実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

〈播磨國一之宮〉伊和神社(宍粟市一宮町須行名)

伊和神社(いわじんじゃ)《社伝によれば伊和の恒郷に「我を祀れ」とご神託があり 一夜のうちに草木生い茂り 空に多くの鶴が舞い 石上に大きな鶴が二羽眠っていた そこに社殿を造営したのが 成務天皇 甲申歳2月11日丁卯(144) 或いは 欽明天皇25年甲申歳(564)と伝えており『延喜式名神祭の大社で 播磨国一もあり 由緒ある古社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

伊和神社(Iwa Shrine)
(いわじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

兵庫県宍粟市一宮町須行名407

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴神Ohonamuchi no kami)
《配》少彦名神Sukunahikona no kami)
   下照姫神Shitateruhime no kami) 

磐座 鶴石(Tsuru ishi

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昔 大神 伊和恒郷に託宣あり 驚きて見るに一夜のうちに杉桧生い繁りて聖地を成し 空に鶴群れ舞い その中大き二羽北向きて眠り居たり その跡に神殿を造り奉斎せり これ当社の起源なりと伝う 鶴の居た石を鶴石 または 降臨石という 現地碑文より

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【御神格 (God's great power)】(ご利益)

農業・工業・商業等産業の神 God of industry such as agriculture, industry and commerce
縁結びの神 God helping to form a very happy relationship
福の神 God praying for happiness
病気平癒の神 God praying to cure illness
交通安全の神 God praying for traffic safety
・等

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)
・ 播磨国一之宮Harima no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創  (Beginning of history)】

社伝によれば
一説に 伊和の恒郷に「我を祀れ」とご神託があり
一夜のうちに草木生い茂り 空に多くの鶴が舞い 石上に大きな鶴が二羽眠っておりました
そこに社殿を造営したのが 成務天皇甲申歳2月11日丁卯(144)
或いは 欽明天皇25年甲申歳(564)と伝えております

御由緒のあらまし

当神社は 13 成務天皇の甲申歳(西暦144)の創祀と伝えられ
延喜の制では名神大社に列し 播磨国の一宮で 旧国幣中社の御社格であります
御祭神は 大己貴神(おおなむちのかみ)と申し(又の名を大名持御魂神(おおなもちみたまのかみ)・大国主神(おおくにぬしのかみ)とも申し  伊和大神(いわのおおかみ)とも申し上げる)
国土を開発し 産業を勧めて生活の道を開き 或いは医薬の法を定めて治病の術を教えるなどして 専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります
大神が 播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い 播磨国中を御巡歴になって 国造りの事業をなされたことは播磨風土記に記載の通りであります

 その御神徳を仰いで 播磨国開発の祖神 総氏神様と崇め 古来 農業・工業・商業等の産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神として 
 御社地が因幡街道(現在の国道29号線)のほぼ中央に当たる交通の要衝にあるため 旅行者の守護神 交通安全の神として 播磨国はもとより 遠近の人々の崇敬厚き神様であります
約55,000㎡(約17,000坪)に及ぶ境内には 杉・檜等の大樹が繁茂し 自ら襟を正す神々しさを保っております
 御社殿は 一宮の名にふさわしい入母屋造りの豪壮偉な建築であります
 なお創祀伝説を今に伝える鶴石は 本殿のうしろにあります。

播磨一宮 伊和神社

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【由  (History)】

由緒

大己貴神は国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、或は医薬の法を定めて、治病の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります。
大神は 播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨国内各地を御巡歴になって国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、我が事業は終った「おわ」と仰せられて鎮まりました。
ここに於て 人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎したのが当神社の創祀であります。

その御神徳により、古来、農業・工業・商業等産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神、又、交通安全の神として崇敬されております。

一説に、成務天皇甲申歳211日丁卯(144)、
或は 欽明天皇25年甲申歳(564)の創祀とも伝えております。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

五柱社(イツハシラノヤシロ)

《主》天照皇大神(アマテラスオオミカミ)
   宇賀魂神(ウカノミタマノミコト)
   国底立神(クニソコタチノミコト)
   素戔男命(スサノヲノミコト)
   猿田彦神(サルタヒコノミコト)

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本殿の両脇
播磨十六郡神社《主》播磨国 式内社 東八郡の神
播磨十六郡神社《主》播磨国 式内社 西八郡の神

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市杵島姫神社(イチキシマヒノジンジャ)《主》市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)

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市杵嶋姫神社
御祭神 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
市杵嶋姫命は 天照大神の姫神様で 辨天様とも申し 才色秀で給いし神様であります
 当社は 安永2年(西暦1773年)の境内図にも明記されており 古来 福の神 水の神 芸能の神と崇め 清明正直の心を持つものの上に加護を垂れ給い「願掛け」をして 御霊験あらたかなる神様であります  

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御霊殿(ミタマデン)

《主》伊和恒郷命伊和族の長として 神社の再建に格別の功ありと伝
《配》旧神戸村の英霊282柱万国の戦死者

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60甲子年に1度 神社を囲む三山の磐座の祭り「三つ山祭」

白倉山の祠《主》大己貴神
花咲山の祠《主》大己貴神
高畑山の祠《主》大己貴神

斉明天皇4年 秋に百済の葛海を遣わし 神山伊和山(現:宮山)で猟をさせ 神の怒りにふれ即事の祭をせられたのが始まりと伝わる

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)所載(式内社)が3神社あります

庭田神社(宍粟市)《主》事代主神(コトシロヌシノカミ)

・庭田神社(宍粟市)

与位神社(宍粟市)《主》素盞嗚尊・稲田姫命

・与位神社(宍粟市)

邇志神社(宍粟市)《主》伊弉諾命・伊弉冉命・須佐之男命・宇迦之御魂命・菅原道真

・邇志神社(宍粟市)

觱篥神社(ヒチリキジンジャ)〈伊和神社の遙拝所《主》大己貴命(オホナムチノカミ)

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 この神社は伊和神社の遙拝所である 神功皇后が三韓征伐のとき伊和神社に参拝するためこの地まで行啓されたが ここより奥は道がけわしく 通行困難の為ここで遙拝された
 また延久年間(1069)から毎年6月15日に宮中の楽人が伊和神社で管弦を奏していた たまたま 後三條院の時洪水となり交通が絶えたので この社で奏楽することにしたが 「ひちりき」の持参を忘れ心を痛めている時 社の内陣から「ひちりき」の音がしてきて無事祭典を務めた この時よりひちりき神社と称された

現地石碑より

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安志姫神社(姫路市)《主》安志姫命伊和大神の妻問いを拒絶した 安師比売神

安志姫神社(姫路市)

一緒に読む
安志姫神社(姫路市)伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を拒んだ姫神を祀ります

安志姫神社は 『播磨国風土記』に「安師里」の里名の起源と記される 安師比売神(アナシヒメノカミ)を祭る神社です 神話の内容は 伊和大神(イワノオオカミ)の求婚を 安師姫神(アナシヒメノカミ)が 断ったので 大神が大変怒り 川の上流に石を置いて 3方向の里へと水を分配したので この川〈安志川(林田川)〉は 水量が少なくなってしまいましたと記されています

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Myojin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)

大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに 
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 
絲(イト)1絇を 布1端に代える

伊和神社(イワノカミノヤシロ) 一座 巳上播磨国

 と記されています

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道 140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨国 50座(大7座・小43座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宍粟郡 7座(大1座・小6座)

[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 名称 ] 伊和坐大名持御魂神社(名神大)
[ふ り が な ]いわます をほなもちみたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](iwanomasu wohonamochimitama no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『播磨国風土記』・社伝に記される 伊和大神にまつわる式内社について

射楯兵主神社(姫路市)式内社 播磨国総社
《主》兵主神(大己貴命)〈御祭神は 伊和大神の分霊

・射楯兵主神社(姫路市)

・行矢射楯兵主神社(姫路市)

伊和都比売神社(赤穂市)式内社
《主》伊和都比売大神 〈御祭神は 伊和大神の比売神

・伊和都比売神社(赤穂市)

稲爪神社(明石市)合祀 伊和都比売神社 式内社
《主》伊和津比賣大神御祭神は 伊和大神の比売神

・稲爪神社(明石市)〈合祀 伊和都比売神社〉

佐用都比売神社(佐用郡佐用町)式内社
《主》狭依毘賣命御祭神は 伊和大神の比売神

・佐用都比売神社(佐用郡佐用町)

一緒に読む
佐用都比賣神社(佐用郡佐用町本位田甲)〈播磨國風土記・六国史・延喜式に所載の社〉

佐用都比賣神社(さよつひめじんじゃ)は 『播磨國風土記(713年)』讃容郡(さよのこおり)の条に 神代の神話として 神の名を贊用都比賣命(さよつひめのみこと)と名付けたとあり 『六国史』に嘉祥2年(849)官社に列し 『延喜式』に播磨國 佐用郡 佐用都比賣神社(さよつひめの かみのやしろ)とある 格式高い由緒を持ちます

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祝田神社(たつの市) 式内社
《主》石龍比古命・石龍比売命 〈御祭神2柱は 伊和大神の御子神

・祝田神社(たつの市)

夜比良神社(たつの市)式内社
《主》葦原志擧乎命(国作大己貴命〈御祭神は 伊和大神と同神

・夜比良神社(たつの市)

英賀神社(姫路市)国史見在
《主》英賀津彦・英賀津姫〈御祭神2柱は 伊和大神の御子神

二宮神社(神崎郡福崎町)
《主》建石敷命 〈御祭神は 伊和大神の御子神

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

姫路駅から R2号バイパス経由 R29号を北上 約47km 車60分程度
R29号を揖保川沿いに北上し 宍粟市一宮町に入ると道沿いに鎮座

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標柱に注連縄が架かります 社号標には「國幣中社 伊和神社」と刻まれています

伊和神社(Iwa Shrine)に参着

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参道には 大きな木製の両部鳥居が建ち 扁額には「正一位 伊和大明神」とあります その先には神門が建っています

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参道の突き当りが 手水舎になっていて ここから参道は左に90度折れて社殿に向かいます 手水で清めます

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皇族下乗の石碑が建つ先に 玉垣に囲まれた境内地があります 正面には社殿 右手には 神楽殿 左手には社務所が建ちます

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拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 入母屋造りの豪壮立派な建屋で 拝殿 幣殿 本殿と連なります

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社殿の向かって右側から本殿を仰ぎ 境内社の播磨十六郡神社にお詣りをします 

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本殿の裏手の低い位置地 玉垣に囲まれた聖域〈当社の起源なりと伝う 鶴の居た石〉磐座の「磐座 鶴石(Tsuru ishi」が鎮座します 賽銭箱も設置されていますので ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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向かって左手から 本殿を仰ぎ 境内社の播磨十六郡神社五柱社御霊殿にお詣りをします

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幣殿には 〈当社の起源なりと伝う 鶴の居た石を鶴石〉に舞い降りた鶴をモチーフに青銅の鶴が置かれ 拝殿内には 多くの絵馬が架けられています

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境内の西側にある石段を下りると 境内社の市杵島姫神社(イチキシマヒノジンジャ)があり お詣りをします

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参道を戻ると横に抜ける道があり 進むと「乙女の泉」と呼ばれる彫刻があります

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この場所は やはりツルの彫刻があります 磐座のような巨石が辺り一面に広がっています あまり人が立ち入らないようですが まるで古代の祭祀場のような なんとも不思議な神聖な空間が広がっています 

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参道へ戻りながら 木立の中から 社殿に一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

神階の授奉が記されています

【意訳】

貞観元年(859)正月27日甲申

京畿七道諸神に 神  新叙む 267に け奉る
・・・・・
播磨国(ハリマノクニ)従五位下 勲八等
粒坐天照神(シボニマスアマテルノカミ)
伊和坐大名持御魂神(イワニマスオホナムチミタマノカミ)
びに 従四位下

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

【意訳】

元慶5年(881)6月29日乙巳

(サズク)に
播磨国(ハリマノクニ)従四位下 勲八等
伊和坐大名持御魂神(イワニマスオホナムチミタマノカミ)
正四位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

平治元年(1159)に焼失したと記されています

【意訳】

完栗(ミチハノ)郡 七座 大一座 小六座
伊和坐大名持御魂(イワノヲホアナモチミタマノ)神社(名神大)

三代実録 貞観元年(859)正月27日甲申 従四位下

元慶5年(881)6月29日乙巳 正四位下

百錬抄(ヒャクレンショウ)
平治元年(1159)8月2日 陣定めて 播磨国 伊和社 焼亡事〈焼失す〉

〇今云う 岩神であり 姫路の町中にあり 

和抄〈和名類聚抄〉 伊和

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

【意訳】

伊和坐大名持御魂神社 名神大

伊和は 仮字なり
和名抄〈和名類聚抄〉 伊和

大名持御魂は 於保奈母知美多麻(オホナモチミタマ)と訓ずべし

〇祭神 大己貴命 一宮記
〇伊和郷 神戸に在す 式社記 古跡便覧 播磨鑑
 例祭 11月15日
〇当国一宮なり 一宮記 頭注
〇式巻三 臨時祭 名神祭285座 中略 播磨国 伊和神社一座

〇永萬記伝 伊和社 上品紙百帖
〇播磨国風土記 云う 伊和村 本名神酒 大神の醸酒 この村 故曰く 神酒村

一説に 欽明天皇25年 神託により 伊和の恒郷に「我を祀れ」とがあり社祠を営む

類社 大和国 吉野郡 大名持神社の條見合うべし

神位 
三代実録 貞観元年(859)正月27日甲申 従四位下
三代実録 元慶5年(881)6月29日乙巳 正四位下

社領 高20石 播磨鑑
焼亡 百錬抄に云う
平治元年(1159)8月2日 陣定めて 播磨国 伊和社 焼亡事〈焼失す〉

雑事 新田義貞朝臣寄附状 社家所伝
奉り寄進 一宮 伊和大明神 播磨国神戸郷司職之事
右為に 天下泰平 朝敵滅亡 家門安全の為に 敷地の上旁社家潤色なり
勤め所 寄附奉るなり 経 奏聞き可 申威 官府の状の如し件
延元元丙子年 卯月 2日  左中小将義貞

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)完成 に記される内容

【意訳】

宍栗郡 七座 大一座 小六座
伊和坐大名持御魂神社 名神大

祭神 大己貴

神位
清和天皇 貞観元年(859)正月27日甲申 従四位下

清和天皇 元慶5年(881)6月29日乙巳 正四位下

祭日 6月11日 9月9日 11月15日(改め 10月15日)
社格 縣社(明治18年4月22日 列 国幣小社)(国幣中社)

所在 須行名村(宍栗郡神戸村大字須行名)

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

伊和神社(Iwa Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る

一緒に読む
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について

日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です

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播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について に戻る

一緒に読む
播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について

播磨国(はりまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 播磨国 50座(大7座・小43座)の神社です 播磨国は 和銅6年(713) の詔によって『播磨国風土記』が編纂されていますので 7世紀には成立したとされています

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  • B!

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています