実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

出雲神社(山口市徳地堀)

出雲神社(いづもじんじゃ)は 第44代 元正天皇 霊亀元年(715)鎮座と伝えら 周防国二之宮です その起源はさらに古く 大古 出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い その祖神を鎮祭したものと考えられています 式内社 周防國 佐波郡 出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラとされています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

出雲神社(Izumo shrine)

通称名(Common name)

にのみやさま

【鎮座地 (Location) 

山口県山口市徳地堀3572-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おほなむちのみこと)
   事代主命(ことしろぬしのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

治世・福徳 縁結び、開運、農耕、商工業、医薬

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 周防國二之宮

【創  (Beginning of history)】

神社一覧

一、神社名 出雲神社

一、位 置 山口県佐波郡徳地町大字堀三五七二番地

一、祭 神 大己貴命 事代主命 治世・福徳 縁結び、開運、農耕、商工業、医薬

一、由 緒 本社は周防国二宮としてその起源は古く、大古出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮祭したものと考えられます。
 鎮座は元正天皇の霊亀元年(七一五)と伝えられ、聖武天皇の天平九年(七三七)周防国二宮として勅許を受け、奈良時代の周防国正税帳にも、その神戸・神田の奉納の記述が見受けられます。
 平安時代初期の延喜式神名帳(九二七)に、周防国出雲神社二座として 式内に勅撰されました。以降、延喜式内社として、摂政藤原氏をはじめ大内・毛利氏等歴代の領主、藩主の祈願所として厚い崇敬のもとに、徳地地方の総氏神として営繕護持されてまいりました。
 明治三十三年旧県社に列格、第二次大戦後も大古より受け継がれた氏子崇敬者の伝統的敬神崇祖の念は厚く、当地方はもとより県内でも稀有の古社として現在に至っております。

一、祭 日 元旦祭 春祭(四月十九日) 夏祭(七月上旬) 新嘗祭(十一月二十三日) 節分祭 大祓式(六月三十日小晦日) 秋祭(九月第三日曜日) 大祓式(十二月三十一日大晦日)

一、古 式 七曲神事 蜷蒔神事 千茅神事 誓能神事 七十五膳大献供神事 神幸式所役(宮座)等

一、社 殿 寛延三年(一七五〇)藩主 毛利宗廣公により重建(流造り)

一、主な宝物 神社側近の御物 大内義隆寄進状 毛利輝元禁制札 毛利宗廣社殿奉建棟札

一、天然記念物 ツルマンリョウ自生地(出雲神社社叢) 国指定 大杉(御神木) 町指定

一、氏 子 徳地町 出雲・八坂地区の大半

一、末 社
・境内末社 宇佐八幡宮(応神天皇・神功皇后) 若宮八幡宮(誉田天皇・仁徳天皇)

・境外末社 氏子地区内に二十社余

〇主要距離程 山口まで 二十Km  防府まで 十六Km
徳地インターまで四Km

現地案内板より

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【由  (History)】

出雲神社祭礼

いずもじんじゃさいれい

概要
 社伝では霊亀元年(715)の創建と伝えられ、徳地地域の最古の神社である。また延喜式内社と呼び、周防の二の宮と呼ばれた。
 主な祭りとして、10月の第3日曜日午前中にご祭典、午後に古式によるご神幸が行われる。ご神幸は白衣を着した地下の人が行い、中でも庄方の人がほとんどである(古くは社が庄方にあったからという)。

文献
・徳地町史編纂委員会『徳地町史』改訂版、徳地町役場、2005(平成17)、P718
・山口県教育委員会『山口県の民俗芸能』2000、P155-159
・山口県神社誌編纂委員会『山口縣神社誌』山口県神社庁、1998、P514

山口市教育委員会事務局 文化財保護課HPより
https://www.city.yamaguchi.lg.jp/rs/rekibunshigen/r140.html

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

〈本殿の両脇に鎮座〉・宇佐八幡宮若宮八幡宮

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷十四貞觀九年(八六七)八月十六日壬午〉の条

十六日壬午
周防國 正五位上 出雲神
。石城神。比美神 並授從四位下
從五位上 劔神。二俣神 並正五位下。
豐後國 從五位上 火男神。火神 並正五位下。
大和國 從五位下 生竜穴神 正五位下。從五位下 武雷神。保沼雷神 並從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道 140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)周防国 10座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)佐波郡 6座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 出雲神社二座
[ふ り が な ]いつもの かみのやしろ ふたくら
[Old Shrine name]Itsumo no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

出雲の勢力圏と 佐波川と阿武川の河川争奪

太古 佐波川の上流は横山付近で東西に流れて 阿武川と合流していたとされます 今から約三万年前に河川争奪が行われ 現在の佐波川の流路や流域が形成されました 

つまり 太古は 周防灘の防府から佐波川を遡ると 阿武川と合流して日本海の萩へと通じていたことになります

現在も佐波川の上流は 周防山地ですが 吉備高原などと対比され それ程 激しい起伏もなく周防高原と呼ばれています
周防高原の先には 阿武川が流れていて 阿武川を遡り船平山を越えると 津和野に出ます
そして 津和野川を下り 高津川から日本海の益田へと出ます

古代には 日本海と周防灘を結ぶ重要な陸の交通路であったとされます

これらを合せ考えると 周防灘から出雲へ通じる要所に出雲神社(山口市徳地堀)が鎮座している事がわかります

社伝にも「本社は周防国二宮としてその起源は古く、大古出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮祭したものと考えられます。」とあります

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『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社 出雲神社(イツモノカミノヤシロ)とその論社について

①『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)出雲神社(イツモノカミノヤシロ)の論社

・素鵞社〈出雲大社の本殿奥〉

一緒に読む
素鵞社(出雲市)【前編】

素鵞社(そがのやしろ)〈出雲大社 境内〉は 御神体山の 聖地「八雲山(yakumo yama)」の麓に鎮座しています 「出雲大社」の御本殿の背後にあり まるで奥宮のようです  御祭神は 大国主大神の舅神にあたる 須佐之男尊(susanowo no mikoto)が祀られています

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・富神社(出雲市斐川町富村)

一緒に読む
富神社(出雲市斐川町富村)

富神社(とびじんじゃ)は 社伝によると 出雲国風土記 国引き神話において 八束水臣津野命が 出雲郡の神名火山(かんなびやま)(仏経山)の山上に立ち 国引きを思いつかれて その大事を成しとげられた後 神門水海に近い この豊かな土地に鎮座し出雲社としたとあります

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・長浜神社(出雲市西園町)

一緒に読む
長浜神社(出雲市西園町上長浜)

長浜神社(ながはまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』意宇郡の総記に 御祭神の八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)の国引き神話が書かれ「その引いた綱は 薗の長浜(そののながはま)」とあるその地に鎮座します 出雲郡 神祇官社「出雲社(いずも)のやしろ」の論社でもあります

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・諏訪神社(出雲市別所町)

一緒に読む
諏訪神社(出雲市別所町)

諏訪神社(すわじんじゃ)は 明治以前は鰐淵寺を別当とした「諏訪神社」に〈八束水臣津野神を祀る「出雲神社」〉と〈五十猛命を祀る「韓國伊大弖神社」〉が合祀されています 元社地は「帆柱山」の山中に鎮座と伝わり『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社となっています

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『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「丹波國 桑田郡 出雲神社 名神大」の論社

どちらも磐座(イワクラ)を信仰の拠所としています

・出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲後田無)

一緒に読む
出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲無番地)〈丹波國一之宮〉

出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は 社伝によれば〈出雲大社の元宮〉「元出雲の社」と伝わり 古来より元出雲の信仰があります 『丹波国風土記』逸文にも「奈良朝のはじめ元明天皇 和銅年中 大国主命 御一柱のみを島根の杵築の地に遷す すなわち今の出雲大社これなり」とあります

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・出雲神社(亀岡市本梅町井手西山)

一緒に読む
出雲神社(亀岡市本梅町)〈延喜式内社 名神大社〉

出雲神社(いずもじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが『延喜式』(927年)所載 丹波國 出雲神社(名神大社)の論社で 境内に巨岩が磐座として祀られ 最古の祭祀形態を現存させます かつては磐座横に出雲大明神の祠が祀られたが 昭和3年(1928)現在の社殿・鳥居・石段などが整備され 磐座の横の祠から遷座したと伝わります

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➁『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「周防國(スオウノクニ)佐波郡(サハノコオリ)出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラの論社

・出雲神社(山口市徳地堀) 

一緒に読む
出雲神社(山口市徳地堀)

出雲神社(いづもじんじゃ)は 第44代 元正天皇 霊亀元年(715)鎮座と伝えら 周防国二之宮です その起源はさらに古く 大古 出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い その祖神を鎮祭したものと考えられています 式内社 周防國 佐波郡 出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)とされています

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・出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田) 

一緒に読む
熊野神社 & 出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田)

熊野神社(くまのじんじゃ) は 明徳三年(1392)大内義弘公は 将軍 足利義満から和泉(いずみ)・紀伊(きい)の両国を与えられた時 野上修理亮に命じて 紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し この地に熊野権現を創建したと伝わり 境内社 出雲社(いずもしゃ)は 延喜式内社との伝承もあります

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➂『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「信濃國(シナノノクニ)水内郡(ミノチノコオリ) 伊豆毛神社(イツモノミノヤシロ)の論社

・伊豆毛神社(長野市豊野町) 

一緒に読む
伊豆毛神社(長野市豊野町)

伊豆毛神社(いづもじんじゃ)は 大永3年(1523)上伊豆毛(八雲台)から 下伊豆毛の現在地に遷座した『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 里俗の口碑によれば 神代には水内海の沿岸に在ったとされ 大湖の水理に関連する神ともされます

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因みに 出雲大社(出雲市)

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 「出雲國(イツモノクニ)出雲郡(イツモノコオリ)杵築大社 名神大(きづきの やしろ)

・出雲大社(出雲市)

一緒に読む
出雲大社(出雲市)【前編】

出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陽本線 防府駅から 県道24号を佐波川沿いに北上 約16.8km 車30分程度

R376号との交差点を左折〈西〉すると すぐに鳥居が建っています
鳥居の前が駐車場になっていました

出雲神社(山口市徳地堀)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐり 参道を進みます

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玉垣の廻された境内入口 向かって右には 自然石の社号標に 延喜式内 出雲神社と刻ざまれています

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向かって左には 縣社 周防二宮と刻字された石碑があり 二の鳥居が建ちます

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二の鳥居 青銅の扁額には 式内 出雲神社と鋳造されています 一礼をして 鳥居をくぐります

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左手には 手水舎があり 清めます

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手水舎の奥には 広い境内の先に能舞台だろうか 祭りの時はここに人々が集うのでしょう

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拝殿にすすみます

石畳みの参道は広ろく 南南西を向いて建っている社殿に対して 正中を歩まないように配慮がなされていて 少し折れていて進むようになっています

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神紋は 出雲の神であるので 二重亀甲があり その中に剣花菱

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拝殿の扁額は 出雲神社二宮 と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の奥 両脇には境内社が祀られています
拝殿の奥は幣殿 本殿が鎮座します 屋根に厚みがあるので おそらく茅葺屋根だったものトタンで覆っているのだと思います

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社殿向かって左手には 神饌所と 二の宮の大杉 と呼ばれる根本12.5メートル 樹高43メートルの老木が聳えますが 手振れ写真にて失礼

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 出雲神社二座について 徳地二宮村の当国二宮〈現 出雲神社(山口市徳地堀)〉であると記しています

【抜粋意訳】

出雲神社二座

出雲は 伊豆毛と訓べし
〇祭神詳ならず、考証に、天夷鳥命と云々、今従わず
〇徳地二宮村に在す
〇当国二宮なり
〇永萬記云、二宮

類社
丹波国 桑田郡 出雲神社の條見合うべし

神位
三代実録 貞觀九年(八六七)八月十六日壬午周防國 正五位上 出雲神 授從四位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 出雲神社二座について 堀村二ノ宮〈現 出雲神社(山口市徳地堀)〉であると記しています

【抜粋意訳】

出雲神社二座

祭神 大己貴命 事代主命

神位
三代実録 貞觀九年(八六七)八月十六日壬午周防國 正五位上 出雲神 授從四位下

祭日 八月十五日十六日
社格 郷社(懸社)
所在 堀村二ノ宮(佐波郡出雲村大字堀)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 出雲神社二座について 得地郷堀村の二宮〈現 出雲神社(山口市徳地堀)〉であると記しています

【抜粋意訳】

出雲(イズモノ)神社二座

今、得地郷堀村の二宮に在り、神名帳考、神名帳打開、
鎮守出雲両所大明神と云ふ、東寺文書 盖出雲國の神を祀る、延喜式大要
〇按 東鑑 文治三年、周防在廰官人 土師宿祢安村、弘安、助遠、國方、弘正などあるに據時は、其の祖 天穂日命に同族仕奉る處の出雲杵築神を配祭て、之を出雲神と云る事、尚 武蔵国造の出雲神を氷川神社に祭るか如くなるへし、
土人伝説に、大穴牟遅神 事代主命をまつると云る一座、大穴牟遅神はかなへれど、事代主命は疑わし、故今附て考に備ふ、

聖武天皇 天平十年、頴椙二十束を以て春秋祭料に充奉り、東大寺正倉院文書
清和天皇 貞観九年八月壬午正五位上 出雲神授從四位下を授く、三代実録 此の後 正一位に進めらる、
鳥羽天皇 元永二年九月巳未、国司 藤原家保 本社に至て弓箭鉾劔等 神寶を捧げて、神拝の禮を行はれき、東寺文書
凡毎年正月六日、八月十五日、十一月初申日、祭を行ふ、其十一月は即 新嘗祭なり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

出雲神社(山口市徳地堀)について 式内社 出雲神社二座であり 明治時代に縣社となっています 

【抜粋意訳】

山口縣 周防国 佐波郡出雲村大字堀字中久和

懸社 出雲(イズモノ)神社

祭神 大己貴(オホナムチノ)命 事代主(コトシロヌシノ)命

周防国式内神社考に、「社録曰、大己貴命 事代主命、二座祭之、元正天皇 霊亀元年、御社建立、長歴之頃 朝廷奉幣行祭祀、其後 国主催行祭、在本宮干杜堀村之内庄万之内、二宮最初初影向之古跡也」と見えたり、
延喜式内の社にして、当国の二宮なり(神社覈録)、
・・・・・
・・・・・

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

山口県神社誌編纂委員会『山口縣神社誌』山口県神社庁、1998、に記される伝承

【抜粋意訳】P514より

出雲神社(いずもじんじや)

〔通称 にのみやさま〕

由緒沿革 
 本社は、周防国二宮としてその起源は古く、現在その詳細を窺うことは困難であるが、鎮座は奈良時代の霊亀元年(715)と伝えられる。社伝・古文書及び神祇関係の古典等によると、氏神祭祀の原則にしたがい、大古出雲族の当佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮斎したものと考察される。
 奈良時代の天平九年(737)には、周防国二の宮として勅許を受ける。『周防国正税帳』(東大寺文書)によると、当社へ春秋祭祀料は二拾束、雑用料及び神戸神田社領を奉納する等の記述がみえる。
 また、平安時代の延長五年(927)、『延喜式神名帳』には周防国内十座の内に出雲神社二座が記載されている。従って、延書式内社として、朝廷を始め摂政藤原氏等に厚く崇敬されていたことがわかる。
 鎌倉・室町時代に至ると、大内・毛利氏等代々の領主・藩主の祈願所となり、また徳地地方の総氏神として、人々の崇敬が殊の外厚かった。
 戦国時代の享禄二年(1529)、大内義隆が神馬を寄進し、永禄十年(1567)に毛利輝元が当社に禁制札を掲げる(本社文書)等の記録がある。この外、宝物の寄進、鳥居の建立、社殿の再興・重建・造営を始め、祭祀・祈祷・坪付打渡・幣帛料・裁許任官等の文書が現存し、祭祀・造営等は殆ど藩費をもって護持されていたことが分る。
 明治六年(1873)郷社に列格。明治三十三年(1900)県社に昇格。
大正十五年(1926)、式内勅撰一〇〇〇年式年大祭を執行する。

出雲神社(山口市徳地堀)に (hai)」(90度のお辞儀)

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周防国 式内社 10座(並小)について に戻る        

一緒に読む
周防国(すおうのくに) 延喜式内社 10座(並小)について

周防国(すおうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 周防国の官社のことで 10座(並小)゛周防国には 10座(並小)゛熊毛郡2座・佐婆郡6座・吉敷郡1・都濃郡1座゛の神が坐しま゛の神が坐します

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています