実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

吉備津神社(福山市新市町)〈備後一宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 神秘的な正中光ご神体〈御鏡〉が朝日を反射し参道の正中を貫く現象〉が 年に二度2月と9月おこります 創建は 大同元年(806年)古く 備後國一之宮として 一宮(いっきゅう)さんと呼ばれ親しまれています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

吉備津神社(Kibitsu shrine)

 [通称名(Common name)]

一宮さん(いっきゅうさん)

【鎮座地 (Location) 

広島県福山市新市町宮内400

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

本殿内陣中央
主祭神
大吉備津彦命おおきびつひこのみこと

本殿向かって右
相殿神
大日本根子彦太瓊命おおやまとねこひこふとにのみこと)〈孝霊天皇
細比くわしひめのみこと)〈孝霊天皇のお后

本殿向かって
相殿神
稚武吉備津彦命わかたけきびつひこのみこと)〈大吉備津彦命の弟君

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

国家安寧 五穀豊穣 交通安全 延命長寿 開運招福の守護神

【格  (Rules of dignity)

備後國一之宮
旧社格 国幣小社 
別表神社

【創  (Beginning of history)】

後国一宮(びんごのくにいちのみや)吉備津神社(きびつじんじゃ)

御祭神(ごさいじん)
主祭神 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
相殿神 大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと
    (孝霊天皇)
    細比売命(くわしひめのみこと)
    稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと)

例祭(れいさい) 11月23日及びそれに近い日曜日を含む3~5日間
創建(そうけん)
 大同元年(806年)
「一宮(いっきゅう)さん」の名で親しまれ、備後国一宮(古くから備後の国を代表するもっとも崇敬された神社)として、現在も多くの方々がお参りされます。
旧国弊小社(こくへいしょうしゃ)、現在、別表(べっぴょう)神社

御本殿(ごほんでん)(国指定重要文化財)
 現在のご本殿は慶安(けいあん)元年(1648年)、当時の福山城主であった水野勝成(みずのかつなり)公により御造営されました。
 入母屋造平入(いりもやづくりひらいり)・桧皮葺(ひわだぶき)で、桁行(けたゆき)(横)間(18.5m)、梁間(はりま)(縦)間(9.7m)あり、全国でもまれにみる大規模な社殿です。
 また、向拝(こうはい)三間で正面には千鳥破風(ちどりはふ)・軒唐破風(のきからはふ)を持った江戸時代初期の建築でありながら、室町時代の風格と桃山彫刻を兼ね備えています。

現地案内板より

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【由  (History)】

備後国一宮
吉備津神社

由緒
 当社は吉備開拓の恩恵神 吉備国の総祖神 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を奉斎し霊験灼かにして光り輝き 国家安寧 五穀豊穣 交通安全 延命長寿 開運招福の守護神として備後国一宮・一宮(いっきゅう)さんと親しまれ広くそのご神威を仰がれている

社頭鳥居右側の案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

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十麻里二柱神社とまりふたばしらじんじゃ

《主》吉備津彦命 御親族十二柱

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十麻里二柱神社(とまりふたはしらじんじゃ)

御祭神
 吉備津彦命(きびつひこのみこと)
 御親族12柱(ごしんぞくじゅうにはしら)

 石州街道(せきしゅうかいどう)の宮内(みやうち)の地(ち)に吉備津彦命(そびつひこのみこと)と共に古くより旅人(たびびと)の安全をお守りるため御親族12柱(ごしんぞくじゅうにはしら)を祭神(さいじん)し、交通安全の神様として御鎮座されております。
 今日の車社会の渦巻く中で、とうとい命を大切に交通安全祈願をして、事故のない楽しい生活を送りましょう。

現地案内板より

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多理比理神社たりひりじんじゃ

《主》多理比理神

延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社です

・多理比理神社〈吉備津神社 境内〉(福山市新市町)

一緒に読む
多理比理神社〈吉備津神社 境内〉(福山市新市町)

多理比理神社(たりひりじんじゃ)は 一説に もとは品治郡服部村大字服部本郷に鎭座していたが 何時の頃か社が荒廃し 吉備津神社の境内に移された また一説に 多理比理神社が 品治郡宮内村に当初より鎭座していて 後に分祠であった吉備津神社が備後一宮として移されたとする説もあります 『延喜式神名帳』には 多理比理神社は記載があり 備後吉備津神社は記載がありません

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乳房神社ちぶさじんじゃ

《主》乳房神

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真名井神社まないじんじゃ)《主》御井神
山雷神社やまいかづちじんじゃ)《主》雷神

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疱瘡神社ほうそうじんじゃ

《主》少彦名神

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疱瘡神社ほうそうじんじゃ

御祭神 少彦名神(スクナヒコナノカミ)

皮膚病・伝染病の神様として ふるくより信仰された神社てす。アレルギーの神として、崇拝され、多くの方々が参拝されます。

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武内神社たけうちじんじゃ

《主》武内宿祢

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厩戸皇子神社うまやどのおうじじんじゃ

《主》聖徳太子

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吉備津天満宮きびつてんまんぐう

《主》菅原道真公

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祖霊社それいしゃ)《主》神道家の御霊神
彰徳宮《主》明治以降の戦没者の御霊
白髭神社《主》猿田彦命

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稲荷神社いなりじんじゃ

《主》宇迦能御魂神

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十二神社じゅうにじんじゃ

《主》吉備津彦命のご親族十二柱大名持神

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十二神社

この神社は吉備津彦命の御一族と大名持命(大国主命)をお祭りしてあります。
古くより大願成就の神様として「がんをかけ」物事を解決するために、三日間、七日間、二十一日間と「願(がん)」をかけてお願いすると何事も解決への道が開けると言い伝えられ、多くの人々が「願」をかけにお参りされます。
人間一生の間には多くの悩み、病気、交通事故などがあり、ことに厄年は老若男女、運気が衰え諸々の災難の起こり易い人生の節目に当たります。
厄年には神様に厄払いをお願いし、厄除けの絵馬を奉納して神助をお願いすればお守りを蒙(こうむ)りて運が開かれ気運隆盛になり人生を楽しく送られます。
安らかに世渡(よわた)りせよと人々の 厄射祓(やくうちはら)ふ神ぞ尊し

現地案内板より

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大山祇神社おおやまつみじんじゃ

《主》大山祇神

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神馬舎しんばしゃ)

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秋葉神社あきはじんじゃ)《主》火之迦具土神
四所神社ししょじんじゃ)《主》高野明神 丹生明神 気比明神 厳島明神

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櫻山神社さくらやまじんじゃ

《主》桜山茲俊命

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・水神(すいじん)〈手水舎〉

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胡神社えびすじんじゃ

《主》事代主神

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御池(みいけ)

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厳島神社いつくしまじんじゃ)《主》多紀理毘売命 市寸島比売命 多岐都比売命
幸神社さちじんじゃ)《主》幸神

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

創建について

吉備の国の分割時ではないかとの説

7世紀後半 持統天皇3年(689)飛鳥浄原令(あすかきよみはらりょう)が 発布され 吉備国は「備前国(bizen no kuni)・備中国(bitchu no kuni)・備後国(bingo no kuni)」に3分割され この時に備中 吉備津神社から分祀されたと伝わる

社伝には 備後一宮吉備津神社は 大同元年(806年)備中 吉備津神社より勧請されたと伝えらています

『延喜式神名帳(927年)』に 載らないことについて

一説には 創建年代は『延喜式神名帳(927年)』の以後ではないかとしています

境内の発掘調査では 12世紀以降のもの出土しています

吉備津神社裏山遺跡

 1985年(昭和60年)6月26日、大雨による土砂崩れで、多量の土師質土器や瓦などが焼けた壁土・炭・灰と共に出土しているのが発見された。
 発掘調査の結果、多量の土師質土器(杯・皿)や鉄釘、漆喰壁土など12世紀(平安時代後期)のものが、炭・灰の中から出土した。つまり、以前にここには瓦葺き、漆喰壁の建物が火災にあい整理されて埋められたものが炭・灰の層であるといえる。
 建物の位置については不明であるが、鎌倉時代後期に描かれた「一遍上人絵伝」によれば、本殿の背後には多宝塔が描かれており、その前身的な建物の可能性が強く、出土した遺物はそれに伴うものと想定できる。
新市商工会 青年部

現地案内板より

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備後国 一之宮について

備後國には 一之宮は二ヶ所あります

・吉備津神社(福山市新市町)

一緒に読む
吉備津神社(福山市新市町)〈備後一宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 神秘的な正中光〈ご神体〈御鏡〉が朝日を反射して 参道の正中を貫く現象〉が 年に二度〈2月と9月〉おこります 創建は 大同元年(806年)と古く 備後國一之宮として 一宮(いっきゅう)さんと呼ばれ親しまれています

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・素戔嗚神社(福山市新市町)

一緒に読む
素盞嗚神社(福山市新市町)

素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)は 『備後国風土記(bingo no kuni fudoki)』逸文の「蘇民将来(somin shorai)」の説話の舞台となる伝説の地と伝えられています 説話に登場する「疫隈國社(eno kumano kunitsu yashiro)」が当社とされ もしくは 摂社の「蘇民神社・疱瘡神社」とされています 全国の「祇園社の始りの地」とされ 京都の八坂神社の源流もこの地と云われています『延喜式神名帳』所載社であり 「備後国一之宮」ともされる由緒ある格式の高い神社です

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

吉備国(きびのくに)の平定について

吉備津彦命(きびつひこのみこと)は 民を苦しめる温羅(うら)を退治して 吉備国(きびのくに)を平定したと伝承があります

「吉備国(きびのくに)」の分割について

かつて「吉備国(きびのくに)」は 現在の岡山県全域と広島県東部と香川県島嶼(とうしょ)部 および兵庫県西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)にまたがる古代の大国でした 筑紫・出雲・毛野などと並び 大和朝廷を支え並ぶような有力地域の一つでした

大和朝廷は この強大な「吉備氏(kibi uji)」の弱体化を意図したのか 膨大な時間の中で「吉備国(kibi no kuni)」は勢力を失っていきます
7世紀後半 持統天皇3年(689)飛鳥浄原令(あすかきよみはらりょう)が 発布され 吉備国は「備前国(bizen no kuni)・備中国(bitchu no kuni)・備後国(bingo no kuni)」に3分割されます

三備〈備前国・備中国・備後国一宮〉一宮 吉備津神社について

吉備国の一之宮であった 『延喜式神名帳』名神大社 吉備津彦神社は 分祀されて 分割された国の一之宮となります

備前国一宮 岡山市北区一宮 吉備津彦神社

・吉備津彦神社(岡山市備前一宮)

一緒に読む
吉備津彦神社(岡山市備前一宮)

吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は 備前国一之宮で 備前国と備中国の境界ある吉備の中山(標高175m)の北東麓に東面して坐ます 太古の太陽信仰の形を留める場とされ 夏至の日に正面鳥居から差し込んだ朝陽が 祭文殿の御鏡に入る造りで 太陽を真正面から迎え鎮座するので朝日の宮(あさひのみや)とも称されます

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備中国一宮 岡山市北区吉備津 吉備津神社

・吉備津神社(岡山市北区吉備津)

一緒に読む
吉備津神社(岡山市北区吉備津)〈備中国一之宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 社伝によれば 第十六代 仁徳天皇が吉備国に行幸された時 ゛大吉備津彦命〈第七代 孝霊天皇の皇子〉゛(第十代 崇神天皇の御代に吉備国に下られ 鬼の温羅(うら)を平らげた)を祭神として御創建になられたと云う 後に延喜式では 名神大社に列し やがて最高位の一品の位になり 一品吉備津宮ともいう

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備後国一宮 広島県福山市新市町 吉備津神社

・吉備津神社(福山市新市町)

一緒に読む
吉備津神社(福山市新市町)〈備後一宮〉

吉備津神社(きびつじんじゃ)は 神秘的な正中光〈ご神体〈御鏡〉が朝日を反射して 参道の正中を貫く現象〉が 年に二度〈2月と9月〉おこります 創建は 大同元年(806年)と古く 備後國一之宮として 一宮(いっきゅう)さんと呼ばれ親しまれています

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さらに8世紀 和銅6(713)年には「備前国(bizen no kuni)」から「美作国(mimasaka no kuni)」分割され 4つに分かれてしまいます

美作国一宮 岡山県津山市一宮 中山神社

・中山神社(津山市)

