実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中)

香取神宮 要石(かなめいし)は 香取・鹿島の二柱の大神が 葦原中を平定し 香取ヶ浦に至った時 地震を起こす大鯰(おおなまず)を鎮めるため 地中深くに石棒を差し込み 鯰の頭尾をさし通し霊石と古くから伝えらます 押手神社(おしじんじゃ)は この要石を向いて 宇迦之御魂神〈農耕の神〉を祀ります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

香取神宮
要石Kanameishi

・押手神社(Oshite shrine)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

千葉県香取市香取宮中

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

押手神社《主》宇迦之御魂神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

〈要石〉 諸難防除の霊石
・ 押手神社 農耕の神

【格  (Rules of dignity)

・地震鎮めの霊石〈要石〉
・香取神宮の末社〈押手神社〉

【創  (Beginning of history)】

要石

 香取、鹿島の大神、往古この地方尚ただよえる国であり地震が多く地中に住みつく大鯰魚を抑える為地中深く石棒をさし込みその頭尾をさし通した。香取は凸形、鹿島は凹形である。

伊能穎則
「 あづま路は香取鹿島の二柱うごきなき世をなほまもるらし 」

現地立札より

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【由  (History)】

下総一之宮 香取神宮

要石(かなめいし)

 香取・鹿島の二柱の大神、葦原中を平定し、東国開拓ため、香取ヶ浦に至った。この地はなおただよえる国であっため、地震が頻発し、人々はいたく恐れていた。
 大神地中深くまで石棒をさし込み、荒れ騒ぎ災厄をもたらす大鯰頭尾を抑えこれを鎮めたと伝わる。以来この要石は諸難防除の霊石として広く信仰されている。
香取神宮社務所 配布紙より

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要石(かなめいし)

古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました
これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。

香取神社HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

〈本宮は香取神宮〉

・香取神宮(香取市)下総国一之宮

一緒に読む
香取神宮(香取市)下總國一之宮

香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

押手神社に祀られる 宇迦之御魂神(うかのみたのまかみ)について

『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されます

一般に広く信仰されている 伏見稲荷大社の主祭神 稲荷神(お稲荷さん)としてよく知られています

 宇迦之御魂神(うかのみたのまかみ)の意味

「宇迦(うか)」は 穀物・食物の意とされていて 食物の古形保食(うけ)同源とさ 特に稲霊(いなたま)を表もされ
「御(み)」は 神秘・神聖の意
「魂(たま)」は (たましい)の意

つまり「稲に宿る 神聖御魂の神」と考えられます

『古事記』上巻 須佐之男命の系譜の段記さる宇迦之御魂神

【抜粋意訳】
須佐之男命が 櫛名田比売と交わって生んだ神様の名前は 八島士奴美神

次に娶った神大市比売との間に生まれたのが 兄に大年神(おおとしのかみ)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

【訓読】
 其の櫛名田比売を以ちて 久美度邇起して 生める神の名は 八島士奴美神と謂ふ
 大山津見神の女(むすめ) 名は神大市比売を娶して生子(みこ)大年神 次に宇迦之御魂神生み給ひき

【抜粋原文】
故、其櫛名田比賣以、久美度邇起而、所生神名、謂八嶋士奴美神。自士下三字以音、下效此。又娶大山津見神之女、名神大市比賣、生子、大年神、次宇迦之御魂神。二柱。宇迦二字以音

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

農耕の神〈宇迦之御魂神〉を祀る押手神社

大年神は 一年の収穫を表す年穀の神ですので 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)も 農耕の神と考えられています

押手神社は 宇迦之御魂神農耕の神と祀っていました

古は正月 御鍬(おくは)入の神事を この社前に行ひ、五穀を艮ノ隅に埋めたり。此の祭を行はざる前には神地神戸の民は更なり、近隣の民一切農具を取らざりしと云へり。

『香取神宮志』〈昭和13年(1938)〉より

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

要石(かなめいし)について

神宮の森の中に要石と呼ばれる霊石があり この霊石地震を鎮める石とされています

大部分が地中深く埋まり 地震を起こす鯰(なまず)の頭を抑えていると古くから伝えられています
地上に露出している部分は ほんの十数センチで 香取神宮は凸形 鹿島神宮は凹形で

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要石(かなめいし)祀る神社について

茨城県鹿嶋市の鹿島神宮

・鹿島神宮(鹿嶋市)常陸国一之宮

一緒に読む
鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社名神大社・常陸國一之宮〉

鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています

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千葉県香取市の香取神宮

・香取神宮(香取市)下総国一之宮

一緒に読む
香取神宮(香取市)下總國一之宮

香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です

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三重県伊賀市の大村神社

大村神社伊賀市阿保

宮城県加美町の鹿島神社

高千穂宮 鎮石(しずめいし)について

高千穂神社の社伝には「住古 関東鹿島神宮 御社殿 御造営の際 高千穂宮より鎮石が贈られ 同宮神域に要石として現存しています」伝えています

つまり 鹿島神宮にある要石(かなめいし)は 高千穂宮より贈呈された 鎮石(しずめいし)だと伝承を持ちます

高千穂宮 鎮石(しずめいし)の由来

十一代 垂仁天皇の勅命により 我国で始めて 伊勢神宮と当高千穂宮が創建された際用いられた鎮石と伝えられます。
尚、住古、関東鹿島神宮 御社殿御造営の際 高千穂宮より鎮石が贈られ 同宮神域に要石として現存しています
またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています

高千穂神社境内の案内板より

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高千穂神社の記事をご覧ください

・高千穂神社(高千穂町三田井字神殿)

一緒に読む
高千穂神社(高千穂町三田井字神殿)

高千穂神社(たかちほじんじゃ)は 垂仁天皇の御世 創建と伝わり 高智保皇神(たかちほのすめかみ)として 六国史『続日本後記』『三代実録』に記述がある国史見在社ともされます 天慶年問(938~947年)豊後国の豪族 大神惟基の子・政次が 高知尾(高千穂)氏を興し 十社大明神を高千穂18郷(高千穂八十八社)の総社として崇め 広く郷民の信仰を集めたといいます

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

香取神宮の総門から 旧参道西へ200m 徒歩3分

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旧参道沿いに 要石の案内板があり 左〈南〉へ進む道があります

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香取神宮 要石押手神社(香取市香取宮中)に参着

玉垣囲まれて 要石鎮まります

香取神宮 要石

(おも)いかなう かなめいし
「石(いし)」は「意思(いし)」に通じます

立札より

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ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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要石を向いて祀られているのが 押手神社です

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押手神社

社殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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古い小さな手水鉢の横に 石碑がありますが 摩耗か判読不能

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『香取神宮志〈昭和13年(1938)〉』に記される伝承

要石について 香取鹿島二柱の大神が 香取か浦のに至りし時 大なる鯰魚が荒れさわぐので 地中に深く石棒をさし込み 鯰魚の頭尾をさし通されたものが 一部地上に出ている 記しています

境外末社 押手神社について 宇迦之御魂命を祭り 古は正月 御鍬入(おくわいれ)神事が行われた農耕の神と記しています

【抜粋意訳】

要石

に云、往古香取鹿島二柱の大天照大御神の大命を受け、葦原の中つ國を平定し.香取か浦のに至りし時このほたたよへるにして、地震頻りなりければ人々甚く恐たり、これ地中に大なる鯰魚みて、荒れさわくにこそと、大神等地中に深く石棒をさし込みその頭尾をさし通し給へりと、当宮は凸形、鹿島は凹形にて地上に一部をあらはし深さ幾十尺たるを知らす、
貞享元年三月徳川光圀當神宮参拝の砌この根をらせしも根元を見ることをざりきと云ふ、當神宮楼門の側の「黄門櫻」はその時の御手植なり。

境外末社

押手(おして)神社

香取町宮中にあり、宇迦之御魂命を祭る。古は正月 御鍬(おくは)入の神事をこの社前に行ひ、五穀を艮ノ隅に埋めたり。此の祭を行はざる前には神地神戸

の民は更なり、近隣の民一切農具を取らざりしと云へり。

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『香取神宮志』著者 香取神宮社務所 編 出版年月日 昭13 出版者 香取神宮社務所https://dl.ndl.go.jp/pid/1144805/1/11

国立国会図書館デジタルコレクション『香取神宮志』著者 香取神宮社務所 編 出版年月日 昭13 出版者 香取神宮社務所https://dl.ndl.go.jp/pid/1144805/1/11

香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中) (hai)」(90度のお辞儀)

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香取神宮(香取市)の境内社・境外社

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香取神宮(香取市)の摂社(9社)・末社(21社)合計30社

香取神宮(かとりじんぐう)の 摂社(せっしゃ)9社・末社(まっしゃ)21社・合計30社と境内・境外の要所について

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・香取神宮(香取市)下総国一之宮

一緒に読む
香取神宮(香取市)下總國一之宮

香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です

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