伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです
伊勢国(いせのくに)について
伊勢国(Isenokuni)は 令制国の一つ〈東海道に属する〉
現在の・三重県の北中部・愛知県弥富市の一部・愛知県愛西市の一部・岐阜県海津市の一部
『日本書紀』
倭姫命の伝承では 美し国(うましくに)〈可怜(うま)し国〉と記す
第11代 垂仁天皇(すいにんてんのう) 25年〈紀元前5年〉
伊勢神宮〈内宮(ないくう)〉が鎮座〈度会郡宇治郷(伊勢市)〉
第21代 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)〈457年-479年〉
伊勢神宮〈外宮(げくう)〉が丹波國から遷座〈度会郡沼木郷(伊勢市)〉
『続日本紀』
天平勝宝4年(752)10月8日条に 伊世国(いせのくに)と表記
飛鳥時代
第36代 孝徳天皇の時代〈645年7月12日 - 654年11月24日〉伊勢国造(いせのくにのみやつこ)の領域を中心に 伊勢国(いせのくに)が成立
令制国設置に伴い 伊勢国(いせのくに)が成立
天武天皇9年(680)伊勢国から分立して 伊賀国(いがのくに)
明治4年(1871)廃藩置県 度会(わたらい)県と安濃津(あのつ)県が成立
明治5年(1872)安濃津(あのつ)県は 三重県と改称
明治9年(1876)度会(わたらい)県と合併 現在の三重県が成立
伊勢国(いせのくに) 253座(大18座・小235座)
伊勢国(いせのくに)の式内社は253社と多数です
大社18座は 9社
小社235座は 223社
計 253座は 232社
※座は神の柱数 社は神社数
郡として 13郡
・度會(わたらい)郡・多気(たけ)郡・飯野(いいの)郡・飯高(いいだか)郡・壱志(いちし)郡・安濃(あの)郡・奄芸(あむへ)郡・鈴鹿(すずか)郡・河曲(かわわ)郡・三重(みえ)郡・朝明(あさけ)郡・員弁(いなべ)郡・桑名(くわな)郡
度會郡(わたらひの こおり) 58座(大14座・小44座)と論社について
大神宮三座(相殿坐神二座・並 大預 月次 新嘗等祭)(おほむかむのみや みくら)
・皇大神宮(内宮)
皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉
荒祭宮(大 月次 新嘗)(あらまつりのみや)
・荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
荒祭宮(あらまつりのみや)は 『皇太神宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に「荒祭宮一院 大神宮の北にあり 相去ること二十四丈 大神宮の荒御魂宮と称す」とあり『延喜太神宮式〈延長5年(927)〉』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見える古社です 天照大御神の荒御魂を祀り 内宮に所属する十所の別宮のうち 第一に位しています
荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
瀧原宮(大 月次 新嘗)(たきはらのみや)
・瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原竝宮(たきらのならびのみや)は 二つの内宮の別宮が並列して鎮座します 御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あり゛大神の遥宮(とおのみや)゛として大きな信仰を集めます 倭姫命の創建で 元伊勢とも伝えられ 内宮を連想させる神域内の樹齢数百年を越える杉の木立の参道と谷水の流れる御手洗場は太古の信仰へと誘います
瀧原宮・瀧原竝宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
伊佐奈岐宮二座(伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗)(いさなきのみや ふたくら)
・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉(月讀宮境内)
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉
月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)
・⽉ 讀 宮 〈皇大神宮(内宮)別宮〉
・⽉讀荒御魂宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉
度會宮四座(相殿坐神三座・並 大 月次 新嘗)(わたらひのみや しくら)
・豊受⼤神宮(外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉
髙宮(大 月次 新嘗)(たかのみや)
・多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます
多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)
・朝熊神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
朝熊神社(あさくまじんじゃ)&朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)は 五十鈴川と朝熊川の合流する東岸丘にあり 垂仁天皇27年(BC3)倭姫命が石と化した大歳神(おほとしのかみ)を祀ったのが創祀と伝える 皇大神宮(内宮)の27摂社の内 第1摂社です『延喜式神名帳』では 伊勢国 度會郡 朝熊神社(あさくまの かみのやしろ)と記されています
朝熊神社&朝熊御前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
蚊野神社(かのの かみのやしろ)
・蚊野神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
蚊野神社(かのじんじゃ)御同座する 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)は 第21代 雄略天皇(457~479年)が定めたと伝え 皇大神宮(内宮)の27摂社の第7位と格式があります 規定では 造替使がその任に当り 20年に1度正宮と並び正殿を造替える神社でしたが 中世には頽廃してしまいます 寬文三年(1663)大宮司 河邊精長により 現社地に再興され 現在に至ります
蚊野神社〈御同座 蚊野御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉
鴨神社(かもの かみのやしろ)
・鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
鴨神社(かもじんじゃ) は 皇大神宮(内宮)の摂社で『延暦儀式帳』〈延暦23年(804)〉によれば ゛倭姫命の祝ひ定め給ふ所゛と伝わり その後 中世に頽廃しましたが 寬文三年(1663)攝社として再興され この時は 本村字竈谷の地゛氷室洞くつ゛の所に本社が造立されています 明治九年(1876)更に神宮司廳に於て 現在の地に移造されています
鴨神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
狭田國生神社(さたの くなりの かみのやしろ)
・狭田國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
狭田國生神社(さたくなりじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 『倭姫命世記』に「倭姫命が皇大神を奉じ 寒川を遡った時 速河彦命が参り゛畔廣之狹田(アゼヒロノサタ)の國゛の神田を献上し 倭姫命が゛速河狭田社゛を祝定めた」と云う 延喜式内社 伊勢國 度會郡 狭田國生神社(さたの くなりの かみのやしろ)とされます
狭田國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
田乃家神社(たのいへの かみのやしろ)
・田乃家神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
田乃家神社(たのえじんじゃ)〈御同座 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)〉は 創建は 第21代 雄略天皇の御代(457~479年)と伝わる皇大神宮(内宮)の摂社 かつて造宮使造替六社の一つで高い格式がありましたが ここも中世に頽廃し 寬文三年(1663)に再興されました その際 御前神は正殿に御同座し〈昔は二殿あり〉 現在に至ります
田乃家神社〈御同座 田乃家御前神社〉〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・田宮寺神社〈田乃家外城田神社〉(玉城町田宮寺)
〈田乃家神社の遺構とされた゛田宮寺 境内 天神祠゛の合祀先〉
田宮寺神社(たみやじじんじゃ)は 村社 田乃家外城田神社と云い 元 田宮寺鎮守神 天神社のことで 明治四十二年 合祀されたもので この天神社が 皇大神宮摂社の田乃家神社(たのへじんじゃ)であったとも云い 境内には゛御船殿奮趾゛往昔 神宮禰宜 荒木田氏により 式年遷宮毎に御船代を奉納した遣跡もあり 神宮との深い繋がりがあります
田宮寺神社〈田乃家外城田神社〉(玉城町田宮寺)
草名伎神社(くさなきの かみのやしろ)
・草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は 豊受⼤神宮(外宮)の第一摂社であり その祭神は・神名祕書に草薙劔・類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)とあります 中世に頽廃しましたが 正保二年(1645)に現在地に再興されています 延喜式内社 伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)です
草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
園相神社(そのふの かみのやしろ)
・園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
園相神社(そないじんじゃ)は ゛園作神〈曽奈比比古命〉゛が皇大神に御園を奉り これを祝い 倭姫命が社を定めたと伝わる古社 皇大神宮(内宮)摂社の27社中 第3位と格式高い神社ですが 中世には頽廃して社地も不明となり 寛文3年(1663)河邊精長が度会郡積良村に再興 この再興地に疑義があり 元禄七年(1694)大中臣長春が津村を旧社地と定め 現在地へ遷座しました
園相神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
礒神社(いその かみのやしろ)
・磯神社(伊勢市磯町)
磯神社(いそじんじゃ)は 倭姫命(やまとひめのみこと)の巡幸地の一つ゛伊蘇宮 或は磯宮゛とされ 旧地は宮川の氾濫によって崩壊 水没した爲 現在地に遷座したと伝わります 旧地は延喜式内社 伊勢国 度會郡 磯神社(いその かみのやしろ)とされますが 皇大神宮・豊受宮の管攝する社にはその名が見えず ゛磯宮・伊蘇宮゛と゛磯神社゛との関連性にも諸説があります
磯神社(伊勢市磯町)
多伎原神社(たきはらの かみのやしろ)
・多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
多岐原神社(たきはらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 内宮別宮の瀧原宮から宮川を約6km下ったところに鎮座します ここは倭姫命が 皇大神(天照大神)を奉じて巡幸中 宮川を渡ろうとしたが 砂も流れる早瀬があり 渡河難渋であった時 真奈胡神(まなごのかみ)があらわれ その案内で渡ることができた 故に多岐原神社が定め祀られたと伝わります
多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)
・月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました
月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉
湯田神社(ゆたの かみのやしろ)
・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
湯田神社(ゆたじんじゃ)は 雄略天皇朝の創立 造宮使造替六社中の一で格式も高かったが 中世に廃絶し 社地は明らかになりませんでした 産土社の境内社 湯田社に再興したもので 祭神についても大歳御祖命(おほとしみをやのみこと)御前神(みまへのかみ)とされますが 鳴宸電(なるいかつち)を祀る説があり 式内社・湯田神社 ・雷電神社の二つの論社となっています
湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)
・奈良波良神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
奈良波良神社(ならはらじんじゃ)は 『皇太神宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』゛楢原神社 大水上の兒 那良原比女(ナラハラヒメ)命を祀る 倭姫命の祝ひ定め給ふ所゛と記される古社です 中世に頽廃しますが 寛文3年(1663)大宮司 大中臣精長によって再興されました 延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)の論社です
奈良波良神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・上宮古神社(玉城町宮古)
〈旧鎮座地とする説あり〉
上宮古神社(かみみやこじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 奈良波良神社(ならはらの かみのやしろ)の旧鎮座地とする説があります 江戸時代末期の国学者 御巫清直(みかなぎ きよなお)〈1812~1894年生没〉は 廣泰寺寺地を比定地としています
上宮古神社(玉城町宮古)
大水神社(おほみつの かみのやしろ)
・大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
大水神社(おおみずじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)の摂社で 皇大神宮(内宮)末社の2社〈・細川水神〈川相神社(かわあいじんじゃ)・多支大刀自神〈熊淵神社(くまぶちじんじゃ)〉が御同座します 3社ともに垂仁天皇の御代 倭姫命によって御鎭祭されたと伝わります
大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 川相神社・熊淵神社〉
津長大水神社(つなかの おほみつの かみのやしろ)
・津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
津長神社(つながじんじゃ)〉は 皇大神宮(内宮)の摂社です 鎮座地の古地名を「津長原止」と云い 倭姫命が上陸したと伝えらる 五十鈴川を遡上した船の留場〈津〉でした 水神の栖長比賣命を祀る津長神社には 皇大神宮(内宮)の末社〈新川神社〉新川比賣命・〈石井神社〉高水上命が御同座しています
津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 新川神社・石井神社〉
大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)
・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
堅田神社(かただじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 垂仁天皇25年(BC5)二見の地に巡幸された倭姫命に 佐見都日女命(さみつひめのみこと〈地主神〉)は 黙して堅塩(かたしお)を奉った これを祝して倭姫命は当地に堅田神社を定めたと創建伝説に云う 二つの式内社〈①大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)②榎村神社(えむらの かみのやしろ)〉の論社となっています
堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
宇治山田神社(うじようだじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)の論社となっています 御同座に 那自賣神社(なじめじんじゃ)〈内宮 末社〉が祀られ 2社ともに 倭姫命が定めた神社であるとされています
宇治山田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 那自賣神社〈内宮 末社〉)
御食神社(みけの かみのやしろ)
・御食神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
御食神社(みけじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 『倭姫命世紀』には 倭姫命が皇大神宮御遷幸の時 鷲取老翁(わしとりのをきな)が清水を奉り その功績を賞し 水饗社(みけのやしろ)を定めたと起源を傳えている 中世に廃絶しますが 寛文3年(1663)現社地で再興されました 延喜式内社 伊勢國 度會郡 御食神社(みけの かみのやしろ)とされます
御食神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
大土御祖神社(おほつちの みおやの かみのやしろ)
・大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に宇治乃奴鬼(うじのぬき)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 大土御祖神社(おほつちのみおやの かみのやしろ)とされ 境内には同じく式内社の國津御祖神社〈内宮 摂社〉と御同座する葦立弖神社(内宮末社)が鎮座 隣接地にも 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります
大土御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 宇治乃奴鬼神社〈内宮末社〉)
田上大水神社(たのへのおほみつの かみのやしろ)
・田上大水神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)・御同座 田上大水御前(たのえおおみずみまえ)神社は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載ある古社ですが 中世に頽廃してしまい 権禰宜 出口延良が承応元年(1652)度会四門の氏人らとともに現地に再建したものです 寛文三年の再興では取り上げられず 明治四年の神宮御改正までは氏人により社殿の造替えが続けられました
田上大水神社〈御同座 田上大水御前神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)
・國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
國津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 御同座に葦立弖(あしだて)神社〈内宮 末社〉が祀られます 式内社 伊勢國 度會郡 國津御祖神社(くにつみおやの かみのやしろ)とされ 同じく式内社の大土御祖神社〈内宮 摂社〉境内に鎮座します 隣接地には 倭姫命ゆかりの橡楠尾神社が鎮座し 神社の南東には 新嘗祭で神宮への奉納米を奉る神宮神田があります
國津御祖神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 葦立弖神社〈内宮 末社〉)
坂手國生神社(さかての くなりの かみのやしろ)
・坂手國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
坂手國生神社(さかてくなりじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 創建について『倭姫命世紀』に゛垂仁天皇の御時 倭姫命が皇大神を奉戴し この地に御遷幸の時 國つ神の゛高水神(たかみづのかみ)゛が この國は岳高田深坂手國(をかたかしたふかしさかてのくに)とお迎え申し゛田上御田(たのへのみた)゛を奉られたので 坂手社(さかてのやしろ)が祝い定められたと云います
坂手國生神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
粟皇子神社(あはかうしの かみのやしろ)
・粟皇子神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・〈旧鎮座地とされる〉土宮神社(鳥羽市小浜町)
粟皇子神社(あわみこじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 元祿五年(1692)大宮司 河邊長春が現在地に再興しました 創建は垂仁天皇の御宇 倭姫命が 皇大神を伊勢に鎮座の明年 御贄所を定めるため志摩國にいでまし御帰途 淡良伎(アハラキ)之島を經て 伊氣浦(イケノウラ)に至り ここで御贄を奉られた神を淡海子(アハミコノ)神と名付けて社を定めたと伝わります
粟皇子神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉& 土宮神社(鳥羽市小浜町)
久久都比賣神社(くくつひめの かみのやしろ)
・久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)摂社として『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛久具神社一處゛(クグノヤシロ ヒトトコロ)と記載される古社 かつては正殿が三區あったとされ゛一區は久々都比女命の御形(ミカタ)を齋(イハ)ひ ー區は久々都比古命を齋ひ 又一區は前社にて 右の神 の御蔭(ミカゲ)を祭奉る゛とあります
久具都比賣神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)
・高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
高河原神社(たかがわらじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の摂社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)とされます その後 応永26年(1419)に焼失し 近世には社地不明となりましたが 寛文3年(1663)現社地(月夜見宮 域内)に再興されました
高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮 域内)
・須原大社(伊勢市一之木)
〈高河原神社の旧社地〉
須原大社(すはらおおやしろ)は 社号の須原は「州原」 宮川の支流静川の流域で このあたりが一面の河原であったことを意味すると云われ 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)の論社 高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮の境内に祀られる)の旧鎮座地とされます
須原大社(伊勢市一之木)
大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)
・大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
大間國生神社(おおまくなりじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)です 『倭姫命世記』に゛雄略天皇二十二年(478)の條に大若子(オホワカゴ)命の社を定む 大間社是なり゛とあります 中世に廃絶し 江戸時代に現在地に祀られました 玉垣内には 正殿が二殿〈大間社(祭神・大若子命)國生社(祭神・乙若子命)〉あります
大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
江神社(えの かみのやしろ)
・江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
〈旧鎮座地は 江寺〈現・太江寺〉の寺域にあった社 その遷座先と云う 栄野神社(えいのじんじゃ)〉
江神社(えじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 皇大神〈天照大神〉を倭姫命(やまとひめのみこと)が奉遷され 当地の海岸に着船 出迎えた゛佐見都比古命(さみつひこのみこと)゛に土地の名前を尋ねたのちに江社を定められたと伝わります 栄野神社(えいのじんじゃ)にも同様の言い伝えがあります
江神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉& 栄野神社(伊勢市二見町江)
神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
神前神社(こうざきじんじゃ)〈御同座 許母利神社(こもりじんじゃ)・荒前神社(あらさきじんじゃ)〉は 3社ともに『皇太神宮儀式帳(804年)』に所載の古社 中世頽廃し廃絶の後 寬文三年(1663)松下村の北方海岸の山麓「カリヤノ森」再興〈儀式帳所載の舊地ではない〉其の後 高浪により山上に移転 さらに明治40年(1907)に現在地に移轉され2社が御同座したものです
神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉(御同座 許母利神社・荒前神社〈内宮末社〉)
・松下社(伊勢市二見町松下)
〈神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉の旧鎮座地〉
松下社(まつしたやしろ)は 倭姫命御一行が二見を訪れ 船を泊められたことから 御船社とも云うとの伝承を持つ古社 現在の神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉の旧地とも伝わる為 延喜式内社 伊勢國 度會郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)の旧鎮座地とされます
松下社(伊勢市二見町松下)
朽羅神社(くちらの かみのやしろ)
・朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
朽羅神社(くちらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 倭姫命が祝い定めたとされ 水田の中いかにも神が坐します雰囲気の゛宮田森゛に鎮座します 社名は゛朽羅(くちら)とも久麻良比(くまらひ)゛とも云い 共に゛籠(こもる)゛の転訛りで゛神の籠る森゛であるという意味とのことです 延喜式内社 伊勢國 度会郡 朽羅神社(くちらの かみのやしろ)とされます
朽羅神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
榎村神社(えむらの かみのやしろ)
・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
堅田神社(かただじんじゃ)〈内宮 摂社〉は 垂仁天皇25年(BC5)二見の地に巡幸された倭姫命に 佐見都日女命(さみつひめのみこと〈地主神〉)は 黙して堅塩(かたしお)を奉った これを祝して倭姫命は当地に堅田神社を定めたと創建伝説に云う 二つの式内社〈①大國玉比賣神社(おほくにたまひめの かみのやしろ)②榎村神社(えむらの かみのやしろ)〉の論社となっています
堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・荻原神社(大台町江馬)
荻原神社(おぎはらじんじゃ)は 明治40年(1907)合祀令により 荻原村に鎮座する81社を現在地〈宮川の上流域の大台町江馬〉に合祀したもので 中心となった神社〈江馬八柱神社(創建月日不詳)〉は 今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていた゛延喜式内社 伊勢國 度會郡 榎村神社(えむらの かみのやしろ)゛であると伝わります
荻原神社(大台町江馬)
・定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
〈定神社の前身は 奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社からなり この内の・奥定(榎村神社)が論社〉
定神社〈佐田神社〉(さだじんじゃ)は 明治44年 地域の神社を荻原神社に合祀 佐田神社と改称 昭和28年 宮川ダム築造でダム湖に沈む集落の地より現在地に遷座゛定神社゛と改称 前身の成立ちは・奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社で その内の・奥定(榎村神社)は榎村神社・口定(定古清宮・萩原神社)は荻原神社と 二つの式内社論社です
定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
度會國御神社(わたらひの くにみかみの やしろ)
・度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
度会国御神社(わたらい くにみ じんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)宮域内に鎮座する摂社です しかし かつての鎭座地は宮域外とされ『度會元長の内外宮諸社記』に 室町時代の文明(1469~1487)の頃までは 豊受大神宮の神域より堀を隔てた所〈現在の山田工作場の辺り〉と記載があり その後頽廃して社地を失い 正保二年(1645)に禰宜 常晨が その位置に再興したが 古今その旧社地には諸説があり定まっていません
度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
度會乃大國玉比賣神社(わたらひの をほくにたまひめの かみのやしろ)
・度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
度會大國玉比賣神社(わたらいおほくにたまひめじんじゃ)は 神武天皇の御代 伊勢国造の祖・天日別命(あめのひわけのみこと)が伊勢の國覓(くにまぎ)〈平定〉の時 地主神に梓弓を以て橋と為して出迎えられ 歓んで゛刀自に度り會ひぬ゛と云い度會の名を為したという故事を持つ古社で 中世時代にも頽廃せずに祭祀が継続されていた神社であったと伝わる 豊受大神宮(外宮)摂社です
度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
清野井庭神社(しのゐての かみのやしろ)
・清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に載る豊受大神宮(外宮)の摂社で 『延喜式神名帳〈927 AD.〉』には伊勢國 度會郡 清野井庭神社(しのゐての かみのやしろ)と所載される古社です 中世に頽廃し社地不明となりました 現在の社地は 寛文三年(1663)大宮司・河邊精長により 再興されたものです
清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
・今社(伊勢市宮町)
〈清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉の古社地〉
志等美神社(しとみの かみのやしろ)
・志等美神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
志等美神社(しとみじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社として『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に゛蔀野井庭(シトミノヰバ)神社゛と載り 『延喜式神名帳(927年)』に伊勢國 度會郡 志等美神社(しとみの かみのやしろ)と所載ある古社 中世に廃絶して旧址も不明でしたが 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果 現在地に奉遷
志等美神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
川原神社(かはらの かみのやしろ)
・川原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
川原神社(かわらじんじゃ)は 『倭姫命世紀』によると倭姫命が宮川の上流から此の邊りを御通過の時 澤道(さはち)の野原を「澤道の小野(さはちのをの)」と名付け祝ひ定められた神社と云う 『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛川原神社(カハラノヤシロ)一處(ヒトトコロ)゛と記される古社で 皇大神宮(内宮)の摂社です
川原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
山末神社(やますえの かみのやしろ)
・山末神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
山末神社(やまずえじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』には゛山末社(やまずえのやしろ)゛とあり 『延喜式神名帳〈927 AD.〉』には 伊勢國 度會郡 山末神社(やますえの かみのやしろ)と記載されます 中世に廃絶し 廃亡した為 寬文三年(1663)に旧地が判明せず 現在地に再興されたものです
山末神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
大川内神社(おほかはちの かみのやしろ)
・大河内神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
大河内神社(おおこうちじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社で『止由気宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛大河内社゛と載り 『延喜式神名帳(927年)』に伊勢國 度會郡 大川内神社(おほかはちの かみのやしろ)と載る古社 中世に廃絶して旧址も不明でしたが 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果 現在地に奉遷
大河内神社(伊勢市辻久留)〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
榛原神社(をいはらの かみのやしろ)
・棒原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
棒原神社(すぎはらじんじゃ) は 『皇太神宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に所載される皇大神宮(内宮)の摂社で 奈良朝廷の時〈奈良時代(710~784年)〉に創建と伝わる古社です 「杉の森」と呼ばれる古墳丘の上に鎮座します 『延喜式神名帳927 AD.』には 棒原神社(をいはらの かみのやしろ)とも読むことがあります
棒原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
川原大社(かはらの おほやしろ)
・河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
河原神社(かわらじんじゃ)〈御同座 毛理神社(もりじんじゃ)〉は どちらも『延曆儀式帳(804年成立)』に川原社(かはらのやしろ)毛理社(もりのやしろ)と記載される千年以上の古社 川原社は寛文三年に当地に再興された『延喜式神名帳(927年)』所載の伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社 毛理社は明治三年(1870)に御同座御再興されて 今日に至ります
河原神社〈御同座 毛理神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
・大口神社(伊勢市竹ケ鼻町)
〈式内社の論社 川原大神社の旧鎮座に祀られていた祠(水饗社)を合祀〉
大口神社(おおくちじんじゃ)は 明応7年(1498)大地震の津波のために流出した式内社〈往古 水郷の守り神として 勾村字 三津社に河原大社・水饗社・河原饗社という三社の水神あり〉この内 水饗社を竹ヶ鼻に遷座させた小祠の後継神社です 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社とされます
大口神社(伊勢市竹ケ鼻町)
・河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
河原淵神社(かわらぶちじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)に比定される古社です 中世に社地が湮滅し 寛文三年(1663)船江町檜尻(ひのきじり)の檜尻社の境内に再興されました この檜尻社が 式内社 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社になっています 明治十一年(1878)現社地に遷座しました
河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
宇須乃野神社(うすののの かみのやしろ)
・宇須乃野神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
宇須乃野神社(うすののじんじゃ) 〈御同座 縣神社(あがたじんじゃ)〉は 豊受大神宮(外宮)の摂社・末社で 両社ともに『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社です 中世に廃絶し社地も不明となり 寛文三年(1663)宇須乃野神社は現在地に再興され 明治三年(1870)縣神社は御同座されました
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉
小俣神社(をまたの かみのやしろ)
・小俣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
小俣神社(おばたじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社で 豊受大神宮(外宮)の摂社です 中世に頽廃するも 産土神として八王子祠と称し里人に祀られてきました 小俣神社は 寛文三年(1663)現地に一社両殿として再興されました 明治6年(1873)境内を〈神宮側・村側〉の二等分にして現在に至ります
小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉&八柱神社(伊勢市小俣町元)
川原淵神社(貞)(かはらふちの かみのやしろ)
・河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
河原淵神社(かわらぶちじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)に比定される古社です 中世に社地が湮滅し 寛文三年(1663)船江町檜尻(ひのきじり)の檜尻社の境内に再興されました この檜尻社が 式内社 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社になっています 明治十一年(1878)現社地に遷座しました
河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉
・船江上社(伊勢市船江)
〈河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉の旧社地〉
船江上社(ふなえかみのやしろ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)の旧跡地であったとする説を度会延賢〈享保3年(1718)『二十二社参詣記』著者の渡会延賢〉が唱え 以来これが通説となり 明治11年(1878)当社域内に外宮摂社 河原淵神社が遷座されてきました
船江上社(伊勢市船江)
・箕曲神社(伊勢市小木町)
〈式内社・川原淵神社の旧地に在った曽禰社(伊勢市小木)を合祀〉
箕曲神社(みのわじんじゃ)は 明治39年 3社を合祀〈小木社・曽祢社・今田社〉明治41~42年〈大口神社・日和神社・馬瀬神社〉を移遷合祀 新たな神社名を箕曲神社と称したものです 昭和時代に大口神社・日和神社の2社は旧鎮座地に分祀遷座しました 合祀の曽祢社は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)の論社となっています
箕曲神社(伊勢市小木町)
大神乃御舩神社(おほかみの みふねの かみのやしろ)
・御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
御船神社(みふねじんじゃ) 〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟弥乃神社(むみのじんじゃ) (内宮末社)〉は 2社ともに゛倭姫命が祝ひ定め給ふ所゛と伝わります ともに中世に廃絶してしまいますが 御船神社は寛文三年(1663)の再興 牟弥乃神社は 御船神社の附近にあったとされますが確定されず明治四年(1871)に 御船神社に御同座奉祀されました
御船神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 牟彌乃神社(内宮末社)〉
雷電神社(いかつちの かみのやしろ)
・雷電神社(伊勢市小俣町本町)
雷電神社(らいでんじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社の一つです 雷電神社の旧鎮座地は 確定しておらず その多数の論社があり 諸書に「離宮院の坤方(ひつじさる)〈南西方向〉」にありと記されている社で 此処に祀られていた〈裏の宮・八王子〉とも称していた゛雷電神社゛ことです
雷電神社(伊勢市小俣町本町)
・湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
湯田神社(ゆたじんじゃ)は 雄略天皇朝の創立 造宮使造替六社中の一で格式も高かったが 中世に廃絶し 社地は明らかになりませんでした 産土社の境内社 湯田社に再興したもので 祭神についても大歳御祖命(おほとしみをやのみこと)御前神(みまへのかみ)とされますが 鳴宸電(なるいかつち)を祀る説があり 式内社・湯田神社 ・雷電神社の二つの論社となっています
湯田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・髙向大社(伊勢市御薗町高向)
高向大社(たかぶくたいしゃ)は 『高向村神社記』に 第45代 聖武天皇の御代 天平三年(731)の創建と云い 又 貞観三年(861)八月 大雨洪水があり大杉の根本に゛白羽の蓋根矢゛が流れ着いたと 山城 賀茂別雷神社の「丹塗矢伝承」と同類の伝承があり 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)であるとの説があります
髙向大社(伊勢市御薗町高向)
・神村神社 旧跡(伊勢市御薗町高向)
神村神社 社地跡(かぶらじんじゃ しゃちあと)は 明治41年(1908)に高向大社に合祀された゛神村社(かぶらのやしろ)〈加牟良社・鏑社神とも〉゛の社地跡です 高向区の御頭神事は現在でも゛大社(かみ)さん゛゛神村社(かぶら)さん゛の二社の御頭(おかしら)によって神事が催行されています 延喜式内社 伊勢國 度會郡 雷電神社(いかつちの かみのやしろ)の論社です
神村神社 社地跡(伊勢市御薗町高向)
荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)
・葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉
葭原神社(あしはらじんじゃ)は 『日本文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預った記録がある古社で 皇大神宮(内宮)の末社16社のうち 第3位の末社です 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社ですが 中世に廃絶しました 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました
葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉
・定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
〈定神社の前身は 奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社からなり この内の・口定(定古清宮・萩原神社)が論社〉
定神社〈佐田神社〉(さだじんじゃ)は 明治44年 地域の神社を荻原神社に合祀 佐田神社と改称 昭和28年 宮川ダム築造でダム湖に沈む集落の地より現在地に遷座゛定神社゛と改称 前身の成立ちは・奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社で その内の・奥定(榎村神社)は榎村神社・口定(定古清宮・萩原神社)は荻原神社と 二つの式内社論社です
定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈萩原神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈萩原神社の論社〉〉
官舎神社(みやけの かみのやしろ)
・官舎神社(伊勢市小俣町本町)
官舎神社(かんしゃじんじゃ)は 大神宮司(だいじんぐうじ) (今の神宮司廳(じんぐうしちゃう)の如き役所)役所が設けられ 沢山の官舎(廳院(ちゃういん)と云い御厨(みくりや)調御倉(つきのみくら)宮司宿館(ぐうじのしゅくかん)等の建物)が立ち並んでいたので それらの官舎の守護の神を祀った神社であるため この名が起つたものとされます
官舎神社(伊勢市小俣町本町)
多氣郡(たけの こおり) 52座(並小)と論社について
須麻漏賣神社(すまろめの かみのやしろ)
・須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)
〈二十五柱神社に合祀された粒形社(須麻漏賣神社)の舊地〉
・二十五柱神社(松阪市柿木原町)
〈二十五柱神社に合祀された粒形社(須麻漏賣神社)〉
・須麻漏賣神社 舊鎮座地(多気町平谷)
〈佐那神社に合祀された須麻漏賣神社跡 〉
・佐那神社(多気町仁田)
〈佐那神社に合祀された須麻漏賣神社〉
佐那神社二座(さなの かみのやしろ ふたくら)
・佐那神社(多気町仁田)
櫛田神社(くしたの かみのやしろ)
・旧櫛田神社跡(松阪市櫛田町)
・櫛田神社(松阪市櫛田町)
加須夜神社(かすやの かみのやしろ)
・加須夜神社(伊勢市柏町)
竹神社(たけの かみのやしろ)
・竹神社 御跡(明和町竹川)
〈竹神社の旧鎮座地〉
・竹神社(明和町斎宮)
仲神社(なかの かみのやしろ)
・仲神社(松阪市井口中町)
・仲神社(明和町上野)
麻續神社(をみの かみのやしろ)
・麻續神社(明和町中海)
麻續神社(おおみじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 麻續神社(をみの かみのやしろ)の論社であった豊城入彦命を祀る中麻續神社に明治45年(1912)村内の佐賀茂神社・田中神社・粟須美神社・美里神社・宇気比神社・須賀神社の6社が合祀され その際に麻續神社と改称されたものです
麻續神社(明和町中海)
・神麻続機殿神社(松阪市井口中町)
神麻續機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)所管社〉は 八尋殿(やひろでん)の守護神゛神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののまもりのかみ)゛を祀り〈機殿〉八尋殿で奉織した荒妙(あらたえ)(麻)の神衣は 神御衣祭(かむみそさい)で皇大神宮・荒祭宮に供進されます
八尋殿・神麻續機殿神社(松阪市井口中町)〈皇大神宮(内宮)所管社〉
服部伊刀麻神社(はとりの いとまの かみのやしろ)
・服部伊刀麻神社 舊地(松阪市出間町)
〈二十五柱神社に合祀された服部伊刀麻神社の旧地〉
・〈二十五柱神社に合祀された服部伊刀麻神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
相鹿牟山神社二座(あふかむやまの かみのやしろ ふたくら)
・相鹿上神社 旧跡(多気町相可)
〈旧鎮座地〉
・相鹿上神社(多気町相可)
〈相鹿上神社に合祀 式内社 相鹿牟山神社(字牟山鎮座)〉
奈奈美神社(ななみの かみのやしろ)
・奈々美神社(松阪市上七見町)
魚海神社二座(いをうみの かみのやしろ ふたくら)
・魚見神社(松阪市魚見町)
・魚海神社(松阪市川島町)
林神社(はやしの かみのやしろ)
・津田神社(多気町井内林)
・〈二十五柱神社に合祀された林神社の旧鎮座地(松阪市出間町)〉現在は私有地の田畑の為 未参拝
・〈二十五柱神社に合祀された林神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
相鹿上神社(あふかのうへの かみのやしろ)
・相鹿上神社 旧跡(多気町相可)
〈旧鎮座地〉
・相鹿上神社(多気町相可)
守山神社(もるやまの かみのやしろ)
・八柱神社(多気町神坂)の旧鎮座地
〈佐那神社に合祀された 八柱神社〈守山神社の論社〉(多気町神坂)の旧鎮座地 現在 谷を埋めて公園の敷地となっている為 未参拝〉
・佐那神社(多気町仁田)
〈佐那神社に合祀された 八柱神社(神坂村)〉
・御山御前神社 跡地(明和町濱田)
〈畠田神社に合祀された 御山御前神社(明和町濱田)〈守山神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀された 御山御前神社(明和町濱田)〈守山神社の論社〉〉
宇尓櫻神社(うにさくらの かみのやしろ)
・宇爾櫻神社(明和町有爾中)
宇尓神社(うにの かみのやしろ)
・宇尓神社〈鳥墓神社(明和町簑村字鳥墓 )に合祀〉
服部麻刀方神社二座(はとりのまとかたの かみのやしろ ふたくら)
・須麻漏賣神社舊地 麻刀方神社舊地(松阪市垣内田町)
〈二十五柱神社に合祀された松方社(麻刀方神社)の舊地〉
・〈二十五柱神社に合祀された松方社(麻刀方神社)〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
・神服織機殿神社(松阪市大垣内町)
神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)は 八尋殿(やひろでん)の守護神を祀り〈機殿〉八尋殿で奉織した和妙(にぎたえ)の神衣は 神御衣祭(かむみそさい)で皇大神宮・荒祭宮に供進されます 起源は『倭姫命世記』垂仁天皇22年機屋を作り 25年磯宮に服織社を建て 五十鈴川上に御鎭座の時 大宮の傍に八尋の機屋〈宇治の機殿〉を建て 清寧天皇3年(482)服織社の地に移ったとします
八尋殿・神服織機殿神社(松阪市大垣内町)〈皇大神宮(内宮)所管社〉
大海田水代大刀自神社(あまの たみつしろ おほたちの かみのやしろ)
・宇田の明神跡(明和町斎宮)〈宇田明神の旧鎮座地〉
・秋葉神社〈宇田明神の合祀先〉(明和町斎宮)
・宇爾櫻神社(明和町有爾中)〈境内社 権現社として祀られる〉
・織殿神社(明和町佐田)
相鹿木大御神社(あふかこたのみの かみのやしろ)
・西外城田神社(多気町野中)
〈西外城田神社に合祀 八王子社(森庄村鎮座)〉
・相鹿上神社(多気町相可)
〈相鹿上神社に合祀 式内社 伊蘇上神社(字磯部寺鎮座)の境内社 木田神社 〉
・四疋田八柱神社(多気町四疋田)
・幸神社(玉城町積良)
紀師神社(きしの かみのやしろ)
・紀師神社(松阪市庄町)
・逢麻神社(松阪市阿波曽町)
〈逢麻神社に合祀 岩崎神社〈河原宮(阿波曾村字岸垣内)〉
宇留布都神社(ふるふつの かみのやしろ)
・宇留布津神社(松阪市腹太町)
・宇気比神社 古社地(明和町内座)
〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉〉
天香山神社(あまのかぐやまの かみのやしろ)
・天香山神社(松阪市保津町)
・八柱神社(明和町上村)
穴師神社(あなしの かみのやしろ)
・穴師神社(松阪市立田町)
・穴師神社(多気町神坂 金剛座寺境内)
・八柱神社(多気町神坂)の旧鎮座地
〈佐那神社に合祀された 八柱神社〈穴師神社の論社〉(多気町神坂)の旧鎮座地 現在 谷を埋めて公園の敷地となっている為 未参拝〉
・佐那神社(多気町仁田)
〈佐那神社に合祀された 八柱神社(神坂村)〉
流田神社(なかれたの かみのやしろ)
・〈二十五柱神社に合祀された流田神社(松阪市柿木原町)〉現在は私有地の為 未参拝
・〈二十五柱神社に合祀された流田神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
・清水神社(松阪市清水町)
〈清水神社 に合祀された 流田神社〉
畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)
・畠田神社 宮蹟(明和町北藤原)
〈畠田神社三座の一座 旧鎮座地〉
・畠田神社 跡(明和町南藤原)
〈畠田神社三座の一座 旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
流田上神社(なかれたのうへの かみのやしろ)
・流田上社神社 跡(松阪市神守町)
〈二十五柱神社に合祀された流田上社神社 跡〉
・〈二十五柱神社に合祀された流田上社神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
石田神社(いはたの かみのやしろ)
・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉〉
・神垣神社(松阪市高木町)
火地神社(ひちの かみのやしろ)
・天香山神社(松阪市保津町)
〈火地神社を合祀〉
・麻續神社(明和町中海)
〈麻續神社に合祀された 馬之上の宇気比神社(火地神社)〉
麻續神社(おおみじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 麻續神社(をみの かみのやしろ)の論社であった豊城入彦命を祀る中麻續神社に明治45年(1912)村内の佐賀茂神社・田中神社・粟須美神社・美里神社・宇気比神社・須賀神社の6社が合祀され その際に麻續神社と改称されたものです
麻續神社(明和町中海)
・〈二十五柱神社に合祀された宇気比神社の舊地〉極楽寺境内(松阪市乙部町)
・〈二十五柱神社に合祀された宇気比神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
・八柱神社跡地(多気町油夫)
〈佐那神社に合祀された八柱神社の旧鎮座地〉
・佐那神社(多気町仁田)
〈佐那神社に合祀された八柱神社(多気町油夫)〉
・火地神社 古社地(明和町岩内 光安寺境内)
〈竹神社に合祀された火地神社 古社地〉
・竹神社(明和町斎宮)
〈竹神社に合祀された火地神社(明和町岩内 光安寺境内)〉
佐伎栗栖神社二座(さきくすの かみのやしろ)
・佐伎栗栖神社 跡地(明和町志貴)
〈畠田神社に合祀 佐伎栗栖神社(明和町志貴)〈佐伎栗栖神社の論社〉の跡地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 佐伎栗栖神社(明和町志貴)〈佐伎栗栖神社の論社〉〉
竹大興杼神社(たけをほよひの かみのやしろ)
・竹大與杼神社(明和町大淀乙)
竹佐佐夫江神社(たけささふえの かみのやしろ)
・竹佐々夫江神社(明和町山大淀)
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈竹佐々夫江神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈竹佐々夫江神社の論社〉〉
棒屋神社(おきやの かみのやしろ)
・棒屋神社(松阪市菅生町)
伊佐和神社(いさわの かみのやしろ)
・伊佐和神社(松阪市射和町中山)
牟禮神社(むれの かみのやしろ)
・牟禮神社跡(松阪市山室町)
・意非多神社(松阪市西黒部町)
〈楯築大明神(牟禮神社の論社)〉
有貮神社(うにの かみのやしろ)
・明星神社(明和町明星)
〈明星神社に合祀 八柱神社(下有尓村字下出 鎮座)〉
國生神社(くなりの かみのやしろ)
・鳥墓神社(明和町簑村字鳥墓 )
大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)
・大国玉神社(松阪市六根町)
大分神社(おほわけの かみのやしろ)
・相生神社(多気町兄国)
〈相生神社に合祀 大分神社(大垣内村)〉
國乃御神社(くにのみの かみのやしろ)
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉〉
櫃倉神社(ひつくらの かみのやしろ)
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈櫃倉神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈櫃倉神社の論社〉〉
・津田神社(多気町井内林)
〈津田神社に合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉
伊蘇上神社(いそかんの かみのやしろ)
・相鹿上神社(多気町相可)
〈相鹿上神社に合祀 式内社 伊蘇上神社(字磯部寺鎮座)〉
伊呂上神社(いろのうへの かみのやしろ)
・式内伊呂上神社跡(明和町八木戸)
〈畠田神社に合祀 伊呂上神社(明和町八木戸)〈伊呂上神社の論社〉の跡〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 伊呂上神社(明和町八木戸)〈伊呂上神社の論社〉〉
櫛田槻本神社(くしたつきもとの かみのやしろ)
・旧櫛田神社跡(松阪市櫛田町)
・櫛田神社(松阪市櫛田町)
牛庭神社(うしにはの かみのやしろ)
・牛庭神社(松阪市下蛸路町)
・牛庭神社 跡(松阪市東久保町)
〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社 跡〉
・〈二十五柱神社に合祀された牛庭神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
・伊勢庭神社(松阪市伊勢場町)
大櫛神社(おほくしの かみのやしろ)
・豊養稲荷大明神(松阪市豊原町)
〈飯野高宮神山神社に合祀された 大櫛神社の旧鎮座地〉
・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)
〈飯野高宮神山神社に合祀 大櫛神社〉
・豊原神社(松阪市豊原町)
〈飯野高宮神山神社から遷座され 豊原神社に合祀 大櫛神社〉
飯野郡(いひのの こおり) 4座(並小)と論社について
意非多神社(いひたの かみのやしろ)
・穴師神社(松阪市立田町)
〈穴師神社に合祀 八柱神社〈意非多神社〉(大字朝田)〉
・意非多神社(松阪市西黒部町)
・意非多神社(松阪市朝田町)
神山神社(かむやまの かみのやしろ)
・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)
石前神社(いわさきの かみのやしろ)
・逢麻神社(松阪市阿波曽町)
〈逢麻神社に合祀 岩崎神社〈河原宮(阿波曾村字岸垣内)〉
神垣神社(かむかきの かみのやしろ)
・神垣神社(松阪市高木町)
飯髙郡(いひたかの こおり) 9座(並小)と論社について
立野神社(たちのの かみのやしろ)
・松尾神社(松阪市立野町)
大神社(おほみわの かみのやしろ)
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
・〈旧鎮座地〉大神社(松阪市深長町)
物部神社(もののへの かみのやしろ)
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
加世智神社(かせちの かみのやしろ)
・加世智神社(松阪市大平尾町)
意悲神社(いひの かみのやしろ)
・松阪神社(松阪市殿町)
・神戸神館神明社(松阪市下村町)
丹生神社(にふの かみのやしろ)
・丹生神社(多気町丹生)
丹生中神社(にふのなかの かみのやしろ)
・丹生中神社(多気町丹生)〈丹生神社 境内〉
堀坂神社(ほりさかの かみのやしろ)
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
久尓都神社(くにつの かみのやしろ)
・加世智神社(松阪市大平尾町)
〈加世智神社に合祀された 久尓都神社(松阪市郷津町)〉
・久邇都神社 旧鎮座地(松阪市郷津町)
〈加世智神社に合祀された 久尓都神社(松阪市郷津町)の旧鎮座地〉
・神戸神館神明社(松阪市下村町)
壹志郡(いちしの こおり) 13座(大3座・小10座)と論社について
波多神社(はたの かみのやしろ)
・龍天宮(津市一志町八太)〈波多神社旧跡〉
・波多神社〈龍天宮〉(津市一志町八太)
・波多神社〈竜王宮〉(津市一志町庄村)
物部神社(もののへの かみのやしろ)
・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉
稲葉神社二座(いなはの かみのやしろ ふたくら)
・稲葉神社〈・志州伊雑宮・穂落大明神の二所を祀る〉(津市稲葉町)
・香良洲神社(津市香良洲町)
須加神社(すかの かみのやしろ)
・須賀神社(松阪市嬉野権現前町)
阿射加神社三座(貞・並名神大)(あさかの かみのやしろ みくら)
・阿射加神社〈龍天大明神〉(松阪市小阿坂町)
・阿射加神社〈ハ龍天大明神〉(松阪市大阿坂町)
波氐神社(はての かみのやしろ)
・波氐神社 奥宮(津市一志町波瀬)
・波氐神社(津市一志町波瀬)
・波氐神社〈星合神社〉(松阪市星合町)
・仲山神社(津市美杉町下之川)
小川神社(をかはの かみのやしろ)
・小川神社(松阪市嬉野中川町)
・宇氣比神社(松阪市嬉野上小川町)
射山神社(いやまの かみのやしろ)
・射山神社〈温泉大明神〉(津市榊原町 榊原温泉)
川併神社(かはあひの かみのやしろ)
・川併神社〈落合川併神社〉(津市須ヶ瀬町)
・川併神社〈野辺惣社〉(津市久居元町)
敏太神社(としたの かみのやしろ)
・敏太神社〈通称 戸木神社〉〈風早大明神〉(津市戸木町)
・敏太神社〈敏太八幡宮 通称 八幡さん〉(松阪市美濃田町)
安濃郡(あのの こおり) 10座(並小)と論社について
置染神社(をきそめの かみのやしろ)
・置染神社(津市産品)
大市神社(おほいちの かみのやしろ)
・大市神社(津市安濃町妙法寺)
・大市神社〈川松明神〉(津市岩田)
志夫弥神社(しふみの かみのやしろ)
・志夫美神社(津市渋見町〈西出〉)
〈國魂神社に合祀後も西出の住民が祭祀を継続〉
・國魂神社(津市西古河町)
〈式内社の論社 志夫美神社(津市渋見町〈西出〉)を合祀〉
小丹神社(をにの かみのやしろ)
・小丹神社(津市上浜町)
美濃夜神社(みのやの かみのやしろ)
・美濃夜神社(津市芸濃町雲林院)
阿由太神社(あゆたの かみのやしろ)
・阿由多神社(津市安濃町安濃)
・神館神社(津市半田)
小川内神社(をかはちの かみのやしろ)
・小川内神社(芸濃町河内)
比佐豆知神社(ひさつちの かみのやしろ)
・比佐豆知菅原神社〈草生天神〉(津市安濃町草生)
・比佐豆知神社〈雨土御前〉(津市鳥居町)
加良比乃神社(からひの かみのやしろ)
・加良比乃神社(津市藤方)
〈元伊勢 壱志藤方片樋宮〉
舩山神社(ふなやまの かみのやしろ)
・辰水神社(津市美里町家所)
〈式内社論社の船山神社(津市美里町船山)を合祀〉
・船山神社 古社地(津市美里町船山)
〈辰水神社に合祀された船山神社の旧鎮座地〉
奄藝郡(あんきの こおり) 13座(並小)と論社について
伊奈冨神社(いなふの かみのやしろ)
・伊奈冨神社(鈴鹿市稲生西)〈伊勢國総社〉
加和良神社(かわらの かみのやしろ)
・加和良神社(鈴鹿市稲生塩屋)
加和良神社(かわらじんじゃ)は 創祀は不詳ですが『大安寺資料帳〈天平年間(729~749年)〉』に「高良社」と見え 既にこの頃には祀られており 『延喜式神名帳(927年に成立)』に所載 伊勢國 奄藝郡 加和良神社(かわらの かみのやしろ)とされます 大正11年(1922)゛花の木の宮゛〈古社地〉より現在地に遷座しました
加和良神社(鈴鹿市稲生塩屋)〈延喜式内社 加和良神社(かわらの かみのやしろ)〉
・〈参考論社〉三宅神社(鈴鹿市三宅町)
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地の地域は 中の川沿岸にあり 鈴鹿の屯倉(みやけ)〈国司宮所在の地〉が置かれた所であるとされています このことから地名も゛三宅の号あり゛と伝わり 〈①三宅神社②大鹿三宅神社〉の論社となっています 又 式内社〈③加和良神社〉とする説もあり 三つの式内社の論社となっています
三宅神社(鈴鹿市三宅町)〈三つの式内社①加和良神社②三宅神社③大鹿三宅神社の論社〉
多為神社(たゐの かみのやしろ)
・多為神社(津市大里睦合町)
大乃己所神社(をほのこたの かみのやしろ)
・大乃己所神社(津市一身田大古曽)
〈伝説 大物主神の鬼退治(大物主勧請)〉
・大乃己所神社〈七社大明神〉(津市一身田中野)
〈大乃己所神社(大古曾村)に合祀されるも分祀を受け旧鎮座地に復帰〉
事忌神社(こといみの かみのやしろ)
・事忌神社(津市芸濃町林)
・事忌神社(津市河芸町高佐)
酒井神社(さかゐの かみのやしろ)
・酒井神社(鈴鹿市郡山町)
酒井神社(さかいじんじゃ)は 社伝は天智天皇10年(671)の創祀という 又 稻生三社大明神に日参していた信任長者と云う人に神託があり 郡山に稻生新宮を造立しました これが郡山大明神と伝わる 延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかゐの かみのやしろ)の論社です その他に 境内には゛服織神社御旧跡〈延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 服織神社の旧跡とも〉゛があります
酒井神社(鈴鹿市郡山町)
・酒井神社(鈴鹿市徳居町)
酒井神社(さかいじんじゃ)は ゛社伝によれば 当社の瑞籬の麓の井戸を眞井(まない)と称し 古来より旱魃の時 当社へ祈請し雨を乞うときは 神応著しく忽ち霊験を賜う゛とあります 明治36年(1903)以前は「宇気比神社」と呼称されていて それ以後 酒井神社と称しています 延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかゐの かみのやしろ)の論社です
酒井神社(鈴鹿市徳居町)
・夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)
夜夫多神社(やぶたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社 伊勢國(いせのくに)河曲郡(かわのこおり)夜夫多神社(やふたの かみのやしろ)とされます 祈年祭(御鍬)~田打ち(馬の砂かけ)は 境内に約2トンの砂を運び入れ そこを水田に見立てて 昔ながらの田起こしから田植えまでを再現されます
夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)
尾前神社(おさきの かみのやしろ)
・尾前神社(津市河芸町東千里)
〈天武天皇より宮号「尾前土宮」を賜る 一名「土御前」〉
比佐豆知神社(ひさつちの かみのやしろ)
・比佐豆知神社(鈴鹿市寺家)
比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)は 社伝によると創祀並に由緒は゛聖武天皇天平勝宝年間(749~757年)旧刹たる白子山子安観音寺と神域を共にし観音寺南側に位し 往昔は萱葦の神祀六宇に鎮り座し東面した゛と伝えます 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 比佐豆知神社(ひさつちの かみのやしろ)の論社です
比佐豆知神社(鈴鹿市寺家)〈延喜式内社 奄藝郡 比佐豆知神社の論社〉
・明神社(津市芸濃町楠原)
明神社(あきらじんじゃ)は 旧鎮座地は現在の愛宕山の西方に広がる丘の上でした 天正年中(1573~1591)荒廃し現在地へ奉遷 式内社 伊勢國 鈴鹿郡 志婆加支神社(しはかきのかみのやしろ)の論社とされ 又 御巫 清直〈江戸時代末期の国学者〉の説では 式内社 奄藝郡 比佐豆知神社(ひさつちのかみのやしろ)とされます
明神社(津市芸濃町楠原)〈延喜式内社 志婆加支神社・比佐豆知神社の論社〉
石積神社(いはつみの かみのやしろ)
・石積神社〈春月大明神〉(津市大里窪田町)
・石積神社(津市河辺町)
〈巨岩を祀る゛いしたてさん゛石立明神〉
彌尼布理神社(みにふりの かみのやしろ)
・彌尼布理神社〈通称 いねふりさん〉(津市河芸町北黒田)
服織神社(はとりの かみのやしろ)
・服織神社(鈴鹿市御薗町)
服織神社(はとりじんじゃ)は 江戸時代には 八幡社あるいは神明の社と称され近郷の崇敬を集めていた 社伝には 延喜式内社で 元は神明の社と称し また服織神社と申し伝へて来たと伝わります 式内社 伊勢國 奄芸郡 服織神社(はとりの かみのやしろ)の論社となっています
服織神社(鈴鹿市御薗町)
・服織神社(河芸町久知野)
服織神社(はとりじんじゃ)は 往古は当地の南西 社宮地というところにあり、当地方 服部郷の信奉の社であったと云い 式内社の当時は「羽織社」と称えていたことが石碑にみえ 付近に衣手谷(きぬてだに)服反田(はだんだ)社宮神(しゃぐじん)などの地名が残っており その信仰は今の社にも受け継がれ「扇神」「扇さん」「オオギリさん」と慕われています
服織神社(河芸町久知野)
・酒井神社(鈴鹿市郡山町)
〈酒井神社に合祀 服織神社 境内に 服織神社御旧跡あり〉
酒井神社(さかいじんじゃ)は 社伝は天智天皇10年(671)の創祀という 又 稻生三社大明神に日参していた信任長者と云う人に神託があり 郡山に稻生新宮を造立しました これが郡山大明神と伝わる 延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかゐの かみのやしろ)の論社です その他に 境内には゛服織神社御旧跡〈延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 服織神社の旧跡とも〉゛があります
酒井神社(鈴鹿市郡山町)
横道下神社(よこみちのしもの かみのやしろ)
・横道下神社(鈴鹿市徳田町)
久留眞神社(くるまの かみのやしろ)
・久留真神社(鈴鹿市白子)
〈伊勢の森 福徳之宮 車之女神〉
久留真神社(くるまじんじゃ)は 往昔 伊勢の森という神域に鎮座゛福徳さん゛と称され 樹齢1千年以上の゛福徳の松〈御植木〉゛が天に聳えていたと云う その後 第21代雄略天皇の御代(465年頃)相殿に漢織姫尊を合祀して゛福徳の車の女神゛と称された 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社です
久留真神社(鈴鹿市白子)〈伊勢の森 福徳之宮 車之女神〉
・勝速日神社(鈴鹿市白子本町)
〈通称 勝手さん 勝手大明神〉
勝速日神社(かつはやひじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 久留眞神社(くるまの かみのやしろ)の論社であった〈伊勢の森に鎮座した゛福徳さん゛〉が 寛永11年(1634)紀州藩の別邸と代官所を創設する時に 久留真神社を移転した その際 氏子が南北に分かれ「久留真神社」と「勝速日神社」に分社し 創設されたものです
勝速日神社(鈴鹿市白子本町)〈通称 勝手さん 勝手大明神〉
・逆川神社〈龍王大権現〉(津市栗真小川町)
鈴鹿郡(すすかの こおり) 19座(並小)と論社について
那久志里神社(なくしりの かみのやしろ)
・奈具志理神社 跡(亀山市田村町)
〈能褒野神社に合祀 那久志里神社の旧鎮座〉
奈具志理神社跡(なくしりじんじゃあと)は 明治41年(1908)能褒野神社に合祀された奈具志理神社〈延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 那久志里神社(なくしりの かみのやしろ)の論社〉の旧鎮座地でした 現在跡地には 奈久志里神社跡 東荒寺跡と刻まれた石碑が建照られています
奈具志理神社跡(亀山市田村町)〈延喜式内社 那久志里神社の旧鎮座地〉
・能褒野神社(亀山市田村町)〈日本武尊の御陵 能褒野王塚古墳〉
〈能褒野神社に合祀 那久志里神社(亀山市田村町 鎮座)〉
能褒野神社(のぼのじんじゃ)は 「川崎村名越字女ヶ坂」の丁子塚(一名 王塚)〈明治12年(1879)宮内省が『延喜式』に記す日本武尊の御陵「能褒野墓」と治定〉その御霊を斎き祀る神社として御鎮座 明治41年(1908)には 村内の40余社〈式内社3社〈縣主神社・那久志里神社・志婆加支神社〉を含む〉が合祀されました
能褒野神社(亀山市田村町)〈日本武尊の御陵 能褒野王塚古墳〉
倭文神社(しとりの かみのやしろ)
・加佐登神社(三重県鈴鹿市)〈合祀先〉
川俣神社(かはまたの かみのやしろ)
・川俣神社古跡(亀山市加太板屋)
・川俣神社(亀山市加太板屋)
・川俣神社(鈴鹿市和泉町)
・川俣神社(鈴鹿市西冨田町)
・川俣神社(鈴鹿市中冨田町)
・川俣神社(鈴鹿市庄野町)
・川俣神社(鈴鹿市平田本町)
真木尾神社(まきをの かみのやしろ)
・亀山神社(亀山市西丸町)
〈亀山神社に合祀 真木尾神社(亀山市阿野田町 鎮座)〉
〈亀山神社に合祀 天満神社(鈴鹿市天神 鎮座)〉
亀山神社(かめやまじんじゃ)は かつては真澂神社(ますみじんじゃ)として亀山城内に鎮座していました 明治41年(1908)延喜式内社の論社であった・眞木尾神社(阿野田町)・天満神社(天神町)・志婆加支神社〈江戸時代には片岡明神〉や亀山皇太神社・境内の稲荷社・幸神社・天神地祇社等を合祀して亀山神社と改称されています
亀山神社(亀山市西丸町)〈合祀 式内論社・片岡大明神・眞木尾神社・天満神社〉
志婆加支神社(しはかきの かみのやしろ)
・明神社(津市芸濃町楠原)
明神社(あきらじんじゃ)は 旧鎮座地は現在の愛宕山の西方に広がる丘の上でした 天正年中(1573~1591)荒廃し現在地へ奉遷 式内社 伊勢國 鈴鹿郡 志婆加支神社(しはかきのかみのやしろ)の論社とされ 又 御巫 清直〈江戸時代末期の国学者〉の説では 式内社 奄藝郡 比佐豆知神社(ひさつちのかみのやしろ)とされます
明神社(津市芸濃町楠原)〈延喜式内社 志婆加支神社・比佐豆知神社の論社〉
・能褒野神社(亀山市田村町)〈日本武尊の御陵 能褒野王塚古墳〉
〈能褒野神社に合祀 志婆加支神社(亀山市田村町 鎮座)〉
能褒野神社(のぼのじんじゃ)は 「川崎村名越字女ヶ坂」の丁子塚(一名 王塚)〈明治12年(1879)宮内省が『延喜式』に記す日本武尊の御陵「能褒野墓」と治定〉その御霊を斎き祀る神社として御鎮座 明治41年(1908)には 村内の40余社〈式内社3社〈縣主神社・那久志里神社・志婆加支神社〉を含む〉が合祀されました
能褒野神社(亀山市田村町)〈日本武尊の御陵 能褒野王塚古墳〉
・亀山神社(亀山市西丸町)
〈亀山神社に合祀 志婆加支神社〈江戸時代には片岡明神(亀山市西町角森 鎮座)〉
亀山神社(かめやまじんじゃ)は かつては真澂神社(ますみじんじゃ)として亀山城内に鎮座していました 明治41年(1908)延喜式内社の論社であった・眞木尾神社(阿野田町)・天満神社(天神町)・志婆加支神社〈江戸時代には片岡明神〉や亀山皇太神社・境内の稲荷社・幸神社・天神地祇社等を合祀して亀山神社と改称されています
亀山神社(亀山市西丸町)〈合祀 式内論社・片岡大明神・眞木尾神社・天満神社〉
縣主神社(あかたぬしの かみのやしろ)
・縣主神社(鈴鹿市山本町)〈椿大神社 境内〉
〈平成10年10月10日能褒野神社より 現在地に遷座〉
縣主神社(あがたぬしじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 縣主神社(あかたぬしの かみのやしろ)の論社です 元々は川崎村〈亀山市川崎町〉に鎮座していた 俗称 縣大明神〈穗落大神社〉が 明治41年(1908)能褒野神社に合祀され 平成10年(1998)椿大神社 境内 椿護国神社の社地に遷座したものです
縣主神社&椿護国神社(鈴鹿市山本町)〈椿大神社 境内〉
・能褒野神社(亀山市田村町)〈日本武尊の御陵 能褒野王塚古墳〉
〈能褒野神社に合祀 縣主神社(亀山市川崎町 鎮座 穂年大明神)〉
能褒野神社(のぼのじんじゃ)は 「川崎村名越字女ヶ坂」の丁子塚(一名 王塚)〈明治12年(1879)宮内省が『延喜式』に記す日本武尊の御陵「能褒野墓」と治定〉その御霊を斎き祀る神社として御鎮座 明治41年(1908)には 村内の40余社〈式内社3社〈縣主神社・那久志里神社・志婆加支神社〉を含む〉が合祀されました
能褒野神社(亀山市田村町)〈日本武尊の御陵 能褒野王塚古墳〉
天一鍬田神社(あめの ひとくはたの かみのやしろ)
・庄内神社(鈴鹿市東庄内町)
〈明治40年(1907)村内の40社を合祀 庄内神社と改称〉
・天一鍬田神社古社地(鈴鹿市東庄内町)
〈旧鎮座地に石標あり〉
椿大神社(つはきの をほかみのやしろ)
・椿大神社(鈴鹿市)伊勢国一之宮
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は 社伝には 垂仁天皇二十七年 倭姫命の御神託により御船磐座の邉に 伊勢開拓神として猿田彦命を奉斎のため社殿を創建 神主は 代々山本家の世襲で 山本家は猿田彦大神の神裔とされます 社殿は瓊瓊杵尊が船でここに到着された場所「土公神陵」は猿田彦大神の古墳だと伝える 由緒ある伊勢国一之宮です
〈伊勢國一之宮〉椿大神社(鈴鹿市山本町)〈地祇猿田彦大本宮〉
・都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市)伊勢国一之宮
都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)は 社伝には 雄略天皇の勅により 現在地に2つの社殿を造営したのが起源 明治時代に2社を合併し 両社の祭神は1つの社殿に奉祀されます 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 奈加等神社(なかとの かみのやしろ)都波岐神社(つはきの かみのやしろ)の論社です
〈伊勢國一之宮〉都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市一ノ宮町)
小岸大神社(をきしの をほかみのやしろ)
・小岸大神社(鈴鹿市小岐須町)
大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)
・関神社(亀山市関町)
〈明治42年(1909)関神社に合祀された大井神社(亀山市関町古厩)〉
関神社(せきじんじゃ)は 江戸時代には 熊野三所大権現と呼ばれていました 明治42年(1909)地域の各字の神社を合祀して 關神社と改号しました その時 古厩に鎮座していた二つの式内社①大井神社の論社・大井神社(亀山市関町古厩)②片山神社の論社・八王子祠 (亀山市関町古厩)も一緒に合祀されました
關神社(亀山市関町木崎)〈二つの式内社・大井神社・片山神社を合祀〉
・大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)
〈大井神社の旧鎮座地(明治42年(1909)関神社に合祀)〉
大井神社の遺跡(おおいじんじゃのいせき)は 史跡 鈴鹿駅跡(すずかのうまやあと)にあった延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)とされ ここから北40m程の所には゛都追美井(つつみい)゛〈神社の御神体とされる井戸〉もあります 明治42年(1909)関神社(亀山市関町)に合祀されました
大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)〈大井神社の旧鎮座地(明治42年 関神社に合祀)〉
・大井神社(鈴鹿市山辺町)
大井神社(おおいじんじゃ)は 西に約400mの所に゛山辺の御井(やまべのみい)゛もあり 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社となっています 明治44年(1911)川神社(鈴鹿市河田町)に合祀〈神社合祀令〉された後 地元の熱意によつて昭和26年(1951)3月に再興されました
大井神社(鈴鹿市山辺町)〈延喜式内社 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ)〉
・江神社(亀山市下庄町)
江神社(えのじんじゃ)は 雨を司る神として 社伝には゛当地は天名川〈中の川〉が流れ 上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいた゛と云い 社名を「鈴の宮」〈上社〉と呼び 又 下社もあったとされ これを延喜式内社 大井神社二座としていたと伝わります 又 江神社ともされ 二つの式内社の論社となっています
江神社(亀山市下庄町)〈二つの延喜式内社の論社①大井神社二座②江神社〉
三宅神社(みへの かみのやしろ)
・三宅神社(鈴鹿市三宅町)
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地の地域は 中の川沿岸にあり 鈴鹿の屯倉(みやけ)〈国司宮所在の地〉が置かれた所であるとされています このことから地名も゛三宅の号あり゛と伝わり 〈①三宅神社②大鹿三宅神社〉の論社となっています 又 式内社〈③加和良神社〉とする説もあり 三つの式内社の論社となっています
三宅神社(鈴鹿市三宅町)〈三つの式内社①加和良神社②三宅神社③大鹿三宅神社の論社〉
・三宅神社(鈴鹿市国府町)
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地が゛國司の宅址゛であり゛屯倉(ミヤケ)の跡地゛と伝わるので 式内社〈①伊勢國 鈴鹿郡三宅神社②伊勢國 河曲郡 大鹿三宅神社〉の論社とされ゛伊勢國總社゛とも呼ばれます 更に 明治41年(1908)に式内社③江神社の論社゛樫木大明神゛を合祀しましたので 現在は 三つの式内社の論社です
三宅神社(鈴鹿市国府町)〈延喜式内社・伊勢國總社〉
江神社(えの かみのやしろ)
・三宅神社(鈴鹿市国府町)
〈明治41年(1908)三宅神社(鈴鹿市国府町)に合祀 樫木大明神)〉
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地が゛國司の宅址゛であり゛屯倉(ミヤケ)の跡地゛と伝わるので 式内社〈①伊勢國 鈴鹿郡三宅神社②伊勢國 河曲郡 大鹿三宅神社〉の論社とされ゛伊勢國總社゛とも呼ばれます 更に 明治41年(1908)に式内社③江神社の論社゛樫木大明神゛を合祀しましたので 現在は 三つの式内社の論社です
三宅神社(鈴鹿市国府町)〈延喜式内社・伊勢國總社〉
・江神社(亀山市下庄町)
江神社(えのじんじゃ)は 雨を司る神として 社伝には゛当地は天名川〈中の川〉が流れ 上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいた゛と云い 社名を「鈴の宮」〈上社〉と呼び 又 下社もあったとされ これを延喜式内社 大井神社二座としていたと伝わります 又 江神社ともされ 二つの式内社の論社となっています
江神社(亀山市下庄町)〈二つの延喜式内社の論社①大井神社二座②江神社〉
布氣神社(ふけの かみのやしろ)
・布氣皇舘太神社(亀山市布気町)
・忍山神社(亀山市野村)
石神社(いはの かみのやしろ)
・椿大神社(鈴鹿市山本町)に合祀
石大神は 石神社の社名に改称 村社に列す〈明治12年 神社合祀政策により椿大神社本殿に合祀〉
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は 社伝には 垂仁天皇二十七年 倭姫命の御神託により御船磐座の邉に 伊勢開拓神として猿田彦命を奉斎のため社殿を創建 神主は 代々山本家の世襲で 山本家は猿田彦大神の神裔とされます 社殿は瓊瓊杵尊が船でここに到着された場所「土公神陵」は猿田彦大神の古墳だと伝える 由緒ある伊勢国一之宮です
〈伊勢國一之宮〉椿大神社(鈴鹿市山本町)〈地祇猿田彦大本宮〉
・石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)
〈椿大神社に合祀された石神社の旧鎮座地〉
石大神(しゃくだいじん)は 鈴鹿山脈の断層によって形成された断層微地形「ケルンバット」(分離丘陵)で 急峻で錘状岩柱形の岩峯(がんぽう)地形の自然景観は 古代から信仰の対象となっており 社殿はありませんが巨岩を神体とする 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 石神社(いはの かみのやしろ)の論社とされています 敏達天皇が行幸されたという言い伝えもあります
石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)〈古代から信仰の対象 巌岩〉
・石神社(亀山市三寺町)
石神社(いしじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 石神社(いはの かみのやしろ)の論社です 一般には 巨岩を神体とする石大神(鈴鹿市小社町字脇の山)を推していますが 三寺町の石神社も゛広大な社地で樹木が鬱そうと茂りその地の岩を避け割ったようだ゛との通り参道は この岩の避け割った谷をの上り下りして進みます
石神社(亀山市三寺町)〈延喜式神名帳所載 論社〉
長瀬神社(なかせの かみのやしろ)
・長瀬神社(鈴鹿市長澤町)
・長瀬神社(亀山市菅内町)
忍山神社(をしやまの かみのやしろ)
・忍山神社(亀山市野村)
・布氣皇舘太神社(亀山市布気町)
片山神社(かたやまの かみのやしろ)
・片山神社(亀山市関町)
〈平成11年(1999)放火により焼失(神楽殿を残して本殿瓦解)境内は跡地のようになっていました〉
片山神社(かたやまじんじゃ)は 元は三つ子山(鈴鹿嶽・武名嶽・高幡嶽)に三宮が鎮座し その後 火災により奉遷を繰り返します やがて鈴鹿社〈祭神 倭姫命〉を合せて1社となり 坂上田村麻呂以下5柱が加わり 永仁2年(1294)現在の多津加美坂の地へと遷座しました 平成11年(1999)放火により本殿を焼失しています
片山神社〈鈴鹿権現〉(亀山市関町坂下)〈延喜式内社 片山神社の論社〉
・関神社(亀山市関町)
〈明治42年(1909)関神社に合祀された 八王子祠 (亀山市関町古厩)〉
関神社(せきじんじゃ)は 江戸時代には 熊野三所大権現と呼ばれていました 明治42年(1909)地域の各字の神社を合祀して 關神社と改号しました その時 古厩に鎮座していた二つの式内社①大井神社の論社・大井神社(亀山市関町古厩)②片山神社の論社・八王子祠 (亀山市関町古厩)も一緒に合祀されました
關神社(亀山市関町木崎)〈二つの式内社・大井神社・片山神社を合祀〉
弥牟居神社(いやむこの かみのやしろ)
・彌牟居神社(亀山市両尾町)
・足見田神社(四日市市水沢町)
河曲郡(かはわの こおり) 20座(並小)と論社について
髙市神社(たかいちの かみのやしろ)
・神舘飯野高市本多神社(鈴鹿市)
神館飯野高市本多神社(こうたつ いいの たかいち ほんだじんじゃ)は 第十一代垂仁天皇の御代 皇女倭姫命が皇大神宮〈内宮〉を伊勢の五十鈴川の川上にお定めになられる時 神戸にしばらく滞留せられて御宮所としたのが 神社創建と伝えられ その後 神館神明神社に飯野神社・高市神社・本多神社が合祀され 俗に神戸宗社と呼ばれます
神館飯野高市本多神社〈神戸宗社〉(鈴鹿市神戸)
・飯野神社(鈴鹿市三日市)
飯野神社(いいのじんじゃ)は 弘治元年(1555)式内社 高市神社を合殿(あいどの)に奉斎し 二つの式内社〈①高市神社(たかいちの かみのやしろ)②飯野神社(いゐのの かみのやしろ)〉の論社です 明治39年(1906)明細帳に飯野高市両神社と社名を記し 大正13年(1924)社名を変更し飯野神社と単称するに至っています
飯野神社(鈴鹿市三日市)〈二つの式内社〈①高市神社②飯野神社の論社〉
彌都加伎神社(みつかきの かみのやしろ)
・彌都加伎神社(鈴鹿市東玉垣町)
貴志神社(きしの かみのやしろ)
・貴志神社(鈴鹿市岸岡町)
鬼太神社(おにたの かみのやしろ)
・鬼太神社(鈴鹿市木田町)
川神社(かはの かみのやしろ)
・川神社(鈴鹿市河田町)
・楠郷総社神明社(四日市市楠町北五味塚)
〈参考〉・楠村神社(四日市市楠町本郷)
矢椅神社(やさきの かみのやしろ)
・矢椅神社(鈴鹿市柳町)
・矢椅神社(鈴鹿市矢橋)
岡太神社(をかたの かみのやしろ)
・岡太神社(鈴鹿市岡田)
奈加等神社(なかとの かみのやしろ)
・都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市)伊勢国一之宮
都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)は 社伝には 雄略天皇の勅により 現在地に2つの社殿を造営したのが起源 明治時代に2社を合併し 両社の祭神は1つの社殿に奉祀されます 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 奈加等神社(なかとの かみのやしろ)都波岐神社(つはきの かみのやしろ)の論社です
〈伊勢國一之宮〉都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市一ノ宮町)
小川神社(をかはの かみのやしろ)
・都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市)の境内社 小川薬王子社
都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)は 社伝には 雄略天皇の勅により 現在地に2つの社殿を造営したのが起源 明治時代に2社を合併し 両社の祭神は1つの社殿に奉祀されます 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 奈加等神社(なかとの かみのやしろ)都波岐神社(つはきの かみのやしろ)の論社です
〈伊勢國一之宮〉都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市一ノ宮町)
都波岐神社(つはきの かみのやしろ)
・都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市)伊勢国一之宮
都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)は 社伝には 雄略天皇の勅により 現在地に2つの社殿を造営したのが起源 明治時代に2社を合併し 両社の祭神は1つの社殿に奉祀されます 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 奈加等神社(なかとの かみのやしろ)都波岐神社(つはきの かみのやしろ)の論社です
〈伊勢國一之宮〉都波岐神社・奈加等神社(鈴鹿市一ノ宮町)
・飯野神社(鈴鹿市長太旭町)に合祀
(合祀)〈津萩神社(北長太村小路の産土神) 江戸時代は゛八王子社゛〉
飯野神社(いいのじんじゃ)は 長太(なご)〈穏やかな海面・豊かな漁場の意を持つ地名〉に鎮座します 鈴鹿市無形民俗文化財「長太の鯨船行事」〈昔 伊勢湾に迷い込んだ鯨を銛で仕留める古式鯨漁法を模して 神に様々な祈願を行う祭事〉があります 三つの式内社〈伊勢國 河曲郡①飯野神社②都波岐神社③大木神社〉の論社となっています
飯野神社(鈴鹿市長太旭町)〈三つの式内社①飯野神社②都波岐神社③大木神社の論社〉
飯野神社(いひのの かみのやしろ)
・飯野神社(鈴鹿市三日市)
飯野神社(いいのじんじゃ)は 弘治元年(1555)式内社 高市神社を合殿(あいどの)に奉斎し 二つの式内社〈①高市神社(たかいちの かみのやしろ)②飯野神社(いゐのの かみのやしろ)〉の論社です 明治39年(1906)明細帳に飯野高市両神社と社名を記し 大正13年(1924)社名を変更し飯野神社と単称するに至っています
飯野神社(鈴鹿市三日市)〈二つの式内社〈①高市神社②飯野神社の論社〉
・神舘飯野高市本多神社(鈴鹿市)
神館飯野高市本多神社(こうたつ いいの たかいち ほんだじんじゃ)は 第十一代垂仁天皇の御代 皇女倭姫命が皇大神宮〈内宮〉を伊勢の五十鈴川の川上にお定めになられる時 神戸にしばらく滞留せられて御宮所としたのが 神社創建と伝えられ その後 神館神明神社に飯野神社・高市神社・本多神社が合祀され 俗に神戸宗社と呼ばれます
神館飯野高市本多神社〈神戸宗社〉(鈴鹿市神戸)
・飯野神社(鈴鹿市長太旭町)
〈旧跡は 長太村の北位稲田の中 飯野森土宮と云う所〉
飯野神社(いいのじんじゃ)は 長太(なご)〈穏やかな海面・豊かな漁場の意を持つ地名〉に鎮座します 鈴鹿市無形民俗文化財「長太の鯨船行事」〈昔 伊勢湾に迷い込んだ鯨を銛で仕留める古式鯨漁法を模して 神に様々な祈願を行う祭事〉があります 三つの式内社〈伊勢國 河曲郡①飯野神社②都波岐神社③大木神社〉の論社となっています
飯野神社(鈴鹿市長太旭町)〈三つの式内社①飯野神社②都波岐神社③大木神社の論社〉
・菅原神社(鈴鹿市国分町)
久久志弥神社(くくしみの かみのやしろ)
・久々志彌神社(鈴鹿市下箕田)
髙岡神社(たかをかの かみのやしろ)
・高岡神社(鈴鹿市高岡町)
大木神社(おほきの かみのやしろ)
・大木神社(鈴鹿市石薬師町)
・長太の大樟(大楠)〈須伎神社 に合祀された大木神社の旧鎮座地〉
・須伎神社(鈴鹿市長太栄町)に合祀
・大塚神社(鈴鹿市林崎)
・飯野神社(鈴鹿市長太旭町)に合祀
(合祀)〈津萩大木神社(北長太村) 江戸時代は゛老翁殿゛〉
飯野神社(いいのじんじゃ)は 長太(なご)〈穏やかな海面・豊かな漁場の意を持つ地名〉に鎮座します 鈴鹿市無形民俗文化財「長太の鯨船行事」〈昔 伊勢湾に迷い込んだ鯨を銛で仕留める古式鯨漁法を模して 神に様々な祈願を行う祭事〉があります 三つの式内社〈伊勢國 河曲郡①飯野神社②都波岐神社③大木神社〉の論社となっています
飯野神社(鈴鹿市長太旭町)〈三つの式内社①飯野神社②都波岐神社③大木神社の論社〉
須支神社(すきの かみのやしろ)
・須伎神社(鈴鹿市長太栄町)
深田神社(ふかたの かみのやしろ)
・深田神社(鈴鹿市若松東)
阿自賀神社(あしかの かみのやしろ)
・阿自賀神社(鈴鹿市須賀)
・阿自賀神社(鈴鹿市安塚町)
夜夫多神社(やふたの かみのやしろ)
・夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)
夜夫多神社(やぶたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社 伊勢國(いせのくに)河曲郡(かわのこおり)夜夫多神社(やふたの かみのやしろ)とされます 祈年祭(御鍬)~田打ち(馬の砂かけ)は 境内に約2トンの砂を運び入れ そこを水田に見立てて 昔ながらの田起こしから田植えまでを再現されます
夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)
土師神社(はしの かみのやしろ)
・土師神社(鈴鹿市土師町)
・西土師神社(鈴鹿市土師町)
大鹿三宅神社(おほかの みやけの かみのやしろ)
・神舘飯野高市本多神社(鈴鹿市)に合祀
神館飯野高市本多神社(こうたつ いいの たかいち ほんだじんじゃ)は 第十一代垂仁天皇の御代 皇女倭姫命が皇大神宮〈内宮〉を伊勢の五十鈴川の川上にお定めになられる時 神戸にしばらく滞留せられて御宮所としたのが 神社創建と伝えられ その後 神館神明神社に飯野神社・高市神社・本多神社が合祀され 俗に神戸宗社と呼ばれます
神館飯野高市本多神社〈神戸宗社〉(鈴鹿市神戸)
・大鹿三宅神社(鈴鹿市池田町)
大鹿三宅神社(おおかみやけじんじゃ )は 社伝によれば゛久安三年(一一四七)伊勢国河曲郡一ノ宮村大字池田へ建立゛と伝へるのみです 当社所蔵の棟札の記載から式内社 大鹿三宅神社(おほかの みやけの かみのやしろ)の論社とされますが この棟札については ゛偽造なる事著し明なれは 信受し難し゛ との説もあります
大鹿三宅神社(鈴鹿市池田町)〈延喜式内社の論社〉
・三宅神社(鈴鹿市国府町)
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地が゛國司の宅址゛であり゛屯倉(ミヤケ)の跡地゛と伝わるので 式内社〈①伊勢國 鈴鹿郡三宅神社②伊勢國 河曲郡 大鹿三宅神社〉の論社とされ゛伊勢國總社゛とも呼ばれます 更に 明治41年(1908)に式内社③江神社の論社゛樫木大明神゛を合祀しましたので 現在は 三つの式内社の論社です
三宅神社(鈴鹿市国府町)〈延喜式内社・伊勢國總社〉
・三宅神社(鈴鹿市三宅町)
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地の地域は 中の川沿岸にあり 鈴鹿の屯倉(みやけ)〈国司宮所在の地〉が置かれた所であるとされています このことから地名も゛三宅の号あり゛と伝わり 〈①三宅神社②大鹿三宅神社〉の論社となっています 又 式内社〈③加和良神社〉とする説もあり 三つの式内社の論社となっています
三宅神社(鈴鹿市三宅町)〈三つの式内社①加和良神社②三宅神社③大鹿三宅神社の論社〉
・菅原神社(鈴鹿市国分町)
三重郡(みへの こおり) 6座(並小)と論社について
江田神社(えたの かみのやしろ)
・江田神社(四日市市西坂部町)
・鵜森神社(四日市市鵜の森)
・廣幡神社(菰野町菰野)
〈江田神社(広幡神社に合祀)〉
加富神社(かふの かみのやしろ)
・加富神社(四日市市波木町)
・加富神社(四日市市山田町)
神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・神前神社(四日市市高角町)
小許曽神社(をこその かみのやしろ)
・小許曽神社(四日市市小古曽)
足見田神社(あしみたの かみのやしろ)
・足見田神社(四日市市水沢町)
・加富神社(四日市市波木町)
椿岸神社(つはききしの かみのやしろ)
・椿岸神社(四日市市智積)
〈七郷の総社〉
椿岸神社(つばききしじんじゃ)は 昔は「七郷の総社」と呼ばれていて 七つの郷とは〔旧村の佐倉村(桜)・智積村・一色村・森村(菰野町神森)・赤津村(赤水・海老原村(上海老・下海老)・平尾村〕この七村の総氏神様という意味です 延喜式内社 伊勢國 三重郡 椿岸神社(つはききしの かみのやしろ)の論社です
椿岸神社〈七郷の総社〉(四日市市智積町)〈延喜式内社 論社〉
・椿岸神社(鈴鹿市山本町)
〈椿大神社境内 別宮 椿岸神社〉
椿岸神社(つばききしじんじゃ)は 椿大神社境内の別宮 椿岸神社です 元々は 旧三重郡 椿尾山にあったが 毎年椿社祭祀の日に 神輿をその社頭まで昇って行く例でしたが 一里餘の遠程であったので ここに遷座したと云う 延喜式内社 伊勢國 三重郡 椿岸神社(つはききしの かみのやしろ)の論社てす
椿岸神社(鈴鹿市山本町)〈椿大神社境内 別宮〉
朝明郡(あさけの こおり) 24座(並小)と論社について
伊賀留我神社(いかるかの かみのやしろ)
・伊賀留我神社(四日市市茂福甲)
・伊賀留我神社〈南伊賀留我神社〉(四日市市羽津戊)
能原神社(のはらの かみのやしろ)
・能原神社(四日市市中村町)
伎留太神社(きるたの かみのやしろ)
・伎留太神社(三重郡菰野町切畑)
石部神社二座(いそへの かみのやしろ ふたくら)
・石部神社(四日市市朝明町)
兎上神社(うさきかみの かみのやしろ)
・菟上耳利神社(四日市市伊坂町)
・菟上神社(いなべ市大安町宇賀)
太神社(おほむわのやしろ)
・太神社(四日市市大鐘町)
・太神社旧跡(四日市市大鐘町)
・大神社(いなべ市大安町)
・石部神社(四日市市朝明町)
多比鹿神社(たひかの かみのやしろ)
・多比鹿神社(菰野町田光)
鳥出神社(とりいての かみのやしろ)
・鳥出神社(四日市市富田)
八十積椋神社(やそつみのくらの かみのやしろ)
・八十積椋神社(川越町豊田)
志氐神社(しての かみのやしろ)
・志氐神社(四日市市大宮町)
耳利神社(みみとしの かみのやしろ)
・菟上耳利神社(四日市市伊坂町)
・穂積神社(四日市市広永町)
・耳常神社(四日市市下之宮町)に合祀
耳常神社(みみつちの かみのやしろ)
・耳常神社(四日市市下之宮町)
・耳常神社(菰野町小島)
移田神社(うつしたの かみのやしろ)
・井後神社(朝日町柿)
〈井後神社に合祀された 移田神社(旧 朝明郡柿村大字埋縄字里中)〉
・移田神社(朝日町埋縄)
〈井後神社に合祀された 移田神社が旧鎮座地に復帰〉
櫛田神社(くしたの かみのやしろ)
・櫛田神社(桑名市島田)
井手神社(ゐての かみのやしろ)
・井手神社(菰野町永井)
殖栗神社(うへくりの かみのやしろ)
・殖栗神社舊蹟(四日市市市場町)〈殖栗神社の旧鎮座地〉
・殖栗神社(四日市市西村町)
布自神社(ふしの かみのやしろ)
・布自神社(四日市市山村町)
穂積神社(ほつみの かみのやしろ)
・穂積神社(四日市市広永町)
・穂積神社旧跡(菰野町田口)
〈福王神社に合祀野 穂積神社の旧鎮座地〉
・福王神社〈毘沙門天王〉(菰野町田口)
〈旧穂積神社を合祀〉
櫻神社(さくらの かみのやしろ)
・櫻神社古社地(四日市市大矢知町)
・長倉神社(四日市市大矢知町)
〈櫻神社古社地の合祀先〉
・櫻神社(四日市市山城町)
井後神社(ゐしりの かみのやしろ)
・井後神社旧址(朝日町柿)〈旧鎮座地〉
・井後神社(朝日町柿)
長倉神社(なかくらの かみのやしろ)
・長倉神社(四日市市大矢知町)
苗代神社(貞)(なはしろの かみのやしろ)
・苗代神社(朝日町縄生)
・土生神社(いなべ市大安町梅戸)
長谷神社(はせの かみのやしろ)
・志氐神社(四日市市大宮町)
〈長谷神社 旧社地(四日市市別名)の合祀先〉
・長倉神社(四日市市大矢知町)
員辨郡(ゐなへの こおり) 10座(並小)と論社について
鴨神社(かもの かみのやしろ)
・鴨神社(いなべ市大安町丹生川上)
石神社(いしの かみのやしろ)
・石神社(いなべ市藤原町石川)
・春日神社(いなべ市藤原町下野尻)
・石神社(いなべ市北勢町飯倉)
平群神社(へくりの かみのやしろ)
・平群神社(桑名市志知)
多奈閉神社(たなへの かみのやしろ)
・多奈閇神社(いなべ市北勢町田辺)
・多奈閇神社(東員町中上)
猪名部神社(いなへの かみのやしろ)
・猪名部神社(いなべ市藤原町長尾)
・猪名部神社(東員町北大社)
鳥取山田神社(ととりのやまたの かみのやしろ)
・鳥取山田神社(東員町山田)
鳥取神社(ととりの かみのやしろ)
・鳥取神社(いなべ市大安町門前)
・鳥取神社(東員町鳥取)
大谷神社(おほたにの かみのやしろ)
・大谷神社 旧跡(いなべ市大安町南金井)
・大谷神社(いなべ市員弁町大泉)
賀毛神社(かもの かみのやしろ)
・賀毛神社(いなべ市北勢町垣内)
星川神社(ほしかはの かみのやしろ)
・星川神社(桑名市星川)
桑名郡(くはなの こおり) 15座(大1座・小14座)と論社について
桑名神社二座(くわなの かみのやしろ ふたくら)
・桑名宗社〔・桑名神社・中臣神社〕(桑名市本町)
〈俗称 春日神社〉
佐乃富神社(さのふの かみのやしろ)
・北桑名総社・北桑名神社(桑名市堤原)
・古濱神社(桑名市多度町御衣野)〈延喜式内社 参考論社〉
〈『多度町史』によれば 当社を延喜式内佐乃富神社とする説あり〉
尾津神社二座(をつの かみのやしろ)
・草薙神社〈尾津神社〉(桑名市多度町御衣野)
〈日本武尊尾津崎御遺跡〉
・尾津神社(桑名市多度町小山)
・尾津神社(桑名市多度町戸津)
小山神社(をやまの かみのやしろ)
・小山神社(桑名市多度町小山)
野志里神社(のしりの かみのやしろ)
・野志里神社(多度町下野代)
〈元伊勢 桑名野代宮の跡〉
・神館神社(桑名市大字江場)
〈元伊勢 桑名野代宮へ遷幸の際〔御休泊所〕神館の跡〉
多度神社(名神大)(たとの かみのやしろ)
・多度大社(桑名市多度町多度)
〈本宮 多度神社・別宮 一目連神社〉
多度大社(たどたいしゃ)は 古代 社殿背後の多度山を神体山とし 数多の磐座・御神石があり 創祀は神代に遡ると推測されています 社伝では 雄略天皇の御代〈五世紀〉の創建と伝えます 『六国史』には 神階の奉授・官社列したことが記され 『延喜式』には 伊勢國 桑名郡 多度神社(名神大)(たとの かみのやしろ)と所載があります
多度大社(桑名市多度町多度)〈本宮 多度神社・別宮 一目連神社〉
尾野神社(をのの かみのやしろ)
・尾野神社・立坂神社(桑名市東方)
深江神社(ふかえの かみのやしろ)
・深江神社(桑名市下深谷部)
額田神社(ぬかたの かみのやしろ)
・額田神社(桑名市大字額田)
・額田神社 旧宮跡(桑名市増田)
・額田神社(桑名市増田)
宇賀神社(うかの かみのやしろ)
・宇賀神社(桑名市多度町柚井)
中臣神社(なかとみの かみのやしろ)
・桑名宗社〔・桑名神社・中臣神社〕(桑名市本町)に合祀
・北桑名総社・北桑名神社(桑名市堤原)
長谷神社(はせの かみのやしろ)
・長谷神社(桑名市桑部)
立坂神社(たちさかの かみのやしろ)
・尾野神社・立坂神社(桑名市東方)
〈式内社 立坂神社は尾野神社に合祀〉
・立坂神社旧跡 石碑(桑名市東方)
〈尾野神社に合祀された立坂神社古社地〉
・立坂神社〈合殿 矢田八幡社〉(桑名市新矢田)
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
「東海道」に鎮座する(731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679)神社の一覧表です