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『出雲國風土記』出雲郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】64社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)

 

『出雲國風土記』出雲郡(izumo no kori)条 所載の神社の数は「122社」です 
 「58社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「64社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『出雲國風土記』出雲郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】64社は 写本の順番で並んでいます

御前社 (みさき) (misaki no) yashiro

・御碕神社

一緒に読む
御碕神社( 出雲市斐川町)

御碕神社(みさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「御前社(みさき)のやしろ」の論社 社伝によると「元の社は 漆沼郷(しつぬのさと)東南部(上庄原西北端)にあったが 延宝2年(1674)の洪水により社殿浮流して 上庄原村神田(じんでん)に鎮座の今宮神社境内に漂着した」と伝わります

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同御埼社 (おなじきみさき) (onajiki misaki no) yashiro

・林神社〈日御碕神社の境外攝社〉

一緒に読む
林神社 & 神園神社(出雲市大社町宇龍)〈日御碕神社の境外攝社〉

林神社(はやしじんじゃ)は 日御碕神社(出雲市大社町)の境外攝社で 同じく境外攝社の神園神社を合祀して 宇龍浦の高台に鎮座しています 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「同御埼社(おなじきみさき)のやしろ」の論社とされています 

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支豆支社 (きつき) (kitsuki no) yashiro

・湊社〈出雲大社の境外摂社〉

一緒に読む
湊社(出雲市)

湊社(みなとのやしろ)は 『国譲り神話』で 国を譲り出雲大社に鎮まろうとする「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」に 神饌を捧げる「膳夫(かしわで)の神」として登場する 「櫛八玉神(くしやたまのかみ)」を祀ります

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以下 28社 東西十九社〈出雲大社の境内社〉に合祀

阿受支社 (あずき) (azuki no) yashiro

同阿受支社 (おなじきあずき) (onajiki azuki no) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同阿受支社 (おなじきあずき) (onajiki azuki no) yashiro

同阿受支社 (おなじきあずき) (onajiki azuki no) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・東西十九社〈出雲大社の境内社〉に合祀

東西十九社に合祀
十九社(東)(西)(出雲大社 境内)

十九社(東)(西)(じゅうくしゃ)は 神在月・旧暦10月に神議(kami hakari)のために全国から 出雲大社に集われる「八百萬神(yaoyorozu no kami)」の宿舎となると伝わります

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以下 5社 不明 廃絶か?

同伊努社 (いぬ) (onajiki inu no) yashiro

・不明

同伊努社 (いぬ) (onajiki inu no) yashiro

・不明

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・不明

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・不明

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・不明

縣社 (あがた) (agata no) yashiro

・〈縣神社に合祀〉(国富町)

県神社に合祀
縣神社(出雲市国富町)

縣神社(あがたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の社が 4社あります 本殿には「(あがた)のやしろ」が3つ〈・本殿「阿我多社」・合祀「縣社」の神祇官社2つ ・合祀「縣社」の不在神祇官社1つ〉 さらに境内社には 1つ「(いには)のやしろ」〈「不在神祇官社一つ「伊爾波社」」〉が鎮座します

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・〈美談神社の境内社 県神社に合祀〉

県神社に合祀
美談神社(出雲市美談町)の境内社について

美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます

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彌陀彌社 (みだみ) (midami no) yashiro

・彌陀彌神社〈美談神社の境内摂社〉

美談神社 境内社に合祀
美談神社(出雲市美談町)の境内社について

美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます

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同彌陀彌社 (おなじきみだみ) (onajiki midami no) yashiro

・彌陀彌神社〈美談神社の境内摂社〉

美談神社 境内社に合祀
美談神社(出雲市美談町)の境内社について

美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます

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以下 9社 彌陀彌神社〈美談神社の境内摂社 に合祀〉

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・〈美談神社の境内摂社 彌陀彌神社に合祀〉

美談神社 境内社に合祀
美談神社(出雲市美談町)の境内社について

美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます

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伊爾波社 (いには) (iniha no) yashiro

・伊爾波神社〈縣神社(国富町)の境内〉

一緒に読む
縣神社(出雲市国富町)

縣神社(あがたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の社が 4社あります 本殿には「(あがた)のやしろ」が3つ〈・本殿「阿我多社」・合祀「縣社」の神祇官社2つ ・合祀「縣社」の不在神祇官社1つ〉 さらに境内社には 1つ「(いには)のやしろ」〈「不在神祇官社一つ「伊爾波社」」〉が鎮座します

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・印波神社〈美談神社の境内摂社〉

美談神社 境内社に合祀
美談神社(出雲市美談町)の境内社について

美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます

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都牟自社 (つむじ) (tsumuji no) yashiro

・都牟自神社(福富)

一緒に読む
都牟自神社(斐川町福富)

都牟自神社(つむじじんじゃ)は 『出雲國風土記(733 AD.』によれば 祭神 薦枕志都沼値命(こもまくらしつぬちのみこと)がこの地にいらっしゃったので漆沼(しつぬ)というとあります 風土記所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」の論社です

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・都牟自神社(直江)

一緒に読む
都牟自神社(斐川町直江)

都牟自神社(つむじじんじゃ)は『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」とされます 御祭神 天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこのみこと)は 神魂命の御子神で 別名⇒薦枕志都沼値命(こもまくら しつぬちのみこと)とされ 漆治郷の由来となっています

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同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・〈都牟自神社(直江)に合祀〉

一緒に読む
都牟自神社(斐川町直江)

都牟自神社(つむじじんじゃ)は『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」とされます 御祭神 天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこのみこと)は 神魂命の御子神で 別名⇒薦枕志都沼値命(こもまくら しつぬちのみこと)とされ 漆治郷の由来となっています

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彌努波社 (みぬは) (minuha no) yashiro

・〈宇賀神社の境内社 子安神社に合祀〉彌努波社

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宇賀神社(出雲市口宇賀町)

宇賀神社(うがじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「守加社(うか)のやしろ」とされ 境内社 子安神社に合祀の彌努波社は「彌努婆社(みぬば)のやしろ」「彌努波社(みぬは)のやしろ」の論社です 大己貴命が 綾門姫命を窺(うかが)い捜し 宇賀(うか)となったと伝えられます

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山邊社 (やまべ) (yamabe no) yashiro

・山邊神社

一緒に読む
山辺神社(出雲市)

山辺神社(やまべじんじゃ)は 通称名「赤人さん(赤人社)」と呼ばれます 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』にも所載される由緒があり 今でも氏子に愛され奉斎される古社です

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・山王神社(出雲市大社町杵築東)

一緒に読む
山王神社(出雲市大社町杵築東)

山王神社(さんのうじんじゃ)は 出雲大社 北島國造館の艮(うしとら/北東)の方角に鎮まり 鬼門を守護すると伝えられる社です 大地の守り神である大地主之命(おおとこぬしのかみ)がお祀りされていると言われ 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「山邊社(やまべ)のやしろ 同社 おなじきやしろ」の論社です

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同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・〈山邊神社に合祀〉

一緒に読む
山辺神社(出雲市)

山辺神社(やまべじんじゃ)は 通称名「赤人さん(赤人社)」と呼ばれます 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』にも所載される由緒があり 今でも氏子に愛され奉斎される古社です

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同社(おなじき) (onajiki ) yashiro

・〈山王神社(出雲市大社町杵築東)に合祀

一緒に読む
山王神社(出雲市大社町杵築東)

山王神社(さんのうじんじゃ)は 出雲大社 北島國造館の艮(うしとら/北東)の方角に鎮まり 鬼門を守護すると伝えられる社です 大地の守り神である大地主之命(おおとこぬしのかみ)がお祀りされていると言われ 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「山邊社(やまべ)のやしろ 同社 おなじきやしろ」の論社です

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間野社 (まの) (mano no) yashiro

・〈原鹿神社に合祀〉上鹿塚 榎神社

一緒に読む
原鹿神社(斐川町原鹿)

原鹿神社(はらしかじんじゃ)は 現在地に鎮座していた榎神社〈『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「間野社(まの)のやしろ」の論社〉に 明治40年(1907)1月14日 原鹿字前久庁に鎮座の熊野神社を合祀し 社号を原鹿神社と改称しました

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布西社 (ふせ) (fuse no) yashiro

・〈奥宇賀神社に合祀〉伊勢社

一緒に読む
奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)

奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は ・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を 明治十五年(1882)に合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します

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波如社 (はか・はね) (・haka・hane no) yashiro

・波迦神社

一緒に読む
波迦神社(斐川町三絡)

波迦神社(はかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に 鎮座地の健郡郷(たけるべのさと)とは  第12代 景行天皇の勅(みことのり)により 御子の倭健命(やまとたけるのみこと)の御名を忘れることのないようにと健郡をお定め給われたとあり 出雲郡 不在神祇官社「波如社(はね)のやしろ」とされます

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佐支多社 (さきた) (sakita no) yashiro

・佐支多神社

一緒に読む
佐支多神社(斐川町荘原)

佐支多神社(さきたじんじゃ)は 江戸時代には「諏訪明神」と呼称されていました 建御名方命とその妃 八坂豆賣命の二柱を祭神とする神社は 島根県では邑智郡石見町の諏訪神社と本社の二社だけで 明治期以降に『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「佐支多社(さきた)のやしろ」の論社とされています

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・〈伊奈西波岐神社に合祀 鷺の神〉大社町 鷺浦の社

合祀 鷺の神
大穴持伊那西波岐神社(出雲市大社町鷺浦 )

大穴持伊那西波岐神社(おおなもちいなせはぎのかみのやしろ)は 美しい鷺浦に鎮座します 御祭神は『記紀神話』の国譲りの段で 天照皇大神の勅を奉じて 使者の役目をなされた「稲背脛命(inasehagi no mikoto)」が祀られています

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支比佐社 (きひさ) (kihisa no) yashiro

・支比佐神社〈曽枳能夜神社の境内社〉

一緒に読む
曽枳能夜神社(出雲市斐川町神氷)

曽枳能夜神社(そきのやじんじゃ)は 延喜式内社で『出雲国風土記』には「神名火山(中略)曽枳能夜社に坐(ま)します 伎比佐加美高日子命社 即ちこの山の嶺(みね)に在り 故(か)れ神名火山と云ふ」と記されます 御祭神は 出雲国造 第14代 伎比佐加美と同神であるといわれ 出雲大社とは関係深い社とされます

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・支比神社〈阿吾神社に合祀〉

一緒に読む
阿吾神社(斐川町阿宮)

阿吾神社(あぐじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に記されている4つの神奈備山の一つ 仏経山の東南に鎮座します 出雲郡 神祇官社「阿具社(あぐ)のやしろ」とされ 出雲郡 不在神祇官社「支比佐社(きひさ)のやしろ」も合祀されています

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神代社 (かむしろ) (kamushiro no) yashiro

・〈神代神社に合祀〉

一緒に読む
神代神社(斐川町神庭)

神代神社(かむしろじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に ご祭神「宇夜都辧命(うやつべのみこと)」が この地に天降られたので「宇夜(うや)」という地名となった伝承が記され 風土記所載の「神代社〈神祇官社1社〉」と「神代社・同社〈合祀された不在神祇官社2社〉」の論社とされています

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同社 (onajiki ) yashiro

・〈神代神社に合祀〉

一緒に読む
神代神社(斐川町神庭)

神代神社(かむしろじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に ご祭神「宇夜都辧命(うやつべのみこと)」が この地に天降られたので「宇夜(うや)」という地名となった伝承が記され 風土記所載の「神代社〈神祇官社1社〉」と「神代社・同社〈合祀された不在神祇官社2社〉」の論社とされています

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百枝槐社 (ももえすき) (momoesuki no) yashiro

・経島〈日御碕神社の下之宮 元社〉

日御碕神社下之宮 経島
経島 百枝穂神社(出雲日御碕)

百枝穂神社(ももえすきじんじゃ)は 日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)から 西方約100m沖の海上にある「経島(ふみしま)」に鎮座します 「日御碕神社」下の本社 = 日沈の宮(ひしずみのみや)の元宮で 天照大御神(あまてらすおほみかみ)の御神託を受け神殿を創立したと伝わります

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・日御碕神社の下之宮〈日御碕神社に遷座〉

一緒に読む
日御碕神社(出雲市大社町)

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は ゛日の本の夜を司る神゛「素盞嗚尊(すさのをのみこと)」を祀る「神の宮」 ゛沈みゆく夕日の神゛「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」を祀る「日沈宮」というように 「神の宮」「日沈宮」と いづれも神代から鎮座する由緒がある 一つの神社に2つの本宮を持ちます

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

一緒に読む
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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