一緒に読む
中山神社(津山市一宮)〈延喜式内社 名神大社・美作國一之宮〉

中山神社(なかやまじんじゃ)は 古代の大和朝廷が「吉備国」を分割して 新たに「美作国(mimasaka no kuni)」を創設した際に「美作國 一之宮(ichi no miya)」となった格式と由緒を持ちます 多くの謎を残した太古の社でもあり 境内の奥には 今でも静かに「猿神(saru gami)」が坐ます

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それまで 大きな一つの「吉備国(きびのくに)」〈岡山県全域と広島県の東半分を抑えた領域〉として運営していた状態からすれば 分割統治になり 勢力は大きく後退しました

かつての強大であった「吉備国(kibi no kuni)」の分解の最終段階として 鉄資源を吉備氏(kibi uji)から直接 大和朝廷の管轄下に置くことになっていきます

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR福塩線 新市駅から県道26号を北上 約1.8km 車4分程度

社頭には 社号標「國幣小社 吉備津神社」とあり 鳥居が建ちます
吉備津神社(福山市新市町)に参着

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境内の駐車スペースとなっている段原広場には 目通しの胴回りは6mを超え 樹齢800年とも言われ古木の風格を漂わせているイチョウの木大公孫樹(おおいちょう)があります

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車のまま鳥居をくぐり 隋神門を通り抜けるので いささか失礼ではないだろうかと気になって 車を停めて 振り返り隋神門に一礼

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「桜山慈俊挙兵伝説地」として 昭和9年(1934年)「一宮」周辺が国の史跡に指定されています

一宮(桜山慈俊挙兵伝説地)(いちのみや(さくらやまこれとしきょへいでんせつち))

国指定史跡 昭和9年(1934年)3月13日

 元弘元年(1331年)8月,北条高時を討つ謀議をめぐらしていた後醍醐天皇は,事の洩れたのを察知し笠置山に逃れ兵を募った。この時,備後の豪族宮氏の一族桜山四郎入道慈俊は楠木正成に呼応して挙兵,一宮(吉備津神社)の背後の桜山城に拠り,備後半国を従え,一時は安芸や備中へも進出しようとするほどの気勢をあげた。
 しかし笠置山が落城し,天皇もとらえられ楠木氏の赤坂城も陥落し,正成も戦死したとの風聞で味方は離散し,慈俊は一族郎党とともに翌2年正月,吉備津神社に放火し自害した。この伝説地として一宮周辺が史跡に指定されている。

福山市役所 文化振興課 文化財担当HPより
https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64214.html

史跡一宮 の石碑が立ち その奥に 桜山慈俊公を祀る 櫻山神社が鎮座します

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社殿から東南を向いて参道は伸びています
石段の下には 大石灯篭が見事で 石段にも燈籠あります

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参道右手の手水舎で清めます

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石段の上には 二つめの隋神門〈上随神門〉が構えます

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上随神門くぐると 神楽殿が建ちます

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境内は 五段のになっていて ちょうど ここが下から三段目になります

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振り返ると 神楽殿越しに 上随神門と 下隋神門見えています

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正面を見上げると 四段目拝殿 五段目に本殿が建っています

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続いて 拝殿の横を過ぎて 本殿へと向かいます

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本殿の前に拝所が設けられていますので 拝殿ではお詣りせず

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目の前の 本殿にすすみます 

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正面に掲げる扁額には 社名ではなく「虎睡山」(こすいざん) 神仏習合名残りがあります

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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現在の本殿は 屋根は檜皮葺 正面は千鳥破風と軒唐破風が付いて桃山時代風ですが 江戸時代の慶安元年(1648)福山城を築いた水野勝成公によって再建されたもの規模は 桁行七間(18.48m)・梁間四間(9.7m)の入母屋造平入で正面に向拝三間

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本殿向かって右側の境内には 疱瘡神社などの境内社が並んで祀られています

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その境内社の上段には 十麻里二柱神社祀られています

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本殿向かって左側の境内には 乳房神社から

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石段を上がると多理比理神社たりひりじんじゃ)《主》多理比理神

延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・多理比理神社〈吉備津神社 境内〉(福山市新市町)

一緒に読む
多理比理神社〈吉備津神社 境内〉(福山市新市町)

多理比理神社(たりひりじんじゃ)は 一説に もとは品治郡服部村大字服部本郷に鎭座していたが 何時の頃か社が荒廃し 吉備津神社の境内に移された また一説に 多理比理神社が 品治郡宮内村に当初より鎭座していて 後に分祠であった吉備津神社が備後一宮として移されたとする説もあります 『延喜式神名帳』には 多理比理神社は記載があり 備後吉備津神社は記載がありません

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さらに奥には 十二神社へ参道があります 社号標は二つ 十二神社 稲荷神社

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参道に建つ 鳥居の扁額には 何故か 大名持神社とあります

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参道の両脇には 十二支彫刻が据えられています 由緒書きを読むまでは 十二神社は十二支を祀るのかな? とか不思議に想っていました

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参道を進むと 石段の途中に右手に 稲荷神社

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石段の最上段には 十二神社〈吉備津彦命のご親族十二柱大名持神祭神とする〉が祀られています

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社殿にお参りをして 参道を戻ります

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本殿前に帰ってきました

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本殿に一礼をして 五段の境内を順に下ります
拝殿の段へと下り

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神楽殿の段へと下り

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隋神門ぬけます

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石段を下り 下隋神門へ

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社頭の鳥居から 再度 一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

備後国の式外社として 記し 元弘元年(1331年)楠木正成公の挙兵に呼応した 桜山慈俊公の事が記されています

【抜粋意訳】

式外社 吉備津宮

祭神 吉備武彦命

〇葦田郡宮内村に在す
〇当國一宮也
〇永万記云、吉備津宮社二前、
 太平記巻三云、元弘元年(1331)九月十三日 晩景ニ、備後国ヨリ早馬到来シテ、桜山四郎入道同一族等、御所方ニ参リ旗ヲ挙、当國一宮ヲ城郭トシテ楯籠ル間、近國ノ逆徒馳加リテ、其勢 既ニ七百騎、國中ヲ打廉ケ、剰他国ヘ打越シト企候、夜ヲ日ニテ討手ヲ下サレズ候ハヤ、御大事出来ヌト覚候、御油断有ベカラズトゾ告タリケル、

焼亡
百練抄、寛喜元年(1229)十一月二十七日、夜 備後吉備津宮焼亡、御體己下為ニ灰燼

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

吉備津神社(福山市新市町)は 持統天皇3年(689)飛鳥浄原令(あすかきよみはらりょう)が 発布され 吉備国は「備前国(bizen no kuni)・備中国(bitchu no kuni)・備後国(bingo no kuni)」に3分割された時に 備中の吉備津彦神社が分霊されて祀られたとしていますが 延喜式(927年)に載っていないのは 延喜式以後に祀られたものなのではないか と記しています

【抜粋意訳】

〇広島縣 備後國 蘆品郡 綱引村大字宮内

縣社 吉備津(キビツノ)神社

祭神
大日本根子彦太瓊命おおやまとねこひこふとにのみこと
細比くわしひめのみこと

大吉備津彦命おおきびつひこのみこと
稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと)

創立年代詳ならず、吉備津彦大明神は始め吉備中山にのみありしを、三国分立の時 各国に分ち祭るといふ、而して式外神名考には、吉備津宮は、備後府中に在りと見えたれども、延喜式には備中のみ見え、備前備後二国のはなし、国中最大の社にして、その数に洩れしは、蓋(けだ)し 延喜以後に分ち祭れるものなるべし、
百練抄に、「寛喜元年(1229)十一月二十七日、夜 備後吉備津宮焼亡、御體己下為ニ灰燼」とあれば、この頃已に官社に預りしを知るべし(地名辞典)、
舊記に曰、推古天皇九年 正殿を造営す、その後 大同二年再営、寛喜元年回録に罹り、後醍醐天皇元弘元年、社殿復祝融の災あり、以後四十余年間 社殿造営せられず、仮殿に鎮座ありしが、後亀山天皇 天授年中、小野宮左近将監、元弘以前三殿なりし舊模を改め一殿を造営せり、南北二殿の礎 今なほ現存せり、・・・・・・云々

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

吉備津神社(福山市新市町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る 

一緒に読む
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について

日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています