泉神社(いずみじんじゃ)は 大化4年(649)に社殿が建立されました 天平宝字3年(763)に神奈志津比咩(かむなしつひめ)が 御酒を八幡大神に奉られた時 御指で地面を窪めて 残り酒を傾けると 水が湧き出したという この酒井泉に由来して「酒井泉社」と称するようになったと伝わります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
泉神社(izumi shrine)
(いずみじんじゃ)
[通称名(Common name)]
酒井泉社(sakai izumi no yashiro)
【鎮座地 (location) 】
大分県宇佐市辛島泉1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》応神天皇(ojin tenno)
仲哀天皇(chuai tenno)
神功皇后(jingu kogo)
仁徳天皇(nintoku tenno)
《合》宇饌持神(ukemochi no kami)
豊受姫神(toyokehime no kami)
宮比神(miyahi no kami)
須佐之男神(susanowo no kami)
市杵島姫神(ichikishimahime no kami)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・宇佐神宮行幸会 境外8摂社
【創 建 (Beginning of history)】
・不詳
【由 緒 (history)】
酒井泉神社(泉神社)
社殿は、大化4年(649)に建立され、天平宝字3年(763)に霊泉で酒を造って八幡神に献じ、その残滴を注いだところから泉が湧き出たので「酒井泉社」としょうするようになったと伝えられている。
その後、奈良・平安の頃 八幡神の新しい御神体は、宇佐神宮と深いご縁がある「八箇社」を巡ってから、本殿に安置されるという「行幸会」が行われていたが、その由緒ある八箇社の中の1社として重要な役割を持った「酒井泉社」であった。
境内案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・北辰社(北辰殿)
《主》天之御中主神・高御産巣日神・神御産巣日神
北辰殿
文化14年(1817)島屋政右衛門並務は、日田の広瀬淡窓の弟「弥六」を
辛島家の養子に迎え、泉の宮の社殿と共に この「北辰殿」を建立したと
伝えられている。「北辰殿」とは、北極星を祀る神で宇宙を支配するといわれ、女神様と共に
辛島家の守護神である。宇佐神宮の一之御殿の傍らに、この「北辰社」がまつられていることから、
泉の宮と八幡宮の深い結びつきを見逃すわけにはいかない。境内案内板より
・宝池「酒井泉」
神奈志津比咩(kamunashitsu hime)が 酒を八幡大神に奉られた時 御指で地面を窪めて 残り酒を傾けると 水が湧き出したという この酒井泉に由来して「酒井泉社」と称するようになったと伝わります
宝池
天平宝字3年(763)に、社殿の傍らの霊泉で酒を造って八幡神に献じ、その残滴を地に注いだところ、泉になって湧き出たという伝説から、この場所に池を掘ったのが起源であろう。
それ以来、昭和の終わり頃まで約1200年間湧き出し続け、名水として、また水田の灌漑水として永く利用されてきたが、平成の初め頃(1990)市の下水道工事で泉の水脈が切断され、湧出量が減少してしまった。境内案内板より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について
行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります
宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡
かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました
詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください
行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
宇佐神宮から R10号で西に約4.2km 車10分程度
R10号の辛島交差点の付近に鎮座します
泉神社(izumi shrine)に到着
境内の入口は 南側の細い道にあるので 大通りからは見えません
一礼して入口の鳥居をくぐり抜けます 扁額には「泉神社」とあります
狛犬が座して 石灯篭が並びます
石灯篭の中に 隠れキリシタンの燈籠があります
隠れキリシタン燈籠
天正14年(1586)大友氏の攻撃で、辛島城陥落の後、大友氏輩下の戦死者の礼を弔うべく、キリスト教信者によって建てられたものであろう。
十字架の結び紋様、結び目から出た枝の数10本など、隠れ紋様が見受けられる。最下段の石組みの上には、ローソクを立てたり、供え物をしたであろう皿状の凹みが冥福を祈る信者の心根を物語っている。境内案内板より
開放的な境内の正面には 壁のない開放的な大きな拝殿が建ちます その後ろに幣拝殿 本殿と続いています
拝殿にすすみます 扁額には「泉神社」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿向かって 左脇に鳥居が建ち 境内社があります お詣りをします
・北辰社(北辰殿)
《主》天之御中主神・高御産巣日神・神御産巣日神
すぐ左横に 泉神社の社名の由来となった泉「宝池」があります
湧水点には 祠が祀られています 近隣の下水道工事で湧水量が減少してしまった様で残念です
本殿向かって 右側にも小さな祠が数基あり お詣りします
境内には 神仏習合時代の証として 鐘楼の跡もあります
「鐘楼基壇」跡
宇佐八幡宮の「神仏習合」の証として、神社の境内に寺院と同じ鐘楼が建てられていたという貴重な文化財跡であるが、いつ建立されたのかは不明である。
大きな吊り鐘は、第2次世界大戦中、鉄の徴用で軍郡に供出され、鐘楼は平成7年(1995)の台風8号の直撃で楠の大木2本が倒れかかり、この下敷きとなって倒壊してしまい、今はその基壇が残るのみである。」境内案内板より
境内を後にして 鳥居をくぐり 振り返り一礼をします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される「酒井(sakai)」の伝承
酒井泉社(sakai izumi no yashiro)と呼ばれた訳が記されています
【原文】
自利其至流酒井 云々
豐前國宇佐郡菱形山西北角有大泉 大御神御修行之昔 其處有御坐 洗口手足之坐 尓時豐前國持坐之神奈志津比咩奉酒 依之今酒井矣
古老傳云 比咩奉酒之時 以御指窪地 傾殘酒之所 水湧出泉成 云々「意訳」
豊前国宇佐郡の菱形山の西北の角に 大きな泉が有り 八幡御神が 御修行の昔 その所に御坐(おまし)になられ 口・手・足を洗らひ 坐(ましま)すその時に
備前国の神である「神奈志津比咩(かむなしつひめ)」が 酒を奉(たてまつ)りました 依(よ)りて 今 酒井といいます古老の傳(つた)へ云(い)ふには
神奈志津比咩(かむなしつひめ)が 酒を奉(たてまつ)る時に 御指(みゆび)を以(もち)て 地面を窪(くぼ)め 残りの酒を傾(かたぶ)けたまふ所 水が湧き出して 泉となったと伝わります 」
神奈志津比咩(kamunashitsu hime)が 酒を八幡大神に奉られた時 御指で地面を窪めて 残り酒を傾けると 水が湧き出したという
泉神社(izumi shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
宇佐神宮の記事もご覧ください
宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります
宇佐神宮(宇佐市南宇佐)
「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について に戻る
行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています
「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について