風宮(かぜのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 皇大神宮(内宮)の風日祈宮(かざひのみのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)豊受大神宮(外宮)別宮に昇格し゛風宮゛と号します
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
風宮(Kaze no miya)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市豊川町〈豊受大神宮の境内〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長戸邊命(しなとべのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・風の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮綜覧』
風宮(カゼノミヤ)
豊受大神宮宮域内に鎮坐す。當宮は、内宮の風日祈宮と同じく級長津彦命(シナツヒコノミコト)・級長戸邊命(シナトベノミコト)二座を奉齋す。
古來未官帳の祠社なりしを、弘安四年蒙古襲來の節、神威を顯はし給ひしにり、永仁元年 紀元一千九百五十三年 宮號宣下ありて、別宮に列せられ、尋て嘉元の正遷宮に神殿を増大せらき。而して當時神殿は貮宇ありしも、中世 衰微の際遂に壹宇となり以て現今に及べり。〔殿舎〕
正殿壹宇 神明造、萱葺、鐵金物打立、御階付、南面、
瑞垣御門壹間 猿頭門、扉付、
瑞垣壹重 袖繰板打
鳥居壹基 神明造
幄舎壹宇 切妻板葺
【原文参照】
【由 緒 (History)】
風宮の由緒と沿革
風宮は、古来風社と称しておりました。しかし、『止由気宮儀式帳』、『延喜神名式』には記載がなく、長徳3年の『長徳検録』に初めて「風社在高宮道棒本」と記され、多賀宮へ続く参道沿い、杉の木の本にある小さなお社であったと考えられます。
それが内宮別宮の風日祈宮と同様、蒙古襲来の際、ご神威によって猛風が起り、襲来した敵軍10万の兵を全滅させ、未曽有の国難をお救いになったご霊験に応えるべく、正応6年(1293)に一躍別宮に昇格しました。その詳細な経緯は『増鏡』にみることができます。
元来、風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調に成育するように祈りが捧げられるお社でありましたが、元冦以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰が加わります。
幕末になると、欧米列強諸国による東洋進出がはじまり、日本もその侵略の危機に再び遭遇することになり、その際には中世以来の信仰は再度喚起され、朝廷は文久3年(1863)5月に15日間の攘夷御祈願を風宮と風日祈宮に捧げられました。
神宮司庁HPよりhttps://www.isejingu.or.jp/about/geku/betsugu.html
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
風宮は 豊受大神宮の境内に鎮座
・豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
風日祈祭(かぜひのみさい)について
風日祈祭(かざひのみさい)は 古くは神宮が7月1日から8月末日までの2ヶ月間の毎日 風雨の災害が無く 適度な雨 風をいただき 農作物が稔るようにと 毎日 神職の日祈内人(ひのみうちんど)がお祈りを奉げていた「風日祈神事(かざひのみのしんじ)」に由来していると云う
現在は
内宮(ないくう)風日祈宮(かざひのみのみや)
外宮(げくう) 風宮(かぜのみや)
二つの宮を中心として 伊勢神宮125社全てに・御幣帛(みてぐら)・御笠(みかさ)・御蓑(みみの)を奉納し「適度な風が吹き 適度な雨が降るように」と風雨の災害なく 五穀の豊かな稔りをお祈り〈五穀豊穣(ほうじょう)を祈願〉する「風日祈祭(かぜひのみさい)」として 毎年5月14日と8月4日の年2回 執り行われています
風日祈祭が 神宮の祭祀の中で 他と大きく違う点は 5月の風日祈祭で神前に奉る物(お供え)の中に御幣帛(みてぐら)の他 菅(すげ)で編んだ御蓑(みみの)と御笠(みかさ)があることです
同祭は 5月14日当日 外宮で早朝5時から 内宮で午前9時から それぞれ始まり 伊勢神宮大宮司や神宮少宮司ほか神職らが和傘を差し参進すると 神職らが履く浅沓(あさぐつ)が玉砂利を踏みしめる音が参道に響きります
内宮では 御饌・神職一同が祓いを受け 正宮・別宮 荒祭宮 風日祈宮・所管社 滝祭宮の順で祭祀が行われます
午後12時からは 5月1日~13日の期間 内宮 所管社「神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)」「神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)」でそれぞれ織られた(絹)「和妙(にぎたえ)」と(麻)「荒妙(あらたえ)」を奉納する「神御衣祭(かんみそさい)」が伊勢神宮内宮(ないくう)の「正宮(しょうぐう)」と「荒祭宮(あらまつりのみや)」で執り行われます
風日祈宮(かざひのみのみや)と風宮(かぜのみや)について
「風日祈宮」「風宮」は神風を起こし日本を救ったとされる風の神様として知られています
二つの宮の御祭神は いずれも風の神様である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神・級長津彦(しなつひこのみこと)・級長戸邊命(しなとべのみこと)をお祀りしています
雨風は農作物に大きな影響を与える爲 神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りされています
二つの宮は 鎌倉時代 蒙古襲来・元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 2度の神風を吹かせ給い国難を救ったとされ その功績から正応6年(1293)に末社格の「風神社」から「別宮」に昇格し それぞれ「風日祈宮(かざひのみのみや)」「風社(かぜのやしろ)」から「風宮」の宮号を称しています
風日祈宮(かざひのみのみや)〈内宮域内の別宮〉について
・風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉《主》級長津彦命 級長戸辺命
風日祈宮(かざひのみのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 豊受大神宮(外宮)の風宮(かぜのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)皇大神宮(内宮)別宮に昇格し゛風日祈宮゛と号します
風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
外宮 別宮(べつぐう)4宮
別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味
神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます
①多賀宮 (たかのみや)〈外宮域内の別宮〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 髙宮(大 月次 新嘗)(たかのみや)
・多賀宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
《主》豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)
多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます
多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
②土宮 (つちのみや)〈外宮域内の別宮〉
・土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
《主》大土御祖神(おおつちみおやのかみ)
土宮(つちのみや)は 外宮鎮座以前から山田原に祀られていた鎮守神でした 外宮が鎮座した後 宮域の゛地主神゛となり その後 大治3年(1128)宮川の洪水から外宮を守る堤防の守護神として゛別宮゛に昇格しました ご祭神は大土乃御祖神(おほつちのみおやのかみ)で 神域内の御池にかかる「亀石」を渡った西側に 他の宮とは異なり〈外宮鎮座以前の姿のまま〉社殿は東を向き鎮座します
土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
③月夜見宮 (つきよみのみや)(伊勢市宮後)
延喜式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)
・月夜見宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
《主》月夜見尊(つきよみのみこと)月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました
月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
④風宮 (かぜのみや)〈外宮域内の別宮〉
・風宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
《主》級長津彦命(しなつひこのみこと)級長戸辺命(しなとべのみこと)
風宮(かぜのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 皇大神宮(内宮)の風日祈宮(かざひのみのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)豊受大神宮(外宮)別宮に昇格し゛風宮゛と号します
風宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊勢市駅から 外宮の社頭まで 約450m 徒歩8分程度
・豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉
神明造の白木鳥居に一礼をして
外宮参道を進みます
正殿でお参りをして 南へ折れて 別宮へと進みます
途中 亀石を渡ります
別宮への参道に入ると 向かって左手に゛風宮゛ 向かって右手に゛土宮゛
正面の石段を上がる(檜尾山(ひのきおやま)と゛多賀宮゛となっています
参拝の順序は・多賀宮・風宮・土宮と云われています
風宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉に参着
左手に古殿地 その隣に風宮(かぜのみや)の社殿が建ちます
拝殿にすすみ
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
南向きの御敷地は東西に別れて 白と黒の玉石が整然と敷き詰められています 社殿の隣は 古殿地(こでんち)
古殿地とは〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所が 次の式年遷宮を待ちます〉
古殿地の奥には 心御柱(しんのみはしら)が立つ処に 覆屋の小さな社が一つ建てられています
以前のお参りの時は 敷地は今とは東西が入れ替わっています
ちょつとわかり難いので 多賀宮の高台 檜尾山(ひのきおやま)から見下ろした 式年遷宮 以前の風宮〈西が社殿・東が古殿地〉
別宮〈・多賀宮・土宮〉については
・多賀宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉《主》豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)
多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます
多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
・土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉《主》大土御祖神(おおつちみおやのかみ)
土宮(つちのみや)は 外宮鎮座以前から山田原に祀られていた鎮守神でした 外宮が鎮座した後 宮域の゛地主神゛となり その後 大治3年(1128)宮川の洪水から外宮を守る堤防の守護神として゛別宮゛に昇格しました ご祭神は大土乃御祖神(おほつちのみおやのかみ)で 神域内の御池にかかる「亀石」を渡った西側に 他の宮とは異なり〈外宮鎮座以前の姿のまま〉社殿は東を向き鎮座します
土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉
参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『伊勢参宮案内〈昭和5年(1930)〉』に記される内容
【抜粋意訳】
風宮(かぜのみや)
土宮の東にある風を司り給ふ神。
級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸邊命(しなとべのみこと)を祀る。
【原文参照】
風宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
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伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について