鎌宮諏訪神社(かまみやすわじんじゃ)は 社頭に鳥居がありますが 社殿や本殿はありません 境内に玉垣が巡らされたご神域があり その中に御神体として 御神木「タブの木」が祀られています この御神木には 特殊な「鎌打ち神事」という神事があり その祭典は「日足鎌」とも「左鎌」とも呼び 2丁の鎌を タブの神木に打ち込む神事です 由来は 神代の昔 大巳貴命〈大国主命の別名〉と少彦名命の2柱神と力を合わせて 御祭神の建御名方命(タケミナカタノミコト)〈大巳貴命の御子神〉が この鎌で道を開いて 村人を苦しめていた毒蛇や化鳥を退治したことにちなむとされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
鎌宮諏訪神社(Kamamiyasuwa Shrine)
(かまみやすわじんじゃ)
[通称名(Common name)]
鎌の宮(かまのみや)
【鎮座地 (Location) 】
石川県鹿島郡中能登町金丸又た
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》建御名方命(Takeminakata no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・宿那彦神像石神社(中能登町)の境外社
【創 建 (Beginning of history)】
・創建年代不詳
【由 緒 (History)】
鹿西町指定文化財 名木タブ
鎌の宮神木由緒
祭神 建御名方命は、大巳貴命(大国主命の別名)のみ子神で、大巳貴命、少彦名命の二神と力をあわせ、邑知潟に住む毒蛇化鳥を退治、能登の国平定の神功をたてられた。
おすわまつりと呼ぶ祭典が、毎年7月27日(今は8月)に行われ、日足鎌とも左鎌とも呼ぶ2丁の鎌に、稲穂と白木綿をつけ、古来、鎌宮州端名神風祭と呼びきたった風祭を行い祭典後その鎌を神木に打ちつける。
この鎌は、諏訪の薙鎌ともいって、外に刃が向っており、暴風よけ雷よけ辰巻よけとして神木の高所に打ちつける、なお金丸鎌祭は中昔まで参詣人は遠近より鎌を持って群集し「鎌の舞」を演じたという。
俗に「27日お諏訪の祭、雨が降らねば風が吹く」と伝えられている。
鹿西町教育委員会
鹿西町文化財審議会境内案内石板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・祠が鎮座しますが 祭神などはわかりません
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
式内社の論社 宿那彦神像石神社(中能登町)の境外社となっています
・宿那彦神像石神社(中能登町金丸)
宿那彦神像石神社(すくなひこのかみかたいしじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 社伝によれば 神代の昔 御祭神 少彦名命が 大名持命とともに能登国を巡行し 国土平定の後 大己貴命は氣多崎に 少彦名神は此地に 神霊を石に留めたと伝わります この神代の2柱神に因んで 氣多大社の例大祭 平国祭は 氣多大社の神輿が 3月20日夕刻 本社〈宿那彦神像石神社〉拝殿で一泊 翌朝 祭神〈少彦名命〉が 右神輿に遷座せられ 七尾の気多本宮に神幸し 23日午前に右神輿が 本社に還御あって祭典を奉仕します
宿那彦神像石神社(中能登町金丸)少彦名神が神霊を石に留めたと云う
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
鎌打神事(カマウチシンジ)について〈石川県の無形民俗文化財に指定〉
毎年8月27日 金丸の宿那彦神像石(すくなひこのかみかたいし)神社〈鎌宮諏訪神社〉と藤井の住吉神社で行う神事です
台風や雷、竜巻から地区を守ることを祈願していますが その由来は
遠い神代 大名持命(おほなもちのみこと)と少名彦命(すくなひこなのみこと)が 能登を巡行して 毒蛇や化鳥を退治し平定したと伝わり
その折に 大名持命の御子神〈諏訪神社の祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)〉が 鎌で草木を薙ぎ払い先導したと伝わる故事に因むものです
祭りは 境内にある神木のタブノキの前で風鎮祭を執り行い 稲穂と2丁の鎌を奉納した後 金丸地区は宮当番が左鎌 右鎌の順で 藤井地区は神職が雄鎌 区長が雌鎌を それぞれ金づちでタブノキの幹に打ち込み 五穀豊穣と無病息災を願います
鎌打ち神事
石川県指定無形民俗文化財の鎌打ち神事が毎年8月27日、藤井地区の住吉神社と金丸地区の鎌宮諏訪神社で行われます。
鎌宮諏訪神社では古来、社殿を設けず、タブの木をもって御神体としてきました。鎌打ち神事はこの大木に鎌を打ち込む伝統的な儀式です。打ち込んだ鎌は木の成長とともに埋まってしまい、こぶになっています。もともとの神木は老朽化が激しく、昭和45年から新しいタブの木を神木として、これに鎌打ちの行事を行っています。この神事は諏訪信仰の特色を伝えるものとして、昭和35年に町の文化財に、平成4年に石川県の無形民俗文化財に指定されています。
神社に祀られている建御名方命(たけみなかたみこと)は風を起こすことも、大風を鎮めることもできる、とても強い神様です。大昔、近くの邑知潟にはたくさんの大蛇が住んでいて村人を困らせていたので、この神様が鎌で退治したという言い伝えから鎌が使われています。
お諏訪祭りは当日、俗に「雨が降らねば風が吹く」といわれます。昼過ぎからお祭りの準備、しめ縄に御幣、鎌には稲穂と白木綿をつけ神前に供えられます。鎌は昔から「風きり鎌」と言われ、鎌を屋根に置くという地方もあります。
鎌は左鎌ですが、左右の左ではなく、「日足鎌」と古文書にあります。また、神様は左利きだったという伝承もあります。
昔、鎌を打つ人は神職でしたが、現在は宮当番の氏子の代表が神職の衣装をつけ、烏帽子姿で勤めています。
中能登町役場HP https://www.town.nakanoto.ishikawa.jp/soshiki/kikaku/6/6142.html
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
諏訪大社の 「なぎかま(薙鎌)」と 打ち込み神事について
諏訪神社の本宮 諏訪大社の御神体の一つに「なぎかま(薙鎌)」があります
諏訪大社から 分社を執り行う時には 御霊代(ミタマシロ)として「なぎかま(薙鎌)」を分与します
古には 御柱祭の前年には 信濃国中の諏訪神社に配布したとのこと
現在は
御柱祭の前年に 中谷大宮諏訪神社(北安曇郡小谷村)に諏訪大社の神職が赴き 「なぎかま(薙鎌)」を2振り奉納する薙鎌祭があり その翌日に 信越国境の戸土境宮諏訪神社と小倉明神の両社の神木に打ち込み神事を執行します
・中谷大宮諏訪神社(北安曇郡小谷村)
7年に一度の薙鎌打ち神事
神木に打ち込まれた薙鎌
諏訪の御柱祭が行われる前の年には、中谷大宮諏訪神社例祭に合わせ、「式年薙鎌(なぎがま)打ち神事」が行われます。
中谷大宮諏訪神社例祭の本祭りと同日に、「薙鎌神事報告の儀」を行い、翌日に、信越国境の「境の宮」又は、「小倉明神」の神木に「薙鎌」を打ち込む神事が行われます。
この神事は、信濃の国の国境を確認し、国土を祓い、平安を祈るための神事と言われています。
長野県小谷村の観光公式サイトより
https://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/looking/nakayaohmiya/index.html
その他の 諏訪神社での鎌打ち神事について
・高坂剱主神社(氷見市平)
七尾市と氷見市の県境にある石動山に鎮座する「伊須流岐比古神社」を過ぎて氷見側に入ってすぐに鎮座する 高坂剣主神社(タカサカツルギヌシジンジャ)
その境内社 「平諏訪社〈スワドさん〉」は 社殿がなく 栗木(クリノキ)が 御神体です
秋の収穫期を目前にして風害 水害などの災難を鎮め 五穀豊穣と収穫の無事 村内安全を祈願します
以前は この祭礼に併せて 神前に供えられる「カマ」と呼ぶ一対の鉄製魚形を祭礼の終わりに境内の栗木(クリノキ)に打ち込んだと云われます
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
金丸駅から北西へ約350m 徒歩5分程度
鳥居はありますが 社殿はなく 玉垣が巡らされた中に御神木「タブの木」が御神体として祀られています
一礼をして 鳥居をくぐります 鳥居の扁額には「鎌宮諏訪神社」とあります
鎌宮諏訪神社(Kamamiyasuwa Shrine)に参着
玉垣が巡らされた御神木「タブの木」は 2本のあり その幹には 多数の鎌が 全て刃が外に向かって打ち込まれています 異様な迫力があります
その2本のうち 古いタブはすでに枯れているようですが 地上6m程で上部を切られていますが 苔生した姿は神々しく 思わず頭を垂れます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
鎌宮諏訪神社(Kamamiyasuwa Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
宿那彦神像石神社(中能登町)に向かいます
・宿那彦神像石神社(中能登町金丸)
宿那彦神像石神社(すくなひこのかみかたいしじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 社伝によれば 神代の昔 御祭神 少彦名命が 大名持命とともに能登国を巡行し 国土平定の後 大己貴命は氣多崎に 少彦名神は此地に 神霊を石に留めたと伝わります この神代の2柱神に因んで 氣多大社の例大祭 平国祭は 氣多大社の神輿が 3月20日夕刻 本社〈宿那彦神像石神社〉拝殿で一泊 翌朝 祭神〈少彦名命〉が 右神輿に遷座せられ 七尾の気多本宮に神幸し 23日午前に右神輿が 本社に還御あって祭典を奉仕します
宿那彦神像石神社(中能登町金丸)少彦名神が神霊を石に留めたと云う