出雲〈千家〉國造家鎮守社(こくぞうけちんじゅのやしろ)〈天穂日命社 天夷鳥命社・荒神社 稲荷社〉は 出雲大社の神楽殿の後方に 出雲大社宮司家〈千家家〉の祖先神などをお祀りした鎮守社が 並んで鎮座されます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
出雲國造家鎮守社(IzumoKokuzokechinjunoyashiro)
〈天穂日命社 天夷鳥命社・荒神社 稲荷社〉
[通称名(Common name)]
鎮守社(ちんじゅのやしろ)
【鎮座地 (Location) 】
島根県出雲市大社町杵築東
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】【由 緒 (History)】
・天穂日命社(あめのほひのみことのやしろ)
《主》天穂日命(あめのほひのみこと)
天穂日命社
あめのほひのみことのやしろ
御祭神 天穂日命
天穂日命は、御皇室の神祖である天照大神の第二の御子神で、出雲國造家(出雲大社宮司家)の始めの神祖です。
大國主大神の天つ神への国譲りに御力を尽くされ、天つ神による大國主大神の御神殿造営と共じ祭主となられました。
以未、天穂日命の子孫はその神統道銃を代々継承して出雲國造を称し、祭主(宮司)として仕え来て現在八十四代です。
祭日 四月一日
現地立札より
・天夷鳥命社(あめのひなとりのみことしゃ)・荒神社(こうじんじゃ)
《主》天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)
沖津彦命・沖津姫命(おきつひこのみこと・おきつひめのみこと)
五十猛神(いたけるのかみ)
天夷島命社・荒神社
あめのひなとりのみことしゃ・こうじんしゃ御祭神 天夷島命
沖津彦命・沖津姫命
五十猛神天夷島命は、天穂日命の御子神で出雲國造家第二代の神祖です。天穂日命と共に御力を尽くされ、高天原から神宝を将来して大國主大神の宮居に奉られ、始祖天穂日命を継いで大神の祭主と仕えられました。
沖津彦命・沖津姫命は素戔嗚尊の御孫神で竃神、五十猛神は同尊の御子神です。祭日 四月一日
現地立札より
・稲荷社(いなりのやしろ)
《主》倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
秋葉神(あきばのかみ)(火之迦具土神)
稲荷社
いなりのやしろ
御祭神 倉稲魂命
秋葉神(火之迦具土神)倉稲魂命は、伊弊諾尊・伊弉冉尊の御子神で、稲をはじめさまざまな作物など諸々の豊饒を司られる神様です。
「稲荷-いなり」は豊かな稔りの「稲坐り-いねなり」に由未し、諸々の産業の生成発展、商売繁盛などの御神徳が敬仰され、昔から全国の里々家々でおまつりされています。秋葉神は火難除けの神様です。
祭日 旧歴初午日、四月一日
現地立札より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・天満宮(てんまんぐう)
《主》天満神(菅原道真公)
天満宮
てんまんぐう
御祭神 天満神(管原道真公)
天満神と称えられる道真公は、平安時代前期の公卿で殊に学職に優れ、宇多・醍醐両天皇の信任も厚く文章博士・右大臣などを歴任して著作も多数に及び、学問・学芸の神様と敬仰され”天神さん“と親しまれています。
管原氏は相撲の祖の出雲國造家第十三代野見宿禰命からの分流で、出雲國造家の始祖の天穂日命の系譜に結ばれます。
祭日 四月一日
八月三日・四日現地立札より
・姥神社(うばかみのやしろ)
《主》伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
代々出雲国造公神霊(よよいずもくにのみやつこきみのかみのみたま)
千家家親族神霊(せんげけしんぞくのかみのみたま)
姥神社
うばかみのやしろ御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
代々出雲國造公神霊
千家家親族神霊伊弉諾尊・伊弉冉尊は、初めて夫婦神となられ、お揃いで国土生成の国生み、そして天照大神・月読尊・素戔嗚尊など神々の神生みに尽された夫婦和合、子孫繁栄の縁起の神様です。
御社名は、御子神を産まれた女性神は神母・姥神と称え敬仰されたことによります。
祭日 四月一日
現地立札より
・火守社(ほもりのやしろ)
《主》猿田彦命(さるたひこのみこと)
七十五代千家俊勝公神霊(ななじゅうごだいせんげとしかつこうのかみのみたま)
火守社
ほもりのやしろ御祭神 猿田彦命
七十五代千家俊勝公神霊猿田彦命は道・衢などの誤りなき道行き、導きの神様です。
七十五代俊勝公は出雲大社の延享遷宮を奉仕。現今境内の基本はこの時以未の構えです。
天穂日命が大國主大神の祭主を仕えて以来、同命の嫡孫の代代の出雲國造公は大神の祭主(出雲大社宮司)を仕え来ています。その神銃・道統の揺るぎなき道行きの見守り神です。
祭日 四月一日
現地立札より
【格 式 (Rules of dignity) 】
・出雲 千家国造家鎮守社
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
出雲国造(いつものくにのみやつこ)について
出雲国造家の 始祖〈初代〉は 天穂日命(あめのほひのみこと)〈天照大御神と素戔嗚尊の直系〉
天穂日命(あめのほひのみこと)は 天照大御神と須佐之男命との 誓約(うけい)により 誕生した五男三女神の一柱です
天照大御神の右のみずらに巻いた勾玉(まがたま)から成ったとされ 天照大御神の第二子とされます
第一子の天忍穂耳命(あめのほひのみこと)の弟神にあたります
天忍穂耳命(あめのほひのみこと)は 天皇家の祖神でありますので
出雲國造家は 天皇家と同様のルーツを持っていることになります
出雲國造家は 現在までも 脈々とその血筋を保っています
出雲国造(いつものくにのみやつこ)とは
出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています
出雲國造(いつものくにのみやつこ)〈天皇家と同じの始祖を持つ神代より続く家柄〉
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
出雲国造家から見た 天穂日命(あめのほひのみこと)について
『記紀神話』〈大和朝廷〉では 天菩比神(あめのほひのかみ)は 国土平定の第一の使者に選ばれ天上から派遣されるが 葦原中国で大国主神に媚付(こびへつらい)三年経っても復命しなかった 背信者として語られます
一方 出雲国造〈現在まで出雲大社に奉仕する氏〉は 御祖神(みおやのかみ)として 天穂日命(あめのほひのみこと)を祀っていて 正反対の立場にあります
『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』には
天穂日命(あめのほひのみこと)が 天神の使者となり 地上の様子を視察し 子の天夷鳥命と布都怒志命を派遣し 荒ぶる神々を鎮圧し 大国主神を媚び鎮めて〈神意に沿った祭りを行い 神の御心を鎮めて〉国譲りを誓わせた 使命を遂行した平定の功労者として語られます
出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています
出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
出雲大社の西側に隣接する神楽殿にてお詣りをします
出雲大社の西側には 背後にそびえる「禁足地・八雲山」から流れてくる素鵞川(そががわ)の清流があり
その更に西側に神楽殿が建っていて 神楽殿右側〈素鵞川沿い〉の通路を裏側〈北側〉へと進みます
突き当りに 鎮守社(ちんじゅのやしろ) という立札があります
檜皮葺の屋根の立派な門が構えています
出雲國造家鎮守社(大社町杵築東)に参着
一礼をして 檜皮葺屋根の門をくぐると 境内地となります
御垣に囲われた神域が三つ〈・正面・右手・左手〉あります
鎮座するのは
正面には 三社
「天穂日命社(あめのほひのみことのやしろ)」「天夷鳥命社(あめのひなとりのみことしゃ)・荒神社(こうじんじゃ)」「稲荷社(いなりのやしろ)」
向かって右手には 二社
「姥神社(うばかみのやしろ)」「火守社(ほもりのやしろ)」
向かって左手には 一社
「天満宮(てんまんぐう)」
それぞれの お社にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
ちょうど左手は 神楽殿の本殿の裏にあたります
神楽殿は南を向いて建てられていますが 本殿は 南向きの神楽殿に直角に接していて 西を向いています〈出雲大社の本殿は南を向いていますが やはり本殿の内で 御神座は西を向いています〉
ここは裏手ですが 最も神楽殿本殿に近い位置に居ると思いますので
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
一礼をして 神楽殿横の参道を戻ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について
出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています
出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について
出雲國造家鎮守社〈天穂日命社 天夷鳥命社・荒神社 稲荷社〉(大社町杵築東)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
⑭豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに) に進む
天照大御神(あまてらすおほみかみ)は この 葦原中国(あしはらのなかつくに)は 我が子 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)が 治める所の国であると定めた と命を下された 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が 天浮橋(あまのうきはし)に立たれて 下界を眺めると「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)は ひどく騒がしく有るな」と言われた
⑭豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台