礼)

都麻津姫神社(つまつひめじんじゃ)は 当初は三社〔伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売〕で一つの神社でした 垂仁天皇16年〈紀元前14年〉日前・國懸の両神宮に和歌山市秋月の社地を譲り 山東の「亥の森」(和歌山市伊太祁曽)へと遷座します 大宝2年(702年)三社は分遷 亥の森から遷座 各々が 式内社の名神大社となりました 都麻津姫神社の論社は 現在三ヶ所あります

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・都麻津姫神社(和歌山市平尾若林)

一緒に読む
都麻津姫神社(和歌山市平尾若林)

都麻津姫神社(つまつひめじんじゃ)は 垂仁天皇16年〈紀元前14年〉日前・國懸の両神宮に和歌山市秋月の社地を譲り 山東の「亥の森」(和歌山市伊太祁曽)へと遷座 大宝2年(702)に分遷した三社〔伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売〕の一つです 亥の森から遷座後は 三社は各々 式内社の名神大社となりましたが 都麻津姫神社の所在地は不明となり 論社は現在三ヶ所です

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・高積神社(和歌山市祢宜)

一緒に読む
高積神社(和歌山市祢宜)

高積神社(たかつみじんじゃ)は 高積山〈和佐山 わさやま〉の山頂に゛上の宮゛麓に゛下の宮゛が鎮座します 上の宮は゛髙宮・髙三所明神゛下の宮は゛氣鎭社゛とも呼ばれ 式内社の都麻都比賣(つまつひめの)神社(名神大 月次 新嘗)とも 同じく式内社の髙積比古(たかつみひこの)神社 髙積比賣(たかつみひめの)神社ともされています

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鳴神社(名神大月次相嘗新嘗)(なるの かみのやしろ)

・鳴神社(和歌山市鳴神)

香都知神社(かつちの かみのやしろ)

・香都知神社〈鳴神社 境内社〉(和歌山市鳴神)

・逆松社(和歌山市鳴神)

加太神社(かたの かみのやしろ)

・淡嶋神社(和歌山市加太)

・加太春日神社(和歌山市加太)

伊久比賣神社(いくひめの かみのやしろ)

・伊久比売神社〈市姫大明神〉(和歌山市市小路)

・山口神社(和歌山市谷)

朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)

・朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)

刺田比古神社(さしたひこの かみのやしろ)

・刺田比古神社(和歌山市片岡町)

一緒に読む
刺田比古神社(和歌山市片岡町)

刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の紀伊国 名草郡「刺田比古神社(さしたひこの かみのやしろ)」とされます 中古に荒廃し その後 再興され 江戸時代には 徳川吉宗公〈産土神の拾い親〉開運出世の神として 徳川八代将軍ゆかりの国家安泰の祈願の社でした

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比賣神社(まゐひめ かみのやしろ)

・廃絶

・〈式内社 麻為比賣神社について『和歌山縣誌』に日前・国懸神宮 末社 菟佐神社に合祀と記載〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市)

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〈紀伊国一之宮〉日前神宮・國懸神宮(和歌山市秋月)

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は 『日本書紀』天石窟(あめのいわや)の段 一書に 日矛(ひぼこ)と日前神(ひのくまのかみ)記されます 三種の神器である伊勢の神「八咫鏡(やたのかがみ)」と同等とされる 2つの御神鏡「日像鏡(ひがたのかがみ)日矛鏡(ひぼこのかがみ)」を祀る崇高な神宮です

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・津秦天満宮 に合祀(和歌山市津秦)

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津秦天満宮(和歌山市津秦)〈合祀 延喜式内社 麻爲比賣神社〉

津秦天満宮(つはたてんまんぐう)は 筑紫安楽寺天満宮〈太宰府天満宮〉より菅原道眞公の画を勧請とも 当地の農民が北野天満宮(京都)に参詣時の霊夢により社殿を建てたとも云う 又 式内社 麻爲比賣神社(まゐひめの かみのやしろ)は 享保年中(1716~1736年)津秦村に石碑を建て再興され大正7年(1918)に合祀されました

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竃山神社(かまやまの かみのやしろ)

・竈山神社(和歌山市和田)

高積比古神社(たかつみひこの かみのやしろ)

・髙積神社 上宮(和歌山市祢宜)高積山〈和佐山 わさやま〉の山頂
・高積神社 下宮(和歌山市祢宜)高積山〈和佐山 わさやま〉の

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高積神社(和歌山市祢宜)

高積神社(たかつみじんじゃ)は 高積山〈和佐山 わさやま〉の山頂に゛上の宮゛麓に゛下の宮゛が鎮座します 上の宮は゛髙宮・髙三所明神゛下の宮は゛氣鎭社゛とも呼ばれ 式内社の都麻都比賣(つまつひめの)神社(名神大 月次 新嘗)とも 同じく式内社の髙積比古(たかつみひこの)神社 髙積比賣(たかつみひめの)神社ともされています

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高積比賣神社(たかつみひめの かみのやしろ)

・髙積神社 上宮(和歌山市祢宜)高積山〈和佐山 わさやま〉の山頂
・高積神社 下宮(和歌山市祢宜)高積山〈和佐山 わさやま〉の

一緒に読む
高積神社(和歌山市祢宜)

高積神社(たかつみじんじゃ)は 高積山〈和佐山 わさやま〉の山頂に゛上の宮゛麓に゛下の宮゛が鎮座します 上の宮は゛髙宮・髙三所明神゛下の宮は゛氣鎭社゛とも呼ばれ 式内社の都麻都比賣(つまつひめの)神社(名神大 月次 新嘗)とも 同じく式内社の髙積比古(たかつみひこの)神社 髙積比賣(たかつみひめの)神社ともされています

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伊達神社(貞・名神大)(いたての かみのやしろ)

・伊達神社(和歌山市園部)

一緒に読む
伊達神社(和歌山市園部)

伊達神社(いたてじんじゃ)は 『六国史』に゛伊達神゛と記載 『延喜式927AD』に 紀伊國 名草郡 伊達神社(いたての かみのやしろ)と載る名神大社です 神名「伊達」は伊太氏により山東庄に鎮まる伊太祁曾神と同神とされます 志磨神社 静火神社と共に紀州三所神とされ その一之宮として里人は゛一宮大明神゛とも゛園部一の宮゛とも称え奉ると云う

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・水門吹上神社(和歌山市小野町)

一緒に読む
水門吹上神社(和歌山市小野町)

水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)は 『古事記』に云う゛男之水門゛であると伝えられる地〈神武天皇が御東征のみぎり 御兄の彦五瀬命が 和泉で長髄彦の流失に当り 出血甚だしく 崩御されたと言われる旧跡地〉に鎮座します 延喜式内社 紀伊國 名草郡 伊達神社(いたての かみのやしろ)の論社でもあります

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志磨神社(貞・名神大)(しまの かみのやしろ)

・志磨神社(和歌山市中之島)

一緒に読む
志磨神社(和歌山市中之島)

志磨神社(しまじんじゃ)は 神功皇后の創建との伝承があり 正史の『六国史』に゛志摩神゛と記載 『延喜式927AD』に 紀伊國 名草郡 志磨神社(名神大)(しまの かみのやしろ)と載り 伊達神社 静火神社と共に紀州三所神と呼ばれた名社です 中世に廃絶 所在不明となり 元和年間(1615~24年)中之島の小祠゛九頭明神゛を志磨神社と定め 紀州徳川家により再興されました

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静火神社(貞・名神大)(しつひの かみのやしろ)

・靜火神社(和歌山市和田)

一緒に読む
静火神社(和歌山市和田)〈延喜式内社 名神大社〉

静火神社(しずひじんじゃ)は 『六国史』に゛靜火神゛『延喜式927AD』に 紀伊國 名草郡 靜火神社(名神大)(しつひの かみのやしろ)と載る名社ですが 永仁以前(~1293年)には既に廃絶して社伝・創建年代等は不詳 『国造家記』の記録には「日前神宮・國懸神宮」境内「草ノ宮」で「静火祭」の神事祭祀が 暦応~應永年間(1338~1428年)も継続していたと記されます

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・靜火神社 旧社跡(和歌山市和田)

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静火社 舊地(和歌山市和田)

静火社 舊地(しずひのやしろ きゅうち)は 神功皇后の御創建とされる 延喜式神名帳 名神大 紀伊國 名草郡 靜火神社(名神大)(しつひの かみのやしろ)の旧鎮座地です 静火社の御社殿は古来より度々の浸水に遭い 今は天霧山の山上に祀られていますが 和田の氏神の社として永くこの地に祀られていた事を後世に伝えるために石碑が建てられていました 老朽化のため再建されました

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堅眞神社(かたまの かみのやしろ)

・堅眞音神社〈鳴神社 境内社〉(和歌山市鳴神)

・堅眞音神社(和歌山市神前)

在田郡(ありたの こおり) 1座(大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

須佐神社(名神大月次新嘗)(すさの かみのやしろ)

・須佐神社(和歌山県有田市)

牟婁郡(むろの こおり) 6座(大2座・小4座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

熊野早玉神社(大)(くまのはやたまの かみのやしろ)

・熊野速玉大社(新宮市)

・神倉神社(新宮市神倉)

熊野坐神社(名神大)(くまのにます かみのやしろ)

・熊野本宮大社(田辺市本宮町)

・熊野本宮旧社地 大斎原(田辺市本宮町)

海神社三座(あまの かみのやしろ みくら)

・潮崎本之宮神社(串本町串本)

・熊野本宮旧社地 大斎原(田辺市本宮町)に合祀

天手力男神社(貞)(あめたちからをの かみのやしろ)

・熊野本宮旧社地 大斎原(田辺市本宮町)に合祀

・力侍神社(和歌山市川辺)

・鑰宮・天手力男神社・八咫烏神社〈熊野速玉大社 境内社〉

南海道に鎮座する 163座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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南海道に鎮座する 163座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました 当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています このページは「西海道」に鎮座する(163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134)神社です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています