伊勢命神社(いせみことじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の名神大社です 正史の『続日本後紀』嘉祥元年(846)の条には「伊勢命神 しばしば霊験あるにより 明神の列に預かる」と その御神威を記しています 鎮座地の久見(クミ)地区は 太古から栄えた地で 西日本最大の黒耀石の産地でもありました 本殿は隠岐造りの三間社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
伊勢命神社(Ise mikoto Shrine)
(いせみことじんじゃ)
[通称名(Common name)]
内宮さん(ないくうさん)
【鎮座地 (Location) 】
島根県隠岐郡隠岐の島町久見375
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊勢命神(Isemikoto no kami)
〈隠岐の固有の神とされます〉
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・縁結び
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社 名神大
【創 建 (Beginning of history)】
伊勢命神社 縁起
社伝に依れば 一夜神光海上より 輝き来たりて久見字仮屋の地に止まり 以来 夜々出現して止まず 偶々神託を受くる者あり 此の地に 伊勢明神を奉斉せし処 神火の出現止みたり、然るに 仮屋の地は 北西風強烈なる為 間もなく現在地 字宮川原に社地を定めて遷宮をなしたりと 是が伊勢命神社創立の起源であり、御祭神は伊勢命である。
天保9年(1838)不幸 当地に大火災発生し 本社 又 その厄にあって全焼して棟札、古文書一切を失った為 創立年代不詳であるが 仁明天皇 嘉祥元年(848)しばしば霊験ありとの故を以て 明神の列に挙げられ 延喜の制には 國幣大社の待遇を受けて名神大の社格に列せられた。
当社は 隠州視聴記に 内宮大明神社 領弐石神主山城隠州神名帖には正四位上伊勢明神とあり 御造営は 元島後中の寄進とするの定めとあり 内宮さんと呼んで非常に崇敬を承けた
明治5年郷社に列せられ 同40年9月には 神饌幣帛料供進社に指定せられた
本殿は 明神造り 桁行三間 梁間二間半 昭和43年明治100年記念事業として屋根銅板葺替竣工
尚 古きから当社に奉納されている久見神楽は 昭和37年 島根県無形文化財に指定されている 右
昭和53年 伊勢命神社社務所境内案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
御祭神を伊勢命と申し、創立年代は不明なるも社伝によれば一夜神光海上より輝き来り字仮屋の地に止まり以来夜々出現止まず。偶々神託蒙る者あり、以って伊勢明神を奉斎せしより神火の出現はじめてやみたりと、この地は西北風強烈なるためまもなく田代川の対岸の浄地、現社地に移転せりと伝う。『続日本後記』に仁明天皇嘉祥元年名神の列に預りし趣、明記せられ延喜の制に於ては、名神大に列せられたる由、明かなり。明治五年郷社せらる。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
伊勢命神社 Ise Mikoto Shrine
【伊勢命神社】
伊勢命神社の本殿は、天保9年の久見集落を焼き尽くす大火により焼失した後、天保12年(1841)に再建されたものです。建築様式は「隠岐造」の三間社で、玉若酢命神社や水若酢神社の2社に次ぐ規模です。延長5年(927)成立の延喜式神名帳には、隠岐に4社ある名神大社の1社として記載されています。
毎年7月の例祭時には、「島後久見神楽」が公開されます。本祭の年(西暦奇数年)は26日、裏祭の年(西暦偶数年)は25日の午後9時頃から翌朝5時頃まで、「儀式三番八乙女神楽」が夜を徹して行われます。この神楽は、明治20年代に油井の神楽社家(神楽を専業とする家)の和田家から久見地区に伝承されたもので、現在行われている島後神楽では、一番古く伝承されたものです。
【隠岐造】
身舎は切妻造妻入で、それと連続しない片流れの向拝を持つなどの特徴があります、屋根が出雲大社の大社造、庇の部分が春日大社の春日造、そして全体的な柱の立て方が伊勢神宮の神明造という三つの神社の建築様式をあわせたものが隠岐造と言われ隠岐ならではの建築様式となっています。
社頭案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・若宮社《主》若宮神
・住吉社《主》住吉神
・大山社《主》大山祇神
・愛宕社《主》愛宕神
・稲荷社《主》稲荷神
・熊野社《主》熊野神
・蛭子社《主》西宮神
・切明社《主》切明神
・牛頭天皇神社《主》素戔嗚神
・荒神《主》三宝荒神
・石神《主》石神
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
・和多須社《主》和多須神
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える名神祭 二百八十五座
・・・
・・・
伊勢命神社 一座 巳上 隠岐國
・・・
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)穏地郡 3座(大2座・小1座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 伊勢命神社(貞・名神大)
[ふ り が な ](いせのみことの かみのやしろ)(みょうじんだい)
[Old Shrine name](Ise no mikoto no kamino yashiro)(Meijin dai)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
島後久見神楽(どうごくみかぐら)について
【無形民俗文化財】
島後久見神楽(どうごくみかぐら)穏地神楽の1つで明治25年(1892)に旧都万村油井の社家から伝習されたと伝えられています。伊勢命神社の例祭日(西暦偶数年は7月15日、同奇数年は7月16日)に、神事の後、夜を徹して行われます。隠岐神楽はもともと、祈祷の神楽とされ、大漁祈願、雨乞いなどを祈って行われ、舞の所作も衣装も素朴で質素な点が特徴です。
公開場所 隠岐の島町 久見 伊勢命神社
公開日 西暦 偶数年7月15日、奇数年7月16日
保持者名 島後 久見神楽保持者会
指定年月日 1962.6.12隠岐の島町教育委員会HPより
https://www.town.okinoshima.shimane.jp/www/contents/1001000000257/index.html
隠岐の式内社〈16座〉について
隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します
隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
隠岐 西郷港フェリーターミナルから R485号を北上 約20km 車30分程度
島後島の北西部にある久見地区に向かいます
日本固有の領土である「竹島」の歴史館「久見竹島歴史館」があります
久見川に沿った 長閑な田園地帯を進みます
道路沿いに木製の玉垣が廻されていて 鳥居が建っています
伊勢命神社(Ise mikoto Shrine)に参着
石の鳥居の横は 社号標があり「伊勢命神社」と刻まれています
一礼をしてから鳥居をくぐると 古い出雲型の狛犬が座しています
すぐ後ろには 手水舎があり 清めます 黒の御影石の手水鉢には神紋の「五七の桐」が刻まれています
境内は広く 右手には 古松の中に社務所が建っています
参道を進むと 灯籠 石段 その両脇にはクスノキ そして随身門があります
石段の上 随身門と御垣で囲まれている神域には 本殿千木の先が少し見えています
随身門をくぐると 更に石畳があり 正面に拝殿が建っています
拝殿にすすみます 扁額には「名神大」と金細工の文字が記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥 隠岐造の本殿は 正面3間 側面2間の切妻 3間の庇向拝 屋根は厚いので 茅葺きを銅板で覆って葺いていると思います
本殿に近づいて驚くのは妻の彫刻です
妻は 巨大ですので その全てに彫刻があります
なんと 長い胴体をもつ大蛇(オロチ)で オロチの胴体が下から一番上の大瓶束まで伸び巻き付いて 上下の虹梁間に尾があり 頭が持ち上がって飛び出しています
どうも2体のオロチが彫られています
御祭神の 伊勢命はオロチに関係する神なのでしょうか?
御垣内には 境内社の祠が数多く鎮座していて 一つ一つお詣りをしていきます 立札があり 御祭神のわかる祠もあれば わからないものもあります
随神門をくぐり 石畳みの参道を戻ります
鳥居の手前まで戻ると 鳥居越しに向かいの山(名前はわかりません)が見えて来て おそらく あの山の方向に「夜々 神火の燃ゆる」とされた旧鎮座地があるのだろうと想いながら 鳥居を抜けて 一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承
六国史〈正史〉に しばしば霊験があり 明神の例に預かると記されています
これは 後の延喜式で名神大社に列格している事由が 載せられている珍しい例〈3~4例程〉とされています
【意訳】
嘉祥元年(848)11月16日(壬申)の条
隠岐国(オキノクニ)伊勢命神(イセノミコトノカミ)
預(アズク)に 明神(ミョウジン)の例に 縁ありて 屡(シバシバ)霊験(レイケン)有るなり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
『隠州神名帳(Onshu Shinmeicho)』〈貞観5年(863)太政官符の命により編纂 国内神名帳〉に記される伝承
穏地郡には記載されておらず 隣郡の周吉郡に「従四位上 伊勢明神」とされています
これは 何らかの事由で郡を異にして記載した可能性があるのではないかとも云われています
【意訳】
周吉郡 従四位上 伊勢明神
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州神名帳』続群書類従[書誌事項]写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=
『隠州視聴合記(Onshu shichogakki)』〈寛文7年(1667年)著〉に記される伝承
所在は 穏地郡の酌村にあって 俗に誤って 内宮〈伊勢〉と呼ばれている と記しています
【意訳】
巻之三 穏地郡 酌村(クミムラ)の条
酌村は西北の海辺・・・云々
村より辰巳の山の麓に門を隔て 内宮と云うあり これを伊勢神明とあかむ
按〈考えるに〉
神名帳の穏地郡「伊勢命 一座」は 穏地郡の酌村に有る
境内を 知俗に誤って内宮と呼ぶ 豈(アニ)〈のであろう〉
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『隠州視聴合記』寛文7年(1667年)著者:斎藤弗緩[数量]5冊[書誌事項]写本[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066833&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
六国史〈正史〉に しばしば霊験があり 明神の例に預かるとされていることを述べ 所在は酌(クミ)村として 内宮とも呼ばれていると記されています
【意訳】
伊勢命(イセノミコトノ)神社 名神大
『続日本後紀』嘉祥元年(848)11月16日(壬申)の条・・
隠岐国(オキノクニ)伊勢命神(イセノミコトノカミ)
預(アズク)に 明神(ミョウジン)の例に 縁ありて 屡(シバシバ)霊験(レイケン)有るなり〇今在は 酌(クミ)村 或いは 作汲村 久久見村 の辰巳山麓
(記)に川を隔てて 号 伊勢明神〇信友(記)伊勢神明を内宮とも云えり 又 五瀬命の事か 考える
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在は 酌村(クミムラ)と記しています
【意訳】
伊勢命神社
伊勢は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇酌村(クミムラ)は在す 『隠州視聴合記』官社
『続日本後紀』嘉祥元年(848)11月16日(壬申)の条・・
隠岐国(オキノクニ)伊勢命神(イセノミコトノカミ)
預(アズク)に 明神(ミョウジン)の例に 縁ありて 屡(シバシバ)霊験(レイケン)有るなり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
所在は 久見村と記しています
【意訳】
伊勢命神社(名神大) 称 内宮大明神
祭神 伊勢命
神位 仁明天皇 嘉祥元年(848)11月16日(壬申)の条・・
隠岐国(オキノクニ)伊勢命神(イセノミコトノカミ)
預(アズク)に 明神(ミョウジン)の例に 縁ありて 屡(シバシバ)霊験(レイケン)有るなり祭日 6月2日
社格 郷社
所在 久見村(穏地郡五箇村大字久見)
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
御神体は 鏡としています
古老の伝説として 夜々 神火の燃ゆる所に小祠を祀ったのが始まりと記しています
【意訳】
島根縣 隠岐國 穏地(オチ)郡 五箇村大字久見
郷社 伊勢命(イセノミコトノ)神社
祭神 伊勢(イセノ)命
御神体は 鏡なる由
神名帳考証に「今在は 酌(クミ)村 或いは 作汲村 久久見村 の辰巳山麓に号 伊勢明神」
延喜式に「穏地郡 伊勢命神社 名神大」
続日本後紀に「嘉祥元年(848)11月16日(壬申)の条・・隠岐国(オキノクニ)伊勢命神(イセノミコトノカミ)預(アズク)に 明神(ミョウジン)の例に 縁ありて 屡(シバシバ)霊験(レイケン)有るなり」
とあり
古老の伝説に 創立年代は詳らかならざれども 往古 現社地の南方凡50間を隔てて 約1500坪の田畑あり この所に夜々 神火の燃ゆることありければ 村民等以って 神明の出現となし 仮にこの所に小祠を建立せしに 年を追いて盛りになりければ 神火の出現も止みぬ 然れども 同地は暴風に吹き荒らさるる 憂いあるを以って 現今の地に遷せり されば今もなお旧社地をかりや(仮屋の意か)といふ 又 同字の内に 太古の祭典に用いし馬場なりとう所あり
明治10年 同地 所有者 野津喜六といふ者 耕作の際に 太古の土器を掘り出したることもありて かたがた由縁ある地なることは明らかなり(社記)
明治5年11月 郷社に列す
社殿は 本殿(桁高3尺 梁2間2尺)拝殿(桁2間 梁2間)社務所(桁4間 梁2間)隋神門(桁1間5尺 梁1間)神楽殿(桁3間 梁2間)等を具備し
境内地は 202坪あり 杉 檜 桜 楠 繁茂し 正面には千数百年を経たる老松あり 西北には古松多き山聳え
宝物は 御鏡大小2面 御輿1個 刀3腰 長刀1筋 金幣大小5本 眞榊2本 甲冑1具 弓2張 錦旗2本等を蔵せり例祭日 7月16日
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2
伊勢命神社(Ise mikoto Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について に戻る
隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について