厳島神社(いつくしまじんじゃ)は 推古天皇元年(593)佐伯鞍職(さえきのくらもと)によって創建された 延喜式内名神大社(927)安囈国 佐伯郡 伊都伎嶋神社(いつきしまの かみのやしろ)です 平成八年(1996)世界文化遺産に登録された社殿群〈国宝及び重要文化財に指定〉は 仁安三年(1168)太政大臣 平清盛公によって造営された寝殿造りの様式が礎となっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
嚴島神社(Itsukushima shrine)
【通称名(Common name)】
・宮島さん(みやじまさん)
【鎮座地 (Location) 】
広島県廿日市市宮島町1-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
〈御本社〉
《主》市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
《配》玉留魂神,国常立尊,天照皇大神,素盞嗚尊,高皇産霊神,神皇産霊神,生魂神,足魂神,大宮比売神,御饌津神,事代主神,軻遇突智神,埴山姫神,保食神,稚産霊神,倉稲魂神,豊磐窓神,奇磐窓神,埴安神,金山彦神,猿田彦神,興津彦神,興津姫神,罔象女神,天村雲神,屋船句句廼馳神,屋船豊宇気姫神,八十枉津日神,神直日神,大直日神,底津海童命,中津海童命,表津海童命,底筒男命,中筒男命,表筒男命
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・海の神・交通運輸神〈海上安全・水に関するご利益〉
・財福の神・技芸の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 安芸国一之宮
・ 旧官幣中社
・ 別表神社
【創 建 (Beginning of history)】
嚴島神社 御由緒
一、御祭神
御本社
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)客社
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
活津彦根命(いくつひこねのみこと)
熊野櫲樟日命(くまのんすびのみこと)一、沿革
嚴島は太古よりその山容に霊気を感じ、島全体が神として信仰されてきた。
社伝によると、嚴島神社は推古天皇元年(五九三)に、この地域の有力者であった佐伯鞍職(さえきのくらもと)によって創建されたのが始まりとされる。
仁安三年(一一六八)当時の太政大臣 平清盛公によって寝殿造りの様式を取り入れ造営されたものが現在の社殿の礎となっていると伝わる。
鎌倉時代の二度の火災を始め、台風等に幾度となく被災するも、その時代の人達の尽力によって修復されてきた。
社殿群は国宝及び重要文化財に指定されており、平成八年(一九九六)に、世界文化遺産に登録され現在に至っている。主な神事
御神衣献上式 一月 一日
歳旦祭 一月 一日
地久祭 一月 五日
桃花祭 四月十五日
桃花祭神能 四月十六日
講社大祭 五月十四日
講社御島巡式 五月十五日
推古天皇祭遙拝式 五月十八日
例 祭 六月十七日
市立祭 旧暦 六月 五日
管絃祭 旧暦 六月十七日
菊花祭 十月十五日
御鎮座祭 十二月 初申日
月旦祭 毎月 一日(一月を除く)
月次祭 毎月十七日(三月六月十月を除く)
以上現地由緒板より
【由 緒 (History)】
世界遺産 厳島神社
世界文化遺産「厳島神社」は、瀬戸内海の自然を代表する天然記念物「彌山原始林」を頂く宮島の島全体をご神体として、6世紀ころに創建されたと伝えられている。
1168年、平清盛は海上に浮かぶ寝殿造り様の社殿という独創的な神社建築を完成させた。平安時代の極に達した建築美の面影は、多くの先人によって手厚く守られ、現在に伝えられている。
周囲の海や山と見事なまでに調和した厳島神社の美しさと、その多彩な歴史は他に類例を見ないものである。
また、神道の社殿群の中にかつての神仏混淆のなごりを色濃くとどめている。
大鳥居の立つ海と背後の弥山原始林や都市公園を包含する地域は1996年12月7日「厳島神社」としてUNESCOの世界遺産に登録され、その価値は全世界で共有されることとなった。
我々は、この貴重な遺産を後世に引き継く責務を負ったのである。弥山山頂(530m)付近には弘法大師開基と伝えられる弥山本堂や大師が求聞持の修行中に焚いた護摩の火が今日まで燃え続けている「霊火堂」などの史跡が点在する。
この島は全島花崗岩からなり、地質学的に興味深い事象が随所に現れている。また宮島の動物や植物もたいへん貴重なものが多い。動物ではミヤジマトンボや野生のシカなどである。
植物では、ツガ、モミ、コウヤマキなどの針葉樹にアカガシ、クスノキ、やブツバキなどの常緑広葉樹が混じり、その多様性は日本の縮図と形容されている。
2000年11月吉日 宮島町建立社頭掲示板より
由緒
厳島神社は市杵島姫命を主祭神とする本社と、主祭神と同時にお生まれになった5男神を祀る摂社客(まとうど)神社とを中心にして、海上に壮麗な社殿が建ち並び、日本三景の誉れ高い。
当神社は推古天皇元年(593)、当島の住人、佐伯鞍職(さえきのくらもと)が神託によって、宮殿創立の事を奏聞し、勅許を得て御笠浜に創建し、同年11月初申日に新宮に鎮座し奉ったと伝える。
厳島神社が正史に初見するのは『日本後紀』の弘仁2年(811)7月に伊都岐島神が名神例に預かったことであり、貞観元年(859)正月に神階を従四位下に進められてより後、次々と昇叙されて正一位に達している。
また、延長5年(927)の『延喜式』の神名帳では、名神大社に列せられており、安芸国一宮として名高い。
降って平清盛は、当社を平家の守護神として崇敬し、仁安3年(1168)現在の規模の社殿を造営している。承安4年(1174)には平清盛は後白河法皇と建春門院に伴って社参し、治承元年(1177)には中宮徳子、3月と9月には高倉上皇が御幸されている。また、平家一門の人々が平家納経をはじめ数々の美術工芸品を奉納している。平家の後も鎌倉将軍家や足利尊氏、大内義隆、毛利元就などの崇敬を受け、また、厳島神社は全国に亘って奉斎されて広く国民一般の尊崇が篤い。
平清盛の造営の後、建永2年(1407)と貞応2年(1223)に火災に罹り、現在の主要社殿は仁治2年(1241)までに再建されたものであり、本社本殿はさらに元亀2年(1571)に毛利元就が造替している。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
詳しくは
・嚴島神社 摂社・末社について
嚴島神社(いつくしまじんじゃ)の境内・境外の要所 摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)を記載しています
嚴島神社(宮島)・摂社・末社などについて
〈摂社〉
客神社 (まろうどじんじゃ)
《主》天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
活津彦根命(いくつひこねのみこと)
熊野櫲樟日命(くまのんすびのみこと)
・左門 客神社(ひだりかどまろうどじんじゃ)
《主》豊磐窓神
右門 客神社(みぎかどまろうどじんじゃ)
《主》櫛磐窓神
・大国神社(おおくにじんじゃ)
《主》大国主神
《相》保食神
・天神社(てんじんしゃ)
《主》菅原霊神
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
〈外宮〉
・地御前神社 (じごぜんじんじゃ)
《主》市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命,天照大御神,国常立尊,素盞嗚尊
《配》天穂日命,活津彦根命,正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命,天津彦根命,熊野櫲樟日命
〈奥宮〉
・御山神社 (みやまじんじゃ)〈神体とする弥山の山頂〉
《主》市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命
《配》速玉男命,伊弉冊命,菊理姫命
〈境外摂社〉
・大元神社 (おおもとじんじゃ)〈本社よりも古くから鎮座する地主神〉
《主》大山祇神,保食神,国常立尊
《配》佐伯鞍職,大国主神,蛭子神,応神天皇,猿田彦神,興津彦神,興津姫神
・三翁神社(さんのうじんじゃ)
《主》所翁(ところのおきな),岩木翁(いわきのおきな),二位尼,佐伯鞍職,安徳天皇,大綿津見神
《左殿》大己貴神,猿田彦神
《右殿》御子内侍(みこないし)祖神,竹林内侍(たけはやしないし)祖神,徳寿内侍(とくじゅないし)祖神
・長浜神社(ながはまじんじや)
《主》興津彦神,興津姫神
《配》所翁(ところのおきな)
〈境外末社〉
・瀧宮神社(たきのみやじんじゃ)
《主》湍津姫命,《配》大歳神,素盞嗚尊
・粟島神社(あわしまじんじゃ)
《主》少彦名神
・金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
《主》大物主神,佐伯鞍職
・清盛神社(きよもりじんじゃ)
《主》平清盛公
・豊國神社(ほうこくじんじゃ)
《主》豊臣秀吉,加藤清正
・今伊勢神社〈要害山の頂上付近(宮尾城二の郭)に鎮座〉
《主》八幡大神,天照皇大神,素盞嗚尊,興津彦命,興津姫命,春日大神,猿田彦神
《相殿》大織冠藤原鎌足霊神
・荒胡子神社(あらえびすじんじゃ)
《主》素盞嗚尊,事代主神
・四宮神社(しのみやじんじゃ)
《主》加具土神
・幸神社(さいわいじんじゃ)
《主》猿田彦神
・北之神社(きたのかみのやしろ)
《主》猿田彦神
・祖霊社(それいしゃ)
《主》信徒祖神
・包ケ浦神社
《主》塩土翁
・養父崎神社(やぶさきじんじゃ)
《主》霊鴉神〈御烏〉
〈宮島七浦 末社〉゛安芸の宮島まはれば七里 浦は七浦七恵比須゛
〈杉之浦 すぎのうら〉・杉之浦神社《主》底津少童命
〈鷹巣浦 たかのすうら〉・鷹之巣浦神社《主》底筒男命
〈腰細浦 こしぼそうら〉・腰少浦神社《主》中津少童命
〈青海苔浦 あおのりうら〉・青海苔浦神社《主》中筒男命
〈山白浜 やましろはま〉・山白浜神社《主》表津少童命
〈須屋浦 すやうら〉・須屋浦神社《主》表筒男命
〈御床 みとこ〉・御床神社《主》市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命
嚴島神社 摂社・末社について 詳しくは
嚴島神社(いつくしまじんじゃ)の境内・境外の要所 摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)を記載しています
嚴島神社(宮島)・摂社・末社などについて
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本後紀(Nihon koki)』〈承和7年(840年)完成〉に記される伝承
伊都岐嶋神の神名で 名神に預かる 春夏秋冬 四季に幣を奉る と記されています
【抜粋意訳】
巻廿一 弘仁二年(八一一)七月己酉〈十七〉
○己酉
安藝國 佐伯郡 速谷神 伊都岐嶋神 並預名神例 兼四時幣
【原文参照】
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
全国の諸神267社とともに 神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
巻二 貞觀元年(八五九)正月廿七日〈甲申〉
○廿七日甲申
京畿七道の諸神に 進階(クライ)を及び 新(アラタ)に叙つ 惣(スベ)て 二百六十七社なり 奉授に
淡路國无品勳八等 伊佐奈岐命 一品
備中國三品 吉備都彦命 二品
・・・・
安藝國
正五位下 伊都岐嶋神
從五位上 速谷神 並從四位下
從五位下 多家神從五位上
・・・・
【原文参照】
【抜粋意訳】
巻十四 貞觀九年(八六七)十月十三日〈戊寅〉
○十三日戊寅
勅加松尾神社封二戸
授 安藝國
從四位下 伊都岐嶋神 速谷神 並從四位上
從五位上 安藝都彦神 正五位下
正六位上 生石神 從五位上
正六位上 伊都嶋宗形小專神 樌神 並從五位下
出羽國 長安寺 預之定額
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
名神祭 二百八十五座
・・・
・・・伊都伎嶋神社 一座 多家神社 巳上 安囈國
・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道 140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安囈国 3座(並大)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)佐伯郡 2座(並大)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 伊都伎嶋神社(名神大)
[ふ り が な ](いつきしまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Itsukishima no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
World Heritage ゛Itsukushima Shinto Shrine゛世界文化遺産 厳島神社 について
世界遺産 厳島神社
平成八年一九九六年十月登録
厳島神社は霊峰弥山を背景に、前面を海に望む入り江に建つ神社建築で弥山などを御神体として祀り、遥拝所をその麓に配置した日本における神殿建築展の形式の一つです。
社殿構成は十二世紀に平清盛の造営により、当時の寝殿造りの様式を取り入れて整備されましたが、その後焼失し、鎌倉時代に再建されました。海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、大内氏や毛利氏、豊臣氏などの庇護に支えられて、古い様式を今日に伝えています。
また、神社建築に加えて五重塔・多宝塔などの寺院建築も加えられ、神道と仏教との混文を 示す文化遺産として、世界に類を見ない景観を造りだしています。世界遺産の範囲は厳島神社 境内地と弥山北斜面の四三一・二ヘクタールが 登録され、それ以外の島内が緩衝保護区域として設定されています。
廿日市市 廿日市市教育委員会
広島廿日市ロータリークラブ寄贈 平成十七年五月十六日」現地案内板より
厳島神社
瀬戸内海に浮かぶ厳島は、古くから神道の聖地として栄えてきました。ここに最初の社殿が建てられたのはおそらく 6 世紀。現在の神社は 12 世紀に建てられ、調和して配置された建物は、優れた芸術的および技術的スキルを示しています。この神社は山と海の色と形のコントラストを活かし、自然と人間の創造性を組み合わせた日本の風景美の概念を表しています。
〈登録基準〉Criterion
Criterion (i)
: The configuration of the shrine buildings of ltsukushima-jinja presents an excellent architectural scene on the lines of the aristocratic residential style of this period. It is an outstanding work combining manmade and natural elements. The buildings exhibit great artistic and technical merit and are sited on the sea with a backdrop of impressive mountains.
基準(i):厳島神社の社殿の配置は、この時代の貴族の居住様式に沿った優れた建築風景を呈している。 人工の要素と自然の要素を組み合わせた優れた作品である。建物は芸術的、技術的に優れており、印象的な山々を背景に海に面している。
Criterion (ii)
: The shrine buildings of Itsukushima-jinja are in the general tradition of Shinto shrine architecture in Japan and provide invaluable information for the understanding of the evolving spiritual culture of the Japanese people, namely the Japanese concept of scenic beauty. The most important aspect of Itsukushima-jinja is the setting of the shrine buildings as the central part of a trinity with the sea in the foreground and mountains in the background, recognized as a standard of beauty against which other examples of scenic beauty have come to be understood.
基準(ii):厳島神社の社殿は、日本における神社建築の一般的な伝統に則ったものであり、日本人の精神文化の発展、すなわち日本人の美観の概念を理解する上で貴重な情報を提供するものである。 厳島神社の最も重要な点は、社殿を中心に、前景に海、後景に山が配された三位一体としていることである。
Criterion (iv)
: The buildings of Itsukushima-jinja, which through scrupulously accurate reconstructions have preserved styles from the late 12th and early 13th centuries, are outstanding examples of the ancient type of shrine architecture integrated with the surrounding landscape, the physical manifestation of humankind’s worship of nature.
基準(iv):厳島神社の建物は、12世紀末から13世紀初頭の様式を忠実に復元しており、周囲の景観と一体化した古代の神社建築の優れた例であり、人類の自然崇拝の物理的な現れである。
Criterion (vi)
: Japanese spiritual life is deeply rooted in ancient shintoism which is centred on polytheistic nature worship. ltsukushima-jinja provides important clues understanding this aspect of Japanese religious expression.
基準(vi):日本人の精神生活は、多神教的な自然崇拝を中心とする古代神道に深く根ざしている。厳島神社は、日本の宗教表現のこの側面を理解する重要な手がかりを与えてくれる。
ユネスコ/NHK 遺産に関するビデオ
瀬戸内海に浮かぶ厳島は、古くから神道の聖地として栄えてきました。ここに最初の社殿が建てられたのはおそらく 6 世紀。現在の神社は 12 世紀に建てられ、調和して配置された建物は、優れた芸術的および技術的スキルを示しています。この神社は、山と海の間の色と形のコントラストを活かし、日本の風光明媚な概念を表しています。 出典: ユネスコ テレビ / © NHK 日本放送協会 URL: https://whc.unesco.org/en/list/ 776/
UNESCO/NHK Videos on Heritage
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR宮島口or広電宮島口から フェリーで宮島へ渡ります
宮島桟橋に着岸
宮島桟橋から 海岸沿いに約750m 徒歩10程度
6時台の始発のフェリーで渡ると 人影もまばらです
平清盛像がお出迎え
松島・天橋立と並び日本三景「安芸の宮島」
゛日本三景碑゛と参道の入り口の門は早朝なので閉まっていますが 通行は可能です
海岸線沿いに美しい参道が整備されています
弓なりの海岸の先には 境内の沖合約200mの地に建つ゛大鳥居゛が見えます
参道に゛石の大鳥居゛が建ちます
巨大な青銅の狛犬が座す゛石の大鳥居゛を一礼をしてくぐります
海中の゛大鳥居゛が間近になってきました
今は潮が満ちはじめ 徒歩では近くには行けません
こちらからは 海中の゛大鳥居゛と海中の゛社殿゛の両方が見えます
案内板と゛神馬舎゛があります
ここに゛注連縄柱゛があり 境内入り口となっています
嚴島神社(廿日市市宮島町)に参着
手水口があり 清めます
廻廊に入る手前には 神社では珍しいのですが拝観料を支払います
〈世界遺産 維持管理費用も大切〉
廻廊の入り口には゛゛国寶嚴島神社゛゛世界文化遺産゛の札が掲げられています
満ち始めた潮が廻廊の下に寄せています
社殿は回廊で繋がっています
絵図を見なければ 全体像は判りません
参拝前に 串を左右に払い 清めます
参拝順路は 客(まろうど)神社でお参りをします
先着の方の祈りを待ちます
廻廊は 早朝なのでガラガラです
静けさの中を進みます
あと一時間もしたら ものすごい数の参拝者となります
社殿の奥は まだ海水が満ちていません
提灯には 嚴島神社の神紋「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」
神紋の由来は何説かあり
嚴島神社の末社「御床神社」が鎮座する岩盤の大きな裂け目の形からから生まれたという説
御祭神の三女神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)田心姫命(たごりひめのみこと)湍津姫命(たぎつひめのみこと)から生まれたとする説
そろそろ 正面の本殿前のエリアに入ってきます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿の前面には゛高舞台゛があり その先の海に゛大鳥居゛が建ちます
嚴島神社の参道は 本来 海の道です
廻廊はさらに続いています
境内社や能舞台が離れのようにあります
廻廊の途中で宮島を結ぶ橋がいくつか架けられています
廻廊を出ると砂浜があり 遠くに五重塔が見えます
潮が引けば ここから大鳥居まで歩けます
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 伊都伎嶋神社(名神大)について 地御前 海上一里許〈現 地御前神社 (廿日市市地御前)の沖合〉宮島に在す 嚴島明神と稱す〈現 嚴島神社(廿日市市宮島町)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊都伎嶋神社(名神大)
伊都伎嶋は 假字なり、島は志麻と訓べし、
〇祭神 市杵島姫命、頭注
〇宮島に在す、嚴島明神と稱す、社記
〇當國一宮なり 一宮記
〇式三、臨時祭、名神祭 二百八十五座、中略 安囈國 伊都伎嶋神社 一座 、
〇日本紀、神代上「於是、天照大神、乃索取素戔鳴尊十握劒、打折爲三段、濯於天眞名井、噛然咀嚼(噛然咀嚼、此云佐我彌爾加武)而吹棄氣噴之狹霧(吹棄氣噴之狹霧、此云浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理)所生神、號曰田心姫。次湍津姫、次市杵嶋姫、凡三女矣」、古事記云、市寸島比賣命、
諸社根元記云、市杵嶋姫神、田心姫神、湍津姫神、已上三座、」
囈州志云、在ニ佐西郡海中、去ニ地御前 海上一里許、周廻七里、本社六座、客人宮五座、相比與ニ地御前宮遥相対、廻廊百八十間、自ニ本社之左右出于比通于彼、中略 倩思、本社寶天照大神第一之御子、市杵嶋姫命者乎、第三瀧津姫命者、豊前國宇佐明神是也、今嚴嶋山頭有ニ瀧権現祠、恐祭ニ瀧津媛命者乎、第三田心姫命者、筑前國 宗像明神是也、按今、阿波國 小鳴戸之傍堂浦有宮、號ニ青宮、又稱ニ安囈神、相傳、嚴島姫命之妹、恐田心姫命歟、中略 今嚴嶋本社五座、未知合ニ宮島者、先祭ニ客人宮、依此則、所出之神而、祭ニ天照大神者必也、下略鎮座
諸社根元記云、或説曰、推古天皇丗二年癸丑十二月十二日甲甲顯坐須、船中仁女房三人御出現、洗米進 須倍志、其数五十三進須、佐伯鞍職御供 天仁、此恩賀島・・・・・社職
山槐記、治承四年三月、御幸間被行勤賞、中略 神主景弘、祝師支之、已上二人一階、」・・・
座主
尊叡 見ニ盛衰記焼亡
帝王編年記云、文永元年七年正月二日寅剋、安藝斎島社壇悉以焼失、往昔以来未有ニ此災人皆謂、神火可驚可恠、雑事
百練抄、安元元年六月十六日、日前宮、熱田、嚴島、氣比等社、本地御正體圖繪像、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 伊都伎嶋神社(名神大)について 地御前の南、海中にある嚴島に在り〈現 地御前神社 (廿日市市地御前)の南 沖合の宮島 嚴島神社(廿日市市宮島町)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊都伎島(イチキシマノ)神社
今 佐西郡 地御前の南、海中にある嚴島に在り、藝備國郡志、嚴島道芝記、安芸國圖、三才圖會、
市杵島姫命を祭る、日本書紀、古事記、延喜式、神名帳頭注、
即 安藝の一宮也、源平盛衰記、一宮記、嵯峨天皇 弘仁二年(八一一)七月己酉〈十七〉安藝國 佐伯郡 伊都岐嶋神を名神に例れ、四時幣に預らしめ、日本後紀、
清和天皇 貞觀元年(八五九)正月廿七日〈甲申〉安藝國正五位下より従四位下を授け、貞觀九年(八六七)十月十三日〈戊寅〉從四位上を加へ、三代実録
醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列り、延喜式
朱雀天皇 天慶三年二月一日丁酉、正四位下を授奉り、長寛勘文
高倉天皇 承安四年三月癸卯、後白河上皇 建春門院に行幸し給ひき、
近年以来、平清盛の族類、殊に此神を崇奉るを以て也、玉海、百練抄、源平盛衰記、
治承二年六月庚辰、中宮懐孕の御所に、幣を奉らしむ、山槐記、
清盛其の皇子を生奉らむ事を冀ひ、月毎に嚴島に詣つるに、神験頻りに著るを以て、神社の内待巫女をして、事ある毎に必之を祈りき、此後 朝廷も亦 此神を敬給へり、長門太平物語、源平盛衰記、参酌山槐記、
三年三月甲申、是よりさき大外記 清原頼業、中原師尚等に勅して、本社を廿二社に加へ、祈年穀奉幣あるべき由を議せしむ、此に至て二月十一月上申日を祭日とし、・・・・・・・・
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 伊都伎嶋神社(名神大)について 所在は 厳島〈現 嚴島神社(廿日市市宮島町)〉と記しています
【抜粋意訳】
伊都伎嶋神社(名神大)
祭神
田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命神位
嵯峨天皇 弘仁二年(八一一)七月己酉〈十七〉安藝國 佐伯郡 伊都岐嶋神 並預名神例 兼四時幣
清和天皇 貞觀元年(八五九)正月廿七日〈甲申〉安藝國正五位下 伊都岐嶋神 従四位下
清和天皇 貞觀九年(八六七)十月十三日〈戊寅〉授 安藝國 從四位下 伊都岐嶋神 並從四位上
天慶三年二月一日丁酉授安芸國 伊都岐嶋神 正四位下 朱雀以下長寛勘文祭日
社格 国弊中社(官幣中社)
所在 厳島(佐伯郡厳島)
【原文参照】
嚴島神社(廿日市市宮島町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について
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安藝国(あきのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 安藝国 3座(並大)の神社です
安藝国 式内社 3座(並大)について