若子神社(じゃっこじんじゃ)は 弘仁11年(820)日光を訪れた弘法大師(空海)が 「白糸の滝」で修行し滝尾神社(たきのおじんじゃ)を開き 次いで この「寂光の滝」で修行した時 夢の中で女神のお告げを受け ここに祠を建てたと伝えられます 往時は神仏習合し 寂光権現と称していましたが 明治以降「若子神社」と改められます 境内の直下には日光八景に数えられる「寂光の滝」があります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
若子神社(Jakko Shrine)
(じゃっこじんじゃ)
【鎮座地 (location) 】
栃木県日光市日光
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》下照姫命(shitateruhime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
・和歌の祖 The ancestor of Japanese poetry and songs
・芸能上達 Improvement of entertainment
・悪疫退散 Dispel the bad epidemic illness
【格 式 (Rules of dignity) 】
・日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)摂社
【創 建 (Beginning of history)】
弘仁11年(820)の創建
【由 緒 (history)】
若子(じゃっこ)神社
弘仁(こうにん)11年(820)日光を訪れた弘法大師 空海は、滝尾(たきのお)神社を開き、次いでこの奥の寂光(じゃこう)の滝で修行した。
夢の中で女神のお告げを受け、ここに祠(ほこら)を建てたと伝えられる。
室町時代には、寂光寺(じゃこうじ)の七堂伽藍(しちどうがらん)が立ち並び、釘念仏(くぎねんぶつ)道場として繁栄した。
釘念仏(くぎねんぶつ)のお札は、現在も輪王寺で受けることができる。明治以降「若子(じゃっこ)神社」と改められた。
祭神は下照姫命(したてるひめのみこと)。祭日は、10月30日。案内立札より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
若子神社(Jakko Shrine)の池石(生石)(ikeishi)について
寂光の滝へ向かう道に座します
若子神社遥拝所 本社と若子神社の中間に鎮座する遥拝所(前立て)大きな磐座が祭られ その岩の上にある窪みの水が枯れないことから名前が付いたとされます また 石の水が尽きないように無限の財益を授けると言われています
池石(いけいし)(生石)
石の上面に周囲二メートル、深さ三十センチほどの凹みがあり、水をたたえているので「池石」と呼ばれた。
ここに溜まった水は、あたかもこの石が生きているように、一年中枯れたことがないことから「生石」とも呼ばれた。
池石の水をかきまわすと、雨が降るという言い伝えがある。
また、この石は、若子神社の遙拝所(前立)であり、石の水が尽きないように無限の財益を授けると言われている。案内立札より
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)本社 神苑内に遥拝所 ・若子神社遥拝所(Jakko Shrine.. A place to worship in the distance)
摂社・若子神社(Jakko Shrine)の遥拝所 磐座が祭られています
大抵の御参拝の方々は そちらで遥拝を済ませて 御朱印を頂いたりしていますので こちらの本殿で参拝される方は ほとんどおられません
しかし 本社に遥拝所が設けられている程 大切な神社であります
室町時代には 寂光寺(jakoji)の七堂伽藍(shichidogaran)が立ち並び
釘念仏(kuginembutsu)道場として繁栄したと伝わっていて 素晴らしい由緒のある処ですので 本殿での御参拝をお勧めいたします
・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
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日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します
弘法大師(Kobotaishi)空海(Kukai)が修行したと伝わる「寂光の滝(Jakko - Falls)」について
弘仁11年(820)日光を訪れた弘法大師(Kobotaishi)空海(Kukai)が 「白糸の滝」で修行し滝尾神社(Takinoo Shrine)を開き 次いでこの「寂光の滝」で修行した時 夢の中で女神のお告げを受け ここに祠を建てたと伝えられる由緒があります
本殿の裏すぐ近く 大師が修行された「寂光の滝」がありますので 観光で滝を見て癒される方もおられます
7段ある滝と云われ 坂の中腹から眺めると その段数を望めます
寂光(じゃこう)の滝
「高さ50m、幅6m、7段になって落ちている。
昔から名瀑として知られ、「布引の滝」「七滝」などの別称をもつ。
「寂光瀑布」として、「日光八景」の一つに数えられている。」案内立札より
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)R120号のゆるやかな坂を上がっていくとまもなく左手に「田母沢御用邸記念公園」右手には「飛石八幡神社」がある 山から「田母沢川」が大谷川に注いでいる箇所に橋が架かり その手前に 「寂光の滝」入り口の案内標識に従って右折します
寂光の滝へ向かう道1km程進むと左手に
池石(生石)(ikeishi)があります
上記の「この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)」を参照ください
この地点から そのまま更に狭い坂道を約1kmゆっくりと上がって行きます
道幅は狭く 対向車は互いに道をゆずり合いながらすれ違います
途中には社号標「日光二荒山神社摂社 若子神社」が建ちます
沢の音が聞こえる森林の中に駐車スペースがあります
若子神社(Jakko Shrine)に参着
駐車スペースから続く参道の入り口には「寂光の滝(Jakko - Falls)」の矢印標識があり その先には「登山カード入れポスト」が設置されています
この参道入口が 瀧尾神社の御神体である女峰山への登拝口ともなっています
進むと社号標「日光二荒山神社摂社 若子神社」と案内の立札があり その先に 注連縄が掛かる鳥居が建ちます
一礼して鳥居をくぐり抜けます 参道は石畳になってきました
鳥居をくぐると右手には 神仏習合時の名残り不動尊があり合掌します
「奉造立石像不動尊」石塔は享保十乙巳天1725と刻まれています
参道は石段となって うねりながら木立の中を山へと登っていきます
少し石段を上ると上方に拝殿が見えてきます
参道の石段を登りつめた石垣の上には拝殿が建ち見上げます
拝殿の後ろの更に高い石垣には 本殿が建ちます 本殿の石段下には 元文二天1737石燈籠があります
本殿にすすみます
神社と朱印の案内があります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
御本殿を左右から仰ぎます
本殿の檀から降ります
本殿左手下100mのところに名瀑「寂光の滝」があります
ここからですと木々の間から 弘法大師(Kobotaishi)が修行をされた滝の姿が見えます
滝に近づくと実に清々しいですが 水は冷たく 滝の業となれば 厳しい
川沿いに緩やかな戻る道があり 滝の見学の方はこちらを通るようです 鳥居の手前で 参道と合流しています
鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼をします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『まんが日本むかし話』「地獄めぐり」に記される伝承
寂光寺(jakkoji)の釘念仏(kuginembutsu)の由来について 判り易く伝えています
寂光寺(jakkoji)とは 現在の若子神社(Jakko Shrine)の境内に 昔あった大きなお寺です
地獄めぐり
あらすじ
昔、日光に弘法大師(こうぼうだいし)が開いたといわれる寂光寺(じゃっこうじ)という寺があった。この寺に、人々から尊敬されている覚源上人(かくげんしょうにん)というお坊さんがいた。
ある日、上人は横になり休んだまま、息を引きとってしまった。だが上人の体はまるで生きているようにいつまでも温かいのだった。人々が困ってるうちに17日が過ぎた。すると、なんと上人が目をさましたのだ。上人は集まっていた人々を見て、「わしは今、冥途の旅から戻ったところじゃ。皆さんにぜひこの話を聞かせたい。」と、世にも不思議な旅の話を語り始めた。
「わしは、雲に乗り闇の中をどこまでも進んでいった。すると炎に包まれた山門があった。鬼が立っていたので、これが地獄門だなと、わしは思った。門をくぐるとそこは閻魔堂。閻魔大王の前に、大勢の人々が引き据えられており、その人々を閻魔大王が裁くのじゃ。」
そうしてとうとう上人の番がきた。すると閻魔大王が上人にこう言った。「おまえをここへ呼んだのは罪人としてではない。この頃地獄へ落ちる人間の数が増えている。罪を犯せば、死後地獄へ落ちるということを忘れているからではないかと思ってな。それで、人々に説教する役目のおまえに、地獄の恐ろしさをよく見てもらって、人々に話してもらいたいのだ。」
こうして上人は地獄めぐりをすることになった。鬼に体を切り裂かれる人、重い荷物を持って針の山をのぼる人、血の池でもがき苦しむ人、鉄の棒でうち砕かれる人、熱く焼かれた鉄の縄で縛られる人・・・そんな地獄の様子を見て、上人は地獄から帰ってきたのだ。その後上人は、人々にこの地獄の話を説き続けたそうだ。
(投稿者: 十畳 投稿日時 2011-8-1 15:22 )
まんが日本昔ばなし〜データベース より
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=584&cid=18&d3f_pos=10
若子神社(Jakko Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
若子神社(Jakko Shrine)の参道入口が 瀧尾神社(Takinoo Shrine)の御神体である女峰山への登拝口ともなっています
瀧尾神社(Takinoo Shrine)の記事をご覧ください
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瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉
滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます
・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
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日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します