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Shrine-heritager

蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉

蚊野神社(かのじんじゃ)御同座する 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ) 第21代 雄略天皇(457~479年)が定めたと伝え 皇大神宮(内宮)27摂社の第7位と格式があります 規定では 造替使がその任に当り 20年に1度正宮と並び正殿を造替える神社でしたが 中世には頽廃してしまいます 寬文三年1663)大宮司 河邊精長により 現社地に再興され 現在に至ります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

蚊野神社(Kano shrine

〈御同座〉蚊野御前神社(Kano mimae shrine

通称名(Common name)

・かなもりさん

【鎮座地 (Location) 

三重県度会郡玉城町蚊野字里中1807

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

蚊野神社
《主》大神御蔭川神(おほみかみのみかげかのかみ)

※『神名帳考証』には 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
〈大神御蔭川神の神名を「川に臨んで罪を祓い清浄に至る天照大神の御霊」と解釈〉

〈御同座〉蚊野御前神社
《主》御前神(みまえのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮摂末社巡拝』下に記される内容

【抜粋意訳】

蚊野神社(かのじんじゃ)

 朽羅神社を拜し終ってから、東原の熊野街道に出で、所謂蚊野の松並木に昔の熊野西國街道の名残りを偲び、蚊野の村に入って、蚊野神社(かのじんじゃ)に達す。
本社は皇大神宮の攝社で、御社名は儀式帳及び延喜大神宮式には 蚊野社、同神名式には蚊野神社と見えてゐる。御造誉は本年成りたるばかりで、木の香も新らしく、清々しいぱかりである。御鎭座地は、度會郡東外城田村大字蚊野で、神社は部落の北蚊野の森の中に鎭座してゐる。
蚊野の田野の開拓守護神として、御祭神は大神御蔭川神(おほみかみのみかげかのかみ)を御祭り申し上げてゐる。
蚊野の田野をうるほす外城田川支流の灌漑用水の大神を御祭り申し上げたものである。これに特に大神(おほみかみ)といふ文字の添ってゐるのは、この地が荒木田氏によって開拓され、大神宮頷となつた後、天照大神の卸蔭を蒙るに至つた地方であることを物語ってゐるものである。

 雄略天皇の御代の御鎭座で、御正殿一宇の外に前殿一宇あり、御前神をも併せ祭られてゐたものであるが、中世社殿頽廃後、寬文三年御本殿一宇のみ御再興ありしを以て御前神は現在御同殿内に御祭り申し上げてゐる。社地は二町とあり。儀式帳によると、造宮使造替六社の一つとして攝末社の中でも特別の御崇敬を受けた神社であることが分る。

【原文参照】

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

【由  (History)】

『内宮私考』〈明33年(1900)〉に記される内容

【抜粋意訳】

蚊野神社

此社は 度會郡東外城村大字蚊野
祭神大神御蔭川神に座せり
但 皇太神宮延曆儀式帳神名秘書に據る

蚊野御前神社

此社は 蚊野神社域に在り 正殿中絶せしに依て 蚊野神社に御同座
祭神は 詳ならず恐らくは 御蔭川神ノ荒魂を祭れる社ならむ

【原文参照】

薗田氏熹 (荒木田) 著『内宮私考』,薗田氏熹,明33.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815896

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉は共に 皇大神宮(内宮)摂社

・皇大神宮(内宮)

一緒に読む
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉

皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻4神祇四 伊勢太神宮

「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています

゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭並預゛と記されます

【抜粋意訳】

伊勢太神宮

太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。

荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。

伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座

月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座

瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】 

伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。

度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。

多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】

諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社

度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社

右諸社,並預祈年、神嘗祭。

以下略

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 蚊野神社
[ふ り が な ]かのの かみのやしろ
[Old Shrine name]Kano no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の摂社・末社・所管社について

お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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内宮・外宮の摂社・末社にある゛御前神(みまえのかみ)゛について

本社とする神社の御前(みまえ)にある神の意です

朝熊御前神社 (あさくまみまえじんじゃ)〈内宮域外の摂社(朝熊神社境内)〉

・朝熊神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大歳神(おおとしのかみ)・苔虫神(こけむしのかみ)・朝熊水神(あさくまのみずのかみ)

・朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)

一緒に読む
朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています

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園相神社(そないじんじゃ) 御同座 御前神(みまえのかみ)

・園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》曽奈比比古命(そなひひこのみこと)〈別称 園作神(そのつくりのかみ)
   御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

園相神社(そないじんじゃ)は ゛園作神〈曽奈比比古命〉゛が皇大神に御園を奉り これを祝い 倭姫命が社を定めたと伝わる古社 皇大神宮(内宮)摂社の27社中 第3位と格式高い神社ですが 中世には頽廃して社地も不明となり 寛文3年(1663)河邊精長が度会郡積良村に再興 この再興地に疑義があり 元禄七年(1694)大中臣長春が津村を旧社地と定め 現在地へ遷座しました

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鴨神社(かもじんじゃ) 御同座 御前神(みまえのかみ)

・鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》石己呂和居命(いしころわけのみこと)
   御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

鴨神社(かもじんじゃ) は 皇大神宮(内宮)の摂社で『延暦儀式帳』〈延暦23年(804)〉によれば ゛倭姫命の祝ひ定め給ふ所゛と伝わり その後 中世に頽廃しましたが 寬文三年(1663)攝社として再興され この時は 本村字竈谷の地゛氷室洞くつ゛の所に本社が造立されています 明治九年(1876)更に神宮司廳に於て 現在の地に移造されています

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田乃家神社 御同座 田乃家御前神社 (たのえみまえじんじゃ)

・田乃家神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大神御滄川神(おおかみのみさむかわのかみ)

〈御同座〉田乃家御前神社》御前神(みまえのかみ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉

一緒に読む
田乃家神社〈御同座 田乃家御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉

田乃家神社(たのえじんじゃ)〈御同座 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)〉は 創建は 第21代 雄略天皇の御代(457~479年)と伝わる皇大神宮(内宮)の摂社 かつて造宮使造替六社の一つで高い格式がありましたが ここも中世に頽廃し 寬文三年(1663)に再興されました その際 御前神は正殿に御同座し〈昔は二殿あり〉 現在に至ります

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蚊野神社 御同座 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)

蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)

〈御同座〉蚊野御前神社《主》御前神(みまえのかみ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉

一緒に読む
蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉

蚊野神社(かのじんじゃ)御同座する 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)は 第21代 雄略天皇(457~479年)が定めたと伝え 皇大神宮(内宮)の27摂社の第7位と格式があります 規定では 造替使がその任に当り 20年に1度正宮と並び正殿を造替える神社でしたが 中世には頽廃してしまいます 寬文三年(1663)大宮司 河邊精長により 現社地に再興され 現在に至ります

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湯田神社 御同座 御前神(みまえのかみ)

・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

湯田神社(ゆたじんじゃ)は 雄略天皇朝の創立 造宮使造替六社中の一で格式も高かったが 中世に廃絶し 社地は明らかになりませんでした 産土社の境内社 湯田社に再興したもので 祭神についても大歳御祖命(おほとしみをやのみこと)御前神(みまへのかみ)とされますが 鳴宸電(なるいかつち)を祀る説があり 式内社・湯田神社 ・雷電神社の二つの論社となっています

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久具都比賣神社 御同座 御前神(みまえのかみ)

・久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》久具都比女命(くぐつひめのみこと)・久具都比古命(くぐつひこのみこと)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)摂社として『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛久具神社一處゛(クグノヤシロ ヒトトコロ)と記載される古社 かつては正殿が三區あったとされ゛一區は久々都比女命の御形(ミカタ)を齋(イハ)ひ ー區は久々都比古命を齋ひ 又一區は前社にて 右の神 の御蔭(ミカゲ)を祭奉る゛とあります

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棒原神社 御同座 御前神(みまえのかみ)

棒原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)・御前神(みまえのかみ)

一緒に読む
棒原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉

棒原神社(すぎはらじんじゃ) は 『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に所載される皇大神宮(内宮)の摂社で 奈良朝廷の時〈奈良時代(710~784年)〉に創建と伝わる古社です 「杉の森」と呼ばれる古墳丘の上に鎮座します 『延喜式神名帳927 AD.』には 棒原神社(をいはらの かみのやしろ)とも読むことがあります

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田上大水御前神社 (たのえおおみずみまえじんじゃ)〈外宮域外の摂社〉

・田上大水神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
田上大水神社〈御同座 田上大水御前神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉

田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)・御同座 田上大水御前(たのえおおみずみまえ)神社は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載ある古社ですが 中世に頽廃してしまい 権禰宜 出口延良が承応元年(1652)度会四門の氏人らとともに現地に再建したものです 寛文三年の再興では取り上げられず 明治四年の神宮御改正までは氏人により社殿の造替えが続けられました

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佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)〈伊雑宮 所管社〉

・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)《主》佐美長御前神

一緒に読む
佐美長神社・佐美長御前神社(磯部町恵利原)〈伊雑宮所管社〉

佐美長神社(さみながじんじゃ) ・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)は ともに『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に記される伊雑宮の所管社です 『延喜式神名帳(927)』志摩国 答志郡 同島坐神乎多乃御子神社(おなしきしまにます かむをたのみこの かみのやしろ)の論社でもあります

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朝熊神社の御前神 鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)〈内宮の末社〉

鏡宮神社は 朝熊神社の御前神とされます 朝熊神社の境内に朝熊神社が建てられたため 現在地に遷座

・鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉
《主》岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)
〈朝熊神社の御前神 岩上二面神鏡霊で御鏡を鎮祭する〉

一緒に読む
鏡宮神社〈皇大神宮(内宮)末社〉

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)は 朝熊神社の御前神゛御神鏡゛〈岩上二面神鏡霊(いはのうえふたつのみがみのみたま)〉を鎮祭する皇大神宮(内宮)の末社です かつて二面の神鏡は 二つの川の合流点にある神聖な岩の上に祀られていた〈虎石(とらいし)〉(神域内〈朝熊川の岸〉木柵の中にある)とも〈潮干石(しほひいし)(五十鈴川の川中にある)とも伝わります

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR参宮線 外城田駅から南下約1.6km 車5分程度

境内の南側に入り口があります

蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着

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入り口の左右に石柱があり
向かって左の石柱には゛神宮゛ 向かって右の石柱には゛蚊野神社 社域゛と刻字されています

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一礼をして  石段を上がると 又石柱かあり゛皇大神宮摂社 蚊野神社゛とあります

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大木の脇を抜けて続く縁石で仕切られた参道を進みます

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殿にすすみ お祈りをしま

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます

古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉

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雄略天皇の御代の御鎭座で゛御正殿一宇の外に前殿一宇あり 御前神をも併せ祭られてゐたものであるが、中世社殿頽廃後、寬文三年御本殿一宇のみ御再興ありしを以て御前神は現在御同殿内に御祭り申し上げてゐる゛と伝わり

古代には 御前神を祀る御前社が存在し二殿であったと伝えます
寬文三年1663)の再興からは一殿となり 御前神は御本社に御同座して坐ます

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 蚊野神社について 所在は田辺郷蚊野村に在す〈現 蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし

創建年代は 大長谷天皇御宇〈第21代 雄略天皇の御代(457~479年)〉と記しています

【抜粋意訳】

蚊野神社

蚊野は加能と訓べし

○祭神 太神御蔭川神

○田辺郷蚊野村に在す、神名略記

○式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第五に載す、
〇儀式帳云、稱に太神御蔭川神、形鏡坐、大長谷天皇御宇定祝、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 蚊野神社について 所在は田邊郷蚊野 加那森にあり〈現 蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし

創建年代は 大長谷天皇御宇〈第21代 雄略天皇の御代(457~479年)〉と記しています

【抜粋意訳】

蚊野神社

今 田邊郷蚊野 加那森にあり、延暦儀式帳、神祇本源、神名帳考証、

太神の御蔭川神と稱す、形鏡に坐す、雄略天皇 御世定祝奉る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 蚊野神社について 所在は東外域田村大字蚊野〈現 蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています

【抜粋意訳】

蚊野神社

祭神 大神御蔭川神

祭日 二月十一月十二月
社格 内宮所攝 二十四所之一

所在 三重縣田邊郷蚊野村加奈森(度會郡東外域田村大字蚊野

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

一緒に読む
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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  • B!

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています