『出雲國風土記』出雲郡(izumo no kori)条 所載の神社の数は「122社」です
「58社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「64社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
『出雲國風土記』出雲郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】64社は 写本の順番で並んでいます
御前社 (みさき) (misaki no) yashiro
・御碕神社
御碕神社(みさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「御前社(みさき)のやしろ」の論社 社伝によると「元の社は 漆沼郷(しつぬのさと)東南部(上庄原西北端)にあったが 延宝2年(1674)の洪水により社殿浮流して 上庄原村神田(じんでん)に鎮座の今宮神社境内に漂着した」と伝わります
御碕神社( 出雲市斐川町)
同御埼社 (おなじきみさき) (onajiki misaki no) yashiro
・林神社〈日御碕神社の境外攝社〉
林神社(はやしじんじゃ)は 日御碕神社(出雲市大社町)の境外攝社で 同じく境外攝社の神園神社を合祀して 宇龍浦の高台に鎮座しています 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「同御埼社(おなじきみさき)のやしろ」の論社とされています
林神社 & 神園神社(出雲市大社町宇龍)〈日御碕神社の境外攝社〉
支豆支社 (きつき) (kitsuki no) yashiro
・湊社〈出雲大社の境外摂社〉
・以下 28社 東西十九社〈出雲大社の境内社〉に合祀
阿受支社 (あずき) (azuki no) yashiro
同阿受支社 (おなじきあずき) (onajiki azuki no) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同阿受支社 (おなじきあずき) (onajiki azuki no) yashiro
同阿受支社 (おなじきあずき) (onajiki azuki no) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・東西十九社〈出雲大社の境内社〉に合祀
十九社(東)(西)(じゅうくしゃ)は 神在月・旧暦10月に神議(kami hakari)のために全国から 出雲大社に集われる「八百萬神(yaoyorozu no kami)」の宿舎となると伝わります
十九社(東)(西)(出雲大社 境内)
以下 5社 不明 廃絶か?
同伊努社 (いぬ) (onajiki inu no) yashiro
・不明
同伊努社 (いぬ) (onajiki inu no) yashiro
・不明
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・不明
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・不明
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・不明
縣社 (あがた) (agata no) yashiro
・〈縣神社に合祀〉(国富町)
縣神社(あがたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の社が 4社あります 本殿には「(あがた)のやしろ」が3つ〈・本殿「阿我多社」・合祀「縣社」の神祇官社2つ ・合祀「縣社」の不在神祇官社1つ〉 さらに境内社には 1つ「(いには)のやしろ」〈「不在神祇官社一つ「伊爾波社」」〉が鎮座します
縣神社(出雲市国富町)
・〈美談神社の境内社 県神社に合祀〉
美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます
美談神社(出雲市美談町)の境内社について
彌陀彌社 (みだみ) (midami no) yashiro
・彌陀彌神社〈美談神社の境内摂社〉
美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます
美談神社(出雲市美談町)の境内社について
同彌陀彌社 (おなじきみだみ) (onajiki midami no) yashiro
・彌陀彌神社〈美談神社の境内摂社〉
美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます
美談神社(出雲市美談町)の境内社について
・以下 9社 彌陀彌神社〈美談神社の境内摂社 に合祀〉
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・〈美談神社の境内摂社 彌陀彌神社に合祀〉
美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます
美談神社(出雲市美談町)の境内社について
伊爾波社 (いには) (iniha no) yashiro
・伊爾波神社〈縣神社(国富町)の境内〉
縣神社(あがたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の社が 4社あります 本殿には「(あがた)のやしろ」が3つ〈・本殿「阿我多社」・合祀「縣社」の神祇官社2つ ・合祀「縣社」の不在神祇官社1つ〉 さらに境内社には 1つ「(いには)のやしろ」〈「不在神祇官社一つ「伊爾波社」」〉が鎮座します
縣神社(出雲市国富町)
・印波神社〈美談神社の境内摂社〉)
美談神社(出雲市美談町)の境内社は かつては御祭神「和加布都奴志命(waka futsunushi no mikoto)」が祀られ『出雲國風土記』には「彌太彌社(mitami no) yashiro」が 13社あったと記され その全てと 他の所載も合わせて風土記論社「16社」が境内に合祀されて坐ます
美談神社(出雲市美談町)の境内社について
都牟自社 (つむじ) (tsumuji no) yashiro
・都牟自神社(福富)
都牟自神社(つむじじんじゃ)は 『出雲國風土記(733 AD.』によれば 祭神 薦枕志都沼値命(こもまくらしつぬちのみこと)がこの地にいらっしゃったので漆沼(しつぬ)というとあります 風土記所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」の論社です
都牟自神社(斐川町福富)
・都牟自神社(直江)
都牟自神社(つむじじんじゃ)は『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」とされます 御祭神 天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこのみこと)は 神魂命の御子神で 別名⇒薦枕志都沼値命(こもまくら しつぬちのみこと)とされ 漆治郷の由来となっています
都牟自神社(斐川町直江)
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・〈都牟自神社(直江)に合祀〉
都牟自神社(つむじじんじゃ)は『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「都牟自社(つむじ)のやしろ」とされます 御祭神 天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこのみこと)は 神魂命の御子神で 別名⇒薦枕志都沼値命(こもまくら しつぬちのみこと)とされ 漆治郷の由来となっています
都牟自神社(斐川町直江)
彌努波社 (みぬは) (minuha no) yashiro
・〈宇賀神社の境内社 子安神社に合祀〉彌努波社
宇賀神社(うがじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 神祇官社「守加社(うか)のやしろ」とされ 境内社 子安神社に合祀の彌努波社は「彌努婆社(みぬば)のやしろ」「彌努波社(みぬは)のやしろ」の論社です 大己貴命が 綾門姫命を窺(うかが)い捜し 宇賀(うか)となったと伝えられます
宇賀神社(出雲市口宇賀町)
山邊社 (やまべ) (yamabe no) yashiro
・山邊神社
・山王神社(出雲市大社町杵築東)
山王神社(さんのうじんじゃ)は 出雲大社 北島國造館の艮(うしとら/北東)の方角に鎮まり 鬼門を守護すると伝えられる社です 大地の守り神である大地主之命(おおとこぬしのかみ)がお祀りされていると言われ 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「山邊社(やまべ)のやしろ 同社 おなじきやしろ」の論社です
山王神社(出雲市大社町杵築東)
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・〈山邊神社に合祀〉
同社(おなじき) (onajiki ) yashiro
・〈山王神社(出雲市大社町杵築東)に合祀〉
山王神社(さんのうじんじゃ)は 出雲大社 北島國造館の艮(うしとら/北東)の方角に鎮まり 鬼門を守護すると伝えられる社です 大地の守り神である大地主之命(おおとこぬしのかみ)がお祀りされていると言われ 『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「山邊社(やまべ)のやしろ 同社 おなじきやしろ」の論社です
山王神社(出雲市大社町杵築東)
間野社 (まの) (mano no) yashiro
・〈原鹿神社に合祀〉上鹿塚 榎神社
原鹿神社(はらしかじんじゃ)は 現在地に鎮座していた榎神社〈『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「間野社(まの)のやしろ」の論社〉に 明治40年(1907)1月14日 原鹿字前久庁に鎮座の熊野神社を合祀し 社号を原鹿神社と改称しました
原鹿神社(斐川町原鹿)
布西社 (ふせ) (fuse no) yashiro
・〈奥宇賀神社に合祀〉伊勢社
奥宇賀神社(おくうがじんじゃ)は ・奥宇賀 和田に鎮座「美奴麻神社」・奥宇賀 布勢に鎮座「布勢神社」・奥宇賀 池田に鎮座「伊勢神社」の三社を 明治十五年(1882)に合祀して「奥宇賀神社」と称したものです 『出雲國風土記』の「彌努婆社」「布世社」「布西社」に該当します
奥宇賀神社(出雲市奥宇賀町)
波如社 (はか・はね) (・haka・hane no) yashiro
・波迦神社
波迦神社(はかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に 鎮座地の健郡郷(たけるべのさと)とは 第12代 景行天皇の勅(みことのり)により 御子の倭健命(やまとたけるのみこと)の御名を忘れることのないようにと健郡をお定め給われたとあり 出雲郡 不在神祇官社「波如社(はね)のやしろ」とされます
波迦神社(斐川町三絡)
佐支多社 (さきた) (sakita no) yashiro
・佐支多神社
佐支多神社(さきたじんじゃ)は 江戸時代には「諏訪明神」と呼称されていました 建御名方命とその妃 八坂豆賣命の二柱を祭神とする神社は 島根県では邑智郡石見町の諏訪神社と本社の二社だけで 明治期以降に『出雲國風土記733 AD.』所載の出雲郡 不在神祇官社「佐支多社(さきた)のやしろ」の論社とされています
佐支多神社(斐川町荘原)
・〈伊奈西波岐神社に合祀 鷺の神〉大社町 鷺浦の社
大穴持伊那西波岐神社(おおなもちいなせはぎのかみのやしろ)は 美しい鷺浦に鎮座します 御祭神は『記紀神話』の国譲りの段で 天照皇大神の勅を奉じて 使者の役目をなされた「稲背脛命(inasehagi no mikoto)」が祀られています
大穴持伊那西波岐神社(出雲市大社町鷺浦 )
支比佐社 (きひさ) (kihisa no) yashiro
・支比佐神社〈曽枳能夜神社の境内社〉
曽枳能夜神社(そきのやじんじゃ)は 延喜式内社で『出雲国風土記』には「神名火山(中略)曽枳能夜社に坐(ま)します 伎比佐加美高日子命社 即ちこの山の嶺(みね)に在り 故(か)れ神名火山と云ふ」と記されます 御祭神は 出雲国造 第14代 伎比佐加美と同神であるといわれ 出雲大社とは関係深い社とされます
曽枳能夜神社(出雲市斐川町神氷)
・支比神社〈阿吾神社に合祀〉
阿吾神社(あぐじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に記されている4つの神奈備山の一つ 仏経山の東南に鎮座します 出雲郡 神祇官社「阿具社(あぐ)のやしろ」とされ 出雲郡 不在神祇官社「支比佐社(きひさ)のやしろ」も合祀されています
阿吾神社(斐川町阿宮)
神代社 (かむしろ) (kamushiro no) yashiro
・〈神代神社に合祀〉
神代神社(かむしろじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に ご祭神「宇夜都辧命(うやつべのみこと)」が この地に天降られたので「宇夜(うや)」という地名となった伝承が記され 風土記所載の「神代社〈神祇官社1社〉」と「神代社・同社〈合祀された不在神祇官社2社〉」の論社とされています
神代神社(斐川町神庭)
同社 (onajiki ) yashiro
・〈神代神社に合祀〉
神代神社(かむしろじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に ご祭神「宇夜都辧命(うやつべのみこと)」が この地に天降られたので「宇夜(うや)」という地名となった伝承が記され 風土記所載の「神代社〈神祇官社1社〉」と「神代社・同社〈合祀された不在神祇官社2社〉」の論社とされています
神代神社(斐川町神庭)
百枝槐社 (ももえすき) (momoesuki no) yashiro
・経島〈日御碕神社の下之宮 元社〉
百枝穂神社(ももえすきじんじゃ)は 日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)から 西方約100m沖の海上にある「経島(ふみしま)」に鎮座します 「日御碕神社」下の本社 = 日沈の宮(ひしずみのみや)の元宮で 天照大御神(あまてらすおほみかみ)の御神託を受け神殿を創立したと伝わります
経島 百枝穂神社(出雲日御碕)
・日御碕神社の下之宮〈日御碕神社に遷座〉
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は ゛日の本の夜を司る神゛「素盞嗚尊(すさのをのみこと)」を祀る「神の宮」 ゛沈みゆく夕日の神゛「天照大御神(あまてらすおほみかみ)」を祀る「日沈宮」というように 「神の宮」「日沈宮」と いづれも神代から鎮座する由緒がある 一つの神社に2つの本宮を持ちます
日御碕神社(出雲市大社町)
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社